現在をうろうろ(5714)
日本貧窮者経済新聞
 欧州の物流と水運と一帯一路と・・・?

 さて、何か面白い事は無いかね・・・?欧州は面白いね・・・と、突然欧州を眺めて遊んでいますが・・・欧州の豊かな街を見るのが、余り好きじゃないのでね・・・ついつい、貧乏くさい日本と比べてしまうのでね・・・

 しかし、欧州諸都市を眺めると・・・歴史ある街が・・・基本的に水運によって栄えた町であるとね・・・先日ちょと気になって、何でワルシャワは・・・?ってね・・・一帯一路で取り残されているとは言わないが、それほどの話題が無いのでね・・・

 ワルシャワは鉄道の要衝でもあるが・・・山東省発の国際貨物列車「ワルシャワライン」が運行開始(中国) ビジネス短信 - ジェトロ 一応は、動き出したようなのですがね・・・

 山東省発の国際貨物列車の「?州(Yanzhou)−ワルシャワライン」が11月30日、運行を開始した。同列車は、山東省発の国際貨物列車としては初めて、欧州の主要都市に乗り入れることとなる。

 海上コンテナの鉄道輸送に対応するというのが条件の様でね・・・52°18'22.8N 21°00'14.7E - Google マップ ざっと眺めただけですが、ここにコンテナ・ターミナルがありますが・・・ガントリー・クレーンがある気合の入ったターミナルではないのでね・・・で、その周辺を眺めていると・・・ああ、ワルシャワはヴィスワ川の河川港として栄えたのか・・・とか、気付くわけでね・・・

 欧州は河川交通が、かつては盛んだったという事を思い知らされるわけです・・・

 左のように、黄色いピンの所がコンテナターミナルですが・・・ワルシャワでは、鉄道の発達で河川港が機能を失っちゃったような感じですかね・・・ドイツのような後進国は河川を使った輸送が続くが・・・ポーランドのような先進な地域では・・・鉄道と、工場への引き込み線を作っちゃったので・・・早くに、河川港の地位が下がったような感じですね・・・ポーランドの黄金時代は、ポーランド・リトアニア共和国時代ですかね・・・ポーランド・リトアニア共和国 - Wikipedia この時代、共和国は黒海のオスマン帝国に接していたわけで・・・黒海からバルト海への回廊で儲けていたわけね・・・つまり・・・ハンザ同盟都市へ、黒海からの物資の中継貿易を行って・・・

 近頃、一帯一路系は・・・昔の通商路のおさらいをしている気分でね。どうやら、オスマン帝国との関係において・・・儲けていた・・・

 つまり、黒海を中心に商圏が広がっていて、バルト海経由の物流の時代ね・・・中・東欧の時代・・・大航海時代からの構造不況へ・・・また、この話しになっちゃうが・・・近頃は、黒海沿岸からの穀物の輸出インフラが充実して、物流が変化ね・・・

 歴史を眺めたり、現在の一帯一路が結ぶ諸都市を眺めて・・・馬鹿な米国・賢い中国ってのが際立ってね・・・

 なんだか、冗談抜きで・・・数年後には米国はぺんぺん草が生えるのではないかと思うほどではないかとね・・・欧州の都市の富は、米国の諸都市の富とは比べ物にならないほどの蓄積なようでね・・・まあ、アイオワとカンザスとかの田舎町を中心に見ていたというのもあるでしょうが・・・社会インフラが違うのでね・・・

 日本は社会システムは高度なものを持っていましたが、どうも貧乏くさくてね・・・その中での発展で、うわべは立派に見えますが、未だに頭には丁髷が乗っているのではないかと・・・?じゃなくて・・・

 ワルシャワでは、鉄道と水運の連携が・・・海上コンテナの普及以前で切れていて・・・ワルシャワでは海上コンテナの荷役は行われず・・・貨車輸送に特化しちゃっていたという事なのだろうとね・・・操車場や・・・荷役のための施設を見るとね・・・なんとなく、秋葉原の青果市場とかを思い出しましたが・・・引き込み線と市場ね・・・

 ああ・・・そう、日本の河川港と鉄道・・・河川港と言っても、沖係で・・・艀で、沖仲仕が・・・右が、南千住の鉄道と水運の接点ね・・・

 日本では海上コンテナが普及するときには・・・既に、鉄道と海運の連携が切れていて、トラック輸送へ・・・ワルシャワの場合は・・・内陸都市ですから、河川港を捨てると・・・鉄道と引き込み線へと・・・

 北朝鮮も鉄道と引き込み線の発達ですかね・・・架線を使った電車だと・・・コンテナ荷役に荷役場までディーゼル機関車などが引くことになるから・・・そういったインフラも必要になるのでしょうね・・・

 こんな事を、ワルシャワのコンテナ・ターミナルで眺めているわけでね・・・馬鹿だね。何も役に立たない知識が、蓄積していく・・・

 まあ、私も以前から日本の河川港にも興味があったのでね・・・知識の連鎖で遊んでいて、面白がっていますがね・・・

 ん?そういえば、勝鬨橋って・・・あれって、石川島造船所のための奴だったのかね・・・?ふと、余計な事を・・・確かに、それなりの大型船が入るというわけでしたが・・・永代橋までの間・・・新川から日本橋へは・・・ん?

 左の写真の下の四角が、勝鬨橋だね・・・まるで囲ったのが石川島造船所・・・造船所が終わったのが1979年、勝鬨橋への送電終了が1980年か・・・発祥の地コレクション/日本初の民営洋式造船所発祥の地 これによると・・・

明治維新後の1876年(明治9年) 平野 富二により わが国初の民営洋式造船所として再スタートし, その後1889年(明治22年)に は 渋沢 栄一などの協力により会社組織となり, 有限責任石川島造船所, 株式会社東京石川島造船所の社名の下, 明治から大正・昭和にかけて, 多くの軍艦・商船を世に送り出してきた。この地での造船事業は 1939年(昭和14年)造船部門の東京深川区豊洲への移設によって幕を閉じた。
その後, 石川島重工業株式会社, 石川島播磨重工業株式会社と社名が変更される中で, 当地は日本屈指の重機械類の専門工場として活躍してきたが, 1979年(昭和54年)の工場大移転により,その長い歴史を終えた。


 で・・・勝鬨橋 - Wikipedia

設置当初は1日に5回、1回につき20分程度跳開していた。この頻度はほぼ1953年頃まで続いたが、船舶通航量の減少と高度経済成長の進展で道路交通量が増大したことで次第に跳開する回数は減少し、上流に佃大橋(開閉機構を持たず桁高も両岸堤防ぎりぎり)が建設された1964年以降、船舶通航の需要は乾倉庫(現:乾汽船)にほぼ限定され、開閉回数は年間100回を下回るようになった。1967年には通航のための最後の跳開が行われた。その後は年に一度ほど試験のため跳開されていたが、航行する大型船舶がなくなったことや交通量の著しい増加などの理由で1970年11月29日を最後に開閉が停止となり、1980年には電力供給も停止された。

 1970年ごろまでは重機械の出荷をやっていたのだろうね・・・石川島造船所ぐらいしか関係しそうなものが見当たらないのでね・・・私は歴史家ではないのでね・・・遊びで面白がっていますが・・・他に関連する工場は何だったのかね・・・?まあ、帆船というのもあるが・・・水運は、重量物運搬では重宝されますからね・・・

 既に、日本では船舶と鉄道の結節点が失われているので関係ないですが・・・欧州では水運はそれなりに盛んでね・・・結局、海上コンテナを3人ほどで120個を一度に運べるという、河川輸送が見直されつつあるという事のようですね・・・いずれは鉄道かもしれませんが・・・?しかし、ヴィスワ川の浚渫などが行われて・・・ワルシャワの外港のグダニスク間の水路が整備されると・・・面白いかもね・・・?今のところ、グダニスク港への中国資本は入っていないようだがね・・・

 グダニスクには大型船が入港できないような・・・こういった制約があるのかもしれないですがね・・・大型船は・・・グダニスクに近いグディニャが相手をしているか・・・54°32'45.1N 18°31'11.7E - Google マップ ここは鉄道との連携は、それほど重視していないようですね・・・

 鉄道では1編成で40個余りのコンテナだからね・・・河川航行の方が積めるかね?しかし、河川港でコンテナ輸送を鉄道と連携していた場所って・・・一帯一路で優位に立てるのかね・・・?なんだか面白いね・・・欧州のモーダルシフトというか・・・鉄道・河川・道路を上手く使い分けるのは正解なのかもしれないね・・・特に、河川は・・・歩行者がいないから・・・自動化が楽なのではないかと・・・?バルト海も無人航行が行われるようになるとかね・・・?

 ああ・・・なんとなく、遊んだ気分!そろそろ何か食べて昼寝がいいや!

2019.12.14

    

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