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日本貧窮者経済新聞
 幼い普ちゃんのポチ国の半導体衰退の理由か・・・?(4)→この最初へ

 さて、前回の続き・・・対韓制裁、ほくそ笑む習近平 ワールド 最新記事 ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト これですね。何だか、幼い普ちゃんの思い付き制裁は・・・あまり意味が無いような気がするがね・・・?単に、幼い普ちゃんの孤立感が強まるだけだとね・・・ロシアとの交渉は、幼い普ちゃんがトランプ君に基地を置かない事の言質を取る気が無く、行動を起こす気配も無いから・・・終わっているという感じね。

 拉致問題も日朝二国間問題とトランプ君は言い切ったのに、未だに幼い普ちゃんは習君にお願い・・・文君は・・・使えない事になったしね。それでも、自分で流行る気は無しみたいね・・・最後は自分がやると・・・最後っていつ?

 日中関係はどうなるか?これも、一帯一路に自分で働きかける気のない幼い普ちゃんですからね・・・結局は何もしない、何もできなおさない普ちゃんというだけでね・・・馬鹿だね。

 選挙の立会演説会では逃げ回っているし・・・弱虫ちゃんだから仕方ないか・・・?あの幼い普ちゃんが、この国を守れるとは思えないのに・・・歩く国難だからちかたないか?国難の体現者ね。しかし・・・幼い普ちゃんが来たら・・・国難が来た!逃げろ!で・・・みんなが逃げたら・・・これって、いじめだよね。幼い普ちゃんは泣いちゃうかもしれない・・・しかし、一つ間違えると、こうなってしまうかもしれないからね・・・恐ろしい手のひら返しね・・・

韓国では衝撃が
規制対象となった「フッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素」の世界における日本のシェアは、70%〜90%を占めており、独擅場に近い。韓国の毎日経済新聞などによると、韓国の半導体メーカーは70%以上を日本からの輸入に頼っているとのこと。おまけに日本の供給は安定しているので材料の貯蓄がほとんどないようだ。そうでなくともガス類の長期保存は困難である。


 ガス類の長期保存は無理じゃないがコストの問題があるでしょうね。多分、330kgぐらい入るコンテナで100万円ぐらいするのでは?保管場所も、安定供給があれば問題が無かっただけでしょうからね・・・フッ化水素酸なら安定だし・・幼い普ちゃんのポチ国は貧乏なので、コストのかかる地下LNGタンクなどを設置したくないので・・・長期間の保存が困難なだけの様でね。欧州では地下タンクで貯蔵しているわけで・・・

 フッ化水素の世界シェアの数字が・・・なんだか変じゃないかね?全世界では年間100万トンほどの需要があるようなのだが・・・?台湾はかつては日本から輸入していたが、今ではダイキンと台湾企業が製造して供給しているね。韓国も、台湾からの輸入がある・・・中国からの輸入も日本からの輸入量より多い・・・だから、実のところが不明なわけね・・・

 日本企業が中国やシンガポールへ直接送り込んでいるのか・・・?こういった部分が見えないわけね・・・

特にサムスン電子やSKハイニックス、LGディスプレイといった大手が痛手を受ける。韓国では、まさか安倍政権がここまでのことをやるとは思っていなかったようで、どのメディアも一面トップで「衝撃」を表している。また時期が時期だけに、安倍政権は選挙目当てだという非難も目立つ。韓国政府はWTO違反だとして提訴すると抗議しているが、そのようなことをしている間に打撃が韓国の関連企業にしみわたっていくだろう。

 韓国の輸入統計の発表があって、それによると・・・事情がちょっと違うようでね・・・貿易量で見る韓国半導体産業の日本依存度 ビジネス短信 - ジェトロ 1〜5月のレジスト、フッ化水素、フッ化ポリイミドの対日輸入依存度は、それぞれ91.9%、43.9%、93.7%だった(表1参照)。これね・・・長期の供給契約だと・・・?契約違反が怖いと思うのだが・・・損害賠償ね。これは、幼い普ちゃんのポチ国政府が補填かね?

ほぼ自業自得
打撃を受ける韓国企業の中に「サムスン」が入っている事実は、ある種の「痛快」を惹起させるのを否定できない。自業自得という言葉は上品でないかもしれないが、こういう日はもっと早く来るべきだったのではないかという、複雑な心理が頭をもたげる。

 あれ?何で・・・痛快となるかね?政府間の争いで被害を被る話なのだが・・・何で?朝鮮人は嫌いだというだけか・・・サムスンに何か個人的な恨みがあるとか・・・?

2018年12月24日付のコラム「日本の半導体はなぜ沈んでしまったのか?」でも触れたように、日本の半導体関係の技術者がリストラをひかえて窓際に追いやられていた頃、技術者の一部は「土日ソウル通い」をしていた。土日だけサムスンなどの半導体メーカーに通って破格の高給で東芝など自社の核心技術を売りまくっていたのだ。

 ふむ・・・日本の半導体はなぜ沈んでしまったのか?(遠藤誉) - 個人 - Yahoo!ニュース これの話しね・・・

 1980年代にアメリカを追い抜き世界一だった日本の半導体はアメリカにより叩き潰され、その間、韓国が追い上げた。土日だけサムスンに通って破格的高給で核心技術を売りまくった東芝社員の吐露を明かす時が来た。

 1980年代の半導体って・・・?基本的には米国の半導体のセカンドソースね・・・非常に安価に大量に作った・・・そのために本家が傾くわけね・・・あとは、かなり違法な互換機が作られていたという奴ね。未だに、私の所には・・・286のPC互換機がありますね。もう、何年も動かしていないからね・・・マザーボードは沖電気のかな?

◆日本の半導体産業を徹底して潰したアメリカ:常に「ナンバー1」を求めて
 1980年代半ば、日本の半導体は世界を席巻し全盛期にあった。技術力だけでなく、売上高においてもアメリカを抜いてトップに躍り出、世界シェアの50%を超えたこともある。特にDRAM(Dynamic Random Access Memory)(ディーラム)は日本の得意分野で、廉価でもあった。

 確かに、米国製に比べると安価ね・・・製造コストが違いましたから・・・1960年代末に革新的な核心技術を・・・ICリードフレームを安価にプレス加工で生み出しちゃってね・・・色々と、製造に関する技術を駆使してね・・・

 それに対してアメリカは通商法301条に基づく提訴や反ダンピング訴訟などを起こして、70年代末から日本の半導体産業政策を批判し続けてきた。

 米国のいつもの手口ね・・・競争に勝てないとなると、この手を使うわけね・・・卑劣にも・・・今も同じことをやろうとしているような感じね・・・

 「日本半導体のアメリカ進出は、アメリカのハイテク産業あるいは防衛産業の基礎を脅かすという安全保障上の問題がある」というのが、アメリカの対日批判の論拠の一つであった。日米安保条約で結ばれた「同盟国」であるはずの日本に対してさえ、「アメリカにとっての防衛産業の基礎を脅かすという安全保障上の問題がある」として、激しい批判を繰り広げたのである。

 実際・・・特許を回避する事で安価に、作り出すというのが・・・戦前から続いていたのでね・・・海外の先端製品を取り寄せて研究・・・特許を回避するための研究をするわけね・・・

 こうして1986年7月に結ばれたのが「日米半導体協定」(第一次協定)だ。

 後発の強みを最大限に活用して・・・セカンドソース契約で・・・CPUなどを製造ね。8ビットコンピューターの時代ね。モトローラーのMC6809は日立が、日立のベーシックマスターや富士通のFMシリーズに・・・インテルの8080はNECが・・・8080搭載のコンピュータが自宅にあるね。動くかどうか?COMPO BS/80が・・・これが後にPC8001へと

 インテルがセカンドソース戦略をやめるのがインテル386の時代ね・・・これでCPUの開発能力が無い所がコケたわけね・・・正しくは286の高速版を出して386に対抗したわけでね・・・DOSベースで動かす場合には、クロックの早い高速化された286の方が386より速かった・・・この時代の286もプロテクトモードが搭載、メモリーも随分と乗せられるにようになったが・・・OSが対応していなくて・・・EMSとか、ドライバで対応していましたね・・・そして、英語版のWindows3.1までは、286で動いたので、私の沖電気のマザーボードは・・・高速な286を更に水晶発振子を交換で高速化・・・並の386より速かったのですが・・・日本語版のWindows3.1はダメで・・・この頃は、色々と試しましたっけ・・・

 日本語版のWindows3.1で286・・・日本の互換機が終わった・・・セカンドソースのCPUの消滅ね・・・あとは、386・486搭載マシンへ・・・従って、ここでNECのドル箱商品のPC98シリーズが消えることになった・・・インテル、入ってる!

 「日本政府は日本国内のユーザーに対して外国製(実際上は米国製)半導体の活用を奨励すること」など、アメリカに有利になる内容が盛り込まれ、日本を徹底して監視した。

 1987年4月になると、当時のレーガン大統領は「日本の第三国向け輸出のダンピング」および「日本市場でのアメリカ製半導体のシェアが拡大していない」ことを理由として、日本のパソコンやカラーテレビなどのハイテク製品に高関税(100%)をかけて圧力を強めた。

 この時点でも、日本の収益性は確保されていたわけね・・・1982年に登場した非常に高価なPC9801、私は1983年頃からMSXを・・・随分と長く使いましたね。1MBのメモリーディスクとか・・・ワープロの機能では並みの98より高速でしたね。1993年の6月にAT互換機を、英語版のWindows3.1、サウンドブラスターのマルチメディアキットを組み込んで・・・

 1991年7月に第一次協定が満期になると、アメリカは同年8月に第二次「日米半導体協定」を強要して、日本国内で生産する半導体規格をアメリカの規格に合わせることや日本市場でのアメリカ半導体のシェアを20%まで引き上げることを要求した。1997年7月に第二次協定が満期になる頃には、日本の半導体の勢いが完全に失われたのを確認すると、ようやく日米半導体協定の失効を認めたのである。

 この時代は、まだNECのPC98が超高価で・・・私は買えなかったね・・・もう、就職していましたが・・・会社でMSXで文書作成ですからね・・・高給取りの連中はPC98をハードディスクやEMSを搭載して・・・会社のコンピュータがIBM5550シリーズで、ハードディスク搭載5インチフロッピードライブで・・・MSXに5インチドライブを接続して・・・

◆時代は既に移り変わっていた
 しかし、第二次協定の満期によって、日本がアメリカの圧力から解放されたときには、時代は既に激しく移り変わっていた。

 80年代の全盛期、日本の半導体は総合電機としての自社のエレクトロニクスを高性能化させるサイクルの中で発展してきた。当時筆者は一橋大学にいて日立HITAC(ハイタック)の大型コンピュータを用いて分子間相互作用を分析するコンピュータ・シミュレーションを行っていたが、CPUタイムなどの関係上、シミュレーションが終わる前にタイムアウトしてしまって速度相関関数やそのスペクトルの計算に困難を来していた。そこで理研に通って富士通FACOMを使わせてもらいシミュレーションを完遂させたりしたものだ。それによりアメリカのアルゴン研究所がIBMを使って計算する速度相関関数やそのスペクトルと同等に競争することができた。つまり、日立や富士通などの大型計算機はIBMに近づいており、他のハイテク製品の性能を高めるための半導体の開発は、アメリカを凌いでいたと言っても過言ではない。

 この時代のコンピュータは・・・大型の装置も遅かったのでね・・・大きな記憶域を持っているというのがね・・・1980年代は、まだパンチカードが幅を利かせていて・・・一応はワークステーションがありましたがね・・・1980年代か・・・理研にはFACOM M-200があったかな?780あたりまでね・・・ベクトル計算じゃ・・・1985年のFACOM VP-100, VP-200シリーズね。FORTRANで動くようですね・・・1998年の第二世代のPentiumIIよりちょっと高速なスーパーコンピューターね。私が仕事で管理したものではAS400もありましたが・・・前世紀の末でしたね。そのころには、こういったメインフレームは・・・あまり活況とは言い難かったような・・・?

 ところが1993年にインテルがマイクロプロセッサーPentiumを、 1995年にはマイクロソフトがPC用のOSであるWindows95を発売すると、世の中はワークステーション時代からPC時代に入り、いきなりインターネットの時代へと突入し始めた。

 一般民生品で日本の半導体産業が落ち目になった理由は・・・私の理解と違うということね・・・既に386の発表時点で、日本の敗退が決まったわけね・・・落ち目の日本を救うために286の活用で・・・OSのBTRON1を開発、こいつで国内に286市場を教育用のコンピューターとして生み出すつもりが・・・米国の野望でつぶされるわけね・・・

 1990年代にはインテルの386や486を搭載した台湾製のマザーボードが幅を利かせるようになって・・・日本の半導体産業は斜陽・・・制御機用のマイクロ・コントローラーへ転進ね・・・これで、PCをやっていた技術者が不要になった・・・AT互換機とは別のアーキテクチャでは・・・PC98シリーズがCPUにV30とか・・・この系譜ね・・・NEC Vシリーズ - Wikipedia これは現役で・・・V850 ファミリ ルネサス エレクトロニクス これね・・・自動車産業用・・・ただ、私が気になるのは、スティックPCの・・・これに置き換わりそうで怖いわけ・・・まだ続きますが・・・こんな経緯で技術者が大量に余ったわけね。私の理解は・・・製造技術より、新しいCPUの出現と、その対応を誤っただけの話しね・・・そして、国内では・・・ゲーム機産業が吸収ね。あとは、医療とかの画像処理など・・・未だに、日本は高度な技術を保有しているが、大量に売れる商品に結びつかないわけね・・・スーパーコンピュータでも、それなりの成績を出しているわけでね・・・一般的な民生品でのヒットが無いわけね・・・縁の下の力持ちではあるが・・

 実質、インテルの386とWindows3.1日本語版に日本の半導体産業は殺されたというのが正しいのでは・・・?AMDのようにインテル互換が作れなかった・・・

本来なら宝物であるような「技術者」を大切にしなかった東芝などの日本の経営陣と当時の通産省の幹部に大きな責任があるものの、韓国の半導体メーカーは「日本の半導体技術を窃取した」と言っても過言ではない。

 単に、Windows 3.1日本語版が出て一発で仕事がなくなった技術者の山ができたというのが正しいのではないかね?日本のものづくりの精神の問題ではないかとね・・・386とWindows3.1に対抗できるものが作れなかった・・・ダメなら、AT互換機の拡張カード類で頑張るというのが無かったという感じですかね・・・マザーボードも利が薄かったようだしね・・・

それは個別の韓国半導体メーカーだけの「狡猾さ」だけかというと、必ずしもそうではなく、韓国という国家全体にある、何とも表現しにくい「曖昧な狡さ」という精神性にあると私には見えてならないのである。

 私は、そういった風に見えないので・・・ハードウエアの技術者が束で不要になったのだよ・・・私がAT互換機をいじり出した時は、いきなりAT互換機が溢れたという感じでしたからね・・・一気に国産の雑多なPCが淘汰された・・・Windows95でNECがOEM版が出たが・・・これがとどめだよ・・・ガラパゴス・コンピュータの終焉ね。1985年から95年までの10年間でどれだけの国産ガラパゴス・コンピュータが消えたかね?AT互換機の高度化についていけなかった・・・286までは、国産メーカーのマザーボードがあったからね・・・BIOSが開発できなかった・・・沖電気の奴はBIOSは何が乗っていたっけ?記憶が無いね・・・AMIの奴が普通に見る奴だね・・・フェニックスがあったが・・・近頃は気にした事も無いからね・・・わ!2030じゃん・・・一旦切って、歌の練習・・・つかれた、寝る!

2019.07.08

    

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