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日本貧窮者経済新聞
 ハーバードでは日本の1950年代から70年代の高度経済最長期が教材なのか・・・?

 さて、何か面白い事はないかね・・・なぜハーバードの人たちは日本に興味があるのだろう ふむ・・・面白そうだね。

 使用されている教材のタイトルは『日本:奇跡の年月』。1950年代から70年代の高度経済成長に焦点を当てた内容だ。注目すべきは今年から教材が変わったことだ。

 ふむ・・・この時代に興味があるのか・・・まあ、高度経済成長時代ですからね・・・これって、私は単純だから・・・エネルギーシフトの時代だと考えちゃいますがね・・・正確には・・日本炭鉱労働組合潰しに始まるとね・・・1950年の炭鉱の国家管理の終了によって・・・産業別労働組合が成立、成立時点での組合員は29万人、全盛期には33万人ね・・・もう一つの問題が、国鉄労働組合・・・スト権ストまでは特に問題は無いのですが、1950年に分かれた国鉄動力車労働組合これね・・・

 エネルギーシフトの目的が・・・炭鉱労働者の組合と国鉄の蒸気機関車の機関士の組合潰しだったと・・・二次的には、エネルギーシフトによって、石炭中心だった工業が、石油中心の工業へ転換・・・石炭は国内で供給可能、石油は国内供給は不可・・・1970年ごろまでは、セブン・シスターズによる原油の独占・・・石油輸出国機構の成立によって独占は終了しますがね・・・この時代ですね。そして・・・レッドパージ・・・この辺りをキーワードにしちゃいますからね・・・

 日本らしい日本の政治家君たちは長時間の議論に耐える頭が無いというのが問題でね・・・「私はぶれない」=「強制し奉りても所信を断行すべし」・・・すぐこれになっちゃう・・・平成27年3月16日 国連創設70周年記念シンポジウムにおける安倍内閣総理大臣スピーチ 平成27年 総理の演説・記者会見など 記者会見 首相官邸ホームページ

 安保理の改革は、もはや議論に時間を割く時ではありません。具体的な、成果を生む時です。・・・話し合いで平和裏に解決しなければならないのに・・・議論ができない小さな普ちゃんは議論を避ける傾向があって、基本的に・・・小さな普ちゃんのポチ国の威勢のいい連中は長期の議論に耐えられない・・・そして、思想的に堅固ではないので・・・五・一五事件 - Wikipedia

 『まあ待て。まあ待て。話せばわかる。話せばわかるじゃないか』と犬養首相は何度も言いましたよ。若い私たちは興奮状態です。『問答いらぬ。撃て。撃て』と言ったんです。・・・話をすると撃てなくなる弱虫ちゃんが基本ですから、問答無用!撃て!で議論の中断が好きですね・・・もはや議論に時間を割く時ではありません。具体的な、成果を生む時・・・つまり同じなのね。

 天国に連れて行ってくれるものではない」と、国連について述べたのは、第二代事務総長のダグ・ハマーショルドでした。
 「しかし国連は、地獄行きからなら救ってくれる」と、有名なエピグラムは続きます。
 東西冷戦たけなわのころ、国連の意義を諦めず、情熱を燃やし続けた人の金言は、今なお私たちの心に響きます。


 まったく、お馬鹿な小さな普ちゃんは・・・もはや議論に時間を割く時ではありません。具体的な、成果を生む時『問答いらぬ。撃て。撃て』ですからね・・・国連で話し合いが続く間は、地獄=戦争の蓋が開かないわけでね・・・話し合いを続けることで地獄行きを避けることはできるというわけですね・・・

 こいつで組み立てちゃうのでね・・・まず、日本の政治家は真摯な議論ができない・・・小さな普ちゃんがその代表ですね・・・きちんとした説明ができないのでダメ・・・で、何かあると・・・『問答いらぬ。撃て。撃て』・・・日本炭鉱労働組合の闘争を見れば簡単ですね・・・日本炭鉱労働組合 - Wikipedia ここから拾うと・・・

1952年には、日本電気産業労働組合(電産)と共に賃上げ要求のストライキを実施し、63日間の長期闘争の結果、中央労働委員会(中労委)のあっせん案を受諾

1953年には福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で三井三池争議の第1次争議が発生し、113日間のストライキにより指名解雇を撤回させる成果

1960年、三井三池争議の第2次争議が発生した。これはエネルギー革命で日本の基幹エネルギーが石炭から石油への移行する中、存続には経営の合理化が必要とした経営企業の三井鉱山が1959年に4580人の人員削減案を提示し、次いで12月に1278人の指名解雇を強行した事に対し、指名解雇は不当で、合理化は安全性の低下に直結するとした炭労が解雇の撤回を求めて全面ストライキに突入した事件である。これは同時期の安保闘争と連動しており、三井三池争議は会社側を支援する財界団体と組織の総力を挙げて支援した総評による「総資本対総労働の対決」と呼ばれたが、300日を超える長期闘争

 さて、政治屋君や企業の幹部はこういった者たちに対して誠意ある説明や対応をするだけの度量があるかどうかですね・・・小さな普ちゃんを見れば見当がつきますね・・・

 そして、もう1つの問題児たち・・・国鉄動力車労働組合 - Wikipedia これから拾うと・・・

結成当初は非政治的で穏健な職能組合だったが、養成に数年かかる機関士、運転士で構成される組織構成上、勢力拡大に制約が伴うことから、やがて組織維持・拡大のため内部規律、団結を強め、活動も先鋭化した。1960年代〜1970年代には、国労以上に先鋭的な労働運動を展開、「泣く子も黙る 鬼の動労」と呼ばれる存在となった。

 石炭生産と重要な石炭消費・・・1950年代には石炭労働者の組合を何とかしたい・・・ストが利きますからね・・・労使とも話し合いでの解決はできない連中ですからね・・・日本人なら分かるはず!じゃあ何をするか・・・アメリカ様の占領政策も兼ねて・・・日本の石油はセブン・シスターズが握る・・・いつでも油を切れる状態にするわけですね。こいつに、日本炭鉱労働組合潰しを石炭産業自体を消すことで実現・・・ディーゼル機関車の導入によって・・・ディーゼル機関車を製造する会社への金の流れができる。蒸気機関車の機関士は無用になる・・・動労のストが怖いですからね最初は闘争は無いわけですが・・・ここで、鉄道輸送からトラック輸送への転換を図る・・・産業別組合を作らなければ良い・・・たぶん、こんな方針でしょうね。

 石油を断つことで戦争ができない国へ・・・大東亜戦争は石油を断つことで戦争を始めさせるという手を使い、戦後は石油を握ることで手綱を付けたわけですね・・・これに乗って、ディーゼルエンジンへの転換ですね・・・鉄道用ディーゼルエンジンとトラック用のディーゼルエンジンの大増産・・・さてこれはどこがやったかな・・・?日本のディーゼル機関車史 - Wikipedia

国鉄では1953年、初の幹線用電気式ディーゼル機関車DD50形を製造した。これは新三菱重工業が船舶エンジン分野で技術提携していたスイスのスルザー社の設計したエンジンをライセンス製作して搭載している。北陸本線米原 - 敦賀間で使用された。・・・新三菱・・・懐かしい響き・・・国鉄DF50形ディーゼル機関車 - Wikipedia 国鉄DD51形ディーゼル機関車 - Wikipedia 鉄道の無煙化というよりは・・・蒸気機関車の機関士対策じゃないかとね・・・トラック用のディーゼルエンジンは1950年代というと、日野・日産ディーゼル・いすゞ・三菱ふそう・・・あとトヨタもトラックを作っていましたね・・・しかし、1957年にトヨタは政府からの圧力でディーゼル・トラックからの撤退・・・

 さて、鉄道輸送からトラック輸送への転換の転機は・・・スト権スト - Wikipedia これですね・・・ここから拾うと・・・スト権スト - Wikipedia 生活物資輸送 と、スト権スト - Wikipedia 荷主・トラック業者の国鉄離れと貨物局の強気 と、スト権スト - Wikipedia 荷主離れに色めく競合輸送機関 この辺りですね・・・大規模なストライキ対策・・・

 アメリカ様の占領政策として国産エネルギー源の否定とエネルギーの転換によって、日本の原油の輸入はセブン・シスターズの手に握られた・・・不穏な動きがあれば石油を断つことで日本を麻痺させることができるわけですからね・・・完全な輸入依存体制の確立ですね・・・日本政府はこれに便乗して組合潰しを達成・・・同時に、解体されたはずの財閥系企業への金の流れを作った・・・これによって、戦前の財閥の再生が行われていくわけですね・・・旧来の物流システムの破壊して、作られたものは大資本の傘下へ・・・

 1955年あたりから大きな転換へ・・・日本の産業構造に詳しい奴が日本をアメリカ様に売ったとしか考えようが無いですからね・・・アメリカ様に日本に石油の手綱を付けることを示して、日本の産業構造を大きく変革・・・トヨタがトラックから外されたのが1957年・・・つまり、強力な統制が行われていくわけですね・・・日本への手綱の石油とレッドパージとなると・・・マッカーシズム - Wikipedia こういった時代ですからね・・・このころの占領政策関連の事件を眺めると・・・在日米軍裁判権放棄密約事件 - Wikipedia ああ、それより簡単に・・・ここにまとめて出てるじゃん・・・岸信介 - Wikipedia 安保改定と反対運動 ここね・・・産業界での統制の外に・・・

警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫を頼り、自民党内の「アイク歓迎実行委員会」委員長の橋本登美三郎を使者に立て暴力団組長の会合に派遣。錦政会会長稲川角二、住吉会会長磧上義光やテキヤ大連合のリーダーで関東尾津組組長・尾津喜之助ら全員が手を貸すことに合意。さらに3つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請。ひとつは岸自身が1958年(昭和33年)に組織した木村篤太郎率いる新日本協議会、右翼の連合体である全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者も入った日本郷友会(旧軍の在郷軍人の集まり)である。「博徒、暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。最終計画によると1万8千人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。

 このレベルね・・・長距離トラックの運転手って・・・宿場宿場の親分さんの下に組織されていたような・・人を動かすには金が要るわけでね・・・というわけで、戦前からの特務機関系の連中にCIAが金を流す・・・結局は、日本の産業システムに熟知していて・・・戦時の統制経済をそのまま利用して、日本をアメリカ様に売って、CIAからの資金で・・・日本の産業の再編とスト破りの暴力団を・・・これをやらかしたのは誰かは明白ですね・・・ただ、金の流れは・・・CIAから旧特務機関・・・そして、これが資金団体となって政権奪取!旧特務機関とのつながりが強いのは・・・タングステンやニッケルなどの金属資源の買い付けですから・・・戦前の商工省であり戦中の軍需省で・・・戦後の商工省から通商産業省・・・通産省は解体された財閥を実質的に管理していました・・・そして、財閥の再建へ・・・私にとって新三菱が懐かしい響きを持つのはね。

 だから、1950年代に再生した日本経済というのは・・・戦時統制下の組織と同じだったという事ですね・・・もう一つのキーワードは東條内閣・・・これは、戦争責任を取らせるための内閣ですね・・・東條君が真珠湾攻撃を知ったのは、多分・・・陸軍大臣を兼務していたから・・・既に、開戦に向けての準備が進んでいますからね・・・

 木戸幸一日記の昭和16年10月13日の記事に・・・

昨今の情況にては日米交渉の成立は漸次望み薄くなりたる様に思はるゝ処、万一開戦となるが如き場合には、今度は宣戦の詔勅を発することとなるべし。

対米英戦を決意する場合には、尚一層欧洲の情勢殊に英独、独ソの和平説等を中心とする見透し及び独の単独和平を封じ日米戦に協力せしむることにつき外交々渉の必要あり。又、戦争終結の場合の手段を初めより充分考究し置くの要あるべく、それにはローマ法皇庁との使臣の交換等親善関係につき方策を樹つるの要あるべし

 こんな感じですからね・・・10月15日には・・・

 四時、近衛首相参内、来室、刻下の政情に就き、陸軍大臣との関係著しく緊張を見るに至り、陸相は日米交渉見透の問題につき此上首相と会見するときは感情的となるの虞あり好まずとの意を洩すに至りしを以て、到底此儘政治を担当し行くこと能はず、就ては東久邁官殿下御出馬云々は如何との話なりし故、余は大体今朝鈴木総裁に語りたる意見を述べ、尚、東條陸相が陸海軍協調の為め政策転回に同意したるものなりや、或は皇族に此困難なる問題を御解決願ふ意思なりや不分明なる点あるを以て、先づ之を確め置くことの必要を認め、鈴木総裁に電話を以て来訪を求む。
 近衛首相拝謁中、余は事皇族に関する問題なれば松平宮相を其室に訪ひ、今朝よりの経緯を話す。宮相は驚きたる様子なりしが意見は此際皇族の御出馬には反対なりき。

 というわけで・・・東條君が10月18日に首相になってしまうわけですね・・・これで、貴族政治家たちは地下へもぐって戦後を待つことになり・・・敗戦後の日本の復興を陰で・・・特務機関・・・海軍の航空本部の嘱託が有名ですが・・・これって統帥部系ですから大本営の陸海軍部の下ですね・・・で、軍需省とつるんでの戦前の体制の保持を行って来た・・・それが、1950年代に一気に形になって・・・CIAの資金とともに・・・統制経済によって高度経済成長が行われたのだろうとね・・・私はこんな風に考えているので・・・

 『日本:奇跡の年月』という教材には一体何が書かれているのだろうか。最初に書かれているのが50年代に連合国による占領期が終了し、国としての主権を回復した日本が、通商産業省(現経済産業省)、経済企画庁(現内閣府)、大蔵省(現財務省)を中心にどのような経済成長戦略を立てていったかだ。

 まあ、反共を利用して・・・戦前に匹敵する産業を・・・石油という新しいエネルギーを新しい革袋=産業システムに盛ったという事なのだろうとね・・・つまり、終戦時に隠した資産とCIAの秘密資金で再生を図った・・・となると、一般的な教科書では学ぶことはできないと思うわけでね。終戦で重臣会議の連中は隠れ・・・木戸幸一内大臣と平沼騏一郎枢密院議長の二人のみによる形式上の会議によって後継首班が選定・・・これで、皆さん地下に潜り、通産省を通じて行動したのだろうとね・・・

 特に前出の政府を中心とした経済復興システムや、若者が次々に起業し、世界を驚愕(きょうがく)させるようなイノベーションを起こしてきた文化は高く評価されている。

 日本だけではない。この時代の成長は世界の国々にとっても参考になる。なぜハーバードが日本の高度経済成長について熱心に教えているのかといえば、それが新興国出身の留学生にとって希望となるからだ。


 若者の起業は日本ではハードルが高いが・・・後見と資金の流れがあればね・・・通産省が強力だったというだけの話ですね。表向きの資金以外の金の流れがあった・・・これって、関東軍が勝手に資金調達していたパターンと類似ですからね・・・自前の資金があるから、中央の統制から外れてしまう・・・それだけですからね・・・表看板は色々と変わるが・・・裏の資金と企画者は戦前から連綿とと言う事でしょうね・・・この組織は・・・多分・・・戦国時代ぐらいまでは遡れそうな感じですからね・・・ただ、その手口からすると・・・平安時代後期辺りに成立していたかもね・・・と、壮大な妄想を・・・わ!すごく長くなったね・・・暇だとこんな遊びばかりしていますね。戦前の不思議な皇室と政府の狭間の組織・・・面白いね。

2018.04.24

  

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