香取神宮をうろうろ(133)
 香取志 (67) 神事に関して・・・神幸神事 つづき・・・

 日本語は複雑な言語ですね・・・なんとなく、様々な言語のエッセンスを取りこんでいて・・・ちょっと近頃 蒼き鋼のアルペジオ とか言うアニメを見ているんでね・・・ここで数種類の日本語が話されています。普通に民間で話されている俗語というか、標準の日本語で狭義の現代語・・・それから、海軍風の日本語、官僚風の日本語、教師が真面目に解説するときの日本語・・・一応それらしく使い分けられている・・・時には幼児語・・・こんなものを聞きながら・・・古文、漢文を眺め・・・挙句の果てには英語とドイツ語・・・その他言語の機械翻訳のメタメタの日本語・・・標準的な日本語というのはどんなものなのか?近頃NHKのニュースは視聴していないし・・・近頃あまり、人とは話をしていないから・・・私の日本語がどうなっているのか気になるわけです。

 さて、蒼き・・・じゃなくて香取志 34コマ 続きと行きましょう・・・正殿を出て・・・どんな順路かね?

神地神戸の民数千人がそれぞれの役割があって正殿より洲の鳥居まで18町の間に、莚を道に敷、左右には薦を張って御休所の御仮殿に暫し神輿を休め奉る。草履脱橋;一名董橋からは、沓を脱いで素足になる。今の鳥居河岸から御船に神輿を載せて、ひらはり帳などでかざり奉る。又、詔を賜って、国司から敬語の人数を出して、非常に備えるなど、書き記す事は難しい。
永享3年3月注進状の旨に因んでその大略を記す。古代から、この神事の様子を詳細に記した図がある。常憲院殿がこれを耳にして、取り寄せて見て、画工に命じて新たにこの図を写させて、下賜された。今大禰宜家が蔵している。

 ふむ、正殿から莚を敷いて左右には薦を張る・・・これって2kmのすべての区間かね?それだと凄く大変なような?敷く莚だけで何枚必要だ?ざっと1000枚以上必要ですね。90p幅で良いなら・・・御休所は現在は右のようなところですね。神輿を置くための台が作られています。

 なぜここで休むのかが良くわかりません・・・事によると、神幸祭は幾つかの祭祀の合成物のような気がします。根拠はあまりなく・・・ただ、この祭祀が、神幸祭の外に、御船遊・軍人祭などと呼ばれているからなんです。なんとなく、祭祀の性格が変化して、その際の名称が残っているとか?そんな気がします。

 多分、1つは前回の妄想の国土調査の際に3隻の船を出す事になったという事を伝えている可能性が高いと思われます。

 そして、神幸祭としては、この場所が終着点だったのではないかと・・・これまた根拠はないのですが・・・津の東西社がありますからそこまで行って休んでも良いような気がするからなんです。そして、もうひとつ薄弱な根拠は・・・この神幸祭が津宮がまだ陸地でなかった時から行われていた祭祀かもしれないと・・・

 ちょうど、左の図のような感じですね。そして、さらに古い時代はこの神道山が島だったのではないかと・・・

 右の図のようであれば、これだと船で行きそうな感じですね。

 地形が変化するに従って祭祀の様子が変わって行ったのではないかと・・・そうなると・・・神幸祭というのは・・・古代においては船でこの御休所まで出かけていたが、陸地になって道が整備されると神輿は担がれて運ばれるようになったと考えれば良さそうな気がします。しかし、香取志で示される文章で気になる所があります。それは董橋から先は裸足だという事なんです。なぜ?・・・例幣使が来るときは、ここで身滌を行ったというようだ。ここで勅使がくつを脱いだのでくつぬぎ橋というようにもなったとか言う話も重なってくるが・・・ただ、例幣使の宿舎は油田の方だったとか・・・そうなると、いつの時代の例幣使かね?

 多分、例幣使がやってくるコースは、東山道を通って下総に入って・・・この前妄想した成田経由で油田に入ったのではないかと・・・そうなると、津宮が勅使を迎えたのは多分、幕末以降ではないかと・・・なんとなく・・・古代の勅使は・・・新任国司と同じで駅馬でも使っていたのでしょう。奉幣使の旅程規定は延喜式には無いようですね・・・ああ、都に上って幣帛を受けるシステムが崩れて、延暦17年;798年に国司が幣帛の授受を行うようになってたんですよね。従って延喜式にはその規定が存在しないことになるのか・・・多分・・・それで、国司に指示を出す都合で、延喜式に長々と神社リストが載せられたという事かね?

 国司に職務の代行を行わせるようになると神祇官って何をすることになるのかね?・・・延喜式で神祇官を眺めて行くと・・・大嘗祭関連で、国司とともに卜定とか・・・分からん文章が出て来た・・・九月上旬,神祇官差神服社神主一人,給驛鈴一口・・・神服部社か?とにかく、神祇官の差図で駅鈴が出て、三河国で神服を織る者を卜定するか・・・大嘗祭関連で活躍する部署ということになりますかね?他には神祇官伯以下弾琴以上十三人・・・上級管理職は琴が弾けることが条件ね。舞も行うような?

 しかし、何のための神幸祭なんですかね?・・・まさか、神道山の古墳かね?昭和初期には香取神宮の主祭神の經津主命の陵墓の噂が流れたものとか?みたままつりの類であるなら悪くないような?雰囲気としては鹿島神宮関連の古墳てのが、香取小学校わきの王子神社のあたり、又見神社のあたり、そして、この神道山なのかな?なんって思うわけです。

 津宮遺跡群ってのがあるのか・・・香取中学校のあたり・・・縄文後期からの遺跡群のようですね・・・すると、概ね上の左の図のような状態であったのは間違いないような感じですね。縄文前期の縄文海進期には上の右の図のようであったと考えれば当たりですかね。およそ6000年前の様子・・・多分ね・・・妄想妄想・・・神道山の古墳は・・・近代デジタルライブラリー - 史蹟名勝天然紀念物調査. 第6輯 11コマ 神道山 ここに掲載されていますね。この神道山は、香取神宮の祠官のひとりであった神道神部という人の所有物で、香取町の飛び地であったとのことで、古来この山には大蛇が出るということで、里人で出入りするものはいなかったために、古墳があることすら知られていなかったという事のようです。

 なんとなく、この古墳に関連する祭祀としてではないかと・・・そうでなければ、この場所で休むとは思われません。董橋から先が裸足なのは・・・多分浅い海を歩いて渡り、その先の砂浜まで出たからではないかと・・・多分・・・私の妄想では沖宮神社の辺りまで・・・根拠は無いのですが、上の図からすると、そこまでしか行けないから・・・ただ、このあたりの古い微地形が分かりません・・・成田線でかなりいじられていると思われますから・・・それがちょっと問題ですがね。

 ふと・・・經津主=斎主神・・・何の斎主?なんって考えちゃいました・・・大妄想・・・古事記には建御雷神しか現れてこない・・・神道山の古墳を建御雷神の陵墓と仮定します。すると、香取神宮はこの陵墓の斎主と考えることができる。香取神宮は神道山の遙拝所であると・・・そして、3月の中の巳・・・巳で大蛇・・・神道山の下で御魂を奉じて津宮へ・・・そこから行き先は、鹿島神宮へ・・・そして、7月11日、現在は9月2日に鹿島神宮を発って神道山へ・・・近代デジタルライブラリー - 鹿島誌 32コマ 御舩祭 さて、どうかな?

 香取神宮の建御雷神はある時期本殿から出されて、鹿島新宮に祭られるようになったとあります。もしかしたら・・・この神様の移動に関してトラブルがあったのなら可能性があるように思えるのですが・・・香島神宮が鹿島神宮に変わった時・・・

 3月の巳・午の日に鹿島神宮に対応する祭礼があれば面白いが・・・鹿島神宮の古い祭礼はどうなっていたのか・・・春季祭は祭頭祭で、祭頭祭に関するものは・・・1つありますね。近代デジタルライブラリー - 日本民俗学. 〔第1−4〕 隨筆篇 123コマ 鹿島神宮祭頭の話 あ・・・何と、この中に知らなかった本が出ています。近代デジタルライブラリー - 続群書類従. 第3輯ノ下 神祇部 これに、香取神宮と鹿島神宮関係の資料が集められている・・・なるほど、祭頭祭は事実上、香取大神宮寺の祭礼ですね。

 鹿島神宮の御舩祭と香取神宮の神幸祭の共通点は・・・八龍神と3隻の船・・・対になっていた祭が切れたのではないかと・・・実は香取・香島はもともとは一体だったとか?3月の半ばから7月の半ばまでの4ヶ月は鹿島神宮に・・・神様は出ているとか?そうだと、壮大な妄想が・・・しかし、仮説以前の妄想にもなりませんね・・・面白いだけ・・・だって、証明はほぼ不可能ですからね。語られる事の無い伝承でもあれば別ですが・・・西から来た男に色々と役割をくっつければ物語に仕立てられそうですが・・・

 ただ、この祭祀はなんとなく、香取神宮との関係がありそうな・・・何か手掛かりは無いものか?・・・続きは、次回・・・

2014.04.19

  

関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - 平安年中行事記
近代デジタルライブラリー - 朝鮮旧慣制度調査事業概要
近代デジタルライブラリー - 高麗以前風俗関係資料撮要
近代デジタルライブラリー - 朝鮮 写真帖
近代デジタルライブラリー - 李朝実録風俗関係資料撮要

参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
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近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第12巻 178コマ 類聚三代格
『鹿園雑集』奈良国立博物館研究紀要|奈良国立博物館
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