ネットの中をうろうろ(27)
  中朝国境に何が・・・(27) 茂山から南村駅へ その1
 
 茂山を出発して、国境沿いに白茂線が続きます。茂山の次は南村駅とのこと、あたりを見ながらのんびり進むとしましょう。

 台地の上の畑を眺めると、畑の中に小屋のようなものが見えます。目いっぱい強調してみると右の写真のようになります。一辺がおよそ3mの方形の小屋のように見えます。かなり無理な画像処理をしていますから、下手をするとみたいと思っているものを作っている可能性があります。

 座標は2008年6月11日の 42°09'32.64" N 129°14'45.70" E ここです。明瞭な道で続く最寄りの集落から1.2km程の距離にあります。比高は300mほどありますから、通勤は御免こうむりたい所です。なので、こいつは出作り小屋か、昼寝小屋と考えたくなるわけです。

 9月の画像の中にもこの小屋らしきものがありますが、作物との区別がかなり困難・・・よって、屋根の高さは3mに満たないぐらいなのでしょう。

 私が見たいと思うのは・・・月山のぬま小屋・・・これに絶対似た構造だと思うのですが・・・もっと高解像度の衛星写真を見たい!と強く熱望するわけです。

 境界木で囲まれた区画・・・伝統的な区割りと思われます。土地の管理はどんな形になっているのでしょうか?世襲か?気になるわけです。集落の耕作地全体を共有地として考え、毎年、交代で耕作するのか?それとも・・・日本にも、さまざまな形態があったようですが・・・このあたりでは?李朝では、名目は公地公民・・・日帝時代にどんな具合に変わったか?そして、どのように土地所有制度を変更したか?

 ちょっと、調べる前に仮想してみましょう。もし、私が支配者なら・・・とりあえず日本の土地の登記と同じようなシステムであるとして継受します。社会主義革命ですから、地主は国家、地主の代わりに耕作者を記入、自作農は国家の小作に、地主の小作は国家の小作にで、とにかくおしまい。地主は文句をつけます。今までの取り分は!社会主義革命だ!文句のあるやつは反革命分子として粛清・・・これでは、まとまらない・・・地主は官職を与えればOK・・・10人ぐらい小作を持っていれば係長クラスとか、耕作者の上前を刎ねられるシステム・・・圧倒的な大地主は村長クラスとか・・・既得権益の評価換えが納得のできるものならOKなんでしょう。まあ、地主が国家に土地を寄進する・・・寄進地系荘園のシステムと変わらんか・・・

 前貨幣社会封建制(勝手な造語、書いてある通り)が共産主義になるか資本主義になるかの分かれ目は、通貨の流通量でほぼ決まり、土地の流動性が低いと共産制、土地の流動性が高いと資本主義なのかもしれません。ちょっと乱暴だが・・・違いは土地制度のような気がします。土地と農業を基準とするか、通貨を基準とするかの違いジャン・・・

 ふと、共産主義国家は飢えによっては崩壊しない・・・そんな気がします・・・共産主義は封建国家の皇帝の名前を書記長に書き換えれば成立するような気がします。諸侯は大きい順に第一書記とか・・・飢えは農業がうまくいかないとき・・・いつもとは限らない・・・良い時もある。悪い時は・・・原因は何?支配者連が特別極悪非道でなければ・・・神の不興でしょう。中国は偉大・・・祭天を考えたから・・・民の痛みは我が痛み、余自ら祈ろう、天に祈れるのは余一人なれば・・・神頼みできるのは皇帝だけ・・・素晴らしいじゃないですか!これで解決、資本主義だと・・・貨幣価値が下がったのは、税が上がったのは、国際競争力が落ちたのは・・・お前のせいだ!この極悪人!死ね!腹を切れ!・・・等々・・・怒りの向きが違う・・・余も、天に対し慎み深く生きるぞよ・・・逆に共産主義国家が崩壊する、もしくは変質するのは通貨の力が増して・・・国際通貨となって、この通貨によって飢えを解消できる状態になったとき・・・飢饉は金があっても食べ物が買えない状態から、金があれば外国から買って飢えることはないという階層ができたときと思えるからです。

 飢えた北朝鮮を崩壊させる方法(飢えていなければ不可)・・・風船にドル紙幣や人民元を付け、これを集めて国境へ買い物へ行こう!国境がだめでも自由市場で買い物しよう!飢えは、耕作や国家のスローガンではなく、この緑や毛沢東印のお紙で解決できる!外貨こそ自由と満腹の原動力だ!とでも書きますかね・・・

 日帝時代、日本が朝鮮半島に国内通貨をそのまま流通させずに、経済を分離できるように朝鮮円を作ったようですからね。通貨統合って厄介なもののようです。

 あれ、また道を外れている・・・しかし、壮大な欧州の実験・・・如何になるか?

 茂山をでてすぐのところに素敵な場所を見つけました。この場所が欲しい!右の写真の所です。座標は 42°12'53.63" N 129°13'14.26" E ここです。

 この建物のスタイルは初めて・・・ここでレストランを開きたいと思うのです。果樹園、菜園、穀物を作る場所、そして川がそろっていて・・・完全予約制にして・・・季節のおいしいものを・・・広い道と川に囲まれた一区画・・・別荘にも良いでしょうね。すごく気に入りました。

 農園を牛車とか馬車などで回るとか・・・良いですね。馬車は良いよな・・・馬は自分で判断してちゃんと馬小屋へ戻るでしょうから・・・酒を飲みに馬車で出かけて、帰りは馬任せ・・・軽車両だから・・・日本では不可でしょうが、荷台で寝てたら馬が勝手に歩きはじめたとか・・・言い訳できるのでしょうか?邸内ならOKでしょうから・・・この区画が欲しいな・・・なんって思うわけです。ガソリンで動くような自動車より、牛車や馬車の方がリッチな感じがするのですが・・・所詮、自動車など馬車の代用品!なんって思えるのでね。

 右の写真の鉄道橋も見てみたいな・・・美しいアーチ、切り立つ崖・・・これはいつの時代のものか・・・そして、繊細な橋脚を持つ道路橋・・・右の建物は学校か?そして、役所のような建物・・・

 この邑の名前は不明・・・座標は 42°11'41.77" N 129°12'34.68" E です。

 ちょっと興味深いのは、この邑は西向きに建設されている・・・普通、建物は南向きの作られて筈なんですが・・・公共建築の多くは西向き・・・しかも、東のはずれに位置しています。なんで?私の感覚とは違う・・・学校と民家は南向き・・・

風水・・・というか・・・街は背に山を背負っていないといけないということのようです。都市計画を山を背負うように見れば、なるほどという気になります。私の感覚とは違いますが、なんとなく理解・・・山が北側にあって、川が南にあって、平野が広がっていれば完璧なんですが・・・そうとは限らない・・・それでも、背に山を背負いたいということでしょう。[朝鮮総督府]調査資料. 第31輯 民間信仰第二部 朝鮮の風水、この本の内容が少し納得できたような気がします。異文化を理解するのは難しい・・・関東平野は巨大な蔵風得水の地なのか?なんってね。久々に帝都物語なんって読みたくなったりします。

 この邑の中で興味深い施設、それは・・・右の写真、座標は 42°11'45.39" N 129°12'37.62" E の2009年版ですね。さあ、右の区画の中庭にあるのは、牛にひかれた荷車かそれともトラクターに引かれた荷車か・・・これは、荷車を1本の棒で接続しているから、トラクターで引かれているのでしょう。家畜なら、くびきで左右に轅という形になるはずです。轅が1本なら家畜は2頭立てになりますからね。

 くびきや轅なんって言葉は近頃あまり使わないなぁ〜・・・くびきにつながれる・・・支配下にある・・・

 さて、左の建物の左下の区画が気になるのです。ここは何?なんとなく、家畜の囲いのような気がします。ここに牛でもつながれているのでしょうか?気になります。何しろ、牛を確認していませんから・・・牛はどこにいる?通常は屋根の下か?

 南部の曲がり屋・・・ガレージのついた家屋・・・こういったのは分かりやすいのですが・・・そういえば、山形で屋内に牛馬を飼った家を見て来たっけ・・・田麦俣 多層民家ってやつ。座標は 38°34'12.85" N 139°55'16.81" E ですね。

 右のような建物・・・右の方に厩があります。重厚な建物・・・出羽三山へ・・・6

 北朝鮮には、こういった建物はまずないでしょう。まあ、日本だって、歴史的建造物として認識されていなければ消えゆく運命にあるものですから・・・庭で牛馬が飼えたら絶対面白いのですが・・・

 昔は、普通に飼われていたんですけどね・・・民家+ガレージというやつを探せばよいのか・・・車が普及していない代わりに牛が普及しているとか・・・

 ネット上の情報では牛車が結構走っているとか・・・トラクターに荷車のパターンがあるということは、荷車を使う文化があるはずですから・・・

 探すと、近くにそれらしき影がありました・・・これこそ、みたいと思うから、そのように見えるというものかもしれませんが・・・とにかく、次のような画像です。座標は2009年版の 42°11'19.91" N 129°12'39.50" E このあたりです。

 全長6〜7mほど、トラックの荷台に白い荷物かもしれませんが・・・それでは夢がない・・・トラクターと荷車かもしれませんが・・・牛車の場合は、馬車と違って人が牛を引くか並んで歩く形になるんでしたっけ?後ろから御するのではなく・・・

 昔の着色写真がありますね。右のようなやつ・・・日本と同じで横を歩くみたいです。

 大きな車輪・・・上物を付ければ御所車みたいな感じ・・・


 畑はこんな具合に鋤き返されていたのか・・・

 繋駕・・・この言葉、牛にも使えるのか?ちょっと気になります。馬限定のような感じ・・・牛を牛車につなぐことを何と言う?牛を繋ぐか・・・繋牛・・・用例としては昔の新聞に「牛舎は少なくも一千四五百頭の収容力を有し常に七八百頭の繋牛を見るに至れり」というのがあるが、意味合いが違う・・・

 さて、路上を行くのはトラクターか牛か・・・全長は中庭のトラクタ+荷車より短い気がするので牛車でしょう・・・自信なし・・・

 あとは、肉牛だったら・・・基本的には牛舎からほとんど出されないか・・・

 右の写真が日本の畜産農家の例・・・こういった運動場のあるのは少ないのでは?


 このあたりで、これのイメージに近いのは左のやつですね。

 雰囲気は近い・・・ここでも、外周を囲み中庭を作る形になっている・・・囲い込む文化と言っても良いのかも?

 多分、これが牛舎のパターン・・・工場も同じような感じなのではっきりはしませんが・・・よくわからないですが・・・

 このあたりの圃場を眺めているのですが・・・道を歩く人は確認できますが、圃場で仕事をしている人は確認できません・・・不思議・・・まさか、昼寝の文化が残っている・・・昼休みが昼寝時間を含めて毎日3時間とか・・・

 戦前の朝鮮の絵葉書には、昼寝をする人がずいぶんと見られましたから・・・古くからの習慣か?


 日本的な感性では、外での昼寝は「いぎたなし」か?清少納言が悪いな・・・「親の昼寝したるほどは、寄り所なく、すさまじうぞあるかし。」

 文化として許されているのはうらやましい・・・共産圏は休息を大切にしてたっけ・・・スターリン憲法に規定があった気が・・・

 北朝鮮の憲法に規定は・・・第71条 公民は、休息の権利を有する。昼寝は権利なのか?気になります。一応、休日規定ですが・・・続きは・・・この権利は労働時間制、公休日制、有給休暇制、国家費用による静養・保養制、絶えず拡充される各種の文化施設などによって保障される。わざわざ、労働時間制という断り書きがあるから・・・昼寝は公民の権利なのかもしれない。我が国の憲法に休息の権利なんってあったっけ?

日本国憲法では 第27条  すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
 2  賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
 3  児童は、これを酷使してはならない。

 休息は憲法で保障された権利ではないようです。働け!が憲法の精神・・・比較憲法学的な研究も面白いかも?憲法だって、その地域の文化に大きく影響を受けるはずです。わが国では休息は権利として考えていないのか?ちょっと気になります。私は、休息の権利より、休息が義務化されると良いかな?あまり休息を取らない方なので・・・憲法で昼寝の義務が制定されるなら、私も改憲論に賛成します!(きっぱり!)

(2012.12.12)
















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