現在をうろうろ(5345)
日本貧窮者経済新聞
 米国の産業の伸長は・・・?

 さて、あまり面白い話が無いね・・・ふと、米国って単なる新興国じゃないかね?と、大胆な話ね・・・文化的には何もない国とも言える・・・文化的なものは先住民のもので、移民たちのものではない・・・移民は同祖の者が集住している所は、それなりの文化を引き継いでいるが、都市部は雑種とか混交文化に過ぎないわけでね・・・それも、一種の文化の形態であるが・・・文化として発展したものではないわけね・・・現状ではこうなっている・・・

 米国の工業化も・・・機械工業が発展していくのが・・・サミュエル・コルト - Wikipedia この人の時代あたりだよね・・・1840年代以降かな?サミュエル君もリボルバーの特許によって独占的に設けたわけですがね・・・そして重要なのは・・・

コルトは互換性のある部品の製作に大きな貢献を果たした。当時の銃は手作りで高価だった。しかし、幾つかの部品は既に機械で作られていたので、コルトは全ての部品が機械で作ることと、部品に互換性を持たせることを望んだ。彼の目標は製造ラインであった。父親に宛てた手紙でコルトは、「最初の作業者は最も重要な部品の2,3を受け持ち、...確認して次の者に渡す。次の者は部品を組み立てさらに次の者に渡す。その次の者は、と同じように繰り返して最後に完成品を仕上げる。」と書いた。

 この部分ね・・・規格化ね。そして、量産の基本を考えているわけね・・・1つの部品を作るだけの専門工は養成が楽、毎日同じものを作っていればね・・・しかも機械化されれば・・・この辺りに、現在につながる機械工業の流れが生まれたようですね・・・日本で言えば嘉永年間ね。日米の関係が生まれる時期だね・・・海外からの開国の圧力が強くなる時期・・・1700年代の末には米国式の捕鯨が太平洋にも進出・・・鯨油を取るために必要な薪と水を求めて、幕府は薪水給与令を出すことに・・・当時の捕鯨は、鯨油採取で・・・クジラの脂身を釜で煮て鯨油の抽出をしていましたから、この釜を焚くための薪が必要だったようでね・・・メルヴィルの白鯨が1851年ね。捕鯨の全盛期だね・・・1820年から1850年頃が最盛期と呼ばれますから。

 捕鯨が終わる原因は、石油の採掘と精製ね・・・原油から灯油を分留する技術が1950年代に開発され、1959年にEdwin Drake - Wikipedia ドレーク君が油井というものを生み出すわけね・・・地下から石油を組みだす技術ね。あれ?日経平均が-300円ぐらいで推移しているね。幼い普ちゃんが泣いちゃうよ!・・・じゃなくて、米国の石油の祖父と呼ばれるのは・・・Samuel Kier - Wikipedia この人ね。製塩用の鹹水の出る井戸に原油が混ざって出るので、この原油を捨てたり燃やしたりと・・・それで、何か使い道が無いかと・・・まずは原油を精製して怪しげな万能薬として発売、ちょっと売れなかったようですね。それと、ワセリンを抽出ね・・・今では塗り薬のベースに使われたりもしていますが・・・塗り薬として販売・・・この人は薬剤師でもあったのでね・・・ペンシルベニアの原油は硫黄分の少ないパラフィン系の原油で、多少の甘みを持ったもののようですね・・・先住民はこれを薬用としていたということで・・・

 この後、原油にウイスキーを混ぜて蒸留して灯油ができる事を知り・・・類似の事業を行うGeorge Bissell (industrialist) - Wikipedia が、石油の有用性に気付きJonathan Greenleaf Eveleth - Wikipedia この人物と作った会社とドレーク君が組んで油井を掘るわけでね・・・というわけでジョージ・ビッセルが米国石油業界の父と呼ばれるわけですね・・・怪しげな売薬製造が灯油製造へ転換していくわけです・・・これによって、鯨油不足の状況が解消、更に安価だったので・・・捕鯨が終わっていくわけね・・・

 油井を掘るのに蒸気機関を使い・・・機械化が進んでいく中の出来事ですね・・・日本の工業化より、ちょっとだけ早かったということになりますかね?ただ・・・この時代の機材も欧州製が多かったのでしょうね・・・ドライク・ウェル・ミュージアム & パーク - Google マップ この辺りでドレーク君が油井を掘ったわけね・・・

 欧州が実用の蒸気機関を持ったのがニューコメンの蒸気機関で1712年に鉱山用の排水ポンプを作っていますね。そして、1769にジェームズワットの改良で、蒸気機関が本格的に利用され、この特許が切れると、高圧蒸気機関の時代に入りますね。これが1800年に入った頃です。鉄道も1804年にトレビシックが蒸気機関車を走らせたりね・・・

 米国でのフロンティアの消滅は1890年ですからね・・・一部先進地域と未だにインディアンの討伐をやっているという感じの時期ね・・・米国の工業が充実してくるのが1910年頃でしょうね・・・T型フォードの誕生が1908年ですから・・・この時点では、スチームタービンの製造は困難で、英国のパーソンズのスチーム・タービンを戦艦に搭載していますからね。

 スチームタービン船のデビューは・・・タービニア - Wikipedia これですね1894年に進水した34.5ノットの高速艇ね。そして、タービン駆動の駆逐艦が1899年から就役が始まるわけです・・・これの前世代のレシプロ機関の駆逐艦は1893年に就役したHavock-class destroyer - Wikipedia このクラスですかね?これで27ノット程度の速力ですね。観艦式でタービニアが悪さをしても、追跡できる高速艦が存在しないわけね10ノット近く優速だとね・・・そして、スチームタービン搭載のViper-class destroyer - Wikipedia こういった駆逐艦が登場、36.5ノットを発揮・・・タービンが大出力で軽量だからね・・・結果、戦艦に搭載されることになって、大出力軽量コンパクトで、武装の強化が行われ・・・1906年に就役のドレッドノート (戦艦) - Wikipedia ド級戦艦が現れて・・・これ以前の戦艦が超旧式艦に化けたわけね・・・

 米国が戦艦用の大型スチームタービンを完成させるのは・・・搭載艦からすると1920年に就役したテネシー (戦艦) - Wikipedia この艦が米ウェスティングハウス社製パーソンズ式単胴体タービンを搭載しているわけですね。

 日本ではスチーム・タービンを搭載した戦艦は1911年就役の準弩級戦艦の安芸 (戦艦) - Wikipedia これですね。スコットランドのカーチスのタービンを搭載・・・1912年就役開始の弩級戦艦の河内型戦艦 - Wikipedia 安芸の拡大版ね。ところが、これらの建造中に、1908年に就役の5ノット余り優速のインヴィンシブル級巡洋戦艦 - Wikipedia が出ちゃってね・・・完成前にみんな旧式艦になってしまったわけね・・・英国が1年で完成させられるものを6年の歳月が必要とかね・・・製鉄・製鋼能力が低くてね。国会議事堂なども、八幡製鉄所の能力が低くて鉄材が不足でかなりの長期間の建設になるわけです・・・関東大震災などもありますがね・・・とにかく、八幡製鉄所の製品で、当時の年間2000トンの製造能力しかなく6年かけて製造・・・こういった事情ですね。

 結局日本は、工業力も設計能力も低いので1909年起工のオライオン級戦艦 - Wikipedia これが欲しくなって・・・英国からタービン搭載の高速戦艦の金剛を発注するわけですね。起工は1911年。これをライセンス生産して行く事になりますね。金剛 (戦艦) - Wikipedia

発注に際し日英両国の間で次の約束がされた。
 ・日本海軍の造船、造機、造兵各技術者を派遣、長期に渡り金剛の工事の一切を監督、調査する。
 ・砲塔その他一切の船体、機関などの図面を日本は入手し、引き続き利用して同型艦を日本国内で建造する。
ヴィッカースは快く派遣要員を受け入れ、技術指導を実施した。日本より建造立ち会い監督官、船体、機関、武器各部門の技術士官、2番艦(比叡)を建造する横須賀工廠の工員が多数派遣され、また3番艦(榛名)や4番艦(霧島)を建造する神戸川崎造船所と三菱重工業長崎造船所から技術者や工員が建造技術取得と調査のために渡英した。金剛の設計図は契約に基づき日本に引き渡され、同型艦3隻は本艦の図面を元に国内で建造された。特に日本が立ち後れていた艦内電気艤装工事の技術は大きな収穫となり、日本の造船技術を一躍世界超一流に引き上げる結果となった。日本海軍ではこれを「技術輸入」と称していたという。後に戦艦大和の46cm主砲を製造した秦千代吉もこの時派遣された者の一人である。


 大きな技術移転が行われたわけですね・・・よく、貪欲に吸収してきたものだとね・・・金剛の同型艦が、横須賀海軍工廠で比叡、神戸川崎造船所で榛名、三菱長崎造船所で霧島と建造されていくわけです。日本の戦艦建造技術の基礎が置かれたわけですね・・・1911年から1915年にかけてね。残念ながら、金剛の装甲板の方が、国産装甲板より焼き入れなどの技術が優れていて、国産の鏨では加工困難だったようですがね・・・

 榛名にはカーティス社のライセンスで国内生産されたタービンが搭載という事のようですね。

 日米ともに、この時期に工業技術が高まっていくわけです・・・丸ごとの技術導入ですからね・・・手っ取り早いですね・・・日米は建艦に関しては並んでいたようですね・・・ただ、基礎素材の製造力が違うのは歴然でしたがね・・・米国は基本的に自主開発を目指したようで・・・時間稼ぎで、ワシントン海軍軍縮条約を主宰して、建艦競争を止めたのでしょうね・・・条約明けには米国は・・・ノースカロライナ級戦艦 - Wikipedia こいつを打ち出してきますね。16インチ砲も製造できるようになり、GEがタービンを・・・日本は頑張って18インチ砲を開発・・・日本も一応はタービン技術を持っていますが・・・残念ながら、高圧蒸気がね。素材技術の限界・・・欧州が圧倒的な製鋼技術を有していて・・・第二次世界大戦の勃発で帰りそこねたドイツの客船シャルンホルストの使用する蒸気が50kg/cm2×470℃ で、高速駆逐艦島風は40kg/cm2 ×400℃ という具合でね。ドイツ工業技術とは随分と違うわけね・・・ドイツでは軍用には更に高温高圧の蒸気を使った奴を搭載しているわけでね。

 こういった発展は、高圧スチーム・タービンの技術が軍事技術とは別の方面で・・・ブルーリボン賞 (船舶) - Wikipedia 大西洋横断の客船が第二次大戦に入る前で平均30ノットぐらいで走るようになるのでね。こういった高速船は水上でも20ノットに満たないドイツのUボートでは捕捉不能だったわけで、単独での高速発揮で航海していたわけでね・・・当時の客船クイーン・メリーが33°45'10.4N 118°11'23.4W - Google マップ ここにいますね。1870年頃から、米国はヨーロッパ文化の吸収を積極的に行いますからね・・・お前の所には博物館が無いのか?でね・・・メトロポリタン美術館が・・・色々と、収集癖があってこんな船も買い込んでホテル・レストラン・博物館船に・・・米国の工業技術ではこういった高速船は建造できずに・・・戦後は、頑張って上部をアルミニウムで作った軽量の高速船でブルーリボン賞を取るわけですね・・・

 競争が無いと技術ってのは進歩が無いが・・・技術の蓄積では、未だに欧州が米国よりも強そうですからね・・・

 とにかく、生産設備が日本では戦火で破壊され・・・復旧は随分とかかりましたけどね・・・しかし、近頃は沈滞気味・・・滅びに瀕しているのかね・・・?さて、何だか疲れたよ・・・今日はここまで、また明日だね・・・

2019.08.13

    

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