香取神宮をうろうろ(115)
 香取志 (49) 神事に関して、司召・・・

 3月なのに暖かくないとか・・・しかし、暖かいとなると暑く感じられるし・・・季節の変わり目というのは厄介なものです。日本も軍拡に向けて先ずは、軍装品の輸出を考え、生産力を増強することから考えているようです。ある一定量の軍備を整えるにはそれなりの生産設備が必要で、そう言った生産設備は遊ばせておくわけにはいきませんからね。それなりの需要が無ければ維持できないのですから・・・しかし、政府は何をする気なのやら?なんとなく、春闘のベースアップも色々と工作があるような感じで、強く賃上げを政府から企業に対して要求したのかね?海外でも話題になっていますね。

Japan's trade ministry said Thursday it would take the unprecedented step of disclosing the names of firms that did not raise employees' wages in annual labour talks, after calls by the prime minister to boost pay.
The surprising move comes days after economy minister Akira Amari raised the stakes in sensitive pay negotiations with an apparent threat to take action against "uncooperative" firms.
The usually low-key talks were being closely watched to see if cash-rich firms would put more money in workers' pockets, amid worries about a looming sales tax hike slamming the brakes on growth.
The government "will react in some way" against firms which are "uncooperative with our policy of creating a virtuous economic cycle," Amari told reporters on Tuesday.

 国が、企業の給与に対して言ってくるというのは・・・給与ってのは、非常に長期の予定に基づいて算定しないと非常に厄介ですから・・・今年は調子が良くても、来年からどうなるか分からない・・・基本給+資格給とか複雑なシステムを構築して、給与支出を押さえなければなりませんから・・・退職金までの給与体系ですから・・・しかも、上げたら原則、下げられない・・・国の都合で、支出を強要されるというのでは・・・企業としては・・・ふざけるんじゃない!わが社の予定が予算が・・・ってね。金の話になると面倒な事になりそうな・・・こんな国、おさらばだ!って言いだす企業が出てもおかしくないかも・・・ただ、人間は、その場所に慣れているから動けないというのもありますが・・・海外への生産拠点の移転の次は、海外への本社移転だろうと思うが・・・ふとね。日本車企業が本社をデトロイトに置くのが流行ったら?こういった時、政府はどのような対応をするのか?気になります。しかし、大手企業およそ1800社について、5月までに賃上げの状況を公表するってか・・・経済産業省が春闘の結果を調査するのは初めだとのことで、企業の収益拡大が賃上げにつながっているかを検証し、調査結果は企業名と共に公表するか・・・しかし、輸出企業はドル建てでは収入は変わっていなくて、単に為替で円換算で売り上げが伸びているような感じだから、そんなに賃上げはできないと思うが・・・去年は1ドルの売り上げで、売上は70円でした。今年は1ドルの売り上げで、売上は105円でした。昨年に比べると、売上は1.5倍になりました・・・これでは、輸出企業は賃上げできないと思うが・・・賃上げをしないと制裁があるのか・・・企業経営者がどこで切れるか・・・こんな国、おさらばだと・・・毎日、下らないことばかり考えている・・・そうだ、ウンと政府から叩かれるのも手か・・・お前なんか出て行け!と言わせることができれば、円満に本社の海外移転が図れる・・・でも、自動車メーカーの本社移転があったら・・・コスト的には日本の工場は閉鎖だよな・・・まさか、それで軍需型の経済に移行しようとしているとか?・・・なぜか、タッカーって映画を見たくなりました・・・元軍需工場で作られた車・・・日米経済摩擦下に作られた映画・・・

 さて、香取志 28コマ 続きと行きましょう・・・

司召
同夜にある。継体紀に能官の二字を都加佐米志ツカサメシと読ませている。なお書に能官人と云う事がある。これより出た文字である。内裏に司召縣召がある、藻塩ならびに、県召とは外官除目である。昔は正月、今は3月に行っている。司召は8月である。この2つの除目は、縣とは国の事、諸国の任に赴く人は4年を過ぎれば、また改めて他の国に任ぜられるのである。今の余で言う役替にあたる。なお源氏物語、公事根源等に見ることができる。昔は同夜神宮の南廳でそれぞれの人品を選んで、その官々に任命したものを、近世はこの庁も廃れたので、その庁の跡に集まってその儀式を行うだけである。


 司召・・・除目ですね。任命式を行うわけですが・・・基本的に神宮組織は世襲だから、純粋な儀式ですね。藻塩ならびに県召・・・藻塩は何?司召って除目・・・普通には、選考された結果を発表して行く儀式ですね・・・近代デジタルライブラリー - 群書類従. 第五輯 586コマ 除目抄 除目の流れは分かりますが・・・清涼殿での公式文書発行の儀式ですかね?読みあげて記録するというやつ・・・春の除目は特に縣召除目、秋に行われるのは司召除目・京官除目などとと呼ばれたのは分かっていますが・・・この春の除目は1月11日から3夜にわたって行われて1日名は蔵人頭以下の五位蔵人に対して申文を発し、2日目の中夜は1日目と同じようなもので、この夜に顕官挙があり・・・六位が五位に昇進すると欠員が出るからそれを補うやつだったっけ?・・・そして3日目の入眼で書きいれたものに日付を入れて完成させ奏聞する・・・こんな流れですね。別段、当の本人を呼び出して何かするのではないのですが・・・国司か・・・国司ってのは大化の改新で出てきたものですね。

罷昔在天皇等所立子代之民処々屯倉及臣連伴造国造村首所有部曲之民処々田荘。
初修京師置畿内国司郡司関塞斥候防人駅馬伝馬及造鈴契定山河。

 昔の天皇が定めた、子代の民、あちこちの屯倉、そして臣・連・伴造・国造・村首の所有する部曲の民、あちこちの田荘を廃止するというのと、新しく畿内に京師・国司・郡司・関塞・斥候・防人・駅馬や伝馬と駅鈴や契を置いて国の範囲を定めるとか・・・こんな感じかな?旧制度は、地方分権で取りあえずの連合体だったのが、大化の改新で中央集権国家へ踏み出す事になるのでしょう。ふむ・・・国司を任命するのに、県召か・・・御上の御料地を治めるための県の官人の任命だから県召の除目であり、中央官以外の官を任じるから外官の除目だが・・・縣;あがた・・・県主ってのが思い浮かぶが・・・国造や伴造より旧式なヌシの称号のついたもの・・・大化の改新で廃止された名代・子代などよりも古い形の組織・・・古墳時代初期って・・・私の妄想だと東国支配は・・・東山道を開いて行った出雲系の連中ではないかと・・・国譲りで引き継がれていく・・・その時代のもの?まさか、香取神宮の司召は律令の除目ではなく、古い形態のものとか?

 だって・・・右の図のように、大ぜいが楼門前に並んでの儀式ですから・・・文書を作る儀式とは明らかに違う・・・県主は続きますし・・・香取神宮の創建時期からすると・・・これって、もの凄く古い儀式を根に持っている?なんとなく、香取神宮の儀式は、古いものを廃止せずに残したままに積み上げているような気がして・・・維新前の旧儀は・・・石器時代からの儀式の集大成だったのではないかと・・・大げさに言えば・・・妄想的に・・・香取神宮の儀式は日本の歴史そのものを敷衍しているとか・・・敷衍でいいのかな?あまり使わない言葉が頭に浮かんだが・・・日本の歴史を押し広げて語ることだから・・・微妙かな?どうも、日本語は苦手だ・・・というより、言葉で説明することは難しいというだけですが・・・外国語もできませんから・・・普段の生活が犬猫並なんで・・・香取志の記述だけでは不明ですね・・・維新前年中祭典式稿でも見てみますか・・・ざっと幾つかの文献を当たったのですが、司召神事の扱いがずいぶんと違うのです。この辺の温度差は何かね?ちょっと詳しく見るしかないね。

 司召の神事は、南廳で執行されたと言われていますね。そして、上の図のように、楼門前の一の鳥居の前で行われていたようです。どうも、鳥居の数え方は難しい・・・参詣に行く場合は、本殿から遠い方から一の鳥居、神社の立場からすると、本殿に近い方が一の鳥居ですかね?ふと・・・鹿島神宮は拝殿の前にも鳥居があるが、香取神宮は拝殿前に鳥居は無いですね。何かの本では神門って言い方をしていたような?香取と鹿島の違いは何かね?何か意味がありそうな?・・・とにかく、南廳はこのあたりにあったという事なんでしょうが・・・?なんとなく、庭上儀式が基本なら、南廳の位置は楼門のあたりになりそうなんですが・・・私の妄想では楼門は会昌門とか応天門に相当するもので、その門の前の儀式空間という感じですかね。

 もし、現在の境内を大内裏のような場所として整備して、都のような威容を作りだそうとしたら、どんな風な地割りになるかと・・・ただ、気になるのは基本的に、都のような風水の都市という感じにはなりにくい・・・蔵風得水の地ではない・・・従って、奈良時代に流行した都市づくりは不可という事になりますね。多分、香取神宮の場所は・・・縄文時代には既に基本となる道は開かれていたはずで、何か特別な場所として考えられていたと・・・私は、妄想しますね。一応、神宮の森も、所々発掘調査が為されているような感じですから、その資料もチェックしてこなければと思っているわけです。まあ、発掘結果は見当がつきますが・・・多分、数千年の間、かき回されて縄文も弥生もグチャグチャではないかと・・・そして、鎌倉時代あたりから土地利用の変化が小さくなって、現在に至っているとか?なんってね。

 気になるのは、香取神宮の経済基盤の神領支配を行っていた人達の本拠地は?というものです。江戸時代以前の場所は?慶長の造替では、職人たちは新市場を拠点に活動していましたから・・・このあたりが、大勢の人を置く経済的な基盤があったのではないかと・・・経済か・・・株価が下がっている・・・こりゃまた円が高くなるかね?既に消費税は上がるわけでから・・・為替によって見かけの利益が増大した企業で・・・ベースアップをした企業は一時金で調整するだろうから・・・4月からの消費支出の減少は夏のボーナスを越えて続くか?ちょっと気になりますね。やはり、為替をいじって見かけの経済成長を作ろうとしたのが間違いなのでは?ちょっと気になります・・・じゃなくて・・・慶長の造替あたりから、神宮の近くに人が住むようになったようですから・・・このあたりの兼ね合いが気になるわけです。大禰宜文書を眺めれば、その香取神領がどのように確立して行ったか分かるでしょうが・・・あまり面白そうでないので後回しにしていますが・・・興味はありますね。不動産関連の権利系の書類はあまり見たくない気分なんで・・・余計な相談を受けたりもしてるんで・・・そのうち・・・

 さて、司召の開始時刻は、戌半剋に開始です。大宮司・大禰宜以下惣神官及び六供僧等が列立し、先頭が次郎神主が内陣の鑰を、次が分飯司が大床の御鑰を、物申祝が司召文を持って立ち・・・神夫等が左右に炬をかかげ・・・右の図のように、楼門前の鳥居の所で行うようです。時刻は戌の半ばですから・・・午後9時に開始ですかね?そして、司召文は・・・

敬白、惟当来歳次年号干支正月元旦、撰定吉日良辰、掛忝令御座被祟賜、本朝鎮守鎮護棟梁、正一位勲一等香取大神宮並王子三十余カ所、左右八龍神等於宇廣前、依恒例次第、社官等姓名召進之状

大宮司以下名が並びます。そして、最後に

右、依恒例次第社官等之姓名令召進之状如件

名前が呼ばれる度に、各々一揖するのか・・・呼ばれたら軽くお辞儀ね・・・さて、この原型になった儀式は何なのでしょうね?明らかに除目とは違うと思いますが・・・縣召の儀式がこのタイプだった?気になりますが、それを伝える文書はあるのか?そもそも、除目は分かりましたけど、一堂に会しての任命式ってあったのかね?律令だから・・・辞令を出しておしまいかね?・・・香取神宮の司召しは除目とは別系統の儀式だよな・・・交替式・・・なんかとは無関係のものですから・・・近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第13巻 8コマ 延暦交替式 などを眺めていますが・・・なんだか、税関連より問題になっているのは、兵器や馬などの官物みたいな感じですが・・・

 確かに、税も問題にはなっていますが・・・このあたりが気になりますね。米などどうにでもなると思うので・・・何しろ、国衙や群衙の正倉の役割は徐々に郷倉とかに分散して行って、平安後期の実情は帳簿の上での員数になっていたのでは?どうせ(妄想)、郷倉の正税分を記帳しておいて、何かあったら、そこからの支払い命令で帳尻を合わせればよいのでしょうから・・・まあ、不動倉の方はチェックができますが、どの程度問題になっていたのか?・・・しかし、国衙の兵器や群衙の備品などは員数調査が簡単ですから、これではないかと・・・国衙の兵器が民間に流出したとか?なんとなくね・・・

 交替式の文言を見ていると・・・正税に関しての記載が多いですが、どれも帳尻が合わない時の理由書きの文例のような感じで・・・凶作だから・・・代物として・・・多分、律令の浸透、つまり、文書主義によって、実物による出納ではなく、文書による出納の命令で帳尻を合わせるようになったとか?現物を動かすのは面倒ですから・・・今でこそ、現物を本州・九州・四国で動かすには別に気にもしなくなりましたが・・・さすがに船や飛行機に積み替える北海道・沖縄など離島はまだまだですけどね。多分、日本って色々な意味で経済の先進国になっていたのでは?だから、共産主義に移行することなく近代資本主義国にいきなり成れたのでは?というより、律令のシステム下で既に、近代資本主義のベースになる社会システムが構築されていたのでは?それで、遠隔地に荘園を置く事が可能だったとか・・・物品を現物でなく情報として管理する技術・・・近代資本主義の根幹・・・私の妄想的解釈・・・ですけどね・・・まあ、一般に資本主義ってのは、金持ちの生産に関する資本を持つ資本家が、貧乏で自分の体しか持たない者を自分の指揮監督下に働かせて利潤を得る社会システム・・・資本家の頭の中には個々の労働者ではなく、XX農園、YY工場の中に包摂される人間、そして利潤は自分の手元に運ばれるわけでもなく、帳簿の上で管理され、個々の事業所で決済され、利潤は資本家の指示で資本家自身が動くことなく自由に動かせるというシステム。

 だから、時々貧乏をする大資本家が出るんだな・・・大資本を動かしているのに、自分の所に資産を還流させないので・・・凄く稼いでいるのに、なんで自分の所に金が無いんだ?なんで、こんな生活をしてるんだろう?なんって、自問自答する大金持ち・・・そう言えば、近頃は 近代デジタルライブラリー - 金は金を生む この手の本をあまり見ないような?株で為替で・・・そう言ったもので儲ける本が出ているようですが、自己改造によって積極的に行動し、金持ちになるためのものが・・・あれ、違った・・・司召だ・・・

 この司召の儀式は・・・近代デジタルライブラリー - 日本文学考論 43コマ 除目論考 で、なんとなく理解・・・除目・・・旧官を除き、神官を就けるか・・・そうすると、香取神宮のものは除目ではない・・・世襲だから認証式ですね。ふむ、除目と司召の用語の違いの検討が行われているが・・・定時のものに縣召と司召がある・・・その他の小除目がある・・・宮司除目か・・・これって神社関係じゃなくて皇后や中宮関連の官人の任命ですね。この論考で問題にしているのは、司召は秋のものなのに、わざわざ秋の司召と書くのか?という感じですね。私のいいかげんな言語感覚からすると・・・除目は、交代を意味し重任であっても任期の概念から逃れられないですから、一度解任されて任命なんでしょう・・・よって、除目は文字通り任期のある官職に着く事で良さそうです。それに対して、司召は単に、司に召されたというだけの意味ではないかと・・・除目は任期があるから、任期切れのドキドキ感があるでしょうが・・・終身官だとそのドキドキは無いでしょうね・・・そうすると、終身官の任命式って?郡司ですかね?神郡の郡司ってのは・・・ふと・・・郡司とかその四等官の枠の中は同一氏族の任命は原則としてないのでは?・・・神郡は別枠かね?また、知らないことが出てきたぞ・・・司召のリストの部分に中臣姓が並んでいたのでね。・・・香取大禰宜家に並んで郷長の家がありましたっけ・・・ん?香取郡の郡衙は?神崎の郡と、東庄町の今郡って噂が・・・

 神郡は基本的に律令の枠から外れた地方支配体制だったのでは?基本的に、神宮に奉仕するための氏族集団が独占的かつ排他的に運営・・・神罰って凄い兵器を持っていますから、あまり勝手な事をするわけにいかない・・・呪詛されたら大事ですから。香取神宮の近辺に郡衙らしきものはない。神領支配には物凄い経済的な基盤が必要なはず(妄想)しかし、香取神宮の近くには、その経済を支えられそうな場所が無い(失礼)・・・もうひとつ気になるのが、古いタイプの工業に属する醸造業が香取神宮の近くに無い・・・酒やみりん・酢などの超付加価値商品・・・酢なんって、極楽往生を妨げるだけの威力があると評価されていた調味料ですから・・・今昔物語にありますね。死に臨んで、ふと酢の甕を見て・・・この甕が誰のものになるかで往生できなくなる話がありますね。近代デジタルライブラリー - 攷証今昔物語集.  中 533コマ

 神崎には大禰宜家の所領があって・・・もしかしたら、高付加価値商品の製造を神宮から分離したとか?いや、本来神崎が経済的な本拠であったが、神宮を分離したか?これって、確認するには・・・相続関連の書類をチェックしなきゃいけないじゃん・・・まさか、香取神宮は律令体制に編入されるか、鎌倉新体制に入るあたりで財政基盤の保全のために何かやらかしたのか?なんとなく気になります。神崎神社の宮司は・・・

 もうひとつ気になるのは、滑川に関連のある高御倉社ってのを思い出したのです。高御座・・・本殿の北東にあるという場所・・・高倉目代・・・高倉の宮の館が西大須賀の三井寺・・・東三井寺遺跡とか、そういったやつが・・・なんとなくの名前の連鎖・・・

 根拠のない妄想は・・・なんとなく、神崎から滑川にかけて香取神宮の財政基盤があったのでは?このあたりなら多分、それなりに基盤となるだけの雰囲気を持っていますよね・・・それでは、妄想してみると・・・我ながら、考えるための無理な妄想をしてみます・・・ここまで出てきた内容から妄想すると・・・香取神宮の財政基盤は滑川から神崎にかけての沼沢地としましょう・・・沼田圃を開田した・・・佐原がずいぶんと遅れて開発されたことは分かっていますからね。そして、滑川だと中世の墳墓群がありますから、佐原より古くから開けていた・・・大禰宜家の所領があるし・・・次は、無理があるのは承知で現在の本殿の北東に高御坐=高御倉・・・滑川の高御倉・・・多分、神崎が支配・輸送の中枢だが、倉庫は穀倉地帯の滑川に置かれていた・・・しかし、神崎から郡衙が、東庄町の今郡移転・・・理由は何だろう?椿海かね?椿の木が倒れたとかなんとか?・・・とにかく移転・・・なんとなく滑川にあった倉庫も移転でしょう・・・しかし、それを香取神宮の現本殿の北東の場所へ移転させたとか?・・・この倉庫管理者・・・高倉目代も・・・文献に現れる高倉目代をチェックしないといけないじゃん・・・というわけで、一応、東三井寺遺跡の住所地へ行ってきました・・・行くのは簡単、この住所地は西大須賀共同利用施設というものがあります。どうやら廃寺になった跡が集会所みたいな役割をしているような感じです。一応、寺院の建物が存在していました。右のような場所です。赤い鳥居の先には2つの祠があって、右は天神様、左はお稲荷さんですね。奥にあるのがお堂のようです・・・賽銭箱に卍が書かれていて、それでお寺と知れるものです。手入れは行き届いていて、信仰は続いているようです。近代デジタルライブラリー - 香取新誌 23コマ 高御倉社 このあたりなら、なんとなくかなりの経済基盤になりそうな気がします。

 耀窟神社ってのが近くにあって、これが気になって以前このあたりをチェックしたことがあるので、久々に行ってみたわけです。この耀窟神社の北の方に横穴がずいぶんとあるようです。近代デジタルライブラリー - 鹿島灘 この小説の中で耀窟神社の近くの西大須賀横穴墓群が紹介されています。かつては40基余の横穴墓があったようです。明治27年37年に調査され、最近では昭和60年頃に調査されたようです。こんな場所なんで歴史は間違いなくある場所です・・・

 神郡の郡司か・・・裕福な郡ですから・・・郡司の私邸が郡衙になっていたとか?そうなると・・・大禰宜家の領地のチェックをしなきゃいけなくなるのかね。しかし、移転理由になりそうなものは何かね?可能性があるのは、香島から鹿島と表記替えになった8世紀初頭では・・・文献での初出は続日本紀の養老7年;723年11月16日条の記述だとか・・・近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第2巻 続日本紀 78コマ ふむ・・・

 721年に成立した常陸国風土記にも気になることが幾つか記載されていますね。私は、鹿島灘に流れ着いた大船の話が気になっています。既に、東北で大船が建造されて、それが回送されている・・・朝鮮半島経営のためでしょうが、そして、日本の国内は急速に中央集権体制に向けて走り始めている時期・・・鹿島は多分東北経営のための基地、香取は常陸の中海の要としての位置付けでは・・・そのうち、常陸国風土記もきっちりと読んでみたいものです。

 さて、滑川の東三井寺遺跡の所にあるお寺の建物なんですが・・・正面に比べて奥行きがあまり無いんです。ちょっと違和感を持ったんです。左の写真ですが・・・

 正面は右のようで・・・なんとなく気になるんです。

 この建物は、なんとなく古そうな感じなんです。建築材が寄せ集めというか・・・補修を重ねた結果なのか?かなり気になるんです。

 もしかしたら・・・これって、門を改造したのかとか・・・似た建物が1つあります。それは、滑川の観音様の仁王門なんです。例によって私の妄想的な類似性・・・柱は不思議なつぎはぎ・・・多角形の断面を持つ柱・・・正面は3間、奥行きは2間・・・雰囲気は5:2ぐらいに感じられます。なんとなく気になります。向拝がかなり長く感じられます・・・正面から見たのでは向拝がずいぶんと大きいなと思うのですが・・・なんとなく気になります。近代デジタルライブラリー - 香取郡誌 126コマ 東三井寺跡 多分これではないかと・・・薬師堂ですかね?不明・・・高倉目代ね・・・ただ、戦後すぐの航空写真から読みとれるものとちょっと形が違うような?詳細は不明です。ただ、このあたりの地形を眺めると、なんとなく、奈良朝の頃の流行の風水による都市づくりの雰囲気が・・・

 左の写真の黄色い丸の部分が、この東三井寺遺跡の場所ですね。裏山をふくめて方形の区画になっています。多分110mの150mの方形区画がこの寺の敷地のような感じです。雰囲気は蔵風得水の地のような感じです。車でまわりもちょっと走ってきましたが・・・にわか風水師にもなかなか良い場所のように見えましたね。

 そうだ、下総町の町史の村絵図集成にこの地域の絵図があるか・・・残念、西大須賀のこの部分は無し・・・残念・・・西大須賀は旗本領・淀藩・寺社領であったようで・・・淀藩240石、小笠原石見守1054石、八幡神社領10石ということのようです。

 ん・・・しまった、神崎をチェックするのに、風水の知識を活用していない・・もし、神崎が奈良時代の風水師に見立てられて蔵風得水の地を選び、当時の流行の都市づくりが行われたのなら・・・どこに東三井寺と同じようなものを置くか・・・

 あれ?神崎神社の南は風水でいう蔵風得水の地にはなりえないですね。水陸の交通路の集まる場所でしか無い・・・特に、古い利根川の川筋を考慮すると・・・ありえない・・・神崎中学校のあたりも悪くないが・・・東に丘陵が無いから無理・・・ああ、ありますね神宮寺が・・・これが、神崎神社の別当寺か・・・知らなかった・・・近代デジタルライブラリー - 香取郡誌・・・ふむ、なんとなく華やかなのは神崎神社界隈だが、古い集落やその防衛拠点は成田線の北側にあるようですね。小松が駒繋ぎからの派生で馬を置く駅、神崎神社に近い所に水駅の荒海があったのかね?この駅が廃止されたのは・・・805年かね?この廃止時期には神崎の郡衙が、東庄町の今郡へ移転しているとか?郡衙の移転があったら、そりゃ郡衙を結ぶ通信システムに変更を加えなければならないでしょうから・・・しかし、幹線からどのように繋がるのか?しかし、今郡は・・・主要交通路から外れるような?どんな交通路でつなぐか?県道74号線?・・・ここに移転するとなると・・・このあたりの開発を行ってそれが軌道に乗って大きな利益を上げるようになる時期・・・新田開発を行って50年程度とするなら・・・墾田永年私財法の発布で、新たな財源のために開発行為を行ったのか?・・・妄想をでかくするとこんな感じですかね?

 この神宮寺が風水によって場所を定められたなら・・・ちょっと東が弱いから、塚とか何かを東に置いている可能性がこいつはちょっとはっきりしないですけどね・・・

 しかし神郡・・・独立性の高い郡なので香取大禰宜家につながる豪族の本拠地の私邸を郡家として郡衙機能を持っていたのではないかと・・・よって、律令の定める郡衙の様式とはちょっと違っている・・・祭祀の拠点が、神崎神社、高房神社、切手神社、東大社、木内神社、大戸神社、側高神社、などで、それを統括するのが香取神宮であったとか?まあ、神社を土豪の役所と考えれば良さそうな?これらの神社の分布と、その支配領域の関係でも眺めると何かが見えるかもしれないですね。

 どうも、学校で学んだ古代のシステムとは外れてきていますね。妄想を構築しているわけですから仕方ないですが・・・一応は史料らしきものに当たって構築しているが・・・

 でも、なんとなく・・・律令体制というのは、神領と称する所には、それほど強く浸透して行かなかったのかね?従って遺構はそれほど大規模なものは出てこないのかね?ちょっと気になります。香取神領か・・・史料があるか?

2014.03.16

  

関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - [東亜研究所]資料. 丙第312号C 南方地域の石油 映画、空の神兵でも見るか・・・
近代デジタルライブラリー - 検索結果  南進叢書 凄く興味深い・・・神社じゃなくてこういったのをやれば良かったか?
近代デジタルライブラリー - 皮肉社会見物
近代デジタルライブラリー - 最暗黒の東京
近代デジタルライブラリー - 風俗問題
近代デジタルライブラリー - 簡易食と安価食
近代デジタルライブラリー - 考古の栞 学生案内
近代デジタルライブラリー - 検索結果 江見水蔭 なかなか読む暇がない・・・


参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
近代デジタルライブラリー - 検索結果 明治神社誌料
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 千葉県 534コマ
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 茨城県 592コマ
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本地理志料 
国立国会図書館デジタル化資料 - 和名類聚抄 20巻 
大日本海志編纂資料 資料分類
近代デジタルライブラリー - 大日本神名辞書
茨城県遺跡リポジトリ
近代デジタルライブラリー - 仮名日本書紀. 上巻 204コマ 景行天皇
国際日本文化研究センター 怪異・妖怪伝承データベース
近代デジタルライブラリー - 検索結果 和漢三才図会
近代デジタルライブラリー - 和名類聚抄地名索引
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近代デジタルライブラリー - 検索結果 神祇志料
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近代デジタルライブラリー - 検索結果 政事要略
近代デジタルライブラリー - 検索結果 大日本古文書
近代デジタルライブラリー - 大宝令新解
国立歴史民族博物館データベース
 旧高旧領取調帳データベースの検索
近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第13巻 延喜式
延喜式検索システム
近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第12巻 178コマ 類聚三代格
『鹿園雑集』奈良国立博物館研究紀要|奈良国立博物館
近代デジタルライブラリー - 大内裏之図
近代デジタルライブラリー - 帝室制度史 6巻. 5巻 附圖
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