日本の行く末は・・・?

放射能汚染された水はどうやって浄化しているのやら?かなり気になるんですが、資料を当たる暇がありません。とにかく、ニュースを眺めている分には、セシウムの回収系統に問題があるような・・・

ちょっと気になるのが、セシウムの化合物ってたいていは水溶性なんですが、例の飯舘村から持ってきた石の放射性物質は、あの石から離れる気配がありません。水につけておいて、その水をガイガーカウンターでチェックしても放射線は検出されません。飯舘村の斑レイ岩にはセシウムを吸着する力が備わっているのかな?なんって思うわけです。

しかし、私の貧弱な化学の知識ではね・・・放射性核種が何か?分析したいところですが、分析器はないし・・・分析にはお金が沢山かかりますから、私のお財布にはその負担が耐えられません。

まあ、世の中にはよくわからないことが沢山あるというわけです。

さて、放射線遊びはほどほどにして、石は保管庫へ・・・30年後には放射線量は半減するはずですがね。しかし、汚染水から汚染物質を取り除いて注水するのではなく、何で本来の復水機を使わないのか?イオン交換樹脂を使った精粋器もついているだろうし・・・まあ、こちらの方は容量からしてあまり当てにならないかな?とにかく、熱交換器が動けば、かなりの熱を交換できるのではないかと思うのですが?何しろフル操業している際の熱を処理するように設計されているわけですから。汚染水をそのまま循環させるのには何か不都合があるのか?ちょっと気になるのであります。あれが水漏れしているという噂は耳にしないのでね。別に、水冷としなくても空冷で何とかなる容量ではないかと思うのですが・・・

まあ、原子炉下部から水を抜いて上部へ落とすことになるから効率の問題があるのかな?いや、下部から水を圧入して満水にしてやってフローさせれば・・・タービンを迂回させるラインもあるだろうし・・・

とにかく、循環させて、一部は蒸発させて気体を処理したほうが楽なのでは?なんて・・・何しろ、気化した大量の放射性セシウムが飯舘村に降り注いだのですから・・・一般にセシウムは塩基性化合物を作るのですから、酸で捕まえられそうな気がするのですがね。何しろ、熱源は健在なんですから・・・外部からのエネルギーなしに濃縮可能では?なんって思うのです。

いずれにせよ、日本の最高の頭脳が知恵を絞ってやっているのですから、何か深い理由があるのでしょう。しかし、飯舘村のセシウム汚染は腑に落ちない・・・まあ、こんなものは・・・誰かが研究しているのでしょう。私は、新しい商売を考えないと・・・

考える必要が出てきたのは、コンピュータをいじれる人間・・・元プログラマーが捕獲されてきたためなんです。鹿嶋界隈はノラ人間がいて、野良猫野良犬と同じように捕獲されて飼われてしまうのであります?・・・まあ、半分冗談ですが、とにかく、ちょっと訳ありで、人が増えたので、その専門が生かせる仕事を生み出さねばならないというわけなんです。

人間というのは、何か仕事をするようにできているようです。何か、人の役に立ちたいという欲求がある人間が比較的多いような気がします。もちろん、遊んでいるのが好きな人間が目に付きますが、実際には1日中遊び続けるのはなかなか困難で、何か集中できることがないと駄目なようです。

そう・・・科学技術の発達によって、我々の生活には余暇が生まれましたが、その余暇をもてあます人間がいるということですかね。適度な、頭を使うこともなく、軽く疲れずという7時間の労働と、総時間は長いが細切れの余暇でというのがよさそうです。長い余暇は、余暇の過ごし方が難しいですからね。

細切れの余暇なら、TVを見て、軽食を取って・・・ごろごろと受動的な娯楽を楽しめばよいわけです。安上がりであります。しかし、まとまった時間を過ごすとなると・・・お金がかかるし、気合を入れる必要があるので、その時点で疲れてしまいますからね。

小さなお金で遊べて、その上利益が出るような遊びは・・・となると、鹿嶋界隈ではサテライトという奴がありますね。サテライトしおさい鹿島競輪の車券売り場・・・賭博場ですね。私は、この手のものには関心がないので・・・でも、なかなか人気のある場所のようです。

まあ、冷房が良く効いているのなら・・・ちょっと涼みに行っても良いかな?なんってね。

いずれにせよ、余暇の利用というのは重要です。しかし・・・遊びに行っている海岸で、新たな仕事を作っちゃいましたから、私も勤勉なほうなのかな?なんって・・・私にとっては遊びは?ふと思ってしまいます。労働と遊びの境目は何か?面白ければ、仕事と遊びの境目はなくなってしまうということなんでしょう。

仕事は、継続性と収益性、社会的に価値があると・・・仕事といえるのでしょう。そうすると、遊びは継続性があまりなく、持ち出しが多く、利益が出ず・・・社会的にはあまり価値がないもの・・・と一応定義できるかな?

まあ、手持ちの機材を活用して、何か新しい仕事を創造しますかね・・・コンピュータ関連の機材で、生産性がありそうなもの・・・ホームページの作成とか、楽天にでも店を出すか・・・看板屋もできなくはない・・・店のレジシステムの開発とかも何とかなるかな・・・経理システムも構築できないことはないが・・・結局は人手の問題なんですね。遊びで・仕事で色々なことを手がけてきましたから・・・こいつを継続事業にすれば・・・確かに仕事・・・仕事の種は存在しますから・・・

今の課題は、遊びのためのPCを仕事のためのPCに変えるには?・・・私の趣味の時間を少し仕事と、その開拓にまわさなければならないということのようです。

しかし・・・日本の経済はどうなるのか?地震が無ければ優良企業であったものが、地震の被害で二次災害を引き起こし、その結果倒産寸前・・・政府も援助ではなく糾弾・・・解体しても賠償責任を果たさせる・・・そんな調子でしたからね。東電が倒れると・・・東電株等に投資するファンドの類も沢山あるでしょうし・・・銀行なんか、あちこち多額の金を融資しているでしょうし・・・倒産したら?影響が大きいなぁ〜

しかし・・・なんで解体するかね?・・・政府が設立を目指す原子力損害賠償支援機構が東電に資金援助する際、東電とともに策定する「特別事業計画」に引き継がれる方向だ。長期的な問題として、発電会社と送電会社に分離して新規参入を促す発送電分離など電力システム改革も検討範囲・・・とか報道にありますが・・・分離すると何か良いことがあるのかね?

大きな会社って、大きな借金ができるから大きな会社なのでは?大きな会社を小さくすると、小さな借金しかできなくなる?銀行の合併なんかそのためではなかったかと思うのですが?

いっそのこと、東電と東北電力・中部電力、ついでに北海道電力も合併させて、より大きな電力会社に再編するとか考えないのかな?東日本電力とか・・・より、大きな企業に仕立て直して、資本強化を行うと・・・重複する管理職を整理してスリム化すればよいし、単純に看板の懸け換え効果もあるかな?

なぜ、議論が責任を取らせれると言う感情論に終始するのか?こいつが私にはわからない・・・賠償できる体力をつけさせるべきなのか、体力を削り取って、それに伴う資金調達能力も削り取ると・・・燃料が購入できなくなり・・・東京電力管内は真っ暗の日々が続いたら?そうでなくても、送電系の過負荷で大停電の可能性もありますからね。

なんとなく、危ない気がするのは中部電力で送電系に過負荷が起こり、そのため中部電力の送電系がストップ、連鎖的に東電、東北電力と連鎖的に送電停止・・・こうなったら怖いかな?送電系の調整に3日ほどかかるかも・・・計画停電ならぬ、計画送電を行って、部分部分の復旧の積み重ね作業になるでしょうから・・・

まあ、生産・物流が3日の停電で崩壊かな?ガソリンスタンドも動かず、物流が止まり・・・生産が止まれば、金も入らない。金融機関もコンピュータとネットワークが動かなければ動かない。物も金も動かない日が3日続くと・・・それが回り始めるには莫大なエネルギーが必要でしょう・・・みずほ銀行のシステム障害のようなことが多発しそうな・・・「東京都内の特定支店の特定口座への振り込みが想定以上の件数に上った」というだけのことで・・・入出金を集計して、全銀協のフォーマットにして、払い込み・払い出しをする作業でね・・・この事件はたぶん・・・震災の義捐金の振込みのためではないかと思われますが・・・どこかのテレビ局で頻繁に流れた義捐金の振込先が・・・みずほ銀行だったような?小額で件数の多いものは面倒でしょうからね。たぶん、イレギュラー処理だったのでしょう・・・それに、給与の振込み等が重なって、サーバーに過負荷・・・

お盆前に大停電ならある程度対応できるかもしれませんが、お盆開けに大停電だと・・・、システム過負荷は様々なところで現れるでしょうね。下手をすると、大震災以上の打撃を日本経済に与えるのでは?

金融システムが止まると・・・何が起こるかわからない・・・なんだか、我々の生活は電気無しには成り立たないことを忘れている人たちが騒いでいるような気がします。まあ、こういった人がアテナイ町にもいて、アテナイを滅ぼしたのかもしれません・・・そうだ、久々にプラトンの著作でも眺めてみますか・・・哲人王なんってやつをキーワードにして・・・まあ、プラトンが考えた事柄を現代風の名詞に差し替えることで、現代に通じるものを見出すことは比較的簡単でしょう。何しろ人間オ仕様などはこの数千年では変化しないわけですから。温故知新であります。

プラトンは、善のイデアをという言葉を使いましたが・・・イデアそのものが抽象的な概念で理解しにくいので現世利益的な用語に置き換えればよいかな?そうだな・・・大勢の人の幸福としたら、それなりに言い換えができるかな?

物事は、否定的な予言はいくらでもできますが、問題は肯定的且つ建設的なものが少なすぎるということのようです。物事を良く知らない人が、さも知った風をして人を動かし、社会を動かそうとすると・・・社会的な人気取り、ブームとパニックによって支配することになります。その結果は・・・それが怖いということです。プラトンの考える哲人王なんてのはその対応のために考えられたのではないかと思われます。

そう・・・オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」の影響を受けている高名な政治家先生は、この書の背景となる思想を探求したのだろうか?沢山の著作、特にシェークスピアの引用の多い本で・・・シェークスピアも知識階層に属する喜劇作家なんでしょうから、その知識基盤は古典なんでしょう。それを再構築した書の本質をどれだけ受け継いでいるのやら?

この本の中の「最小不幸社会」とはどのようなものなのか?わかっているのかな?これもまた気になりますね。さて、仕事してこなきゃ!今日は本業・・・明日もイレギュラーの本業+食い物屋準備・・・忙しいなぁ・・・
(2011.06.25)

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