香取神宮をうろうろ(121)
 香取志 (55) 神事に関して、神符・・・

 何か新鮮な面白い事はないかと毎日考えていますが、なかなかそういったものはなく・・・望むのは猫のような生活かね?毎日ゴロゴロして、静かにしていたい・・・しかし、それでは退屈してしまう欲深な頭がついているのが問題ですね。インターネットってのは、その欲望をかなり満たしてくれるので良いのですが・・・と、猫の飼い主の近所の不動産屋の社長と話をしていて・・・ネコのようなコンピュータってのが面白のでは?なんって話を・・・時々、マウスポインターが寝て動かなくなるとか・・・疲れた眠いと言ってシャットダウンしてしまうコンピュータとか・・・時々、処理速度が遅くなるとか・・・物忘れがひどいとか・・・まあ、以前はこんな事、普通に起こっていた事のような気がするのですが・・・近頃のコンピュータはなかなかそんな事が起こらない・・・以前はコンピュータが不完全だったからそういった事が起こったが、近頃は・・・普通にメンテナンスしていれば、めったに起こらない・・・だから、面白くないとも言えるかね・・・まあ、マウスポインターを猫の手に変えるとか・・・放っておくと勝手に散歩しているマウスポインターとかも良いのかも?猫の足跡の軌跡を残すマウスポインター・・・やがて画面が足跡で真っ黒になって見えなくなるとか・・・時々、舌を出してサボるコンピュータでもあれば・・・サブコンピュータとして面白いかも?メインのコンピュータは、絶対にサボって欲しくないですがね・・・サボられると飯の食い上げになりますからね・・・でも、コンピュータがサボっているので何もできません!って言い訳も良いのだが・・・でも、それをやれば、コンピュータを飼い代えろってなるのでしょうね・・・嫌だ!と言えば・・・おまえの代わりはいくらでもいるとなるからなぁ・・・

 猫は・・・何故・・・塀の上を歩くのか?・・・PicNicって映画を流しながら・・・この映画は何?なんってね。不思議な映画・・・まあ、私も・・・たまに車で放浪しますが・・・誰も殺していませんから、車で普通?にうろつくぐらいですが・・・灯台で行き止まりというぐらいでは放浪は止まりませんね・・・地球最後か・・・自分にとっては、自分の死が地球最後になるんでしょうが・・・黙示録・・・警官の拳銃はニューナンブM60、38口径回転式だよな・・と下らないことを・・・・空のバスケットから・・・見えないピストルが・・・映画は面白い・・・1996年の映画、今となっては昔だね・・・

 さて香取志 32コマ 続きと行きましょう・・・

神符
是は、三箇の神楽、新嘗、十一月七日の祭を掌る神官など、同日に神符を受けて謹んでこれを勤めると。今年正月七日から明年五月五日まで宅地の内に祠を建てて、この神符を納める。相撲の條に詳しく云う事にする。


 なんだよ・・・内容が無いじゃん・・・正月7日に任命、役が解かれるのは5月5日まで・・・という事は正月7日から5月5日までは同役が2人いる事になる・・・ダブルハンドシステムという事ですね。これって、繁忙期?・・・過密な定期航路で行われたりするダブルハンドシステム・・・青函連絡船なんかでありましたね。1つの船に2組の船長以下のクルーが存在して、交互に乗り組むというやつ・・・ってことは、祭頭はこの期間は早朝ぞろぞろと側高神社の神池へと出かけることになるのかね?しかし、何故、この期間なのかね?正月なんかは非常に忙しそうですが・・・総員が参加しているから関係ないのか?この期間の祭祀のパターンが気になりますね・・・ん?祭当になると・・・例の宿直当番はどうなるんですかね?ちょっと行って来る・・・ってかね?しかし、ダブルハンドシステムの期間があるから・・・祭当をどんな風に選んでいたのか?かなり複雑?・・・それとも、宿直当番からダブらないように選任するのかね?ちょっと気になります。祠への奉仕は・・・1月7日までなのか?

 5月5日は御田植神事ですね・・・

 さて、白馬節会が終わると、この神符の拝領の儀式になるわけです。・・・ふと、祭祀のパターン分けをしないといけない気になってきました・・・神宮から大宮司や大禰宜を呼びに使者を出す行事と出さない行事がありますね。あとは酒が出るかでないかとか・・・いささかでも直会があるものとないもの・・・幾つかのパターンが現れてきますから・・・そのうち、気合を入れて分類してみなければならないのでは?なんて思うわけです。献若菜は・・・ほとんど何もない・・・白馬もなんとなくそれに類似・・・さて神符は?というわけです。

 維新前年中祭典式稿では、神符に先立って元三祭賀詞神事があります。庭上に薦を敷き蓬莱嶋台を置く・・・右の図のやつですね。この蓬莱嶋台って・・・近代デジタルライブラリー - 公事根源新釈. 上 32コマ 御仗 ここで出てくる洲濱、後の嶋台に関連があるのかちょっと気になります。卯杖か・・・延喜式には最勝王経斎会で現れますが・・・宮中御斎会か・・・なんだか州浜が食べたくなった・・・すあまも良いな・・・じゃなくて・・・州浜か・・・経典の中の話を思い出しますね・・・神仏習合期の物か?

 ふと・・・大御斎ってのも・・・御扉の開閉の際の唱和されることば・・・気になることは色々出てきます・・・

 あれ?・・・祭当神符迎えの図で、前から気になっていた旧参道の大鳥居、二の鳥居の周辺の道の付き方についての付いての示唆が得られる図が出てきました。

 白馬祭の所で気付けばよかったはずなのに・・・二の鳥居の前、即ち階段下で馬揃えをして、この馬を境内に引き入れるのにどこを通れば良いのかを考えれば、それでも気付いたはずなんですが・・・馬があの階段を登るのは・・・ちょっと考えにくい・・・

 図の矢印の部分を通って馬は登ったのでしょう。そして、ここは荷車も通ったようですね。境内に荷車を引き入れることが許される期間があって・・・この楼門前の馬場で市が開かれる・・・それで、この通路の所に市神が置かれていたのではないかと・・・ただ、この図では神池の位置が不明・・・ここに描かれていないという事は、この、道の手前なのか?現在の総門下に行く道が開削された際に隠滅したか?ちょっと不明・・・どうも、推測の通り、この通路は途中に月神社があり、押手神社・要石の所に出るわけですから・・・かつては重要な通路であったと思われます。ここがメインの通りだったとか?なんとなく・・・この石段の通路ってのはいつ作られたのか?気になります。なんとなく、本気で整備されたのは元禄の造替の際であったのでは?

 写真など、適当にでっち上げられるので・・・多分、右の写真のような感じに坂道が付いていたのではないかと・・・上の図に似せたつもりなんですが・・・


 現在の表参道の中央の道ができる前は・・・現在もあるようですが、丘陵の縁を通る道がメインだったのでは?なんってね。どうも、参道はいろいろと付け替えられていて、儀式の読み取りがうまくいかない部分があるような感じです。

 昭和40年代の航空写真だと、左のような感じに旧参道の両側に家々がありますね。そして、要石と神宮の間の道の南側の森林は、植林されて間もないようです。私の古い記憶と、この場所の記憶が一致しない理由はこれのようですね。

 もうひとつ、ヒントがあった・・・白馬の境外のコース・・・大宮司・大禰宜・宮之助・物申祝・権禰宜・国行事・大祝などの7家を回り、大宮司邸に至って終わる。このコースは・・・神庭を今の旧拝殿である祈祷殿のあたりから出て、大宮司邸へ行って、そこから旧参道の鳥居下へ出て、大禰宜邸・・・宮之介はそれより先で・・・又見祭を執行する役ですから・・・又見のあたりに役宅があるのかね?・・・あとは不明で・・・大宮司邸へ戻るわけです。となると・・・大宮司邸には大きな厩があったとか?7頭と替えの馬を繋げるだけの場所か・・・

 元禄の造替の社殿の様子に近い・・・明治の改造の前の図と思われるものを見出しました。御神井道も、明治時代には今とはずいぶんと違っていたような感じです。今のように、トイレ脇の階段は存在しなかったのか?右の図が・・・明治時代の御神井道と楼門前の馬場とはもっとなだらかにつながっていたのではないかと・・・星塚は、御神井道より東ですね。この図からすると・・・現在の社務所の南の端あたり?ですかね。すると、楼門前の馬場の長さは150mほどとることができる・・・なんとなく、これだけあればOKですね。桜馬場はどういった目的で作られたのか?ちょっと気になります・・・安永6年11月に現在の桜馬場の西半分の平地が付け加えられ、明治6年に法面とその先も付け加えられて現在の形になっているようですが・・・安永6年の馬埒の設置目的は何だったのか?楼門前の馬場が狭かったのか?それとも・・・畜産共進会器具庫ってのがありますから・・・馬の市でもあったのか?

 明治の改造前の図と思われる理由は・・・左の本殿の様子です。この図では、本殿の脇の窓が火灯窓になっていますね。どうやら、明治の改造では・・・解体修理を行って、こういった部分を改修して行ったのではないかと思われます。ちょっとはっきりしませんが・・・社殿の後の方は赤で、向拝のあたりは黒のような感じですね。

 ふむ・・・史料が増えてくると、どんどん分からなくなる・・・星塚は馬場の東の端にある・・・どうやら、御神井道のあたりの地形は今とは全然違うような感じです・・・御扉閉の後の鑰の動きを考えると、どうやら拝殿か、中殿から掖門を出た鑰は、御神木の北側の参籠所の裏手、鹿島新宮との間を抜けて、斥候杉の南にある天降神社へ行き、そこから現在の社務所裏の道を南下、星塚の脇を通って楼門前の馬場と同じ高さでつながっていた璽神社へ入る・・・ということかね?御神井道の碑がある場所の階段は明治時代には現在のような形では存在しなかった・・・元禄の造替の際の小屋が馬場に入りきれないような感じだったのは・・・馬場の幅が、いまの倍ぐらいあったからか?昭和の初期の改造で、総門から御神井道への通路を掘り下げ楼門前の馬場の幅が狭くなったので、楼門前の石垣を下げ、鳥居がなくなった・・・楼門前の手水舎なども置くだけの場所がなくなって、現在の場所に新設・・・愛染堂が花園神社に化け、さらに楼門前に出て、撤去・・・六所神社へ合祀・・・花園神社の重要度が下がっている?これが気になる・・・まさか、御竈神社と同じように、大宮司の西坐の系統の神社かね?

 また、妄想・・・西坐の大宮司が神宮に持ち込んだものは・・・亀卜と須恵器と雷神に代わる龍神かね?すると・・・神仏習合系のものも大宮司が中央から引っ張ってきたのか?

 誰が持ちこんだか分からないが、香取神領に移入されたものって産業面だと・・・滑河と油田界隈の窯業、神崎から佐原にかけての醸造業かね?側高神社のもたらした牧畜・・・・すると、側高神社の神池での禊と結びついた神宮の祭祀の意味が重要なのか?そう言えば、津宮の禊もあるな・・・ついでに気になるのは水稲栽培の技術導入は?なんだか、香取神宮を眺めていると、香取神宮の存在そのものが日本の歴史そのものを伝えているような・・・畏敬の念が湧いてきますね・・・

 ・・・産業か・・・

佐原は天正の頃は小さな村であったのが、江戸時代、安永の頃にはこのあたりでは屈指の町となりますね。1700年代中葉か急激な伸長・・・祭礼の充実・・・山車が登場する・・・享保6年;1721年の新宿の祭礼に8台の屋台が現れたようです・・・

滑河は瓦製造と味噌醸造、龍正院の10月15日からの祭礼の際に馬市が立った。7月9・10日に祭礼あり。行徳への街道・・・そして津・・・

神崎は古は子松郷または宮和田郷・・・神崎神領、神崎は酒は6000石、醤油1000石と佐原に並ぶほど醸造が盛んだとか・・・神崎森下の鮭は美味で有名・・・水陸路の要衝

大戸は・・・特記する産業は・・・大戸・大須賀・香西・香取・栗源・山倉・神里の7村に渡る旧31村を組合として、大戸村に寄場があって、尾谷に獄舎などがあって、明治の初年まで、徴税聴獄の中枢であった・・・何だ?こいつは・・・村落組合・・・これって・・・文政の改革;御取締筋御改革によって構築された組合か?文政10年;1827年以降に設置された、大戸が広域地方自治の拠点かね?この制度に関する知識が私には殆ど無い・・・最小単位は五人組・・・律令の五保の系譜にある単位・・・その上部が郷・里で、その上が郡、そして国・・・明治時代の大区小区との関係はあるのか?

 明治4年;1871年の戸籍法で、区が制定され戸長・副戸長に旧村役人が化けるから、このあたりの制度は江戸時代と看板が変わっただけで、翌明治5年;1872年の太政官布告117号で旧称の廃止これは看板替えだから問題無し、大荘屋の廃止か・・・数か村を束ねる者は廃止・・・江戸幕府の制度を引き継いで行政を行うとなると・・・この文政の改革で関東に導入された制度を全国規模へとしたか?・・・土地を基本とする人民支配ではなく、純粋な戸籍を元にする1人ずつの人を把握する制度か?いや・・・浮浪人対策だろうね。お前はどこの者だ?XXです、ちょっと来い!の部分の管理かね?本貫を担保するためのもの?

 なんだ・・・江戸幕府の地方政策は1700年ごろには人民支配は事実上破綻かね?というより、人の移動が激しくなり、戸籍では把握できなくなって、現在の住民登録に近いものが行われる必要になったが、実行不可能で・・・香取神宮の元禄の造替の際に、江戸から欠落して来た者がありましたね。五人組組織で管理されていた・・・それでも、流れてきている・・・そう言えば、村では食えなくなったから、村を出て働く事になったが、こいつは怪しいものではないという証文を村役人が出していたりする事例があったり・・・

 個人単位の管理は・・・現行制度なら、住民基本台帳法で昭和42年;1967年制定、その前は法律第二百十八号の住民登録法ですね。この前身は?大正3年法律第27号の寄留法かね?って事は大正3年までは、本籍地から長期間(90日以上)離れて住むことは原則禁止かね?そして、大正3年から本籍地と違う場所に住むことが制度として可能になったという事ですね。近代デジタルライブラリー - 茨城県令集 附・現行諸願届書式 148コマ 寄留法 ふむ、こんなものは良く知らなかった・・・近代デジタルライブラリー - 法令全書. 明治4年 94コマ 旧戸籍法 明治4年太政官布告第170号 ふむ・・・この戸籍法で住居表示らしきものが定められたのか・・・何番屋敷と記して編成か・・・全戸で移転の場合は本貫管轄庁へ届け出を出して、在留地の庁へ届けてそこの籍に編入か・・・家族単位での移転が基本だね。移転の場合は組合ならびに戸長の押印が必要だって・・・一時的ななものは本貫管轄庁の鑑札を持参し居留地戸長に提出、その庁の鑑札と引き換え・・・通行手形の後身だね・・・基本制度は了解・・・多分、これって江戸時代の制度を引き継いでいるのではないかと・・・そして、組合が大区、戸長が小区ということになるかね?大区では戸籍管理は行わないのかね?それで、大区=大庄屋を

 ふむ、大区小区の制があったのは知っていたが・・・町村とその上位の郡以外に、この組合という単位があったというわけなのでしょう・・・ふむ、江戸時代にすでに住民登録が必要だということは分かっていたようですね。本貫=住所地って縛ることができなくなっていた・・・ということかね?そこで、本貫から許可なく離れている人間の取締・・・警察権?のようなものの中核となる場所として大戸村は・・・地方自治のそういった中核として栄えたというわけか?

 ・・・この、戸籍法の定める何番屋敷ってのはどうなるんだ?・・・屋号を何番屋敷と登録したということなのかね?そうなると・・・屋号が住所表示って事になるわけですかね?・・・あれか・・・法務局の旧土地台帳とか、税務署の番屋敷と番地の対照表に記載されているやつ・・・?

 ・・・何と、旅行や奉公で移動に関しても鑑札が必要なのか・・・旅行を以て渡世とするものは予め鑑札を貰う事ができる・・・駅逓旅館では鑑札を提示、宿帳に記載・・・鑑札が無いと泊れない宿帳は7日毎に駅逓か駅出張所で改めを受ける、逗留3日以上は戸長に届ける・・・了解しました。・・・行商人の鑑札ね・・・宿改めとか・・・

 どうやら、土地登記と住民登記が一体となった戸籍では管理できない浮浪人の一般化が関東取締出役の組織が改革組合村で村々の集合体が大組合・小組合に編制され、その下に村・五人組があるわけか・・・組合村の範囲って、旧警察法の警察区に相当するのかね?なんだか、古い法令の知識が山ほど必要になるな・・・歴史研究って結構面倒だね・・・領主権とは別の支配体制か・・・「領主権の変容と地方自治」とかの題名で文政の改革の前段階あたりからをからめて論文を書くのも良いかも?・・・今更、やる気はないな・・・しかし、興味深い・・・警察権が領主権?から独立したことで、新たな財政負担が末端の行政単位に生じて・・・小さな町村では財政的に対応できなくて、領主権の範囲の村落とは別に組合村が形成された・・・なんだか、中学校の設置で町村合併が行われたのに似てるな・・・近代町村制度を理解するには、関東取締出役体制を理解しないといけないということなのでしょう・・・近代法制度は海外の法制度の移入という簡単なものではないということなのでしょう。まあ、私の妄想の中で、大区小区制はケリが付いたというわけです。江戸幕府の関東支配の手法は世界的にも非常に進歩的なものだったような気がしてきました。・・・例によって、通説・定説とはかけ離れていますが・・・制度を維持するための金銭について、歴史学者はあまりにも無関心なのでは?そんな気がします。

 戸籍はいつになったら廃止される?私なんか、本籍地に記憶する限り4回しか出向いていない・・・その滞在時間の総計は多分10時間以内では?近頃は、住所地にもあまり帰っていないような・・・段々、住所不定になって行く・・・海岸とかあちこち居場所があるのでね・・・なんとなく流行の最先端を行っているような?

 ・・・そうか、近代法ってのを批判的に考える学者の思考かね?近代法が欧米からの移入である、これによって旧制度がその中で埋没してしまった・・・そんな風な考えが根底にあるのか?近代法によって日本の伝統的な支配が葬られてしまった・・・「民法出デテ忠孝亡ブ」的な考え方かね?地方自治に関しては、近代法が要求する組織が、旧来的な町村の持つ経済力では実施困難であるが故・・・広域の組合を作る必要が1700年代にすでに分かっていたという事ですね。既に、日本では江戸中期には見かけの封建制の下に、近代に突入していたという事になるのかな?・・・子供手当、妊婦の無料検診などは、麻生藩では実施されているし・・・近代法によって失われたというより、明治政府が貧乏だったので失われた政策が沢山あったという事か?孝子の制度とか・・・産業のチェックをしてたんだっけ・・・

大須賀は、生糸・蚕種・酒醸造か・・・牛蒡・大根の種子の輸出ね・・・

本大須賀は、養蚕、広大な森林があるので、薪を東京方面にも輸出か・・・

香取は縄や薦、杉種や杉苗が名高い

小見川は、商業と、清酒・焼酎・醤油・酢などの醸造が盛んで、製糸・製紐・染織・瓦製造などが行われている。

 どうやら、香取神宮の近辺には産業はあまり無いようです・・・小見川は衛星村落を持つような?佐原が突出して、滑河・神崎あたりも色々とやっている・・・利根川沿いの集落が栄えている・・・大戸神社は・・・なんとなく、幕府の香取神宮対策で経済的に独立させっていった?・・・時代に先行し過ぎているな・・・大戸界隈の経済力の源は何なのだろうか?ちょっと気になります。・・・大戸神社のあたりがこの地域の警察権の中枢として・・・資金が集まるようにした・・・関東取締出役か・・・八州廻の組織について・・・文化文政期の銭の使われ方・・・つまり、経済ってのが気になりますね。大戸あたりの史料はあるのか?・・・産廃関連の知識も、充実させねば・・・何で相談が来るかね?類似事例は函南町の最終処分場の競売に関して・・・産廃関連の土地の最終処分法かね?・・・ずいぶんと前に、不動産競売とマネーロンダリングに関する研究もしたし・・・興味深いが・・・私には何の役にも立たない・・・疑問に思うとチェックしたくなるんでね・・・利益を余計に計上して多く税金を払えば・・・税務署は多くの税金を、買主は大きな請求金額が小さくなり、売主はわずかな税金の上乗せで資金が綺麗になる・・・三方一両得みたいなもの・・・可能性の研究さ・・・余計な税金を払う馬鹿ものはいないという原則を逆手に取ると・・・チェックしにくいはず・・・じゃなくて・・・

 大戸界隈・・・そう言えば大戸と佐原の間に玉造がありますね・・・玉造というと・・・古墳時代の高付加価値商品の製造地域ですね。そして、以前から気になっている場所が近くにありますね。蔵風得水の地・・・香取市森戸・・・国道356旧道を抜ける時にいつも気になる場所・・・多分、佐原はこのあたりから丘陵沿いに広がって行ったのでは?と妄想してますが・・・そのうちこのあたりを車ではなく歩いてみたい気がします。例の如く水浸しにした上の地図でホのあたりがね・・・縄文海進の頃ならこんな感じ、平野が広がって奈良時代には蔵風得水の地に・・・風水マニアになりそう・・・あと気になるのは、このあたりとはあまり関係ないけど特殊器台とか言われる土器・・・コンポートみたいな穴のあいたやつ・・・なんとなくね。しまった、神符をやってたんだ・・・神符に辿り着く前に・・・どうしてこうなる?

2014.03.28

  

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