日本国憲法は・・・?(6)

 続いて第三章 国民の権利及び義務 なんですが、こいつは長いですね。

第三章 国民の権利及び義務の続き・・・
第一三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第一四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
(2)華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
(3)栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 ふむ、すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。法は、個人の権利を守ることが前提となり、制限を加えるのは・・・公共の福祉に反する場合ですね。

 問題は相変わらず「公共の福祉」ですね。はっきり言って良くわからん・・・と投げるわけにもいかないですから考えるしかないわけです。

 一応、「皆が納得する」という事なんでしょうがね。そう、共和制下のローマだってこの考え方はあったようですからね。そうでなければ議会なんって物は成立しませんからね。結局のところ・・・皆が納得する善い案を考え出すことが議会では重要なんです。では善い考えとは・・・皆が豊かな気持ちになれる事ですかね?皆が幸福になれる事が大切であるわけです。

 だから、幸福を追求する権利って素晴らしいと思うんです。しかし、幸福を追求する事を悪のように考える人たちもいることは事実なんですが・・・ところで、幸福って何?なんってね。すぐ考えてしまいます。

 私自身は現在幸福か?と聞かれると・・・一応は幸福な状態にあると言いきれそうな気がします。まあ、今の状況が続けばという条件付きの幸福ですがね。ただ、今の状況が続けばというのは・・・ある意味退屈を意味します。平和や幸福って退屈なものなのかもしれません。確かに、「禍福は糾える縄の如し」ってのが正しい気もします。

 不幸と幸福は交互にやって来て・・・それで、幸福な状態というのを知ることになります。平和も似たものです。戦争と平和が交互にやって来て、それで平和な状態というのを知ることになれうわけですから。そうなると、もうちょっと言葉がくっつくかな・・・より良き未来を夢見て、皆が
豊かな気分になれる事が良い考えだと思えてきます。豊かな気分っていい加減な言葉を使う理由は簡単で、物質的な豊かさというものは、残念ながら偏在してしまうから使いたくない言葉なんです。皆が金持ちになるというのは不可能ですから・・・金持ちもまた他との比較によって成り立つ概念ですからね。

 幸福を追求する権利って・・・毎日、新しい喜びを心の内に持てる権利なんでしょう。これを踏みにじるのは・・・心の内の喜びが公序良俗に反する場合ですね。そうだな・・・隣の家の立派さを見るにつけ、明日こそは隣の家の財産を乗っ取ってやろう!そのための腹黒い計画に楽しみを見出すとか・・・そういったものでしょう。隣の家とかは駄目なんですね。じゃあ、隣の国だったら?これなら国単位で公共の福祉を考えるのならOKか・・・隣の国の立派さを見るにつけ、明日こそは隣の国の財産を乗っ取ってやろう!国民が豊かになれる我が国民は支持するだろう!そのための腹黒い計画に楽しみを見出すとかでも、やはり世界全体で考えると正しくはないわけです。

 ふむ・・・現行の日本国憲法は、押し付け憲法で、国益を損すると考える人って・・・もしかしたら、隣の国の立派さを見るにつけ、明日こそは隣の国の財産を乗っ取ってやろう!国民が豊かになれる我が国民は支持するだろう!って考えることができるってことかな?私が嫌いな言葉・・・「国益」ってやつです。自分さえよければ良いのだ!と声高に叫んでいるように聞こえますから。だから嫌いだし、憎むべき言葉のように感じます。

 幸福を追求する権利というのは、まさに権利侵害というものなしに成し遂げなければならないものであることが分かります。我が国の憲法の人権規定って良く考えられているような・・・さすが、押し付けというか、戦争の惨禍から学んだ諸国民の総意のような・・・立派な憲法に見えてきます。安普請な私にはやや立派すぎる気が・・・

 まあ、幸福の追求の内の、金銭的な富へのあこがれも結局のところは、機会均等平等の原則の中で成し遂げなければならないわけです。そうだな・・・株式市場から金を絞り出して自らの物にする作業などは、株式市場の設立の本旨からは外れるといえますが・・・均等な機会を最大限利用してやることは認められるという事になるのでしょう。

 だから・・・法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されないことになるわけですね。でも、残念ながら人間ひとりひとりは置かれている状況が違いますから、法の下の平等が実現されていても、それは貧乏になるための権利とか自由と言われてしまうわけです。

 ああ、馬券の大量買いによる30億円の払戻金に対する5億7千万円の脱税に関する裁判所の判断が出ましたね・・・約28億7千万円を投じて30億円余りの払戻金・・・利益に対しての税金ではなく、払戻金に対する税金と法は定めていますから・・・この判決は覆らないでしょう・・・ああ、払戻金の差額は・・・税に消えて行き、さらに巨額な残債が残るのかね?株式投資とは違ったルール・・・投資と投機の違いか・・・しかし、確率としては個人に勝ち目があるが、最終的には絶対に個人には利益が還元されないシステムであることが立証されてしまったという事かね?まあ、最高の頭脳が経験則から編み出したシステムが破られるとは思えない・・・働かざる者食うべからず!というやつですね。単に、一時の快楽を体験できるというだけ。そのために金を払い、結局は全て巻き上げられてしまうシステムというわけですね。でも、結局は税額としては払える金額ではないので経費を認める判決か・・・でも5000万円の税金か・・・何れにせよ賭博ではぼろ儲けはできないことになっているわけですね。すると利益率はどの位だ?28.7億で1.3億税で0.5億、利益は0.8億 0.8÷28.7×100=2.78・・・約3%か・・・

 経費を認めると・・・大負けしたら還付請求できるのかな?多分、この件限りでしょうね・・・あちゃ〜日経平均が下がる下がる・・・明日も下がったら大変だ・・・

 とにかく・・・公営賭博が、賭博罪に該当するにもかかわらず、公営競技の名の下にが特別法の規定によって存在を許されている理由は、国や地方自治体に財政的貢献をすることですから・・・結局のところ、お上に巻き上げられる運命にあるという事なのでしょうね。

 さて戦前に認められたギャンブルは、競馬だけですね。治外法権の居留地で始まり、軍馬の向上につながるとか馬匹の向上につながるとかで・・・なんとなく行われたものが恒常化した物のようです。しかし戦局の悪化はついに競馬を許せる状況ではなくなります。政府も昭和18年12月17日の閣議で競馬開催の中止を決定します。

 統制経済の落とし子はほかにもありますね。今に至る年功序列の賃金体系ってのが・・・これって、昭和14年3月の従業者雇入制限令が出されて初任給の制限があって、9月からは賃上げも実質上禁止されます。このときの例外として従業員全員の一斉昇級だけが許可されました。一斉昇給ですから、勤続年数で給与はシフトしていくことになるというやつです。

 それ以前は能力給のような感じですからね。工場などの日払い賃金の場合、時間になると監督がチョークで袖とかにマークして賃金の割増が行われたりしたとか・・・そういったものが無くなっていく時代ですね。定期昇給・・・年功序列が今日も大きな顔をしている・・・工夫は実らない・・・統制経済の残滓か。

 そのほか統制経済の名残といえば・・・今や悪名高き電力会社・・・私はそこそこしっかりやってると思いますがね。日本の電力の質の高さ・・・これって驚異的な気がしますから・・・しかし、昭和13年に国家総動員法が制定公布されると企業に対して勅令・省令で包括的な統制・動員を可能とする事ができるようになります。これによって労働、物資、カルテル形成、価格統制、言論統制等が政府の思いのままになるような社会が出来上がります。一業一社体制の下に電力の国家管理も実施され日本発送電の1社に統合されます。このとき、電力王と呼ばれていた東邦電力社長の松永安左エ門は、軍部に迎合する内務省や逓信省の官僚を「人間のクズである」と痛烈に非難します。まあ、役人など、法や権力に仕えるだけですから・・・こういった法律ができると、自由な経済人から見ると・・・今までの人の努力を認めないただのクズ野郎に見えるのは確かでしょう。

 畜生め!あの、県の役人め!不法投棄された被害者である俺は善意で金を積んで不法投棄された産業廃棄物を片づけるというのに・・・何がマニフェストのD票だ!ふざけるんじゃない!って怒っているのと同じですね。

 法の犬は・・・状況の如何を問わずに噛みつきますから始末に負えない・・・だから、憲法に素敵な規定があるのかな?とか・・・しかし学説ではどうなってるのか?ちょいと忘れましたから・・・

 さて、立派な戦争ができるような軍隊を持ち、状況が悪くなると・・・我々の幸福を追求する権利は踏みにじられるようになります。実際、そういった憲法案では、私の好きな幸福を追求する権利が削られていますからね。ただ、厄介なことに自分で考えて行動するのが苦手な人ってのが、この社会の中にかなりの割合で含まれているという事なんです。それが問題・・・自由であることを疎む人っているんです・・・そして、そういった人が顕在化すると・・・また政治力に富んだろくでもない政治家による利益誘導であるとか、地縁・血縁からくる国家主義的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正義や大義、往々にして国益なんって言葉で、または非常に分かりやすい利己的な欲求などに導かれて意思決定をおこなうことで、コミュニティ全体が不利益をこうむる政治状況が起こったりします。

 案外、日経平均の1143.28円安ってそれの反動か?確かに、株価水準の上昇は早すぎました。火曜日に利益確定して、様子見せよとの内心の声に背いて、仕方なしに買った株は暴落しましたから・・・損を極力避けるために取った手段も・・・ちょっと傷口を広げてくれて・・・困ったものです。再起に賭けなければ・・・株は博打じゃないのですが・・・博打状態ですかね?今、私が気にしているのは・・・このところの不思議な経済政策なんです。ある意味、無理を承知で煽っている・・・我が国の民の勤勉さで営々と積み上げられてきた預貯金というパンドラの箱が開かれようとしている・・・これが開かれたとき、我が国の経済はこの大量の資金を吸収しきれるのか?ってね。

 そう、ちょうど炭酸ガスと温暖化の関係のようなものです。自然界が地下に営々と貯め込んできた石炭などの化石燃料を人類は産業革命以降どんどんと使い、大気中の二酸化炭素濃度を上げてきたというやつに似ているんでね。温暖化の結末はどうなるのか?海水面の上昇はどの程度になるのか?

 地下の化石燃料と同じで営々と積み上げられてきた預貯金が市場に放出されたとき、吸収しきれなければ・・・それは・・・円安の要因へと変わります。ただでなくとも円安誘導の疑いがある所へ大量の円貨が流出したら?株式市場が吸収しきれなくなるほどであれば・・・今回の暴落劇は再び、さらに大きなものが起こるでしょう・・・株式市場内では、金は数字にすぎませんから、実体経済に与える影響が少ないが・・・2013年5月23日の日経平均の暴落は・・・株式市場が吸収できる金の上限を示したような気がします。バブルになると、地価の上昇が見られますが・・・今回は、地価の上昇には結び付かないような気がします。だからより厄介なのでは?なんってね。

 なんとなく、史上初の不動産を巻き込まないでのバブルと、その崩壊が見られるかもしれないなんって・・・密かに考えていますから。私としては・・・これは困ります。不動産はそう簡単に消滅しませんし、経年変化に対してのかなり強固な抵抗力を有していますから。そして、持っている実感があります。しかし、ネットで売買されるようになった株式は、どれほどの所有しているという現実感があるのか?という問題です。まあ、株式市場で消えるなら良いかもしれませんね。その資金はどこかで還流して日の目を見るかも知れませんから。

 しかし・・・ちょっと気になるのは、株価が12000円あたりまで下がり、同時に円高へ転じたら?私はその方が良いと思うのですが・・・実体経済はその程度になっているのでは?何しろ工業製品のコストパフォーマンスが異常に高まっていますからね。別段株価は安くても、それと日本の実力を示すものではないのでは?株式市場は本来、資金調達の場であるわけですから。日本企業は別段資金調達の場としての株式市場を必要としていないという感じですからね。どちらかというと、会社の信用及び評価の場のような?ある意味資本主義的な飾り?

 そして、なぜか株式市場からの資金調達はあまり行う気はなさそうで、主力取引銀行が泣いたふりをして、資金の裏付けだけをするとか・・・株屋が暗躍、筆頭株主がころころ変わって空売りと転換価格修正条項付転換社債を発行して迂遠だが株式市場から増資となって資金を調達して・・・既存の株主が株価の下落で泣くとか、直接増資して既存株主を泣かしてはいけないようですね。それでなければ、公的資金の導入と、上場停止、再上場で既存株主の大泣きの中に資金を得るか・・・それとも・・・本来的に企業としてのシャープをホンハイに売ってしまえば問題ないのでが・・・なぜか感情的には許せないのかあまり乗る機の話にならない・・・企業などは、その技術力とかが売り物であって、どれだけ高く売れるかが問題なような気がするが・・・技術などは、しばらくすれば技術によってコピーされてしまうのだから・・・技術開発をしないと、企業の価値は下がってしまう・・・開発資金の切れ目が、企業の価値の低下、そして企業の消滅の道への始まり・・・でしょうからね。さて、どうなる?

 まあ、基本的に企業は金がやや不足している状況下で頑張っているのが健全なのかな?今に満足してはいけない、夢を持ち、その夢の実現にちょっとお金が不足しているぐらいがね。これが自転車操業のコツ、体力は温存しつつ、ちょっとペダルを早く漕ぐ気力を持つ事ですかね。体力があれば、リスクを背負ってそれを乗り越える気力も湧いてきます。そういった精神を維持できなくなると・・・企業は老衰、そして消滅していくというわけです。結局のところ、自転車操業をし続ける気力のある企業だけが生き残り、成長を続けられるという事なんでしょう。

 Erich Fromm online ふむ、興味深いものがあるぞ・・・久々にエーリッヒ・フロムでも読むか・・・実は、昔々読んだ本を読み返そうと持ち出して来たんですが・・・自由からの逃走・・・でも、新しい研究書なども眺めるのも良いかもしれません。

 久しぶりに書庫から出てきた英語版の本・・・ずっと昔、なんとなくカッコよく見えて買い込んだ安い古本・・・一応は読みましたが・・・

 ・・・英語もドイツ語もあまり読めない上に錆びついてるから・・・でも、エーリッヒ・フロム・オンライン日本語の論文もかなり掲載されていますから、そちらから入っていくのも良いかな・・・私も、知の自転車操業・・・

 まあ、洋書は知のインテリアには良いのでね。

 おっと、経済の話になってるぞ・・・でも、経済的な自由が無いと、その他の自由の享有も困難ですから。経済的な閉塞感が、全体主義や軍国への道を開かせる気もしますし・・・どうも、日本経済が気になります。社会の変質って結構速そうな気がするのでね。

 そうそう、昭和18年、戦況はあまりよくないようです。南方からの物資の輸送がおもわしくなく、外米の輸入が困難になりつつあり、食料は国内自給へと向いていきます。アメリカは個人主義の国ですから、各々が自覚を持って如何にして戦争に勝つかを考えたのでしょうか?真珠湾攻撃から1カ月も経たな1942年1月2日には東京への空襲の準備をドゥーリトルは始めていますから・・・実施は4月・・・早いものです。そして6月にはミッドウェー海戦・・・半年ぐらいで限界に達してしまうようです。やはり国力の差でしょうか?それとも・・・日本の場合は、ものすごく細かな公定価格のリストによって縛っていきます。我が国の国民は細かな計算が得意なようで・・・アメリカの場合は大枠を決めると後は自主独立の精神で邁進なのか?日本は細かく決めても・・・実は闇取引が横行し、すぐに表のルートでは商品は手に入らなくなり、結局のところ取り締まりとのいたちごっこをすることになる・・・闇に手を出さないと・・・生きていられない事を・・・闇米に手を出さずに栄養失調で餓死することで山口良忠判事が身をもって証明しましたっけ・・・他には保科徳太郎なども・・・

 結局は、世界の資源は限られており、それがうまく回っているうちは問題ないが・・・何か起こるとその循環は阻害され、自主独立の精神を持って・・・自分のできる事を主体的に行う事が重要・・・しかし、良かれと思って強制すると、人は裏道を探す事になり、その中で真っ当な生き方を貫くと悲惨が待っていることになる・・・美徳の不幸か・・・こういうときに限って、日本は新商道徳樹立運動とか始めますからね。結局は・・・個としての道徳性の欠如なのか?

 いや・・・不正を行わないと生存すること自体が困難・・・従って闇行為は緊急避難的行為と解釈すべきか・・・その先にある権利は革命権ってのに繋がるのか?ちょっと気になります。しかし、革命は日本では起こらないような・・・理由は天皇制・・・世俗の政権交代は天皇の承認によって権威づけられる・・・ですから、維新ってのになるのでしょう。従っどのような政権が成立しても立憲体制は崩れそうもないし、それが国民を簡単に納得させる装置でもあるから・・・かな?

 ちょっと、真珠湾攻撃直前の政府広報の週報を眺めていますが、統制経済の完成に向けて邁進している様が見てとれます。全てが国家管理へと・・・統制経済から外れるための代用品であるとか、規格外による物の横行も吸収すべく魔の手を伸ばそうと・・・平和というもののありがたさが分かります。庶民は最大限の工夫で統制から外れるように努力をしている様も・・・しかし、一般の人間はどんな風にこの統制経済を受け入れたのか?ちょっと気になりますね。

 そして手際よく、学校卒業期の繰り上げも画策され・・・大蔵省の貯金政策についての中になかなか興味深い文がありますね。昭和16年の7月ごろから、一時的な現象と思われますが、貯金が必ずしも良好な成績とは言えない状態になってきました。貯蓄の増加が鈍ってきた原因は、先ず第一に現金取引が増加し、また物資の配給が円滑に行われていないために手持ちの現金が増えたためと思われます。・・・・空襲を予想し満一を思って手元に現金を退蔵する向きがあるのではないかと思われます。しかしこれは思いすごしです・・・戦争が長引き増すと、物価も上がり税金も高くなってきて貯蓄することも困難になってきます。また私たちの生活も次第にゆとりがなくなって来ています。・・・・

 分かって書いているんだろうな・・・なんってね。統制経済の裏の闇物資は既に高騰を始めている。闇物資は証拠の残らない現金取引と決まってるから・・・貯金より闇物資、あるうちに少しでも・・・ってね。アメリカの資産凍結を受けて、日本国内の動きってことなんでしょう。

 10年間、戦っていて終結の見えない戦争が・・・アメリカとの関係が険悪になることで、庶民にも危機感が走り始めたのが7月、そして10月に内閣交代・・・12月開戦か・・・現在の我が国は戦争なんかできるのかね?気になります。

(2013.05.24)

  

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