鹿島神宮関係の備忘録(3)

ふと、鹿島神宮の祭祀での、参加者の席次を表す図を眺めていて面白いことに気付きました。鹿島神宮での祭祀では、本殿があってその拝殿に、下級神職が並び、仁慈門と呼ばれる鳥居の外の地面の上に上級神職が座って神事が行われるとのこと。これってどういうこと?このところ気になっていたことなんです。ちょっと、その図をでっちあげると、右のようなものになります。歌仙の間ってのが弊殿でその下の拝殿に、あまり偉くない人たちがいます。そして、仁慈門って、鳥居ですね。この鳥居の外に並んだ、これまたあまり、偉そうではない人たちの一団があって、高房社の前に横一列に並んだ御重役連が居るという構成です。

本殿の近くの拝殿に下級神職・・・神様に近い所にですね。大物の神職ははるかに離れた地面の上にいる・・・これって何を表しているのか?何を迎えるときのパターンかって考えるわけです。

ふと、この図を眺めていて、似た風景を思い浮かべました。左の、鹿島神宮一の鳥居です。このあたりには港があったんです。私が大宮司として、誰かが船でやってくるのを待ち受けるのであれば、右の図の配置って非常に合理的ではないでしょうか?

左の写真のように、大宮司が船の着くのをいまや遅しと待ちかまえている。

この、鳥居の先の船着き場には、間もなく船が着く、そして船を係留するための要員が待機し、船が着いたら道板を渡し、降りてくる方を脇で整列して待つ人たちがいて、その先に横一列で待つ偉い人・・・

どうやら、鹿島神宮の本殿って、船に擬えられるのでは?開かずの御殿なんって本殿は言われますが、まだ来ない船の象徴であるのかもしれません。船が来たときだけ開かれる扉・・・開かれれば、そこから神様が上陸され・・・ますから、神様を迎える儀式があって、その後、船には戻られず・・・そりゃ、鹿島に来たんですから、歓迎行事だけで帰るわけありませんから、そのまま仮殿へと収まると考えれば、非常に合理的に思えます。

本殿+拝殿の前の鳥居が、単なる鳥居ではなく、仁慈門って言われるのには理由があり、東實氏が、東一の鳥居ではなく、「明石の浜に立つ神門」と、鹿島神宮って本に書いていたのは、実はこういったことが前提になっていたのでは?なんってふと思えてきます。

鹿島神宮には、基本的に神様は居ない・・・祭祀のときだけやってきて、仮殿に宿る・・・鹿島神宮そのものが、御旅所ということになりますかね。じゃあ、鹿島の大神は普段はどこに居られるやら?

ふむ、こいつをうまい論理構成で展開して、なんとなく立派に見える論文に仕立てると、学位論文に化けそうな?鹿島の大神が、船の献上を要求する神様ですからね。

船に関連する儀式も少しチェックしてみると、なんとなく、鹿島神宮の本質が見えてくるかもしれません。学問ごっこは面白いものです。
(2009.05.28)

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