古代の製塩は?

 藻塩焼ってのがあって、製塩土器がある・・・藻を焼いて塩を取る方法と、製塩土器に海水を入れて塩を取る?なぜ2つの方法があるのやら?製塩土器として知られているものが縄文時代から知られている・・・ただ、製塩土器が発掘されない空白の時期が、弥生時代にある・・・なんでだろ?なんって、時々妙なものに興味が出てきちゃいます。

 一般的には、藻塩焼きの時代があった・・・藻の灰と塩が混ざったものが最終製品で、そのうち灰塩に海水をかけてかん水、つまり濃い食塩水を作るようになる。灰塩から作られたかん水を製塩土器で蒸発乾固、塩をこしらえる・・・ちょっと、しんじられないなぁ・・・

 だって・・・海岸に落ちている藻には、目で見てわかるような大きさの塩の結晶がいっぱいついています。こいつを集める方法を見出すのってそれほど難しくないような気がするのです。

 藻塩、塩地、塩浜という変化を考えると、藻についた塩ごと焼いて、もう一度海水の溶かして、塩と灰を分離するなんって・・・燃料の無駄では?なんって思えるわけです。

 大昔は、火だって結構重要で、しかも手のかかる資源であると思えるのです。そうなると、原始的な製塩は、海岸に落ちている塩の結晶がたくさんついた藻を器の中で振るなどして、塩を集める作業をしてもよさそうな気がします。

 何しろ、海岸に打ち上げられている藻というのは一般に黒っぽい色をしていて、能率よく太陽からの放射熱を吸収する物質で、さらに、枯れたやつは海水をたくさん含み、乾くと表面に塩の結晶が現れる・・・目で見てわかる現象です。

 なんとなく、製塩の歴史としては逆なような気がしますが、枝条架として藻を使っていたのでは?なんってね。大きな土器を下において、その上に藻をかける横木が渡され、時々藻を土器の中の海水につけては、横木に懸けてしばらく待ち、再び藻を土器の中の海水につけるという作業を繰り返せば、比較的短時間で濃い海水、かん水を作り出すことができそうな気がします。

 こういった土器と横木の組み合わせをいくつか並べて、順に作業すればよさそうな気がします。藻についた塩を使って海水を濃縮すればよいでしょう、これをしつこく繰り返すと、飽和食塩水ができ、うまくいけば、土器の中に食塩の結晶が現れるかもしれません。

 そう、ひしゃくでもあるともっと楽かな?なんってふと思います。横木にかけた藻にひしゃくで上から土器の中の海水をかけることを繰り返せばよいですから。藻の上げ下げのほうが楽かな?

 しかし、これでは大量生産には向かないような?でも、1人の力でもできる製塩方法ですし、素焼きの土器で濃い食塩水をいきなり加熱して塩を作るとなると、土器にしみこんだ塩分が結晶になると土器が割れそうな気がします。人間を集約的に使う塩田法が行われるようになると、こういった零細な方法はなくなってしまうような気がしますね。

 気になるのは、製塩土器にはかなりの付着性のケイソウがついているとか・・・ふと、思うのは海岸に打ち上げられて枯れてしまった藻をもう一度、海水に数日間漬けておいたのでは?なんってね。

 生の藻の中はたぶん真水に近い水分では?そして、枯れた藻は海水を芯まで吸収することができる。数日間、海水につけておけば、枯れた藻の表面には、ケイソウなどのプランクトンがついてもおかしくないような?

 こう考えると、製塩土器に付着するケイソウを説明することが可能なのでは?藻も何日か使うとぼろぼろになるでしょうから、使う藻を準備しながらの作業であれば、ケイソウも濃縮されていくような気がします。

 濃縮されて、製塩土器の中にたまってきた食塩の結晶を、杯のような小型の製塩土器に盛って、最後に水分を飛ばして塩の塊を作ったのかな?なんって・・・ついでに、想像を飛躍させて、堅塩の塊になって、これがお金と同じように流通していたのでは?なんってね。

 古代を考えるのは、面白いものです。そして、古代人だって今の人間と同じ脳みそを持っているわけですから、観察によって気づくことは今の人間と変わらないと思うからです。

 古代は、文献資料が無いので、状況証拠から考えればよいのですから、自由な発想が可能ですから楽しいのかな?

 製塩土器の空白の時代は何でしょうかね?案外、海退期かな?どうも、いい加減に資料を扱っているので、学問ごっこなんでしょうね・・・でも、ちょっと気が向いたら製塩実験をやってみるのも面白いかもしれません。
(2012.05.26)

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