現在をうろうろ(3809)
日本貧窮者経済新聞
 オリンピックが平和の祭典だと理解できない人たちがいるようで・・・・?(30)→この最初へ

 さて、前回の続きです・・・オリンピックが「平和の祭典」だと理解できない安倍ニッポンの 平壌 五輪勘違い 日仏共同テレビ局フランス10 どうも・・・政治的なことには、私は疎くてね・・・というより、理想を掲げる政治家がいないという感じでね・・・それによる、政治不信が私の中にあるようでね・・・法の支配などは当然の事なのに、なんだかそれしか叫べない・・・法が無いような場所に法を叫んでも無意味だしね。法の無いところに法を打ち立てる努力もしないで・・・馬鹿としか言いようがない・・・

 法って奴は、話し合いの中で見いだされるものだと思うのでね・・・判例法のようなものですからね。問題と、それに対する話し合いの結果・・・それまでの慣例や・・・みんなが良いと思われるものを持ち寄って考え、納得した内容という奴ね・・・話し合った人たちの間での新たな確信によって生み出されたものという感じですかね・・・

 小さな普ちゃんは、法の支配という奴を叫ぶが・・・残念ながら、小さな普ちゃんの頭の中には話し合いという概念が欠落しているから・・・自分にとって都合の良い法しか頭にないようですからね・・・まあ、自分にとって都合の良い法空間の創造が好きみたいですね・・・既に、独裁を考えているようですからね・・・自民党の憲法草案では、非常事態宣言によって・・・法律と同等の効果を持った政令を発することができますから、何でもありになる・・・だから、既に立法府の長も自認しているのでしょうね・・・これに、忖度裁判官を揃えれば・・・独裁国家のポチ国ができるが・・・アメリカ様は独裁国家は認めないでしょうから・・・どうなるのやら?

オリンピックは政治的イヴェント、そこで問われるのは「正しい政治」
五輪の金メダルは取れなかった浅田真央だが、フィギュアの表現の流れで最終的に勝利したのは彼女であり、キム・ヨナ的な男性目線の「女らしさ・色気」はすっかりこの競技から消え、男子の方でも羽生結弦を初めとするアジア系選手の繊細さと柔軟性を活かした表現が西洋的マチズモの「男性性」を淘汰してしまった。たとえば今大会のアメリカ代表の1人アダム・リッポン選手はゲイ的な表現をあえて前面に押し出したプログラムを演じている。思えばヴァンクーヴァー大会の時にそれまで女子しかやっていなかったドーナッツ・スピンなどの技を見せつけたのがデニス・テン選手(ソチ五輪銅メダル、カザフスタン)だった。

 マチズモか・・・というより、単に氷上での滑らかな動きという奴にマッチョが似つかわしくないというだけではないかと思うのだが・・・?キム・ヨナ的な男性目線の「女らしさ・色気」は不要というより・・・単に、繊細さと柔軟性を活かした表現が重視されるだけの話になった・・・中性化したというだけでは・・・氷上での動きが・・・ある意味様式化して、その表現と組み立て・・・音楽性などの総合芸術の域に達しただけの話ではないかと・・・ある意味、既に競技性は失われているという事ではないかとね・・・

 但し、キム・ヨナ的な男性目線の「女らしさ・色気」西洋的マチズモの「男性性」は?これが、フィギュアのペアの競技で現れなかったら、ペアでやる意味がない・・・まあ、男男・男女・女女・・・とかのペアで表現するにしても優美さの中に男女というものを意識した表現になるのでしょうがね・・・まあ、芸術性を追求すると・・・荒々しさは稚拙につながりそうでね・・・

 まあ、単にバレエの国際コンクール的なものになっているという感じですかね・・・まあ、バレエのスポーツ版が、新体操やシンクロナイズドスイミングであったりフィギュアスケートであったりと・・・音楽の要素が演技の土台になっているから・・・それだけの話ではないかと・・・音楽があっての競技・・・

フィギュアスケートのように芸術性が問われる競技はある意味例外とはいえ、スポーツには短絡的な国威発揚(要するに「我が国が勝ったから我が国はスゴい」的な安直さ)の政治効果があってそこはオリンピック憲章が厳しく禁じている一方で、これが「平和の祭典」と呼ばれることに集約される意味での政治性は、元から意識されて当然のものだ。

 オリンピックは・・・国と地域を強く意識させるイベントですからね・・・考えようによっては「国と国との果し合い」であるわけですからね・・・だから・・・参加することに意義があるとしなければならなくなる・・・まあ、相手がいないと競技ができないのでね。それだけの話ですがね・・・まあ、芸術性の前では短絡的な国威発揚(要するに「我が国が勝ったから我が国はスゴい」的な安直さ)の政治効果は薄いというだけの話でしょうね・・・良いバレエを見たのと同じ・・・優劣より満足感を与える舞台・・・という感じでしょうからね。つまり・・・身体的に強靭だから勝!ではないだけですからね・・・

もちろん一方で、身体的な能力を競い合うこと自体には「健全な精神は健全な肉体に宿る」的なファシズムのメッセージも入り込みかねないが、だからこそオリンピックにはパラリンピックも併設されているし、近年ではドーピングについて厳しい態度が取られ続けているのも、かつて冷戦期にオリンピックが東西両陣営の力の見せつけ合いに堕したことへの反省が込められている。

 健全な精神は・・・健全な生活によって育まれるという気がしますがね。まあ、健全な生活によって健全な肉体が生まれるわけですが・・・問題は、健全な生活が・・・どのような価値観で行われるかの問題ですね・・・ナチスがやったのは・・・若者から始めることで、新たな確固たる価値観の定着・・・ゲルマン超人とかニーチェ君の系譜にあるやつですかね・・・

 私だと、この辺りから・・・ニーチェの初期の著作の「悲劇の誕生」あたりから・・・造形芸術としての肉体・・・理性的なアポロンと、音楽芸術の情動的なディオニソスでも並べて・・・双方を持つものを最高の芸術をとか・・・タイムという理性だけによる競技と、規定された動きの完成度と情動が問われる競技・・・情動が問われる競技は・・・競技というよりは芸術なのだとね・・・ふむ・・・ああ、ちょっとわかったよ・・・こと1936年のベルリン・オリンピックはヒトラーの白人至上主義のプロパガンダに利用された。聖火リレーはこの大会から始まっているが、ドイツ民族がその白人のなかでも最高位の、ギリシャに始まる「文明」の正統後継者だと言いたいのが露骨だった。・・・・ギリシアに始まる「文明」の正統な後継者・・・ニーチェ・・・ただ、ナチスがワーグナーびいきですから、やはり中世のドイツがモデルで、ニーチェのギリシアに始まる「文明」とは違うような気がしますがね・・・ああWille zur Macht か・・・ナチつながりだとね・・・力への意思・・・勝つための意思とでもした方が良さそうな気がしますがね・・・力の見せつけ合いに堕した・・・相手をへこませる意思の表現としての競技ね・・・思い知ったか!西洋的マチズモの「男性性」・・・競技の種類の問題もあるという事でしょうね・・・

 競技もまた、何らかの表現手段ですからね・・・さて、野菜いじりだね・・・暖かくなってきたから原チャリで・・・戻りました。今日も、種蒔きと植え替えですね・・・植え替えは・・・まず、しないのですが・・・ちょっと、色々と整理する都合もあってね・・・あまり土をいじりたくないだけでね・・・嫌いじゃないですが・・・とりあえず、色々と再編中ですね・・・いま気になるのは・・・種子の寿命だね・・・そろそろ寿命が尽きる種子が出ますからね・・・さて、続きを・・・

東京五輪の招致を決めた当時、東京都で考えていたのは高齢化社会に備えるバリアフリー化の必要をパラリンピック大会を使えば世論を納得させられると踏んだからでもあり、当時の猪瀬知事が政権の「復興五輪」に押し切られてしまった感はあっても、パラリンピックをアピールすることで障がい者への偏見を払拭しようという優れて政治的な流れは小池都政でも続いている。IOCとWHOがオリンピック開催都市に禁煙キャンペーンを義務づけているのも、喫煙ががんだけでなく高血圧や動脈硬化などの生活習慣病との強い関連性が指摘されるなかで、医療費や社会保障費の将来的な増大を抑える財政の観点からも重要な政策になるはずなのだが、日本政府はまったく遅れている。

 まあ、日本はなかなか変わらないでしょうね・・・結局は、利権の問題もあるしね・・・高齢化社会に備えるバリアフリー化・・・具体的なビジョンが出たっけ?というより・・・バリアフリー化のためには、家の中では靴を脱ぎましょう!が否定されますからね・・・段差のない住宅・・・日本家屋ではなくなる・・・段差で空間を規定する日本家屋の伝統が破壊されるわけですからね・・・手すり、段差のない室内、車いすで通行可能な廊下・・・住宅規格が変わりますからね・・・バリアフリー化推進要綱 どんな空間を想定しているのかわからないね・・・結局は、日本の狭いところに詰め込む文化を否定しないとね・・・ああ、頭の中に余計なものが浮かんだよ・・・宝珠山立石寺・・・いわゆる山寺ね・・・バリアフリー化はどのように実現するのか・・・?車いすで入れるというより、車いすを超えた、歩行型の移動手段でもあればね・・・健常者と同じ占有空間で移動を可能とするテクノロジー・・・こちらの方が良さそうな気がするがね・・・実現可能かどうかではなく、夢としてね・・・立位の視線が確保できるとか・・・

 私は単純だから、リアルタイムのバーチャル・リアリティーで満足できちゃうかもね・・・食い物の楽しみが・・・とかになるが、放浪癖を満足させるには・・・グーグル・アースとか、ストリート・ビューでもかなり満足しちゃいますからね・・・実際に行くより詳細な見物ができたりしますからね・・・時間の流れを止めての眺めですから・・・現実に出向くと、時間の流れの中に埋没するものが多くてね・・・意外と、風景を見ずに・・・人の流れを見ていたりもしますからね・・・人がいるというのが重要ですからね・・・人が感じられる場所・・・廃墟だって人を感じられますが・・・手付かずの自然とかは、圧倒されるだけだったりしますからね・・・

あるいはアメリカで進むセクハラ、性差別の糾弾の動きで露見したなかでも最大最悪のスキャンダルは、女子体操のアメリカ代表チームでチーム医師が永年に渡り選手に性的虐待を繰り返して来たことだろう。これは浅田=キムのライバル関係に「真央ちゃんはもっとお色気を」と言っていた日本のワイドショーのオジサン・コメンテーターたちにも通じる歪んだ男権主義の政治性の問題でもあるが、スポーツは身体をめぐるものだからこそ常にこうした政治性のせめぎ合いの場にもなり、そのなかでいかなる立場が正当なものとみなされ、どういう態度が取られるべきなのかがオリンピックだからこそいかにはっきり示されるのかについて、なぜか日本のメディアや世論は恐ろしく鈍感だ。

 はあ?歪んだ男権主義の政治性の問題かぁ〜?ふむ・・・男尊女卑、その割には・・・女性の価値を認めている・・・搾取されるものとしての女性かね?搾取するだけの価値がある・・・男尊女卑は、無価値な男の代償物かね・・・?生産的である事より、暴力的な破壊が価値あるものとすることで、破壊という無価値な行為を正当化するのか・・・単なる、馬鹿かね?

 男の価値は、力仕事だけなのかね?女性より速く(Citius)、女性より高く(Altius)、女性より強く(Fortius)・・・しかし、芸術性の問題になると・・・女性の価値が高まる・・・身体能力の高さしか、男にはアドバンテージが無い・・・国際法で戦争が禁止され、対話による平和の時代に対抗する・・・体だけでかくて、幼児のような頭しかない男の出番は無い・・・という事か?それに対する抵抗で・・・西洋的マチズモの「男性性」の強調かね?

 ああ・・・ちょっと繋がった・・・繊細さと柔軟性を活かした表現が西洋的マチズモの「男性性」を淘汰・・・これね。文化的になって・・・歪んだ男権主義が政治問題になる・・・繊細さと柔軟性の欠けた、力ばかりの馬鹿の出番は無い・・・それだけだね・・・女子体操のアメリカ代表チームでチーム医師が永年に渡り選手に性的虐待・・・虐待の事実だけで、お払い箱になる世の中の実現が近くなっている・・・腕力もあって、倫理的にも論理的にも優れて、言葉だけで人を守れる男が要求されている・・・

 制裁だ!「私はぶれない」=「強制し奉りても所信を断行すべし」とかの頭の悪い解決手段しかできない情けない政治屋君の世の中ではなくなりつつあるわけね・・・小さな普ちゃんの口利きで、国民と陛下の財産の横流しなど・・・その気配もあれば、一瞬で小さな普ちゃんがゴミ箱行きになる社会が生まれようとしているという事かね・・・正義・誠実・・・そういったものを基調とする社会の実装が目標なのだろうが・・・力に頼るだけの情けない政治屋君たちが多くてね・・・俺には権力がある!従え・・・私には権利がある、正義がある!従いなさい・・・腕力だけの馬鹿な男が生きにくい時代になる・・・という事ね。

かくも無自覚な、歪んだ政治性に染まった日本での今回のオリンピック受容のなかで、やはり際立って特筆すべきが、スピードスケートの女子ショートトラック500mで金メダルとなった小平奈緒選手の見事な振る舞いだろう。この競技の世界記録保持者で金メダルの最有力候補は韓国のイ・サンファ(李相花)選手だった。女子スピードスケートがオリンピックのメダルからいささか遠ざかっていたのと、元からフィギュアスケートほどの人気の注目競技でなかったので、浅田真央=キム・ヨナのライバル関係に仮託されたほどの韓国憎悪の狂乱にまでは幸い至っていなかったとはいえ、似たような構図はレースの直前ともなるとやはりずいぶん強調されていた。

 民族主義者は競技を民族の果し合いと考えるから仕方ないじゃん・・・しかし、タイムを争うという理性的なものですから・・・理性に支配されるから・・・騒げない・・・それだけじゃん。事実を認めないわけには行かない・・・ニーチェのアポロンの領域の話ね・・・だから韓国憎悪の狂乱にまでは至りえない・・・事実だけで判断できるから・・・タイムでは負けたが、負けていない!は負け惜しみでしかないから・・・浅田真央=キム・ヨナのライバル関係に仮託というような情動が入り込む余地が無いだけだね・・・久々にニーチェを利用していますがね・・・私の知識もかなりカビが生えてきているね・・・ちょっと、知の系譜を学びなおす必要がありそうだ・・・まあ、遊びですから・・・

試合とは別にこんな妙な重圧まであることを知ってか知らずか、自分にこそ集中して圧巻の滑りを見せたあとの小平選手の振る舞いはまことに美しく、それもごく自然なものだった。しかも小平選手、イ選手双方がレース後に明かしたのは、ライバルであってもプライヴェートでは親友どうしだったこと、小平選手もまた過去に何度もイ選手に助けられて来たことだった。表彰台に向かう前に緊張した面持ちのイ選手を小平選手が後ろから手で触れてリラックスさせたのもいかにも自然で微笑ましい光景だったし、親しくなったきっかけのひとつが、韓国で空港への行き方が分からず途方にくれていた小平選手に、イ選手が親身に教えくれてタクシー代も出してくれたことだったとも、小平選手は明かしている。

 タイムという理性的なものですから・・・力の誇示より、親切さを示すことの方が偉大な世の中になりつつあるだけでね・・・これを、女性化という奴らもいますが・・・さて、女性化というのが文明化なのかもね・・・力の漲る身体美と優美さの身体美の問題ね・・・ああ、力や権力を誇示するしかない馬鹿な男は絶滅の危機に瀕しているわけね・・・長々と眺めましたが、この記事の意図することは何?いろいろ並べたから、勝手に感じろというだけかね・・・?

2018.03.26

  

関係ないが興味深いもの
 今回は無し

時々チェックすべきもの


 首相官邸ホームページ
 国会提出法案|電子政府の総合窓口e-Gov イーガブ
 The White House
 U.S. Department of State
 United States Department of Defense (defense.gov)
 世界のビジネスニュース(通商弘報) - ジェトロ
 銘柄一覧 日本取引所グループ

 聯合ニュース
 AJW by The Asahi Shimbun
 日刊ゲンダイ
 List of national newspapers - Wikipedia, the free encyclopedia
 一般社団法人 日本経済団体連合会 - Keidanren


食べ物が・・・

 野菜ナビ

inserted by FC2 system