現在をうろうろ(2168)
日本貧窮者経済新聞
 偉大なる安倍晋三閣下の国連での演説原稿は・・・?(6) ちょっと寄り道を・・・

 冷戦の終結が・・・冷戦 - Wikipedia これを眺めていくと、禁じられた知識への道が開かれる・・・表題とはちょっと関係ないが、気になるので・・・

一般市民の日常生活や仕事に役立つ多種多様な商品やサービスが開発・供給され、世界の経済、財政、貿易、投資、通貨発行は著しく拡大したので、金本位制と外国為替の固定相場制の維持が不可能になり、管理通貨制度と変動相場制に移行した。
ヨーロッパでは、1969年に成立した西ドイツのブラント政権が東方政策を進め、東側との関係改善に乗り出した。また1972年に、かねてからソ連が提案していたヨーロッパ全体の安全保障を協議する「ヘルシンキ・プロセス」が始まり、1975年に欧州安全保障協力会議の成立に繋がった。しかし核を削減する一方、ソ連は1977年から中距離弾道ミサイルを配備した。これに対抗し、アメリカは1979年12月に中距離核戦力 (INF) を西欧に配備すると発表した。また同じ月にソ連がアフガニスタンに侵攻したため、東西はまたも緊張し、デタントの時代は終焉した。


 1975年に欧州安全保障協力会議の成立に繋がった。これが重要なんですが・・・日本語版のWikiにはこの部分の記述がほとんどない・・・ニクソンとブレジネフの会談などへの言及が無いのでね・・・ニクソンに関してここではリチャード・ニクソンが1972年に中華人民共和国を訪問し、中華人民共和国を承認して外交と貿易を開始し、東アジアにおける冷戦の対立軸であった米中関係が改善、1972年には日本が中華人民共和国と国交正常化した。こんな風な感じですからね・・・リチャード・ニクソン - Wikipedia ここではブレジネフの名が・・・一緒に写真に写っている所に入っているだけ・・・レオニード・ブレジネフ - Wikipedia ここでは、同じ写真の解説にニクソンの名があり、1972年5月にリチャード・ニクソン大統領がモスクワを訪問、米ソ両首脳は戦略兵器制限条約 (SALT I) に調印し、「デタント」(緊張緩和)の始まりとなった。と記述があって・・・このデタントの結果が・・・1975年に欧州安全保障協力会議の成立・・・つまり、1975年のヘルシンキ宣言・・・全欧安全保障協力会議 - Wikipedia これですね。

 英語版のWikiにはニクソンとブレジネフに関連する記述があるのですが・・・日本版にはない・・・

 そして、ヘルシンキ宣言 (全欧安全保障協力会議) - Wikipediaの採択・・・Helsinki Accords - Wikipedia, the free encyclopedia 英語版にはきちんと十戒が並んでいます。

The Accords' "Declaration on Principles Guiding Relations between Participating States" (also known as "The Decalogue") enumerated the following 10 points: (また、「十戒」として知られている)アコード」「国参加の間原則指導の関係に関する宣言」は、以下の10点を列挙しました。この10点・・・欧州安全保障協力機構の概要 | 外務省

1)欧州における安全保障に関する諸問題(「第1バスケット」)
加盟国の相互関係を律する諸問題(主権平等、武力行使または武力による威嚇の禁止、国境不可侵、領土保全、紛争の平和的解決、内政不干渉、人権並びに基本的自由の尊重、民族の平等及び自決、国家間の協力、国際法上の義務の誠実な履行)

これが1975年のヘルシンキ宣言の根幹になる十戒の外務省の訳ですね・・・私は、外務省はこの欧州安全保障協力機構の概要をこんな形で公表するとは考えてもいなかったので、1度探してあきらめました・・・他のことで検索をしていたら目に入ってびっくり!比較的最近の公表ですね・・・一応、英文のとの対応を・・・

1.Sovereign equality, respect for the rights inherent in sovereignty 主権平等
2.Refraining from the threat or use of force 武力行使または武力による威嚇の禁止
3.Inviolability of frontiers 国境不可侵
4.Territorial integrity of States 領土保全
5.Peaceful settlement of disputes 紛争の平和的解決
6.Non-intervention in internal affairs 内政不干渉
7.Respect for human rights and fundamental freedoms, including the freedom of thought, conscience, religion or belief 人権並びに基本的自由の尊重
8.Equal rights and self-determination of peoples 民族の平等及び自決
9.Co-operation among States 国家間の協力
10.Fulfillment in good faith of obligations under international law 国際法上の義務の誠実な履行

 これは、一般的に日本の国際政治学で教えてはならない禁じられた知識なんでね・・・実は、これって・・・日本の国益に大きく反するのでね・・・国境不可侵・領土保全・・・これがね。竹島問題の概要 | 外務省 これなんです・・・1975年のヘルシンキ宣言の結果・・・国境はこの時点で凍結された・・・

 韓国は,その後,竹島に警備隊員などを常駐させ,宿舎や監視所,灯台,接岸施設などを構築してきました。このような韓国の力による竹島の占拠は,国際法上一切根拠のないものであり,我が国は,韓国に対してその都度,厳重な抗議を行うとともに,その撤回を求めてきています。こうした不法占拠に基づいたいかなる措置も法的な正当性を有するものではなく,また領有権の根拠となる何らの法的効果を生じさせるものでもありません。

 アメリカ様は、竹島に関しては・・・1975年のヘルシンキ宣言・・・の合意では・・・1952(昭和27)年1月以来韓国の実効支配にあるから、言及は避けるわけです・・・以前の判断のままだと言及するにとどめる。それに対して、尖閣諸島に中国の実効支配は及んでいないから・・・はっきりと、日本領であり安保の対象であることをはっきりと言及するわけです。

 北方領土問題は・・・北方領土問題とは? | 外務省 日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。・・・1948年までにすべての日本人を強制退去させました。それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いています。アメリカ様は・・・ポツダム宣言受託した時点での住民の存在を根拠にしているわけでね・・その後の占領と強制退去・・・人権の侵害とみていると思います・・・これが、竹島との違い・・・面倒なのは・・・

サンフランシスコ平和条約(1951年9月)
 日本は、サンフランシスコ平和条約により、ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しました。しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません。また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利を主張することはできません。


 で・・・1975年のヘルシンキ宣言・・・ここで、新たに国境が凍結された・・・日本は微妙・・・欧州安全保障協力機構の概要 | 外務省

(1)我が国との関係
ア 経緯及び意義
 我が国は、冷戦終焉後の新たな国際新秩序の構築、価値を共有する日米欧間の協力関係の強化、我が国に直接・間接に影響のある問題への立場の表明等の観点より、CSCE(当時)との関係強化を追求し、その結果、1992年7月のヘルシンキ首脳会合で「制度的対話の枠組み」が構築された。

イ 我が国の地位
 我が国は、1992年のヘルシンキ首脳会合政治宣言及び同附属文書において、首脳会合、外相理事会、高級理事会、その他の会議に招待され、会議においては発言権を有することが規定された。ただし、決定及びその準備には関与できない。現在は、2006年11月に採択された手続規則に基づき、日本は恒常的に常設理事会、安全保障協力フォーラムに参加できるほか、準備委員会(Preparatory Committee)や3つの小委員会にも参加が認められている。


 アメリカ様の金魚の糞として参加している・・・だから、微妙なんでね・・・中国版のWikiでは赫?辛基?? - ?基百科,自由的百科全? そして、どうやらこれに沿って行動し・・・ロシアとも国境交渉を行ってきちんと国境を定めた・・・中国とロシアは、1975年のヘルシンキ宣言の十戒を価値観として共有している・・・ということになりますね。

 残念ながら、日本の国益と直接かかわり合う部分で、禁じられた知識が存在するということなんでね・・・1975年のヘルシンキ宣言に関しては・・・学生のころちょっと触れた・・・講義ではなく、冷戦構造と権力基盤と法の関連の中で・・・アングラ研究・・・ナチの権力構造とその基盤などにも興味があったのでね・・・そして・・・平成26年5月15日の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書 これに関しての偉大なる安倍晋三閣下の言及が平成26年5月15日 安倍内閣総理大臣記者会見 平成26年 総理の演説・記者会見など 記者会見 首相官邸ホームページ このように行われたわけです・・・このとき、この報告書を見て・・・1975年のヘルシンキ宣言の言及がなく・・・驚いた・・・日本は未だに冷戦下にある・・・それだけの話です。そして・・・現在ヘルシンキ宣言の十戒は・・・欧州安全保障協力機構 - Wikipedia ここに掲げられた国々で有効・・・日本と韓国はこの機構への協力国なので・・・だから、原則国境が凍結されているという認識があるはず・・・

 1975年のヘルシンキ宣言の十戒の1〜5が国と国の関係を規定し、6〜10が・・・国情による多様性を認めるものですね・・・現状の「日本らしい日本」が認めたくない物であるということだと思いますね。国際政治学は非国民の学問になりかねない恐ろしさがあるのでね・・・「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」構成員に葛西敬之氏がいてね・・・この人は政治学を志したんです・・・ 葛西敬之 - Wikipedia この中の・・・

人物・エピソード
自著によると、国鉄へ入社した動機は、落とした学生証を荻窪駅に受け取りに行った際、同駅の助役から「東大出身なら国鉄での出世が早い」と勧められたことによる。国鉄に入社して1年後、「この職場に一生をかけて良いのか」と悩み、恩師の岡義武教授に弟子入りを申し出るが、岡に「君には一生遊んで暮らせる財産がありますか」「君は語学が得意ですか」と質問され、「よく考えてどうしても会社を辞めて戻りたかったらもう一度来なさい。その時は相談に乗るから」と言われたという。


 意味は明瞭・・・岡教授は吉野作造に師事・・・国立国会図書館デジタルコレクション - 現代の政治. 第〔1〕 157コマ 日米問題 このあたりから続くやつで・・・163コマでの、社会風紀の問題としての排日思想へと・・・まあ、読んでいけば判るが・・・国立国会図書館デジタルコレクション - 現代の政治. 第〔1〕 180コマ 左のページの3行目以降こういった提言を行うと・・・今の社会でもちょっと問題になりそうな気がしてね・・・

 この日米問題が・・・吉野作造 - Wikipedia

1914年(大正3年)1月、『中央公論』編集主幹の瀧田樗陰に頼まれ、同誌に「学術上より見たる日本問題」を寄稿し、国際社会の一員としての日本人のあり方に批判的な目を向けている。4月号には「民衆的示威運動を論ず」を寄稿、日本の民衆運動にも民衆の自覚という肯定的な面を主張した。

 ここに現れる「学術上より見たる日本問題」という寄稿ですね・・・どうやら、「日本らしい日本」はちっとも成長していないようです。飯を食うためには・・・無難な報告書を書くしかない・・・講義も無難でなければならない・・・

 アメリカだけじゃなくて、世界のどこでも日本人が受け入れられるわけないって吉野作造がいう根本原因は・・・現今の教育は善良なる国民は作つたけれども、世界の一員としての資格は作つてやらなかつた・・・こんな感じですかね。

 吉野作造の研究者が・・・微妙に改憲に反対しているのは・・・まあ、研究者の家族の元へも危機が迫ることもあるし・・・「日本らしい日本」はなかなか表現の自由も許されないし・・・安倍総理は、強い口調で『あなた、なんてアナウンサーですか?』と逆に質問。・・・名を聞いて呪詛かね?怖い怖い・・・一生遊んで暮らせる財産は無いが、食糧自給で何とかしのいで・・・この道しかない。

2016.09.23

  

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