現在をうろうろ(5248)
日本貧窮者経済新聞
 大阪城にエレベータがあるのが良くないか・・・?

 あれあれ・・・大阪城天守閣が「忠実に復元された」って安倍首相が言ってたけどホント? ハフポスト 幼い普ちゃんも大変だね・・・幼い普ちゃんは大阪城の中に入った事があるのかね・・・?普通のビルの展示施設という感じですからね・・・多分、外のエレベーターが気に入らなかったのではないかとね。平成の改修で付け加えられた奴・・・中に入った事があれば、只の鉄筋コンクリートのビルですからね・・・内部を紹介しているのは・・・[大阪城天守閣]各階内部フロアーの見学ポイントや所要時間 私も、小学2年生の時には入ったはずですが・・・かなり記憶が怪しい・・・名古屋城とか色々と混ざっている可能性が高いのでね・・・

実際には鉄筋コンクリート製で色も場所も違う? 「あやしい天守閣」第1位に選ばれたことも。

 怪しい天守閣で凄いのは・・・私は、ずばり常総市地域交流センターだと思うのだが・・・これは素晴らしいよ!常総市, 茨城県 - Google マップ 単に城の形をした建物ね。地域交流センター 施設概要/常総市ホームページ 近くに高い建物が無いから、遠くからでも良く見えてね・・・平城って凄い!って思いますからね・・・当時は、このような石垣や天守閣(高さ48.5メートル)ではなく、カヤ葺きの居館造で、小貝川の水を引き込んだ濠や土塁により要塞化したものであったろうと考えられます。・・・私は、この城は好きですが・・・?さて、ちょっと真面目に・・・

安倍晋三首相が大阪市内で開かれたG20サミットのあいさつで、大阪城の天守閣が「16世紀のものが忠実に復元」されたとして、復元の際にエレベーターを設置したのは「大きなミス」と発言した。これに対して「障がい者への配慮が足りない」などと批判が相次いでいる。

 16世紀の様式でカッコよく作られた展示スペースですからね・・・大阪城 - 国立国会図書館デジタルコレクション 48コマ 大阪城公園の整備と新天守閣 ここに趣旨が書かれていますね・・・昭和大典を永遠に記念するために大阪城の解放と公園化を実現・・・陸軍が使っていたのでね。ここに、歴史博物館を建てることにしたわけです。

 天守閣の意匠は大坂冬の陣屏風を参考に、各地の天守を参考に作ったわけね・・・江戸時代の天守台の石垣の上に桃山風の奴を乗せたという奴ね・・・天守の形をした展示スペースね・・・昭和七年陸軍特別大演習大阪市記念誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション 24コマ 大阪城天守閣御登臨御順路要図 これに、出来立ての大阪城天守の内部の様子が示されていますね。基本的に展示用の建物なのでね・・・昭和七年陸軍特別大演習大阪市記念誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション 66コマ 第四章 大阪城天守閣奉迎準備 ここに、この時の内部の展示の様子が示されていますね・・・日本中から凄い物を集めて展覧に供したようですね・・・だから、ここはカッコイー陳列場として作られた鉄筋コンクリートの当時の最新の施設だったわけね・・・陛下にお見せするために・・・

一方で、ネット上では「歴史的建造物を忠実に復元する際に、エレベーターを付けるべきではない」として、安倍首相を擁護する意見も出ている。

 大阪城の外の平成の改修で付けられたエレベーターじゃないかと、私は思ったわけ・・・これは、目立たないように作られていますが、なんとなくね・・・私も気にすれば気になる・・・

しかし、大阪城の天守閣は安倍首相が言うように「忠実に復元」されているのだろうか。実態を調査してみた。

 これって、鉄筋コンクリート製のなんちゃって天守閣だって知っているからね・・・

■安倍首相の発言内容
安倍首相は、サミット初日の6月28日夜に開かれた夕食会のあいさつで、「ようこそ大阪にいらっしゃいました」と地域の歴史について紹介。NHKニュースによると、その際に次のように述べたという。

「大阪のシンボルである大阪城は、最初に16世紀に築城されました。石垣全体や車列が通った大手門は17世紀はじめのものです。150年前の明治維新の混乱で、大阪城の大半は焼失しましたが、天守閣は今から約90年前に、16世紀のものが忠実に復元されました。しかし、1つだけ、大きなミスを犯してしまいました。エレベーターまでつけてしまいました」

 展示室のあるビルですからね・・・単に外観が桃山風の天守閣のつもりというだけですから・・・歴史的建造物の復元という性格のものではないわけでね。

■「あやしい天守閣」第1位に選ばれたことも。
安倍首相は、エレベーター以外は「忠実に復元されました」と胸を張ったが、事実とは異なっている。

 幼い普ちゃんは無知なんだもの、仕方ないじゃん・・・

イカロス出版のムック「あやしい天守閣」(2011年)では、「あやしい天守閣 十傑」というリストを掲載。城マニアの意見を元に、歴史的な姿とほど遠い全国の天守閣風建築のベスト10を挙げている。その第1位に輝いたのが、大阪城だった。

 単なるランドマークでしょうからね。そして、展示スペース・・・当時の最新の技術で・・・何しろ、天覧を予定しているわけですから。

豊臣期の大阪城の天守閣は木造だったが、現在のものは鉄筋コンクリート8階建てで、建材が全く違う。戦前の1931年に完成。エレベーターは当時から設置されていた。

 桃山風の豪壮・華麗なカッチョイイ物を作りたかった・・・だって見栄を張りたかったのだからね!

大阪市役所の公式サイトによると当時、城郭建築の研究は進んでおらず、豊臣氏の大坂城天守閣に関する資料はほとんどなかった。

 単に、現存する天守台の上に建物を建てたかった!大阪が一望できる奴を!展望台ね・・・凌雲閣;浅草十二階の様な奴だね。この、凌雲閣が日本初のエレベーター導入建築物ね・・・大阪城の場合は、機械室の都合で5階までかな?

そのため、16世紀の「大坂夏の陣図屏風」に描かれた豊臣時代の天守閣をもとに古川重春氏が設計したという。

 単に、大阪を象徴するモニュメントとして作られただけのもの・・・豪壮華麗な物であれば良かった。多くの人が立派だと思うものをデザインしただけね。

■屏風絵とも違う姿。漆黒の壁が真っ白に
屏風に描かれた天守を元にしているのであれば、当時の姿を再現したもののように思えるが、実際には大きく違っている。前出の「あやしい城」は、現在の天守閣と、屏風絵との違いを以下のように述べている。

 桃山期の建物の意匠をふんだんに盛り込んだものですからね。一応、どんな建物を参考にしたかが列記されていましたからね・・・岡山城天守、大垣城天守、広島城天守、松本城天守、丸岡城天守・・・伏見桃山城の遺構だとされる西本願寺書院及び四脚門、豊国神社唐門、御香宮表門、高台寺、聚楽第の遺構とされる大徳寺唐門、西本願寺飛雲閣・・・醍醐三宝院、竹生島神社、大阪城・桃山城出土の古瓦、大阪橋擬宝珠などを参考・・・

<たとえば1層目と3層目の南北方向にある入母屋破風と、2層目東西方向にある千鳥破風は、絵と違ってそれぞれ上層の屋根を突き抜けている。現在の天守の破風のほうが、若干大げさなデザインといえよう。各階の高さをバランスよくそろえるため、このような構造になったのだ>

 だから、昭和の初めに、これぞ桃山!という奴を生み出しただけの話しね・・・復元ではないわけね。天守閣造営委員会がでっち上げたものだというだけね。

<さらに、屏風絵の天守が真っ黒な姿なのに、現在のそれは全体を白漆喰の塗り壁としている。漆黒の天守が白亜の天守に変化してしまったわけで、これは屏風絵と比べてみても明らかだ。復興にあたって、「黒塗りより、白亜の天守閣の方が見栄えがええやろ!」ということで、現在のような外壁にしたものと思われる>

 最上部だけは黒塗りで・・・屏風絵の天守を模して・・・後はきらびやかに白くしただけね。1階には水洗便所・手洗い所もあるよ・・・これは遺憾に思わないのかね・・・?

■天守閣の場所も違う
外見だけでも大きな違いがあるのだが、「あやしい天守閣」ではさらに致命的な違いを挙げている。

実は、現在の天守閣の場所は、豊臣時代に天守閣があった場所と異なっているのだ。

 江戸時代の物を利用して、豪壮華麗な桃山風の凄いのを作りたかった・・・陛下も驚くぞ!ですからね・・・大阪の意気を見せたくて金集めの成果ね・・・

<秀吉時代に大坂城は徹底的に破壊され、埋め立てられ、その上に築かれたのが現在見ることのできる大坂城なのだ。建物はもちろん、石垣、堀、縄張にいたるまで、豊臣のなごりは一切残されなかった。もちろん、秀吉の築いた天守が立っていた天守台も徳川期の再建事業で破壊埋却。というわけで、現在の天守閣が立つ天守台は、秀忠が命じて築かせたものだ>

こうした事実は、昭和期に大阪城天守閣が建設された当時は、知られていなかった。

 天守台の遺構の上に凄い奴を作りたかっただけですからね・・・

鉄筋コンクリートの天守閣が建設されてから28年後の1959年の学術調査で、本丸の地下から豊臣期の古い石垣が発見。ここで初めて、現在の大阪城の城郭が豊臣期とは全く違うことが明らかになったという。

 こんな事は気にもしていなかった・・・それだけね。

■つまり・・・
現在の大阪城天守閣は、徳川期の天守台の上に、豊臣期の天守閣をモチーフにして壁の色や屋根のレイアウトを変えるなど独自のアレンジを加えて、鉄筋コンクリートで作られたものだった。

 桃山への憧憬が作り出した昭和の鉄筋コンクリートね。

もし歴史的な建造物であればエレベーターの設置の是非が問われるのも分かる。

 どうも、幼い普ちゃんは大阪城に入った事が無いのかと・・・だから、私は天守閣の外の平成の改修で付け加えられたエレベーターの話しかと思ったわけね。

しかし、現在の大阪城天守閣に関しては、エレベーターがあることで歴史的な意義が問われることはなさそうだ。

 昭和初期のエレベーターとして・・・というか、資料を見ていてエレベーターに関する記述が無くてね・・・それで昭和7年の大阪での特別第演習に関する資料から見つけたわけね・・・展覧に供したときに、鉄塔を建ててライトアップしたりと・・・頑張ったわけね。そして、用途は・・・郷土博物館 - 国立国会図書館デジタルコレクション 85コマ ここにあるように、本邦唯一の大都市郷土博物館である。とさ・・・桃山様式の集大成として見れば良いだけね・・・単に、幼い普ちゃんがバリアフリーとか歴史などの知識が無い事がバレただけね。しかし、こんな事で幼い普ちゃんをいじめないでもらいたいね・・・無能外交を責めないと・・・

 名古屋城はエレベーター無しで再建ね・・・?在りし日のコピーを行うなら・・・エレベーター無しでよいのでは?ただし・・・内部は一般公開しない!歴史建造物として再建するならね・・・内部を公開したいなら、エレベーターを付け、最上階の窓を大きくする・・・

 最上階の5層の昇降の階段が大量の観光客には対応できない・・・?戦前は内部を公開していたのかね・・・?

 5層の内部は右のような感じか・・結構広いね・・・

 板張りだと、裸足で入館かね?姫路城のような感じ・・・?どうせ、今の奴は耐震性に問題があるから閉館しているから、建て替えて、中は非公開にすれば、みんなが文句を言うだけで不平等は無くなる・・・

 技術の伝承と、実物資料ということでね・・・中を見たい、天守最上階から景色を眺めたいという欲望があるからいけないだけじゃん・・・バリアフリーな場所だけ公開、バリアフリーでないところは非公開でOKじゃン!

 みんな入れない・・・研究者だけとかね・・・国宝史蹟名古屋城. 上 - 国立国会図書館デジタルコレクション 国宝史蹟名古屋城. 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション なかなか面白いね。さて寝るか!

2019.07.01

      

関係ないが興味深いもの
 今回は無し

時々チェックすべきもの


 首相官邸ホームページ
 国会提出法案|電子政府の総合窓口e-Gov イーガブ
 The White House
 U.S. Department of State
 United States Department of Defense (defense.gov)
 世界のビジネスニュース(通商弘報) - ジェトロ
 銘柄一覧 日本取引所グループ

 聯合ニュース
 AJW by The Asahi Shimbun
 日刊ゲンダイ
 List of national newspapers - Wikipedia, the free encyclopedia
 一般社団法人 日本経済団体連合会 - Keidanren


食べ物が・・・

 野菜ナビ

inserted by FC2 system