東北をうろうろ(5)
 八甲田へと・・・
 今度は、むつから八甲田へ向かいます。このあたりから、やや本気・・・生態系を見せる写真と言うのがテーマですからね。それに反して、お財布と相談で函館・苫小牧・大洗なんってコースまで考えちゃうんですから・・・

 さて、これからはお日様との走り比べになります。まあ、毎日2時を過ぎる頃からこいつが始まります。この時期の八甲田山系には程よく雪が残っていて、低温のためにある程度成長が阻害され、日長時間の変化が大きいため成長が促進されたりと・・・面白い条件が色々あると思ったからです。

 しかし、この時期に長期の休みを取ったことが無いので、実情は不明・・・さすがに桜が咲いているとかは予定しませんが・・・桜関係の写真ならずいぶんとあるので面白くも無いのですけどね・・・とにかく、八甲田山へ向かうわけです。

 八甲田山・・・凍死ってどんな気分かな?なんって考えてしまうのです。例の八甲田山の行軍ですが・・・末梢からの感覚の喪失、血流が弱くなり・・・重要器官だけへの血流の確保・・・頭部の体温低下で意識の混濁・・・体が凍っていくってどんな感じなのだろうか?どうも、八甲田となるとこんなことを考えてしまいます。

 明治35年、日露戦争を控えた時期の、耐寒演習・・・

 右のやつが八甲田連山ですね。左の高くみえる2つの山は、手前が雛岳、奥が高田大岳、その隣が小岳、そして八甲田大岳・・・山頂が2つに分かれているように見えるやつですね。そして右が井戸岳、赤倉岳、田茂范岳、前岳の塊ですね。たぶん・・・

 山にはちゃんと雪が残っているのがうれしいです。この時期は除雪が終わっているはずですから、大体車で入り込めるはずです。






 そして、森林の中には、ちゃんと雪が残っていました。

 ほら、右の写真のように・・・雪に覆われつつも、しっかりと若葉を広げている様子がわかります。

 林床には蕗などのおいしそうな植物が生えています。このあたりでは野草ってのは取らないのでしょうか?ちょっと気になります。

 自然の豊かさと人口は反比例するのかな?ふと、そんなことを思ってしまいます。

 しかし、自然というものは、一筋縄では行かないような気がしますね。自然愛好家・・・自然を保護せよと言う人のどれだけが、本当に自然を愛し・・・畏敬の念を持っているのか?

 虫嫌いの自然愛好家などもいますからね・・・普段は、殺虫剤を手放さないのに・・・自然大好き!自然って素敵!なんって言っている人がいますから。

 自然って、生存競争の中で保たれた、一種の微妙な安定状態ですからね。戦闘状態にあるが、何らかの勢力の拮抗状態で安定して、戦線が移動しない膠着状態・・・第一次世界大戦の塹壕戦のようなものです。こんなことを、発言しようものなら・・・

 ふとね・・・人間は、自然界ではかなり柔な生き物ですから・・・暗いの嫌い!明かりをつければ・・・虫が来る!何とかして!あれ?何でこんな草があるの?外来種じゃない抜いて!人は、なぜか自分の言いなりにならないと気がすまないのかもしれません。

 私にとっての自然は・・・私も自然の一部・・・生態系の一部・・・人間の営みも、人間自体が自然の生物だから・・・人間の営みも、自然を改変する力も、これもまた自然・・・なのですが・・・形式的自然論者にとっては、私は異端なんです。手付かずの自然の中で、人間は無力な存在なのです・・・

 ある日・・・森の中、熊さんに出会った・・・突如目の前に熊が現れた・・・熊にとっては突如人間が現れた!ここまでは互角ですが・・・次の瞬間、人間と熊は互いの手で互いの顔を叩いた・・・互角だな・・・結果は・・・人間は血だらけ、虫の息、頭には幾筋の深い爪あとが残り、命の源の血液がだらだらと流れている、人間に襲われたかわいそうな熊は・・・か弱い人間のつめでは傷つくことなく、驚いて逃げていきました・・・

 結論・・・熊は死ぬほど怯えて逃げた・・・人間は熊の爪の威力を自らの体で感じ死んで行く・・・

 もうひとつの未来・・・仲間を殺された人間は、武力で掃討作戦を行った!あの熊は、自然界の異端である!私たちは森の平和のために立ち上がる。熊が憎いのではない、あの狂った熊を野放しにはすることはできない!すでに刑は決まっている、人を傷つけることは自然に反する!よって死刑である!

 自然・・・抽象的な概念です。自然は、ある意味善悪を超越しているので・・・そして、人間も生態系の一員であると言うだけの話のような・・・まあ、私はある意味異端者ですから・・・

 雪が積もらない森なら・・・ 生きていくことがそれほど難しくないでしょうが・・・こういった森の中で、人間が生き抜いていくことはなかなか困難・・・生きるための知恵が備わっている必要があるでしょう。

 昔の人が、さまざまな神をあがめたのは・・・人間の卑小な力で自然に対抗することがいかに困難であるか。自然の侵略を許さないための手段としては・・・ただ、火があるだけで、自然の猛威に対しては、その火では抗し難い、故に、自然神を信仰することで、自分をこの世界の中から消し去られないように願ったのでは?

 時が流れ、人間は自然に干渉する手段を持った・・・結果として、増長した人間は、自然をペットのように飼いならし、自分の理想に近い自然・・・美しく、虫など人を煩わせるものの無いものを、自然と呼ぶようになったのではないかと。

 美しい、里山の森・・・たぶん、江戸時代から、明治の頃の里山は美しかったと思いますね。たぶん、落ち葉などもまるで無い空間ではないかと思います。そして、潅木・・・つまり芝などは、一切なく、ほんのりと湿った土だけで、水がたまるようなものは無いため、蚊などはほとんど存在しない森林・・・燃料となるものは毎日取られ・・・と、人間の営みも基本的には地球上の生態系の一部であるわけです。輸送手段を持っているため、環境に極端な負荷をかけることなく、異常な集住が可能・・・所謂自然を超えた存在・・・まあ、アリやハチなどにも似たようなものが見られますが・・・

 まあ、何でも極端ではいけないのだと思いますね。そして、自然の猛威は、数百人だって不完全な装備では打ち勝つことができないものなのであります。右の写真は、その一例・・・八甲田山死の行軍の野営地点から伝令で走った後藤伍長の発見された場所でしょう。

 この自然の猛威の中、人間は極地法で救助を行います。物資の集積と人間の往来によって、大自然の中に輸送路を開き、交流を深め地域を制圧していく手法・・・これによって、200人あまりでなしえなかったものを、更なる物量で押さえ込んでいきます。

 ただ、この雪中行軍では、もうひとつの少数精鋭+地元の案内人と言う、自然の中を静かに進んで成功させる隊があるわけです。

 どちらも、自然に対する人間の取り得る対応なんでしょう。静かに利用させてもらう、力でねじ伏せる・・・

 自然というやつは、なかなか思い通りにはならないし、思い通りに人工の空間を生み出すことも人間には可能・・・

 道路わきの法面に蕗の塔が山ほど・・・すでに開いていますが・・・こんなにあるなんって・・・ある意味、豊かな自然であります!

 そして・・・国道103号線で十和田湖へ向かいます。何か旨い食い物は無いものか・・・

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