現在をうろうろ(3834)
日本貧窮者経済新聞
 北朝鮮のエネルギー関連と大陸からの移送は・・・?(10)→この最初へ

 さて、前回の続きですね・・・会寧の22号管理所とか・・・特殊な名所をチェックして脱線したのでした・・・脱線ついでですから・・・そのまま、会寧付近の気になるやつ・・・

 左の奴ね・・・これも城郭の跡でしょうからね・・・42°39'25.4N 129°48'29.0E - Google マップ 冬に立て籠もる場所と・・・耕作期間の仮小屋による生活ね・・・金宗瑞 - Wikipedia この人が置いた六鎮関連なのか?鍾城、穏城、会寧、慶源、慶興、富寧・・この辺りに置いたわけですがね・・・国立国会図書館デジタルコレクション - 咸北要覧 附間島琿春 95コマ 城址 まあ、よくわかりませんね・・・

 どうやら、会寧22号管理所ってのは、かつての広大な国有未墾地の開発の中で作られたもののような感じですね。国立国会図書館デジタルコレクション - 咸北要覧 附間島琿春 125コマ 咸鏡北道略図 

 左の地図の辺りを眺めてきたというわけですね・・・

 御伽の国の会寧の22号管理所・・・一般に信じられている内容では・・・会寧強制収容所 - Wikipedia これって、面白くてね・・・

収容所では、トウモロコシ、ジャガイモ、ライマメの他、野菜類の栽培を課されているほか、酒や醤油の生産、炭鉱での採炭も行われているが、毎年1500人から2000人の収容者が栄養失調により死亡する。収穫した農作物を横領したとして処刑される者や、収穫ノルマを達成できなかったことを理由に警備員に殴られて死亡する者もいる。

 少なくて年間1500人が死ぬわけですから・・・毎日4人ほど死ぬわけですね・・・墓が大変でしょうね・・・一応、囚人のような管理でしょうから、逃げたのか死んだのか・・・そういった奴をチェックしているわけですね。

1990年頃には500から600人の保衛員と約1000人の警備員が勤務し、約5万人の囚人を収容していた。

 5万人分の台帳があって、これが毎年1500〜2000名が更新される・・・10年間で・・・スタート5万人で・・・毎年1750人が補充される・・・10年間で17500人が死んでいくね・・・大正14年の統計では咸鏡北道の人口は619800人・・・会寧郡の人口が36534名ですからね・・・毎日4人も検視して書類を作って台帳を更新していく・・・

 政治犯収容施設とされているのが・・・42°32'29.2N 129°56'12.2E - Google マップ ここのようですね・・・結構まともな家に暮らしているような・・・普通に石造りの塀があって・・・標準型の1戸建てね長屋じゃない奴・・・No.22 Prison Labor Camp, Hoeryong, DPRK これを参考にしていますが・・・NK chosun ここの記事からの情報を元にしてのものですが・・・

 周囲は普通の畑、監視塔の付いた高い塀で囲まれていない・・・飢えていると・・・周囲の畑を・・・?戸建てですから、台所は?なければ、食い物を運ばなければならないか・・・食いに行かせなければならない・・・普通は囚人には火などを扱わせないから・・・大きな建物の監房に収監するわけですからね・・・どうも、建物の大きさの微妙な差を見ると役人用の住居に見えるのですがね・・・

 高級政治犯には自治が認められていて・・・役職が存在して・・・上席政治犯の下に次席政治犯とか・・・この写真の建物のサイズと数の関係からすると・・・どうも、馬鹿なことを考えちゃいますからね・・・軍事基地の場合だと明らかに階級によって住居のサイズが違っているように見えますからね・・・

 会寧の炭鉱から多量の炭鉱夫の消滅と同じころに炭鉱夫が湧いたところがあってね・・・日炭線 - Wikipedia この終点が40°51'34.3N 129°16'20.6E - Google マップ ここ、日炭駅だったのですが、これが延長されて・・・2010年以降、2013年には鉄道は開通しているようですね・・・右が、炭鉱が開かれる前・・・ロールオーバーを組んでありますから、カーソルを乗せると、2015年の様子ですね・・・これだけの人口移転がある・・・そして、建物は全て同じ規格のものですね・・・たぶん、平の労働者の街ね・・・

 右の写真の街の日炭線の新しい終点が40°49'27.1N 129°18'03.8E - Google マップ 非常に短期間で延長されていますからね・・・橋梁工事もやっているわけですから・・・非常な強制労働で沢山の死者が出たという話も聞きませんからね・・・毎日4つずつ墓穴を掘らなければならないような感じだったのか・・・?

 会寧炭鉱で消えた連中は・・・ここの新しい仕事を得たのではないかとね・・・会寧の炭鉱夫が大量に消えたのが2012年・・・ここに炭鉱夫が湧いてきたのも同じころ・・・炭鉱夫の需要があるのに殺すかね・・・?単に、労働力ってのは貴重なものだというだけですからね・・・少子化で労働者が激減していく中で・・・小さな普ちゃんが泣いているわけですからね・・・

 会寧の収容所は不思議なことに、収容者の脱北はあまり聞きませんが、看守だか警備の者が脱北していますね・・・どうも、話の辻褄が合うのか合わないのか・・・?私には良く分かりませんね・・・とにかく、御伽の国は面白いね・・・ただ、炭鉱が廃坑になるとね・・・夕張市の例などを見れば人口がどうなるかが分かるがね・・・夕張市 - Wikipedia 1970年で炭鉱数は9で従業員は9617人ね・・・

 1990年に三菱南大夕張鉱閉山で閉山時点での従業員数は800名ほどのようですからね・・・PDF waseda.jp 北海道夕張市における地域開発と社会運動 これを見ていますがね・・・Welcome to Adobe GoLive 6 ここからのリンクのPDFね・・・

 結局は、炭鉱は掘りつくすと別の所へ移動しなければならないのでね・・・この新しい炭鉱の開発に先立って、この地域の農業生産強化、特に肉類の増産のための家禽飼育場などができていますからね・・・計画経済もそれなりに考えて行われているという事ではないかとね・・・

 社会科学的なアプローチもなかなか面白いが・・・社会科学は守備範囲が広いから・・・社会科学なんって、本気で学ぶ人間ているのかね?高校の基礎理科、後の理科Iのような感じの奴ですからね・・・あっさりやれば入門で終わって・・・本気で掘り下げると全分野を網羅した上で・・・更なる高みへ・・・まあ、知識量が今より圧倒的に少なかったカント君の時代なら哲学を深めるために地理学、自然学、人間学なども講義できるだけの知識を蓄えることが出来るでしょうが・・・カントだって46歳になるまで真っ当な大学教授になれないですからね・・・この時代でもこれだけの時間が必要ですからね・・・今は・・・死んでも学ばないと・・・追いつかない・・・カントは・・・膨大なメモと草稿を残していますが・・・まとまった著作に仕立てられずに終わりますからね・・・私の母の妹の旦那の親父さんが高名なカントの研究者でしたがね・・・雑司ヶ谷でも・・・ああ、もう4月か・・・また、命日に行きそびれている・・・いつもそうだね・・・まあ、私には、その研究者の血は流れていないしね・・・膝の上に乗ったことがあるぐらいですね・・・

 カントといえば学生時代・・・指導教授にカントの原書講読・・・大学院の奴に出ないかというので・・・2か月ほどで果てましたね・・・だって、難しいんだもの!今なら、機械翻訳とドイツ語の読み上げ機能などを駆使すれば・・・かなり楽だね!まあ、原書のテキストを探してきて、機械翻訳と原書の読み上げを3回ほど一緒について読めばOKだろから・・・辞書を引く手間が省けるしね・・・わからない単語は、その単語を検索すれば用例は、普通の文章の中で山ほど現れますからね・・・・gutenberg.org The Project Gutenberg EBook of Kritik der reinen Vernunft (1st Edition) by Immanuel Kant ふむ・・・Google 翻訳 まあ、上手く行くじゃん・・・なかなか便利・・・くだらない事ばかりやっているね・・・

 偉大なカント君がメモと草稿の山積みを部屋の中でやっていた・・・私は、ネット上でやって遊んでいるわけでね・・・中途半端でも、まあ・・・公開中ね・・・学問ごっこも面白いかもね?さて、一旦切るか・・・既に2100を過ぎているから、ここまでをアップロードして終わりかな・・・一旦切る!

2018.04.03

  

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