教えるということ・・・

このところ、算数教材を本気で作成するための基本的な研究を始めました。能率よく教えるために・・・少しずつ、わかってきたのは、算数は易しいが、日本語が難しいということのようです。

日本語というやつは、論理を表す言葉がかなりいい加減で、主語省略なんて日常茶飯、同じ言葉の繰り返しを嫌い・・・色々と、美文たる条件という奴があって・・・習得が困難というのが大きな壁です。

算数の良い教え方って・・・結局のところ、文章解析がきちんと教えられるか?これに尽きるようです。しかし、生徒に文章解析を教えるのは、なかなか困難、理由は・・・日本語で、日本語を教えるから・・・わからん日本語を、わからん日本語で理解させることは困難だというだけです。

感覚と言葉の一致という奴が重要であるというだけの話かな・・・授業は、疑似体験の場で、実際に体験したのではないものを、あたかも体験したかのように感じさせ、体験を通じての理解を・・・教室内という空間で、仮想的に体験させることで・・・わ・・・なんだかわからんが、まあ、そういったことです。

結局のところ、体験の中での解説が一番定着力を持つ、しかし、現実の体験ではなく、教師の話術、身振り、黒板上の図などで、体験とその体験の言い表し方を教えているというのが、授業であると考えればよいということです。

現実の授業で、教師は手に存在しないビーカーを持ち、その中に、存在しない100gの水を入れ、そこに25gの存在しない食塩をいれ、存在しないガラス棒でかき混ぜて、存在しない20%の食塩水を作り出す様子を体験させられれば良いわけです。

そこで、食塩水全体の重さが、存在しないビーカーに入れた100gの水と、存在しない25gの食塩の合計の125gであることを疑似体験を通じて理解させ、食塩水の重さが、水の重さと食塩の重さの合計であることを納得させればOKで、さらに、このように、125gに25gが溶けている食塩水を125gに対する25gの割合で濃さを示すことになっていて、25÷125=5分の1が食塩である・・・こいつを20%と表すのだ!と納得させて、実際に計算できるようにさせるのが授業なんでしょう。

結局、良い教師というのは、森羅万象の様々な事柄を、見てきたように語り、その語りによって、森羅万象の様々な事柄を疑似体験させることができるものとなるような・・・つまり、話芸に秀でた人間・・・落語家や講談師のようなものでなければならないということのようです。

教師の身振りや、話す言葉を鸚鵡返しのように口ずさみ、教師の話す言葉を自ら自在に使えるようにさせればよい・・・要は、高座で聞いてきた落語を、そのまま家に帰って再演できるように聞かせられれば、それは優秀な教師であるということなんです。

じゃあ、良い教材は・・・まあ、ストーリー性があって、読み進められ、何度も読み返そうと思うようなものかな?物語文のような・・・無理だろうか?なんってね。

ああ、こんなものより歴史研究でもしたいものですが、教材というのは1度作ると結構寿命が長いのでね、ちょっと本気になって作りたいと思うのですが・・・さらに・・・

本当は、応用問題が現実の生活にある程度反映されるようなものでなければいけないのでは?なんって思うわけです。今までにないような・・・いや、長い長い教育の歴史の中には存在はしたはずですが・・・学問は高尚なものという中で、消えたに違いない俗っぽいものがあったはずです。

私は、高尚な俗人なんで・・・違った俗人の中でちょっと高尚な振りをする人間なんでね。まあ、高尚な・・・このフレーズは面白いと思いますが・・・あまり、・・・・好きではない・・・しかし、高尚な振りをしなければならないときがある・・・

あれ、また模擬試験の問題について相談が・・・ 依頼だな。面倒な話です。なぜ、鹿島灘の海岸で遊んでいられないのか?今日は、鹿島神宮の祭りだというのに・・・昼間は肉屋の真似事をしなければならなかった・・・夕方は、原稿依頼・・・私の本業は?

まあ、何かをすると、知識が増えます。その前に本を眺めて、知識の拡充を図り、その上で、実地・・・すると、様々な興味がわき、その結果かなりたくさんの、現実の、地に足のついた知識が身につく・・・しかし、ヤギの足1本とか大きな肉の塊を処理するってなかなか面倒・・・結局、丸焼きにしちゃいましたが・・・焼きあがったところからナイフで削り取るように・・・ヤギの肉はなかなか味わいがあるわい!なんってね。

においが結構強いので・・・そうだな、ナツメッグなどが合いそうな気がします。こんな具合に経験が積み重なっていきます。模擬試験の問題作成ではそれほど経験の積み重なりはないですけどね・・・せいぜい、こんな具合に書くと良くないというやつぐらいかな・・・

さてさて、忙しい・・・それでも、近くでライブがあれば出かけますね。トップサンテの下にManoManoというお店が開店・・・そこでライブがあると・・・manomano Beach Houseで・・・スチールドラム・・・この響きは好きなんですね。近頃はスチールパンって言われるのかな?よくわかりませんが、ライブだって・・・

行ってきました。なかなか面白い楽器です。しかし、構造上強弱のメリハリが、ライブではある程度感じられますが、CDも買いこんで聞きましたが、マイクロフォンの特性の関係なのか?CDはきわめて平板になってしまいます。編曲の問題かな?

家に帰る車の中で、CDを聞きながら・・・考えてしまいました・・・そうだ、この手の楽器って、オルゴールの編曲の手法があるな?なんってね。オルゴールで音の強弱って、その機構上無理なんで・・・編曲で音の盛り上がりらしきものを作るわけですから・・・その昔、MSXなんってコンピュータのパルスシグナルジェネレーターだったかな?あれで、曲をそれなりに聞かせるために工夫するときに、ちょっとお勉強しましたが・・・ふとね。

しかし、面白い楽器です。あの音・・・そして、スチール パンを実際に叩かせていただきましたから・・・あの楽器、欲しいな・・・確かに、ソロには厳しい・・・和音は・・チームなら可能ですが・・・手は2本、2音・・・まあ、撥を2本ずつ両手に持てば・・・ビブラフォンみたいに平面上に並べられていれば可能かも知れませんが・・・音の配列もそれを意識してか?それとも、響きの限界であの配列なのか?ちょっと気になります。

音自体は、MIDIの104かな?そのあたりに音があるのでおなじみで・・・よく遊んでいましたがね。やはり、現実の楽器が欲しくなりますね。しかし、テナーパンは20万円以上しますかね・・・高すぎますね。かといって、ドラム缶確か・・・7000円ぐらいかな?こいつから切り出して調律するのは・・・何かで、作成している映像を見たことがありますが、鍛冶屋仕事のような感じで、大きなハンマーを振るって打ち出していましたっけ。

でも、音の強弱をつけにくい楽器だから・・・伴奏楽器として・・・チェロパン・・・いや、こっちだと30万円弱か・・・ギターパンも似たようなお値段だし・・・置く場所がない・・・お金も置く場所もない・・・したがって購入はパス・・・残念ながらね。

ああ、世の中にはやってみたいものが山ほどあります。体験したいことが山ほど・・・インターネットのおかげで、様々なものを疑似体験できますが・・・擬似と、自らの五感で感じるものとの差は大きいですから・・・色々なことをやってみたい・・・時間とお金が・・・

やはり、若いうちに沢山の経験を・・・お金と時間と、体力を費やして積んでおくのが良いのでしょう・・・しかし、若いうちはお金がないので問題ですね。したがって、多くの体験をすることが困難・・・

あれ?誰か来た・・・キリスト教系の人でした・・・そうだな、体験していないこと・・・宗教体験・・・神の臨在など感じたことがないので、ある意味、こいつを体験していないのも寂しいことなのかもしれません。

宗教は寂しさを紛らわすには、非常に有効なものですが・・・同行二人・・・この言葉に集約されたもののような気がします。人は何かの臨在を常に感じていないといけないのかもしれません。群れを作る動物なので・・・一人では生きていけない・・・
(2011.09.10)

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