東北をうろうろ(20)
 出羽三山へ・・・・6

 羽黒山から湯殿山に向かうのですが、本明寺から注連寺への旧道を覚えたので、それをたどることにします。地滑り工事・・・井戸で水を抜いているとか・・・そういった看板を眺めながら進みます。注連寺を過ぎ・・・なぜか、古い六十里越街道を進むことにしました。抜けられる予定でしたが・・・・

 途中、素敵な建物を見ました・・・何やら見学できるような案内板が出ていましたが、とりあえず目的地があるのでパスかな・・・なんって、通り過ぎたんです。まあ、車をちょっと止めて写真だけは撮ったんですがね。

 なかなか立派な建物で、左側の建物は屋根の補修を行っているようでした。これだけの屋根を葺き替えるとなると、かなりの量の茅が必要だよな・・・萱場とかあるのかな?とか、すぐに余計なことを考えてしまいます。

 このあたりは田麦俣と言うところで・・・関所のようなものがあったとか・・・ちらっと見た看板に・・・

 番所だったかな?とにかくその場所には時計があって・・・心は湯殿山ですから・・・

 少し、坂を上ると観光案内看板があり・・・七つ滝という滝があるとのこと・・・案内板を見ると、なんと日本の滝100選にも選定されている滝で、湯殿山参りをする行者が身を清めたと滝だと・・・ブナを中心とした広葉樹林・・・

 どれどれ・・・というわけです。右のような滝が流れ落ちていました。少々空腹だったのか?そうめんが食べたくなりましたっけ・・・

 おいしそうな滝であります。緑の木々の中の白い筋・・・美しいものです。

 自転車でツーリングしている人もいましたね。一通り眺め、先を急ぎます・・・しかし・・・

 またやられました・・・この先春期除雪のため全面通行止だと・・・

 仕方がないので、戻ることにしました。どうやら、戻って、番所跡とか先ほどの住宅をしっかり眺めて行けとの御託宣と考えることにして・・・

 出羽三山の神様は、私のようなものにも目をかけてくれているのだと・・・勝手に思うことにすればOK・・・

 先ほど眺めた時計を眺め・・・なんで時計なのか?気になりますね。夜間通行止めとか?番所の業務は何?とか・・・なぜ電燈がついている?とか・・・ちょっと疑問を持ちますがね。

 山守とか置かれていたのでしょうか?番所・・・この街道は、参詣者が多かったでしょうから、人の管理を行うのであれば大変な業務になりそうです・・・まあ、参詣者はお寺さんの方で管理していて、商人とか、盗伐とかを取り締まったのか?

 江戸時代の番所は基本的には、大した仕事はしていなくて・・・山守として置かれて・・・あとは、飢饉の時などは米の移動を阻止するために常駐とかではなかったかな?と、いい加減な知識が・・・

 まあ、そんなところだろうと・・・思いますがね。

 さて、さらに戻って、先ほどの大きな建物へと・・・民宿 かやぶき屋という、隣の道沿いの一棟の方で見学料を払って、奥の建物に向かいます。片方は現役か・・・と、ややびっくり!

 この手の建物って、中が暗いし・・・居住条件は、中で火を焚かないとあまり良くないような気がします。注連寺で、虫は入る、ヘビは入るとかそんな話を聞いていますからね。

 その時、北海道での思い出が・・・10月だったかな?羊蹄山麓の温泉宿で・・・たまたま泊まり客が多くてか?宿の中の温度が上がり・・・屋根裏に越冬のために山ほどのカメムシが・・・これが動き出し・・・やがて天井板に現れ・・・動く天井が・・・あちこちの客室から声が上がり・・・

 宿の人は部屋の電気を消すようにと告げていました。やがてカメムシは廊下の天井へ・・・廊下の温度は低いためか、そこから天井裏へと移動・・・

 素敵な体験でした。あんな大量のカメムシが屋根裏で越冬するのか!と感激・・・

 この屋根は、なかなか良い断熱材になるのでしょうから、虫が越冬するのにはよさそうです。中で薪を焚けば、いぶされるので虫はそれほど入らないのかな?とか考えるわけです。

 雪囲いが・・・これは、常設?もうじき外される?ちょっと気になりますね。

 雪囲いの高さからすると・・・下の段の障子の近くまで雪が積もるのかな?とか、豪雪地帯は大変だと・・・

 貧乏して・・・冬の支度ができない事が分かったら・・・死にたい気になりそうな・・・つまらないことを考えてしまいます。

 ロシアとか自殺者が多い・・・冬の支度って厳しいよな・・・近頃・・・私は、冬に暖房を入れていないな・・・とか・・・経費削減というより、帰って来て風呂に入って寝る生活だというだけ・・・

 ひと冬の薪ってどのくらいの量が必要なのだろうか?とか色々と考えてしまいますね。

 さて、入口の右には大便所がありました。上から縄がつるされています。脇にはブドウの皮で作られた縄がつるされていました。谷をわたるのに使われたものか・・・詳しい説明は3階にあるとか・・・戸口を入ると、右に小便所・・・使用禁止と・・・隣には牛馬の柵が・・・わ!この家は絶対臭いよな・・・と思うわけです。現在は、トイレも牛馬も使われていないのでOKですがね。まあ、匂いなどすぐに慣れるものですから・・・

 その奥には、藁を細工するための道具や、藁製品が並べられていました。この土間の部分は、「にわ」と呼ばれるそうです。稲こき、精米、製粉、餅つき、藁仕事などの屋内作業が行われる場所で、唐臼や藁打石などが置かれ、農具を格納して置く場所であるとのこと。厩もあって、牛馬を家族同様に母屋の中で大切に飼っていたとのこと。

 流しは、まさに流しで、山からの清水を筧で引いて流しっぱなしの水・・・ふと、変なことを考えてしまいました。お竹大日如来のお話・・・お竹は江戸の然る大家の勤め人で、江戸の流しは、こういった水が流れっぱなしの流しではないよな・・・しかし、お竹は流しで米や野菜の切れ端が流れていくのを受ける麻の布を使っていた・・・江戸で、ここと同じように筧で水を引けた場所は?飯田橋のあたりとか・・・いくつかありそうですが・・・???なんとなく文化圏が違うような?

 土間から座敷へ上がるには、靴を脱いで、スリッパに・・・スリッパは歩きにくいので靴下でぺたぺた・・・何か、踏んだような気がして・・・あ!カメムシ・・・スリッパをはきました。幸い死んだカメムシのようで、匂いはしませんでしたがね。

 暗い家であります。昭和40年ごろの蛍光灯の器具が、ほのかな光で照らしてくれています。現代の家は、これに比べるとやたらと明るいのかな?なんって・・・

 あとは、なんといっても壁がすすけていますから、それが光を吸収してさらに暗く見せています。この家屋の中では、常にうっすらと煙がたなびいている・・・という状態だったのでしょう。

 二階に上がると・・・障子に不思議な影が・・・右のやつです。予想通り・・・カメムシの団体様が・・・

 まあ、私もこの家で生活することは可能ですが・・・あまり住みたくはない気がしますね。虫やその他の生物との共生というのは・・・今の時代ではかなりかけ離れたものと言えるような?

 自然に近い生活って、こういった生活なんでね。それから少しずつ離れていくことが、文化的な生活・・・自然に帰れと言われてもこういった現実もあることが・・・厄介・・・

 気密度の高い住宅があって、はじめて虫の存在を感じさせないで、煌々と電気をつけた夜を送れるのですから。

 もし、私がこの家を手に入れたらどんなふうに改装するか?どう使うか?

 職業にもよるでしょうが・・・管理人兼案内人なら、毎日火を焚いて暮らしますかね。さすがに、動物の匂いは勘弁してほしいので、牛馬はパス。しかし、この家屋、ランプ以前は何を照明に使っていたのか?

 高価なろうそくは普段使いではないでしょうから・・・灯台ですかね?それとも松脂蝋燭ってやつかな?場合によっては松の木の根を割り箸みたいに割ったやつを鉄の台の上で燃やすとか・・・ひで鉢だっけ?

 そういった、薄暗いう生活も、本とか読まないのであれば良いかもしれません。TVがなくても平気ですが、インターネット環境は欲しいですけどね。冷蔵庫もいらない・・・かも、ビールを飲まないで日本酒かワインなら・・・流しに放り込んでおけば、程よく冷えてくれるでしょうから・・・

 雪に閉ざされたら・・・漬物と酒の日々・・・ときどき、燻製の鮭とか・・・弁慶なんって大活躍かな?燻製を色々作るのも良いでしょう。どうも、考えることが不純であるのかもしれません。しかし、生活をどのように楽しむか?それって重要ですよ!

 まあ、この建物自体が燻製室のようなものですからね。さて、残念ながら国道へ戻って一路、湯殿山へ!

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