鹿行をうろうろ 005

鹿島神宮界隈を探索していると、どうもさまざまなものに関心が向いてきます。北一の鳥居なるものがあるとのうわさを耳にしての探索です。どうやら、水戸から銚子の飯沼観音に至る飯沼街道にあるらしい、そして旧大野村にあるようだ・・・こんな感じですね。ふと、気になるのは、私の小屋がある大小志崎って、北のはずれかな?そういえば、大小志崎の祭頭祭の写真も撮ったっけ!これもアップロードしますかね?

(2009.02.15)


旧大野村の役場から、51号線に伸びる道の少し北に戸隠神社を発見。

こう、鮮やかな赤と白と緑だと、いつの時代からこうなったのか気になります。長野の戸隠神社はこんなに派手ではなかったような?

ほら、あった鳥居の跡ですね。文献資料によると、これは鹿島神宮北一の鳥居ではないそうな・・・

軽い冗談です。こんな感じに鳥居があったのかもしれません。

このしめ縄と、四角い標柱のような石が気になります。何のためのしめ縄か?四角い石は?お釜のような奴は、明らかに鳥居の土台ですが?土台石は結界の外のような気がするのですが?

反対側です。こちらも同じパターンですが・・・たまたま木があるので、そこに注連縄をはったのかもしれませんね。理由が分かりませんが、オッカムのかみそりを使うと、単に注連縄をはる場所がないということでしょうか?

いいかげんに、車を走らせていると、以前から気になっている地名の奈良毛に到着。道祖神があります。奈良って語源は・・・ならす、平らにするとかその類のようですから。平らにして、作物が取れる地という意味でしょうか?

なんとなく、道祖神ぽくないんですね。ここは、村の境か村の中心か?気になるところです。

塚原朴伝の墓の看板を見て、例によっていい加減に走ると出世稲荷なるうれしい言葉を掲げる神社に遭遇。京都の奴の分社?そのうち調べねば・・・、後陽成天皇だったか?それとも・・・とにかく、出世したのは秀吉だよな。

塚原朴伝の墓の駐車場からの眺め・・・掲示板の上の小さな屋根の下に眠っているとのこと

とにかく、僧侶の墓のようなものがたくさんあって・・・

こちらが墓所です。どうも、EOS-5Dは、少し白っぽく写るような?気のせいでしょうか?デジカメってコントラストの大きなものは苦手なのかもしれません。リバーサルフィルムより難しいかも?

再び鹿島神宮です。フルサイズの一眼レフだと、同じレンズでもちょっと雰囲気の違う写真が撮れるかも?あと、本殿の写真を・・・

オートで撮るのをあきらめつつあります。陰影をきちんとコントロールしないと良くないようです。昔は・・・露出計が信用できまでんでしたが、今もそうかも?

拝殿前に目新しいものが、大豊御竹なるものがありました。

巫女さんが歩いていると、そちらに向いてしまいます。困ったものです。

竹に関しては、こんな説明が付いていました。

祭頭祭が近付いているというわけです。

前回、本殿の写真がなかった理由はこれでしょう。たぶん、この位置からの本殿の眺めが良いはずなのですが、資本主義の本殿なのか?この時期には使われていないおみくじ売場・・・自動販売のようなお金を入れて取る方式の奴が大きな顔をしています。鹿島神宮の中でいらないもの第一がこの御神籤売場では?車輪が付いていますから、別のところへ引いていくべきです!

御神籤売場の脇へまわってみると、こんな感じです。これを楼門に入って左の写真のような所から眺めれば、良いバランスだと思います。江戸時代の建築家のデザインを尊重して、意図に沿った鑑賞ができるように考えるべきだと思うのですが・・・広角レンズではないやつで、たくさん撮って合成して御神籤売場がない場合の写真を作りたくもなりますね。やや、怒ってます!

楼門と社務所のコントラストも美しいものです。この色の違いがあっても違和感がないですから。

社務所の雰囲気も良いものです。入口のお清めセットのようなものこれは何なのやら?気になります。

長い伝統の中で培われた形って美しい配列を成すものです。

社務所の前から一直線に伸びる石畳の先に高房神社があります。その左が仮殿、右の鳥居が拝殿前です。全体として調和のとれた空間だと思いますが・・・
摂社とか末社などの写真もありますから掲載することにしましょう。この摂社・末社って、一神社内で本社に付属する小社のことを言うようで、明治時代に伊勢神宮や官国幣社で、本社に付属する関係深い社を摂社と呼び、それにつぐ小社を末社と称することと定めたとのこと・・・鹿島神宮の摂社は沼尾神社・坂戸神社・跡宮・息栖神社が境内外に存在し、境内には、奥宮・高房神社・三笠神社があり。末社としては、色々あるようです。
とにかく、この摂社・末社というやつは、社格、古い神社だと入口の神社名の表示柱に官幣大・中・小社、別格官幣社、国幣大・中・小社と府県社、郷社、村社、無格社とかとかではなく、本社祭神の后神、御子神をまつる社や、本社旧跡に設けた社や、本社祭神の荒御魂をまつる社や、地主神の社など関係深い社を摂社としたそうな。それにつぐ社を末社だと・・・。なかなか整備されているというかなんというか、国家神道の枠組みですかね?神様も統治機構の一員という感じですね。

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