現在をうろうろ(3508)
日本貧窮者経済新聞
 黒死病はペストだね。天然痘患者が北朝鮮から日本へ送られる?馬鹿かね・・・?(2)→この最初へ

 さて、前回の続き・・・【野口裕之の軍事情勢】朝鮮戦争最大の危機「黒死病=ペスト蔓延」疑惑とは? 北の天然痘罹患工作員に備えよ!(1-9ページ) - 産経ニュース これね。

 言うまでもなく黒死病(ペスト)の致死率は高い。14世紀の大流行は、世界人口を4億5000万人から3億5000万人へと減少させたともいわれる。医学は大いに進歩したが、朝鮮国連軍のみならず、朝鮮人民軍や中国人民解放軍にも伝染し、朝鮮半島は手足に壊死を起こし全身が黒いあざだらけの将兵であふれかえる悪夢が想定された。

 はあ?とりあえず。1890年頃からペストのワクチンは存在しているようですからね・・・14世紀の大流行とは事情が違うと思いますが・・・?そして、1945には抗生物質が現れていますから・・・それほど凄い恐怖であるとは思えないのですが・・・?まあ、戦時だから・・・?

朝鮮人民軍に偽装した決死隊
 結局、診断を下す決死隊が組織された。

 日本や韓国で配置に就いている軍医の中で、適任者が一人だけいた。かつて満州で黒死病(ペスト)が流行した際、志願して渡満してペスト患者を診察した専門家だった。《黒死病(ペスト)の蔓延危機》時も志願した。

 だが、階級は准将と将軍。階級に伴う部隊編成を重んずるマッカーサー元帥は難色を示したものの、准将はねじ込み極秘任務に就くに至る。

 ふむ・・・軍医で准将?・・・適任者が一人だけいた・・・階級は准将と将軍・・・何で2人になるかね?准将でこれは将軍 の「と」を使っているのか・・・この時期の軍医のお偉いさんは・・・クロフォード・F・サムス - Wikipedia この人かね?満州でのペストの流行か・・・?1929年に医学博士になっていますね・・・16歳で少年兵として第一次大戦に従軍し、・・・Valor awards for Crawford Fountain Sams 機械翻訳だと・・・

 1951年3月13日と14日、サム司令官は、韓国の敵の侵略軍に対抗して臨時の英雄主義によって自分自身を区別した。Sams将軍は、敵軍の職員の間で疫病の可能性のある可能性を個人的に判断するという危険な任務が敵の領土に深く浸透するよう指示した特殊作戦グループの責任者として、まれな区別を唱えた。陸上から他の陸上当局が捕獲され、敵に知られていることが分かり、罠に陥る可能性があるという情報があったにもかかわらず、サムスン将軍は任務を続けた。サムスン将軍と彼の3人のパーティーは、暗闇の蓋の下で敵の岸辺の要塞と潜在的な脅威の潜在的な脅威を捕らえ、3人の党は、1951年3月13日の夜、2000に海岸のランデブーから小さな船に乗り、その後4人のゴム製ラフトに移り、3時間後に陸上に到着した。ビーチに着くと、彼は内陸に進み、フレンドリーな人員を尋問し、軍の病院や地元の村を含む敵の領土の持続的な個人偵察によって得られた重要な情報を評価した。1951年3月14日の0230で、サムスン将軍は、海上ランデブーに戻って、韓国での国連武力行使の即時実施に重要な情報を提供した。

 3月13日20時から3月14日の2時30分までの間の出来事に対して殊勲十字章が贈られたわけですね・・・この作戦に関しての記述が・・・Operation Sams Defense Media Network ここにありますね。

サムス准将は・・・
 1902年セントルイスのミシシッピー川の対岸のイーストセントルイスに生まれる。
 第一次大戦に1年従軍
 1922年カリフォルニア大学バークレー校に在学中にカリフォルニア州兵になっていますね・・・これって、奨学金の為かね?
 1925年に野戦砲兵学校を卒業、ここで医者の道を志して大尉で除隊、メディカルスクールへ入って
 1929年に医師になって中佐に任命されて現役へ
 1941年12月 エジプトで任務に就きエジプトのポートサイドなどで医療に従事、感染症の知見を得る・・・これが、かつて満州で黒死病(ペスト)が流行した際、志願して渡満してペスト患者を診察した専門家だった。・・・この事のようですね。満州へどんな風に入ったのか気になったのでね・・・政府の公文書を漁って・・・南満洲ペスト流行誌 興味深い本を眺めているんですが・・・これはいいや・・・明治時代の防疫の記録ですがね・・・なかなか良くできている。

 この作戦の海軍の人間はEugene F. Clark - Wikipedia この人ですね。伝説的な人物・・・この項目の中に出てくるSouth Korean officers, Lieutenant Youn Joung (Navy) この人物が延禎 という事ですね・・・段々人物が見えてきましたね・・・

 1951年3月に作戦は敢行された。
 長崎県の佐世保軍港を出航した米海軍の駆逐艦を降りた延氏や軍医准将らは消音器付の高速艇で沿岸へと近づき、そこより先はゴムボートを使用した。上陸地点の手前で、合図のライトを点滅させると、同じように点滅した光が返ってきた。
 砂浜に上陸後、数人の黒影が。
 延氏が低い声で何かささやくと、相手も声を出した。現地の潜入工作員との間で決めてあった符牒であった。


 このときに使われた駆逐艦はウォレス・L・リンド (駆逐艦) - Wikipedia これであるようです・・・

1951年3月15日、元山地区に対して7隻の艦艇が砲撃を行い、敵の死傷者が約6,000名生じたことが報告された。午後には沿岸砲台から湾内の艦艇に対する砲撃が行われ、駆逐艦からは直ちに反撃の砲撃が行われた、沿岸砲台は砲撃を受け、半島ではいくつかの爆発が生じた。3月17日、ウォレス・L・リンドは元山南部から海岸沿いに独自に哨戒した。高城に対して砲撃を行い、Suwon Dan 灯台南に位置する、偽装された沿岸砲台を沈黙させた。

 この辺りで活動していたわけですね・・・じゃなくて・・・Operation Sams Defense Media Network ここの内容ですね・・・

 元山沖の小島に拠点があって、そこを介して元山との連絡を取っていて・・・上陸地点は・・・Clark finally found a promising landing site south of Wonsan, near the small village of Chilbo-ri. Final arrangements were quickly made.  元山の南の七宝里?へ・・・駆逐艦からWhaleboatに乗り換えて、さらにゴムボートで上陸ですね・・・消音器付の高速艇で沿岸へと近づき・・・これがWhaleboatかね?現在の沿岸警備隊なども使っていますね・・・日本だとカッターと言った方が良いのかね?Whaleboatは基本的に帆走はしないですからね・・・本気の捕鯨では、だって帆は邪魔じゃん、白鯨でも久々に読みたくなったね。私の古い船舶の知識はメルヴィルの白鯨に負うところが大きいのでね。まあ・・・大型のカッターは帆走ができますから、ちょっと性格が違うかな・・・?メルヴィルが捕鯨船に乗るのは1840年ですから・・・帆船の時代ですね・・・蒸気船はこの50年ほど前に発明されますが・・・じゃなくて、多分・・・エンジンボートではなかったのでは?

 3月12日に上陸を諦め、翌13日に再チャレンジでゴムボートを降りて、2人のエージェントと接触したようですね。2人のエージェントと数名のCIAのエージェントが合流して村から数ヤードの洞窟へ、ここで腺ペスト患者と思われる者と病院で働いていた者と会って話をしたようです・・・この間に、クラークとユンは村の北朝鮮のパトロールを待ち伏せして黙らせ・・・Chilbo-ri で検査することができたようです・・・村は仮設病院となっていることが分かったようですね。ここで、チフス、腸チフス、天然痘の流行を確認しますが、腺ペストの兆候は確認できなかったようです。サムス准将はあと2日ほど滞在を求めますが・・・危険だと説得されて戻ることになります・・・このとき、黒死病と思われたのは・・・天然痘による四肢の壊死という事のようですね・・・検体の回収はしなかったようですね。さて・・・こんなことが書かれていますね・・・

 アジトに入ると、どこからともなく工作員が集まってきた。その数200名。
 筆者はこの数を聞いて驚いた。特殊作戦部隊や工作員が行う隠密作戦は2ケタ、それも十数名程度だと勝手に想像していたのだった。
 200名の工作員は朝鮮人民軍の軍服に身を包み偽装していた。米軍では、朝鮮人民軍など敵方を捕虜にした後、軍服や装備品を没収。武器や身分証明書、部隊エンブレムはもちろん、果ては軍用下着まで保管していた。
 200名の工作員は元山で行動しても不思議ではない部隊に仕立て上げられた。200名は中隊規模で、将校・下士官の頭数も正確に揃えた。しかも、多くは元山の周辺地方の出身者で固められ、方言を喋ることができた。
 時を置かずして、決死隊は野戦病院を目指した。もっとも、白人の准将は目立つので、65名の護衛を付けてアジトに残した。


 なかなか凄い話になっているようですね・・・これって・・・Eugene F. Clark の武勇伝と混交しているような感じですね。人数からすると鴨緑江での武勇談に属するのでは・・・?Valor awards for Eugene Franklin Clark これと、Wikiの記述からするとね。

歩哨を片付け、白衣に聴診器姿で死体を奪う
 野戦病院に到着するや、事前に知り得た各所に立つ歩哨の交代直後を狙い、まずは歩哨を「片付けた」。次の交代まで最大時間を確保する作戦で、代わりに延氏の部下が歩哨に立った。


 凄いね・・・とりあえず、北朝鮮兵を黙らせていますが・・・

 その後、延氏の部下が白衣を着て聴診器をぶら下げ、やはりニセ衛生兵と事前潜入していた看護婦を伴い、堂々と院内奥へと入って行った。
 病院内では、症状の異なる3種類の患者を選定。死体置き場では、真っ黄色とドス黒い顔の変色が正反対の2死体を選んだ。
 患者と死体の計5人は、救急車を奪って隠した。延氏はやはり鹵獲(ろかく)したジープに乗り、軍医准将が待つアジトへと向かった。
 ところが途中、巡回中の警備部隊と遭遇してしまう。警備隊長に訊問された延氏は答えた。
 「野戦病院で、不可解な伝染病で患者が続々と死亡している。死体を焼きに遠隔地に行く途中であります」
 患者の大量死を知っていた様子の警備隊長は黙考した後、通過を許した。
 かくして、軍医准将がアジトで患者・死体を診察した。結果は、朝鮮国連軍の将兵も予防注射を打っている発疹チフスや腸チフスなどだった。
 以上が、筆者が聞いた死を賭した工作員たちの覚悟である。


 どうも、色々と潤色されているのか?公式発表には載せられない内容だったのか・・・?筆者が聞いた死を賭した工作員たちの覚悟・・・聞いたことだから、間違っていても・・・悪いのは僕じゃない・・・小さな晋ちゃんと同じパターンかね?

 ころで、朝鮮戦争は休戦中に過ぎず、わが国は昭和29年以降、米英仏豪など11カ国と《国連地位協定》を結んできた。朝鮮国連軍への兵站面での協力を約束。朝鮮国連軍を編成する11カ国の国軍が日本国内の基地・空港・港湾を使用する権能も認めている。横田基地(東京都)には国連後方司令部が所在し、横須賀・佐世保・嘉手納・普天間の各在日米軍基地は国連指定基地でもあり、スカイブルーの国連旗が翻る。

 そう、問題は・・・これ以外も小さな晋ちゃんは売り渡しちゃったんだよね・・・連邦議会の演説で受けると思って語っていましたが・・・反応が乏しかった奴・・・歴史的文書に合意と叫んでいた奴ね・・・日本は米軍の前方への投射のための基地になる事を約束しちゃったのでね・・・だから、韓国を基地としての北朝鮮征伐をする必要が無くなっているという事でね・・・もうじき、日本から米軍が北朝鮮征伐へ向かう事になるような雰囲気でね・・・

 従って、日に日に可能性が高まる朝鮮戦争再開で、日本は北朝鮮の攻撃を受ける恐れが高い。朝鮮戦争は日本有事に他ならない。日本国憲法第9条では、日本の平和を維持できぬ現実が間近に迫っているのである。

 改憲と朝鮮への出兵、さあ!戦争だ!かな?戦争をしなければ良いだけじゃん・・・そもそも、国際法で戦争が禁じられていて、これはアメリカ様も守らなければならないし、北朝鮮も守らなければならない・・・自衛権はある・・・自衛隊では自衛はできないのかね?その前に・・・ちゃんと、偉大なる安倍晋三閣下が外交を行えばよい・・・でも、小さな晋ちゃんは、ヤジが飛ぶだけで原稿が読めなくなっちゃいますからね・・・トランプ君や金正恩君ににらまれたら・・・溶けちゃうんじゃないかと心配ですからね・・・

 ああ、面白かった・・・もうじき戦争だね。

 ところで、天然痘の話はどこへ行ったのかね?朝鮮での天然痘は・・・朝鮮種痘法が大正12年に作られたけど・・・?ざる法だったのかね?

2017.12.11

  

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