ちょっと、「学問ごっこ」がしたい!

このところ、考古学遺物や神社仏閣などを眺めて遊んでいますが、ちょっと面白いテーマを考えだしました。「学問ごっこ」です。私だって、かつては学者を目指し、象牙の塔に立てこもることを夢見ました。しかし、残念なことに、大学院の選択をしくじり・・・教授の意見に耳を貸さず・・・などなどで、自由な身にあるわけです。

時々、ITエンジニアのようなことをし、大した規模の会社ではありませんでしたが、といっても年商10億にはちょっと足りないかな?そんな大手塾の経理システムやら、5千人規模のテストの集計・帳票出力システムなどの設計・制作・運用をやったり・・・まあ、色々なことをやってきました。

学生時代から継続する研究も少しはしてますし・・・そこで、ちょっと「学問ごっこ」を始めようと思うのです。テーマは、考古学ですね。何しろ、鹿島というところは面白いところで、現在にもなお、古代が連綿と受け継がれている部分がたくさんあります。

さすが、鹿島神宮は文化を保持し、それを控えめに誇示し続けてきたおかげなんでしょう。鹿島神宮の政治・行政システムは優秀なんでしょう。そういったものを見て、わが海岸の遊び場を見ると、これが、縄文時代とあまり変わっていないのであります。電気ガス水道などのライフラインと称するものはつながっておらず、外界とのやり取りは狼煙と携帯電話とラジオですかね?

近頃は、狼煙の威力は薄れ、暦法の導入によって、定期的な反復へと変化しつつありますが・・・まあ、狼煙はある意味光通信で、1ビット情報ですが・・・私どものところでの通信規約によると、狼煙をあげると、「ここで活動中、そろそろ酒やつまみが並ぶ、何か自分の好きな物を持って遊びに来い!」という長文の複雑な内容を送信していることになります。通信規約を定めれば、古代的な光通信もたくさんの情報を運ぶことができます。

そういえば、以前面白がって買いこんだ国際信号書でも、再び研究し始めますか・・・最小の単語を覚えて、最大限に情報交換をするシステム・・・

さて、「学問ごっこ」こいつを始めるにあたって、方針を定めないといけません。その方針は・・・人間の仕様はこの数1,000年来変化していない、したがって思考能力やそれの持つ物理的な力はほとんど変化していない。変化したのは食事で、そのため、古代人に比べると、体力は一応あるが、忍耐力に関してはかなり劣るようになった。同時に空腹を覚えずにすむ生活をしているので、古代人に比べると、夢想的で享楽的な考えを持っている。古代人は、現代人に比べて現実的で物惜しみをする。また、感性についても、現代人は様々な凄いものを目の当たりにし、その結果、感受性は極めて高いのだが、それが感動に至るにはよほどの内容でなければ感動しない。

こうなると、古代人の純粋な感動と感動を与えたものが何なのか?このあたりを研究すると、古代が見えてくるような気がします。だって、ある日鹿島神宮に行って・・・自分が竪穴式住居の土間で、すすけた皮の付いた丸太の柱や草ぶきの屋根のもとから、裸足で、いぶくさい燻製の親戚のような垢や汚れにまみれたものをまとい、青々とした自然の野山を歩き、鹿島神宮に至り、そこで白木の真新しい床が張られ、立派な材で作られた神殿と、真っ白、色鮮やかな染物の衣服をつけた人々を眺めたら・・・こりゃ、カルチャーショックでしょう!

鹿島神宮は、古代にあっても、そういった威容を持った文化の殿堂であったわけです。そこでは、神職が祝詞をあげ、文字を記し、お札の類を下されるわけです。真っ白な紙に、黒々とした文字、そして赤いクッキリとした印影が、うす暗い竪穴式住居の中にもたらされ、それを眺めると、そこには偉大な文化の一部を共有することができたのではないでしょうか?

私がこういったことを目の当たりにした古代人なら・・・生活を向上させる努力をしますね。丸太でも皮をはがし白木に近づける、小まめに洗濯する、身なりを整える、神社が欲しいと思う・・・

そうそう、近頃神社が欲しくなってきました。文化装置としての神社が・・・構想はちょっと固まってきていて、社名は「波乃神社」別名「並の神社」、付属社として出世稲荷「波乃上稲荷」別名「並乃上稲荷」並の上の生活を祈る・・・大祭は7月3日波の日です。まあ、普通の神社組織を考え、これを神宮まで昇格させるにはどのようなことをしなければならないかを考察するための仮想の装置です。

まあ、ちょっと気合いを入れて、文化装置としての神社を、ネットの上に創建してしまうのも面白いかな?なんって・・・ネットで仮想の装置が上手く稼働するのであれば、現実に株式会社「波乃神社」として気合いを入れて布教するのも良いかもしれません。宗教法人化するのは・・・大宮司があまりにも世俗的なんで・・・パス、日本を元気にする「波乃神社」!宣伝文句としては悪くない・・・

俺もいつかは波の上、社会で潜水艦生活をする、波の下の諸君!俺もいつかは並の上!ってね。ちょっと、ささやかで控えめで、ちょっと努力するとできそうで・・・文化装置としてのコンセプトとしては面白いような・・・狂歌コンクールとかもいいかもしれません。

文化って、何も形が無いように思えますが、文化というのは偉大な力を発揮しますからね。そういった意味で、文化と法と生活と・・・そんなことを「学問ごっこ」してみたいと、近頃思うわけです。

まあ、こういう考えだから、学者になれなかったようです。
(2009.04.29)

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