完璧な観光地は?

 鹿嶋市で遊んでいるんですが、観光があるようでない・・・これって、やや問題・・・友人を連れてどこかを回ろうと考えるとむちゃくちゃ大変・・・中心となる観光施設が・・・そりゃ、鹿島神宮は立派ですよ。しかし、鹿島神宮をぐるっと回って、食事をしても2時間程度しか持ちません。これじゃね。

 そりゃ、潮来とか息栖神社をくっつけてもやはり、やや距離があって・・・いまひとつ。集中の度合いが問題です。それから・・・何が不足なんだろう?一度行ったら二度目はあまり無い場所というのもね。

 ディズニーリゾートとかは、ほぼ1日完全に費やすことができて、しかも、季節ごとの企画、そして、毎年新しい部分があります。これが、1箇所で楽しめるものです。

 鹿島神宮は1度行けばOKに近い・・・また行くの?って聞かれちゃいます。サッカーの試合なども悪くないのですが・・・こいつは、好みの問題です。食い歩きも良いかもしれませんが、おなかいっぱいにならないものをつまみ食いしながら歩き回るような店はあまり無いし・・・食い物屋に入ったら、そこで腹いっぱい・・・原宿などはぶらぶら、チョコチョコ食べられる場所がありますがね。

 まあ、和菓子屋で軽くつまんでという手もありますけどね。塚原卜伝の墓とか観光スポットなのかもしれませんが・・・茶店でもあれば・・・観光スポットになれそうですが、茶店の経営は成り立たない・・・道は狭いし、大型バスは困難・・・10分で見ておしまい、個人で行く場所ではない・・・バスで大勢で、卜伝の話でも30分ほど聞きながら行くのならばOKだけど・・・

 つまり、何らかのストーリーと、行ったということの満足感を得られる場所が少ないというのが問題ですかね?そう、観光というのは、出かけたことで、出かけなかった人に対して、20分ぐらいの話題が延べ3時間ぐらい語れるものでないと行った意味は無いのでは?なんってね。

 それでなければ、一緒に行った人に、また行こうね!って言えるだけのものがないと駄目ですね。そう、また行こうね!これが基本的には文化の力といえるのではないかと思われるわけです。まだ、行ったことが無いから、1度は行ってみたいでは、文化の力ではないということになります。東京スカイツリーなども1度は行きたいですが、2度目は?2度目は行く理由が無いとね。たとえば、花火を見たいとか・・・尺玉で正面あたりで開くのが見えるのかな?いや、隅田川の花火大会だと尺玉は上がらないから・・・どんな眺めかな?と言う具合に、見そこねたものや、見たいものがあれば行くのでしょう。

 二度目は誰かを連れて行くときかな?

 神社仏閣は、ご利益というやつで2度目の理由になりそうですが、それは、信仰心が問題になります。毎回同じ景色だけど、願い事は毎回変わりますからね。現世利益というやつで、優れた効果があれば、2度目があるわけです。しかし・・・社殿の立派さだけではなかなか、集客力があるとは思えません。

 鹿島神宮の前に宝くじ屋があって、祈願した後に買うと、そこそこあたるとか、そのぐらいの威力があれば・・・と、不信心者は考えてしまう・・・確かに、神宮の叢林は悪くないですが、それ自体が人をひきつける力を持っているか?と言えば・・・やや弱い。

 鹿島城址なども桜の時期だけかな?花見の楽しさは、花を見ることより、花の下で仲間と語らうことが重要なんです。今の、観光地に不足するものは何?そりゃ、会いに行く人がいれば、もう一度見えたいものがあるのなら惹かれると言うことなんでしょう。

 気に入ったものが変わらず、さらに大きな喜びが必要と言うだけ・・・店だって同じですね。またのご来店を・・・得るものがあれば、また行きますよ!店などは、継続と発展がなければならないわけです。ああ、この前より楽しい!ってね。

 しかし、ディスカウントした末に、つぶれていた・・・これじゃ駄目、安かった・良かった・・・また、行こうか?あれ無くなっている・・・これじゃ駄目。ちょっと、高いけど、それなりに努力してるよね!次が楽しみ!あ!頑張ってる!ならOK

 もてなすためには、満足に対して正当な対価をもらった上で、次への何かが無ければならないことになります。次に、更なる喜びのために投資する客を育てることも重要でしょう。だから、目先の利益、ではいけないし、持続することが信用につながるわけです。

 さて、魅力的な観光地って、日本にあるのか?こいつが・・・かなり疑問ですね。2度目を考える価値のある観光地・・・京都や奈良などは回る場所が沢山あって・・・1年ぐらいうろつけるかな?

 今の私にとって・・・国会図書館なんかに入り込んだら・・・入っても出なくて良いのなら・・・自由にどこでも入れるなら・・・絶対、死ぬまで出てこないかもしれません。いや、死んでも出ないかも・・・何しろ、新しい本がどんどん入ってくるわけですから・・・1日に5冊ぐらいは目を通せますがね。つくせぬ泉でなければならない・・・そういった、観光地はあるのか?見果てぬ夢のある場所・・・

 一人で行くなら・・・物思いにふけることができる場所・・・散策ができる場所・・・山歩きなどは散策と物思いの両方の要素を含み、自然と対峙するわけだから・・・こいつは、ある意味・・・野外で食事を作ったり・・・生活そのものに、驚きがありますから・・・日常の生活だって、毎日が新しければOK・・・それなら飽きない・・・

 まあ、そういった観光地って少ないような?と言うより、自分の探索の問題でもあるかもしれません。四季の変化、天気の変化、そういったものでも日々の変化を楽しみ、毎日が新しければ・・・毎日が反復でなければ・・・もしくは、単調な反復の習慣の中で、何かの新しい発見や、感情の動きが感じられるのなら・・・

 結局のところは、その人間がどれだけ楽しめるのか?人によって楽しみが違うから・・・多くの人が満足できる形を作り出すこと・・・抽象的ですね。旅行の一般的な楽しみとは?知らない町に行きたい・・・知らない海を眺めていたい・・・愛する人とめぐり合いたい・・・じゃあ、2度目は・・・新しいものを体験した後の2度目は・・・何度も行ける場所は・・・常に新しいか、健康に良い、ご利益がある・・・

 映画館・芝居小屋は出し物が常に新しい、競馬場や競艇場・・・こいつも、毎回不確定要素+利益、射幸心か・・・賭博は好まないので、この手の場所は無縁です・・・買い物・・・新しい商品を見たい!・・・必要なのは非日常空間ということか・・・

 毎回何か新しいと言う場所が、鹿嶋・神栖・潮来界隈にあるのやら?鹿島神宮の祭礼は1年にずいぶんな回数であるけど・・・祭礼の意味であるとかそういったものを知らないと、祭礼を理解することができない・・・例祭といわれてもね。見所であるとか、そういったものだね。年中行事 ≪ 常陸国一之宮 鹿島神宮 これを眺めると、1月1日 午前6時 歳旦祭 中祭式で、早朝に執行されます。これだけの説明じゃ、ありがたみが伝われないような気がします。

 中祭式・大祭式・・・こういった言葉の意味もよくわからんし・・・年間90回の祭りの意味が・・・祭りに参加するということは、祭りの意味を知り、祭りに参加することで、何かを共有する体験となるのでしょう。ご利益ではなく、何のために、この祭礼が連綿と伝えられているのか?そういったものを知れば、出かける気力が湧いてくるのかな?

 神社仏閣と温泉と充実した資料館・博物館、軽い運動とうまい食い物、のんびりできる場所・・・なのかな?
(2012.05.28)

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