国の形・・・? 国民の憲法(3)

 軍の構成に入っていきますね。

 
第一五条(国際平和の希求) 日本国は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国が締結した条約および確立された国際法規に従って、国際紛争の平和的解決に努める。

 特に問題はないですね。問題は、対応条文ですかね・・・

 第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 この条文は素晴らしいと思うのです・・・世界遺産級ですね。漠然とした国際紛争・・・ここを明確にしちゃえば・・・ただ、どこの国も侵略軍は持ちませんから・・・全て自衛のための戦力ですから・・・武力を伴う国際紛争って、権益に関する事柄で起こるわけですが、こいつなら武力の行使が許されるってのは・・・いくらなんでも自衛は許されるというので・・・自衛隊があるわけですが・・・じゃあ自衛は?
 刑法第三十六条  急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
 2  防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

 正当防衛は個人でも、国でも認められるよな・・・問題は、現行憲法の9条の「国際紛争」の中身・・・刑法の文言をいじると、自国又は他国の権利を防衛する事以外の・・・ってね。行きつくところは、正義の概念が問題になるわけです。国内・・・同じ文化圏であれば、正義の概念はある程度統一されている、しかし、異なる文化圏では・・・これが問題になる。

 刑法の規定と同じで、交戦権なんって物は否定されているはずです。国家間での急迫不正の侵害が問題になるというわけです。そして、交戦規定が・・・Rules of Engagement こういったやつにヒントがあるかな?基本的には・・・国連憲章(日本語)|国連広報センター こっちの方が簡単に読めるので、この中から探してみましょう。

 第2条4項に「4.すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」基本的に交戦権は否定されているわけです。

 交戦権にかかる部分がありますね。
 第42条 安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、
国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。

 現行憲法をいじるとすれば・・・
 第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際の平和及び安全の維持又は回復以外の国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2  前項の目的に
反する陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 目的を限定することで問題はなくなるが・・・十分骨抜きになっちゃうね。国連憲章そのものが、戦うなら・・・全世界が相手になるかもしれないぞって威嚇程度ですから。国の連合体同士の対立抗争事件だと、国連でも止めることは不可能になりますね。だから、国際連合憲章では次のように述べるのでしょう。

 正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、 これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。

 というわけで、第1条3項に 「経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語または宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。としているわけです。」

 戦争の原因になることは、経済的・社会的・文化的・人道的な性質を持っていて、人権及び基本的自由の尊重が国の紛争を避ける近道との認識なのでしょう。ここから眺めると、現行の憲法の性格が見えてくるのでは?現行憲法の人権規定の多さ・・・人権を拡張すると、国は無茶なことができなくなるということなのでしょう。戦争は突き詰めれば・・・いかに効率よく人を殺すかですから。味方の死者1人に対して10人も敵を殺せば・・・そういった勘定の世界ですかね。もっと殺せ!もっと壊せ、破壊だ殺戮だ!なのですからね。そこに正義はあるか?互いの国民を駆り立たせる正義はありますが・・・いずれにせよ殺戮と破壊を正当化するだけの正義、自己を正当化するための理論でしかない。国家の存亡!美しい言葉かもしれませんが国など滅びても人間が残れば、国など再建できる。しかし、無人の野になってしまったら?そこには国もできない・・・XX国跡・・・国と民は不可分であるが、民なくして国なし・・・逆はありえないでしょう。

 だから、しっかりとした人権教育と、それなりの経済的な豊かさを与えれば・・・戦争は起こさないことになる。自分の人権を守りたいのなら、他人の人権にも自分人権と同じように守ればよい。単純な話です。信義に悖る国が現れることもあるから、そのときのための武力を保持するのはOK、しかし、軍は人殺しの修練を行う場所であることを忘れないようにしなければならないわけです。何しろ、軍の銃口は人間だけを目標にするわけですから。軍人のあの目は・・・人間を殺す事のために人を見る目なのだということなのです。できれば、軍など持ちたくないものなのです。身内に人殺しを出すのと同じことですから。

 戦争など、単なる欲望を満足させる手段でしかないのですから・・・国際紛争・・・人間の集団の野心の対立・・・自己の欲望によって他人を不幸にするなんって・・・他人の欲望のために自分が不幸になるなんって・・・どちらも間違っている・・・

 よって、人権規定を減らす憲法は、そのことだけで、低級な憲法になってしまうと考えるわけなんです。ですから、現行憲法は非常に優れた憲法であると考えるのです。軍を持つことは、憲法解釈で十分可能だと思われます。それは、我が国の憲法には国連憲章と同じ思想が流れているからです。

 前文の中の

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く
自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。

 国際社会の要求があるのなら、日本は、この目的のために武装することは何の憚りもないと思うからです。この崇高な目的のために軍を保持し、それが、国連軍の中核となるのなら、それは世界に誇るに足る軍隊でしょう。この文章での
自覚は非常に重い意味があると考えるのですが・・・さて、試案の検討を続けますか・・・

 
第一六条(軍の保持、最高指揮権) 国の独立と安全を守り、国民を保護するとともに、国際平和に寄与するため、軍を保持する。
  2 軍の最高指揮権は、内閣総理大臣が行使する。軍に対する政治の優位は確保されなければならない。
  3 軍の構成および編制は、法律でこれを定める。


 憲法に載せるものではなさそうな気がします。まずは自分の国のため、軍を持つぞ、内閣が統帥権を持つぞ!ってやつですね。今や戦争は・・・自国の利益のためだけに起こせる時代ではないので、ほとんど無意味・・・我が国の安全を守る?まわりの国の理解がなければ国など守れない・・・独裁国家を見よ!独裁というだけで、武力によって国が解散され、新しい国として生まれ変わる世の中なのだよ。祖国防衛なんってのにとらわれていてはいけない。

 私だと、今の憲法でも、自衛隊法の第3条を改正するだけでよいと思うからです。

 第三条  自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めることを主たる任務とし設置する。必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。

 これなら、9条の定める戦力ではないと言えると思いますね。そして、紛争があれば積極的に国連軍に参加できると思いますがね。憲法の精神にのっとった軍隊・・・そもそも、軍人が広く等しく人権を尊重するのであれば線を引いて消した部分のために行動できないのでは?

 簡単な例・・・敵の捕虜を1人殺す事にします。捕虜を尋問する軍人に、情報を引き出すために、その捕虜に最大限の便宜を図り、その捕虜の家族などの話をよく聞くように、そして、できるだけ仲良くなり打ち解けた会話をするように仕向けます。数か月の後、十分仲良くなり、その捕虜をよく知るようになり、捕虜としてではなく、一人の人間として扱うようになった所でこの軍人に命令を出します。お前のかかわった捕虜は戦争犯罪人と決した。よって、命ずる。この銃でこの捕虜を射殺せよ!ここに命令書がある。確認して処刑せよ!

 軍人として命令を実行するでしょうが・・・私は嫌ですね・・・敵ではなく、人間として見た瞬間・・・殺せなくなりますね。

 ですから、軍を作るには、人権教育抜きの人間を育てます。そして、教えることはただ一つ、敵を殺せ!敵は人間ではない!だから殺せ!命令によって殺しても殺人ではなく敵を処理しただけである!そして人権など理解していない将軍を作ります。将軍に守らせること、総理大臣の命は絶対だ何があっても実行するのだ。敵は人間ではない、家畜のように飼いならす事も出来ないものなのだ、誓って殺せ!我が命令は絶対である!

 これが、強い軍隊を作るための教育ですね。そして、これが理想の軍隊なのです。敵を効率よく殺すための・・・軍人と一般人の違いは?一般人は、外国人を敵と見ず。人間として見ているので弱い。軍人は、仮想敵国人は敵というマークのついた的として見ているから殺す事も辞さないということですかね。

 つまり、軍服を着るということは、射殺してもよい的になることを意味します。だから、敵に対しても武器を向けられるのです。残念なことに、軍というものはこういったものなのです。二等兵のマークは殺しても得点の低い標的、できれば将官クラスを的にしたいものです。軍を統帥する権限を持つ総理大臣など最高の得点になる的なのです。そういえば、ネット上に右のような写真が出てますね。敵から見ると、どうやらこれが最高得点を取るための的に相当するようですね。

 軍の目的を明確にし、それを諸外国に信じさせられれば・・・OKなのです。9条に反することなく自衛隊法第3条の変更だけで軍を持てますし。軍の条項など入れない方が、立派な憲法になると思うわけです。自衛隊って名称もやめて、防衛隊にしちゃえばよいのでは?必要に応じて治安に当たるじゃなくて、必要に応じて復旧活動にも当たるものとするなんって条文に入れれば完璧じゃん!

 その実、侵略軍だったりすると大変ですが・・・しかし、人権意識を持たせた軍人は・・・命令に反した行動をとる可能性が高くなるので、その意味でも、軍人にする人間は早いうちに一般社会から切り離し、人権など糞で、命令が絶対であることをたたき込む必要があるのでしょう・・・

 軍の規定は・・・憲法にはそぐわない、軍は単なる国際間で渡り歩くための飾りのようなものだから・・・使わないことを前提としたものだから・・・使うときは・・・人権など存在せず、ただ、敵を殺し、殺しつくす事ですからね。

 私は人権を重視します。歴史についても、人権や、個々人の経済を中心に眺めて行くので・・・口の悪い奴は、自虐史観の持ち主と考えるみたいなんです・・・私は、今の歴史教育って嫌いなんです。年号と事件を覚えること、事件の定形的な意義を覚えて・・・こんなの面白くないと思ってるんです。民族の歴史、民族の優秀性をたたき込む教育も嫌いですし、自虐なんって絶対嫌です!

 私が日本史の教科書を書いたら・・・副題は、日本で権力を得るために!、世界史の教科書を書いたら・・・副題は、世界征服のために!なんって付けちゃいそうです。歴史から学ぶことは・・・いかにして権力を得、維持するかに尽きるような?一歩下がって・・・如何に尊敬され、それを維持するかのために学ぶものだと思うわけです。

 日本史の最初の方を書いたら・・・狩猟採集によって生きていた時代、人間はそのテクニックと知識によって明確な貧富があり、より多くの食べ物を取る技や知識を持っているものが大きな尊敬を受ける富者として君臨する時代であった。基本は物々交換であったが、その中でもとりわけ価値の高いのは石器の材料になる石で、これは通貨のように扱われたと考えられる。同様に、山間部では塩が通貨のように使われた。このような価値の高い交換媒体を利用して、それなりの経済が存在していたとか・・・貧富の差のない平等な世界など夢と信じてますから・・・食料の欠乏により、奴隷となるものも出たと思われる。云々・・・

 第二次世界大戦など書いたら・・・戦争をしてはいけないで締めくくるとは思いますが。戦争は負けてはいけない、勝つ戦争を戦い抜くのが正しい。では、勝つためには何をすれば良かったか?とかへ行っちゃいますから。私にとっては歴史から学ぶということはそういったものですからね。

 歴史が教えるところによると・・・優秀な軍人または人権意識の乏しい軍人気質を持った人間が、祭り上げられて政治に進出すると、その人権意識にとらわれない強い指導力によって人々は理性によらず、その力強さと、儀式の壮麗さ、目も眩むばかりの演出、民族の優位!我が民族が世界をリードする!見よこの世界を・・・盲目的に信念によって動き・・・ってね。近隣諸国には脅威となるむちゃくちゃ国家が成立する・・・信義を重んずる人々は、征服されていく・・・喧嘩は相手の事を考えたら負け、情けをかけた瞬間終わる。これは、教科書に書けないことですからね。

 情け容赦もなくに対して、人権というのは弱者が唱える物のように見えてくるが・・・その実は、自他の人権をきちんと守れる人間が最も強い人間であるのだと、歴史は教えてくれているように思えます。

 ヒトラーがゲルマン民族の権利を考えるように、ちょっとだけでも他の民族の権利を考えたら、あのような戦争は起こらなかっただろうし、日本もヒトラーが唱えるゲルマン民族の権利を、大和民族の権利にすり替えなければ・・・日本は少なくとも北方領土と朝鮮と南洋群島は押さえられたと思うのですが・・・軍事力など、実のところは飾りで、実質的な人権に則った尊敬を勝ち得ることができるかが重要なのでしょう。

 汝の敵を愛せに集約されるものです。・・・ルカによる福音書に現れる私にとっては最高の智の言葉・・・「敵を愛し、憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから。」

 この、人間関係の最高智は、なかなか普及しないようです。「汝の敵を愛せ」は知っているが、その実は・・・あまり理解されていない。だから、奇妙な軍を持って、勲章をなんって妙な飾りを胸に付けたがるのでしょう。

 ちなみに、私はキリスト者ではないのですが・・・使える物は何でも使う、ろくでなしなので・・・いつか、信仰が得られるとよいと思ってはいますが・・・どんな神も、私には光を与えてくれないようなので・・・

(2013.05.05)

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