現在をうろうろ(2584)
日本貧窮者経済新聞
 どうも必死になって、何かが無かったことがしたい人って・・・何かがあるのか・・・?

 なんだか、偉大なる安倍晋三閣下の従軍慰安婦に関する反応が・・・なんだか、かなり感情的なのでね・・・偉大なる安倍晋三閣下の父祖の地の御近所などをチェックしてみましたが・・・よくわからないね?

 どう見ても感情的な反応のようで・・・それで気になって、公開情報を使って蔵小田の偉大なる安倍晋三閣下の相続財産近辺をチェックしているというわけです・・・まあ、ネット上には情報が結構あって・・・安倍寛 - Wikipedia これによれば・・・

 山口県大津郡日置村蔵小田(現・長門市油谷蔵小田)に安倍彪助・タメの長男として生まれる。4歳までに両親が相次いで死去したため、伯母のヨシに育てられる。

 ここの現れる安倍ヨシ・・・この人はしっかりお仕事をしていて・・・国立国会図書館デジタルコレクション - 山口県商工人名録 130コマ 金銭貸付業で、税金を33円支払っていますから・・・立派に商売をやっていますね・・・この事からも裕福な一族であると思われますね。

 公開情報によると・・・open-politics.jp 資産等報告書 (安倍 晋三) 山口県長門市油谷蔵小田1160-1 ここが父祖の地であると思われますね・・・そして、どうやら、左のように安倍後援会連絡事務所に使われているようです。

 慰安婦像に異常なまでの反応を示しますから・・・何かあるのかと・・・戦前は女郎屋の類は一応合法ですが、警察の管理下に置かれていましたから、それ系の文献資料を探せばよいわけですが・・・

 女郎屋系の物となると・・・国立国会図書館デジタルコレクション - 警察法規類典. 山口県 下 526コマ ここには・・・左のようなものがありますね・・・なんとなく、ご近所・・・というか・・・偉大なる安倍晋三閣下の相続した・・・実家の南じゃないかと・・・多分、安倍寛は伯母の下で育てられたとされていますが・・・伯母は本家で暮らしていたのかと?金貸しと芸妓置屋?が隣り合っているのかな?・・・大正12年ですね・・・この頃蔵小田は栄えていたのか?まあ、港ですからね・・・大正10年に連合艦隊が油谷湾にやってきたり・・・安倍寛は東京帝国大学を卒業・・・大正12年に結婚・・・大正13年4月29日に安倍晋太郎が生まれますね・・・蔵小田が輝いた時代だったのでしょうかね・・・

 蔵小田を管轄した警察は、深川警察署の人丸峠分署ということのようですね・・・この分署の管轄が菱海村、宇津賀村、日置村、向津具村となるようですね・・・

 警察法規類典によれば、温泉などにも女の子を置いていたみたいですからね・・・戦前はなかなか興味深いね・・・

 ただ、県の統計書を眺めると・・・ここでの芸妓の実態が見えないね・・・どのような営業実態があったのかは不明ですが・・・芸妓でも娼妓でも・・・花柳病の診断があって・・・その成績は大差が無い時代ですから・・・密淫売の実績はあるようですから・・・どんな具合なのやら・・・さてさて・・・

 ついでだから・・・

 江戸の地方制度ってのが難しいね・・・律令以来の伝統的な郡の組織・・・代官を筆頭に算用方、勘場役、受持手子、そして・・・勘場定詰大庄屋がいて・・・偉大なる安倍晋三閣下の御先祖様は、大庄屋だったと言ってますが?・・・大庄屋をやっていると、この下に村庄屋、小都合役が入るので、普通は文献資料が無いはずはない・・・大庄屋を中心に・・・民衆統治が行われるから、郡内にその名の入った文書のコピーが回りますからね・・・香取神宮関連の諸家の文書などを眺めると・・・重複した膨大な文書に現れてきますからね・・・

 あと郡の役職は・・勘場算用師が勘場役の下にいて・・修甫方、勘場守、定詰飛脚は2人だったね・・・神崎役場の明治時代の文献資料などで現れていましたっけ・・・ここまでが、勘場諸役人で、郡役場に引き継がれていくことになるようですね・・・これとは、別に本藩支配のための、庄屋、組内の支配を行う畔頭、証人百姓、目証があって、給領組内の場合だと、大庄屋配下の小都合役がトップで、給庄屋がいて、その配下に給畔頭、給証人百姓が置かれるんだっけ・・・

 律令以来の伝統的な支配では・・・代官-勘場大庄屋-小都合役-庄屋-畔頭-証人百姓・・・となるのかね?そして、荘園系(藩支配)の物が、村庄屋-畦頭-証人百姓-目証・・・という感じなのか?まあ、専門じゃないからよくわからないですがね・・・

 どうも、偉大なる安倍晋三閣下を眺めていると、「日本らしい日本」は女系なのかと・・・?安倍晋三 - Wikipedia この系譜・・・

山口県大津郡日置村(後に油谷町に分割→現長門市)の安倍家は、江戸時代、大庄屋を務め、酒や醤油の醸造を営み、やがて大津郡きっての名家と知られるようになった。

・・・

安倍家の元家政婦は東北地方に飛び、安倍一族の関係地と言われた地域の市町村役場などを丹念に回りながら、各地に古くから伝わる家系図を調べ歩いた。その結果、油谷町に住み着いた一族が宗任の流れをくむ者たちであること、青森県五所川原の石搭山荒覇吐(あらはばき)神社に始祖である宗任が眠っているらしいことを調べ上げたという。元家政婦からの報告を聞いた晋太郎は昭和62年(1987年)7月末、出馬表明した総裁選の全国遊説の折、妻洋子と晋三夫妻を伴い同神社に出向き、参拝した。なお案内役を兼ねて晋太郎たちに同行したのが画家の岡本太郎であり、岡本もまた安倍一族の流れをくむ一人として、自らのルーツに関心を持って調べたことがあったという。

 なんだかね?江戸時代に大庄屋なら、絶対に文献資料に現れるはずなんですがね・・・勘場に定詰の大庄屋ですから・・・ここから種々の文書が流れますからね・・・

 この大津郡もなかなか厄介で、明治以前は2つの郡から成り、深川村を中心とする前大津、菱海村を中心とする先大津の2つの郡があったようですね・・・この2つを合わせて、明治の大津郡が成立・・・その関係で、蔵小田が・・・どこに属するかが問題になるわけですね。なんとなく、安倍寛は、このあたりの伝統支配の軋轢の中で、東京帝大出の新興のインテリ村長として担ぎ出されたような感じがしますが・・・だから、家政婦がルーツ探しをする羽目になるのではないかとね・・・

 なんだかね?一応は、公式文書で公開されている奴ですから・・・なんとなくね・・・あとは、偉大なる安倍晋三閣下の心の問題ですかね?

 しかし、偉大なる安倍晋三閣下のおじいさん・・・安倍寛・・・父親の安倍晋太郎・・・何で次男が晋三なのやら?3番手が宿命なのか・・・なかなか複雑・・・お爺様の安倍寛は語られることが無く、常に、岸信介・・・日本は女系社会なのか?なんって気になりますね・・・安倍家も・・・なんとなく女系みたいな雰囲気でね・・・江戸時代の家系に関しては・・・流布されていることが・・・なんだかよくわからない・・・まあ、内閣総理大臣の偉大なる安倍晋三閣下が立派な行いをしているのなら、気にしませんが・・・

 なんとなくね・・・関連は不明・・・私にはどうでもよいが・・・備忘録としてね・・・法社会学的な現地での歴史調査はする気は無いのでね・・・さすがに、それは怖いのでね・・・面倒だしね・・・

 学生時代に、フィールドワークもしましたが・・・触れてはいけないことも世の中にあることは知っていますからね・・・まあ、学生だと許される範囲と・・・今の、私の歳では聞いてはいけないことも世の中にはあることも・・・まあ、関係ないね・・・所詮は妄想遊びですから・・・

2017.01.16

  

関係ないが興味深いもの
 今回は無し

時々チェックすべきもの


 首相官邸ホームページ
 国会提出法案|電子政府の総合窓口e-Gov イーガブ
 The White House
 U.S. Department of State
 United States Department of Defense (defense.gov)
 世界のビジネスニュース(通商弘報) - ジェトロ
 銘柄一覧 日本取引所グループ

 聯合ニュース
 AJW by The Asahi Shimbun
 日刊ゲンダイ
 List of national newspapers - Wikipedia, the free encyclopedia
 一般社団法人 日本経済団体連合会 - Keidanren


食べ物が・・・

 野菜ナビ

inserted by FC2 system