現在をうろうろ(3755)
日本貧窮者経済新聞
 幕末資料と泉州堺の鉄砲鍛冶の太平の世の鉄砲生産は・・・?

 ふむ・・・幕末資料が色々と出てきたのかね?「堺の鉄砲は江戸後期に衰退した」は的外れな通説? 幕末も大量受注 1万点超の古文書を精査(1-2ページ) - 産経WEST 幕末の異国船打ち払い関連で・・・武器商人が栄えたと私は認識していたが・・・堺の鉄砲って江戸後期に衰退した・・・これって通説なんだ・・・私は、太平の世で・・・装飾的な兵器を作っていて、鉄製品の生産の一部だと思っていたので・・・別段、堺の鋳物師連中が鉄器を作りまくっていて、それが中心になっただけだと思っていましたがね・・・

 戦国から江戸時代にかけて鉄砲を多く生産した堺で、大規模な戦争がなかった江戸時代後期でも、盛んに鉄砲が作られていたことが、堺市にある鉄砲鍛冶屋敷で見つかった史料で分かった。「平和が続いた江戸時代中期以降、堺の鉄砲産業は斜陽化した」という長年の通説を覆すことになり、堺市の担当者は「外国からの船に備え、海岸線の警備に使ったのではないか」と分析している。

 荘厳具としての鉄砲に太平の世になって変化したのは確かですね・・・堺の街自体が南北朝の頃に成立して、足利時代に外国貿易の伸長で、商工業の興隆が見られた・・・文化的な中心地へと変貌・・・堺が国際貿易港でなくなるのは?東洋のベニスですからね・・・秀吉が1586年に堀が埋められ港湾都市として終わりを告げて、大坂夏の陣で1615年に焼失・・・ここから幕府直轄として再建されて行くわけですね・・・国立国会図書館デジタルコレクション - 堺市史. 第1巻 本編第一 19コマ

 大正13年の町割りの様子ですが・・・まあ、江戸時代の町割りと大差がないのではないかと思われますね。堺は空襲を受けて壊滅していましたっけ・・・

 きれいさっぱり焼かれて・・・昭和23年の航空写真ですね・・・再開発を行うには戦争が良いのかね?小さな晋ちゃんは盛んに戦争の出来る国になろうとしているが・・・戦争を仕掛ければ、完勝したとして相手国をここまで破壊することになる・・・何を考えているのやら?

 こういった焼け野原を作り出すために日夜、小さな晋ちゃんは先に北朝鮮に引き金を引かせるべく努力という感じですかね。

 まあ、核の火で焼かれるのも面白いかもしれないし・・・しかし、商工業の中心というのは戦争での目標になる場所なのかね?アメリカ様は無差別爆撃とかが好きでね・・・戦時国際法では禁じられている事でも、軍事産業だけでなく商工業の破壊をやりますからね・・・小さな晋ちゃんのポチ国もそれに習って、北朝鮮を焼け野原、北京も焼け野原にしたいのでは・・・?

 堺というと、酒や醤油、包丁・・・金属加工業で明治時代には自転車とかね・・・旧堺港が幕末に作られて・・・それ以降の様子ね・・・右は旧堺港の先がかなり埋め立てられている・・・概ね了解・・・

 河内鋳物師の系譜にあるわけで・・・戦国時代にハイテク兵器の火縄銃の製造を鋳物師や鍛冶連中が行い、太平の時代は・・・銃や刀剣も作っていたが鍋・釜・包丁などが主力になったのではないかとね。鉄鍋自体だって・・・高価な工業製品ですからね・・・庶民は土鍋じゃないかね・・・昔のツルのついた土鍋などはツルが鍋の内側についていて、炎で焼けないようになっていたりとね・・・外にツルのつく奴は、炎除けの羽が出ていて・・・羽釜も蓋が炎で焼けないようにあの形になっていたのだろうと・・・特に竈にかけるための羽というわけではないと思うのだが・・・?まあ、どうでも良いか・・・

 さて、いまの防衛産業も・・・他で儲けられて、それなりに政府が高く買い上げてくれるから成立しているようなものですからね・・・だから、技術を温存する程度の受注はあったのだろうとね・・・要りもしない刀も作られ続けるわけですからね・・・

 堺市と関西大が、江戸時代に建てられ、現存する最古の鉄砲の生産現場が残る鉄砲鍛冶屋敷「井上関右衛門(せきえもん)家」(堺市堺区北旅籠(はたご)町西)での共同調査を実施。この中で、17世紀後半から幕末にかけて鉄砲の受注などに関する古文書約1万1700点を精査した。それによると、大名や旗本からの鉄砲の新調の注文は、宝暦2(1752)年は約30丁だったが、その後注文量は増加し、幕末の元治元(1864)年には約230丁に増えたことが確認された。

 まあ、堺市の担当者は「外国からの船に備え、海岸線の警備に使ったのではないか」と分析・・・この通りではないかと、各地に陣屋がおかれて・・・海岸防備を行うわけですからね・・・所によっては、お寺の梵鐘を大砲に見立てて・・・とかやっているわけですからね。開国によって海外の銃が入り・・・ゲーベル銃は簡単にコピーできたようですが、燧石銃ですから・・・引き金を引くと燧石が金物に当たって火花を出して、この火花が火薬を添加してズドン!で火打石のショックを感じ、火薬の燃焼によるショックを感じますから・・・命中精度が低い・・・火縄の匂いがしないので、待ち伏せにはアドバンテージがありますが・・・それほど食指が動かなかった・・・?ライフル銃は鉄砲鍛冶には無理だというわけで・・・ライフルカッターやブローチ盤でのライフリングの切削加工や、ライフル・ボタンやコールドハンマー法による塑性加工が工場で行われるようになるわけですね。さすがに鍛冶屋で叩くと言ってもコールドハンマー法は無理でしょうからね・・・

 さらに古文書のうち、「諸家様方御出入先名前帳(しょけさまがたおでいりさきなまえちょう)」には、天保13(1842)年の堺の鉄砲の取引状況が記載されていた。堺全体で239の大名・旗本から受注があり、このうち井上家が61を占めていたという。

 ん!井上家ね・・・ここは士分ですからね・・・5人扶持とか補助金が出ますからね・・・名家で大手の鉄砲鍛冶ですから

 調査を行った関西大の藪田貫(ゆたか)名誉教授(日本近世史)は「戦はなくても、参勤交代の際に武士は銃を持つなどの用途はあり、新型の銃は次々と開発されたため注文が増えたのでは」と指摘した。

 井上違いの井上外記・・・こちらは鉄砲鍛冶ではなく砲術家ですね・・・こちらが色々と新しいのを提唱していましたっけ・・・ガトリング・ガンのような多銃身の連発銃とかね・・・六雷神機だっけ・・・色々となんだかんだで火縄銃にもバリエーションがありますね・・・銃口の部分が大きくなっているのが堺の鉄砲だっけ?

 井上家当主の井上修一さん(74)は「こんなに貴重な資料が出てくるとは思わなかったので、びっくりしている。身を引き締めて後世に伝える努力をしていきたい」と話している。

 井上家ではこのほか、当時の堺の様子などを記した古文書も見つかっており、堺市や関西大はさらに調査を進める。

 色々と捨てたりしていなければ出てくることになるのでしょうね・・・しかし、そのうち・・・古いハードディスクも古文書のような扱いになっていくのかね?1980年代のハードディスクなど・・・ワープロのデータなどは解析しないとテキストデータにならなかったりですからね・・・

 鉄砲と堺 戦国時代にポルトガルから種子島に伝来後、堺に伝えられ、鉄砲の一大産地となった。港があり、古くから優れた技術者が多かったことなどが背景にあるとされる。井上家は承応2(1653)年に初代が関右衛門を名乗り、鉄砲鍛冶に。伊予・大洲(おおず)藩からの受注などで急成長し、江戸時代後期には全国有数の鉄砲生産量を誇るようになった。


 古くからの技術で製造可能な最新の道具って奴は経済発展には良いね・・・

2018.03.04

  

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