香取神宮をうろうろ(110)
 香取志 (44) 神事に関して、元三・・・

 妄想は面白いものです・・・もし、たった一人で離島に配属って、妄想のテーマとして面白いと思うわけです。昔と違って、常時接続のインターネット環境など・・・金はかかりますが、衛星通信を使うのならそれほど困難ではないと思われますし、ヘリポートや、我が国の誇る飛行艇などをバックアップとして考えるなら、別段大したことはないような気がします。政府の機関としての執務室の映像をネットで公開していれば良いわけですから・・・勤務時間中は必ず、そこにいる事・・・射撃練習などもネットで流しておくと・・・賭けの対象になるかも・・・次のが中るかどうか?テーブルの上に100円玉を積んで・・・馬鹿な事ばかり考えてしまいます。外周と、執務室などネットで中継していれば、そこは政府の出先機関に早変わり・・・アメダスの観測網を組み込むとか、政府の財産とそこに、国民が存在するのなら全然問題ないのでは?桟橋の先に飲み屋とか・・・漁船が寄るような場所も用意するとかね・・・その近海で操業する漁船には、寄航の義務をつけるとか・・・ちょっとの酒と半日の休息ができるとかね・・・結局の所、恒久的なものを維持するのにかかる経費の問題であると言えると思います。

 公務員としての給与は出す、基本となる仕事はある程度あるが、その場所で何かの研究を行う事に意義があると信じる人間を送り込み、それなりの成果を上げれば、国立大学にそれなりのポストを準備するとかで釣れば・・・釣られる人間が出ると思いますがね・・・4年ぐらい官費で研究ができて、それなりに世間から注目されるような職業になるように考慮すれば・・・内藤湖南のような人物が出来上がるかも?ふとね・・・京都帝国大学教授が、妙な具合に出来上がる・・・昔の外務省はなかなかやるものだと・・・陸軍も一枚かんでるような・・・それでも良いと思いますけどね。文部省は文句をつけますが・・・済崩しで・・・面白いものです。

 さて、香取志 25コマ 祭事に入るとしましょう・・・祭事は、かなり複雑なのではないかと・・・長い年月の中での変遷なども考慮すると・・・でも、史料の手持ちがそれほど無いのでどうなるのか気になるわけです・・・そして、現在の香取神宮の祭祀に関しても知識が不足している事は分かっています。だから、かなり面倒なのかと、尻込みしているというわけです・・・建物はとは違うんでね・・・人間の行うものですから・・・さて、気合を入れて始めるとしましょう・・・

吾が神宮の毎年の神事は、全部で90余度ある事は建永二年十月関白前左大臣家政所御下文にもみられて、昔からそうである。総国風土記には舒明天皇三年秋七月始めて圭田を奉じ神礼を行うと書かれている。そして、代々を経るに従ってその数は増加して、ついに90余度になったのである。その中には大祭・小祭があって、また摂末社のものもあって、神宮のものだけではないのである。それについては各条の下に委曲を挙げる。その昔、祭祀の盛んであった時には、国家より楽人舞妓の装束を賜い、大神事の時には楽を奏して厳しい祭をさせていた。この事は、延喜式に掲載されている。吾が大皇国官幣国幣に預かる社は3132坐であって、内裏より楽人舞妓の装束を下し賜って、神楽を以て厳めしい祭を行っている社は、吾が神宮の他には聞いた事がない。このことからも他の社とは違っている。また、祭祀の厳めしさも見るべきものである。今考えるに、延喜式香取神宮楽人の装束の條に楽人六人料云々、舞妓八人料云々と出ている。今、楽人は7人であるのがこれである。慶長・元禄の2度の装束を下賜されたとき、神楽所7人とある。これがそうである。舞妓の8人は詳しくは分からない。7人の内に長となる者が掌ってこれを出す。それで、八乙女という女職の家がある。古は舞妓8人を掌っていた職なのか、そうでなければ、8人のうち7人が絶えてしまって、残った1人にその名が留まっているのであろうか詳らかではない。また内裏内侍所の御神楽、毎年12月吉日を選んでこれを行っていた。一条天皇の御時から始まったと江家次第記に見られる。これより外には、恒例として神楽を奏して祭を行う社はない。これは、世の中の乱れによってこの事は今となっては廃れてしまった。祭祀も古とは違ったものになってしまったので、今の様の概ねを記す事にする。

 建永2年;1207年には90余度の祭りが行われていた・・・事実上明治の初めまで行われる祭の大枠は、この時点で既に定まっていたという事なんでしょう。そりゃ、この時期の祭の詳細は不明ですが・・・多分、大きな違いはないのだと思います。国立国会図書館デジタルコレクション - 日本総国風土記 4巻. [3] 30コマ これがまた出てきましたね。630年頃から国家による祭祀の関与があるという事ですかね。時代としては・・・百済の状況が悪くなって行く最中ですかね・・・この時期は新羅に対して百済は王権の伸長に伴って優勢ですが・・・日本にも朝貢していて・・・日本も国際問題にさらされていたのかね?そういった状況下で、香取神宮などの神社の祭祀に国が関与するようになったのかね?可能性としては面白いですね。神頼みというよりは、有力氏族を糾合して国際的に地位のある国家を形成しようとしての作用かね?

 この時代のパワーは・・・人の頭数なのかもしれませんね。だから、動員できる人数を増やす事が重要だったとか・・・今は、電力などのエネルギー・・・近頃エネルギーコストが高くて・・・私の所などは、電気代の支払いが苦しくて・・・ふむ、安全性が確認された原発は再稼働を進めるか・・・安全性の確認なんってできるのかね?不思議なことば・・・想定の範囲をどこにするかで安全性の確認なんってできるはずないのに・・・直径10mほどの隕石が落ちれば安全性なんってものは意味のないものですから・・・所詮、人間にできる事なんってものはそれほど確実性のあるものではないし・・・ミサイル攻撃を受けるとか・・・所詮、聞こえの良い言葉を並べて、時間を稼いでいるだけにすぎないね。決定なんってものは素早く、そして実施しなければ意味を持たないですから・・・可能な限り原発依存度を低減させるなんって時計を戻すような事なんかできるはずはないのですから・・・国内の原発施設の廃棄と、原発製造に関するすべてを解体するなんって・・・常識的に考えられないのに、平気で公約する政治家の程度の低さを思うだけですね。あほらしい・・・円安で、エネルギー不足で・・・輸出する製品のイニシャルコストの増大なんか考えていないのかね?気になる部分です。脱原発でも私は構いません・・・最悪、自分の所は100%太陽光発電でもやって行く事はできなくもないですから・・・海岸の小屋は100%太陽光発電・・・冷蔵庫もありませんが、その生活も可能ですからね。ガス冷蔵庫でしのげばOKですし・・・電気冷蔵庫などは・・・この半世紀ぐらいのものですから・・・冷たいビールは飲みたいが・・・コンビニが近くならOK・・・原発か・・・私が悪の政治家なら、軍拡ネタに使うかな?国際的なテロ、国家によるテロを想定して、原発を守るため原発などのような施設には軍を駐屯させる・・・国家の安全のため・・・重要施設の軍による管理・・・独裁政権の基盤作りとか・・・防空ミサイル基地などを設置して・・・自衛隊とは別の命令系に乗せて私兵化するとか・・・

 しかし、不思議なのは・・・できもしない事をできると言って・・・しばらくすると言をひるがえす事ができる人間って・・・信頼に値しない人間のような気がしますが・・・政治家にはそれが許されるのか?気になるものです。やはり、政治家というのは人倫から外れた存在なのか?・・・また変な妄想を始めてる・・・

 さて、気になるのは、装束などが下賜される事って凄い事なのかね?なんってふと思うわけです。まあ、貰えないより、貰えた方が良いのですが・・・それより、楽人や舞妓を置いておけるということ自体が凄いと思いますね。文化に荘厳さを与えるようなものって、ある意味・・・無くても済ませることができますから、経済的に苦しくなれば切り捨てる事が可能です。結局の所文化を維持するためには、それなりの財政基盤が必要であるという事なんでしょうが・・・そして、その財政基盤の安堵が重要であるということなのだと・・・まあ、何かを権威筋から貰うと簡単には止めるわけにはいかないというのもあるのでしょう。さて、どんな儀式があったのやら?現在とはどこが違うか眺めるとしましょう。

元三
正月元旦の夜の祭祀である。元三、相撲、大饗を三箇の大神事とも、神楽とも云う。正月元三は三箇の神楽の第一の日であるので、その年に当たってその勤めに預かりこれを掌る神官の家で、別に炊屋・酒殿を作り水火を清めて大御餞を炊く、また大神酒は酒殿で醸す。社頭の酒殿が廃れてから、このようになったのだと思うが、今、社頭の御炊屋があるので、なおこのようになっているのだから、昔からこのようだったのだろう。かくて御机枡というもので、米5斗5升を炊く、このマスは今枡で二升三合が入る。それであるなら、今枡では1斛2斗6升5合である。菰を結んでこれを盛るための器を作ること33である。これを巻行器とも巻机とも云う。後で詳しく記す。これ、太古の質素の遺風である。そして、元旦の朝日の豊栄昇に、婦女老若を問わず、草々の華やいだ着物を身につけて、彼の御餞を頭に頂き、大炊殿に奉る。膳部所の神官が集い集まって、これを33の巻行器に写して、その夜の神庭の置坐に据えて供え奉る。なお、毛麁物、毛和物、鰭の広物・狭物、奥津藻菜、辺津藻菜、甘菜、辛菜、その他、山海の種々の幣帛が非常に多くて、詳しくは記述することはできない。後で、大略を述べる。


 元三ね。ガンザンとかガンサンというやつですね。年・月・日の3つの元というわけで、元日を示したり、三が日を示したりする言葉ですね。1月1日の夜の行事だと・・・香取神宮は夜の祭祀が多いですね。遷宮などは夜の行事のようです。そう言えば、春日大社の若宮神を本殿から御旅所の行宮へ遷すのは、深夜の暗闇の中で行いますね。このとき、行列の人々警蹕ミサキの声を「を〜を〜」と発するとか・・・これは、なんとなく、隼人の連中のやる奴みたいですね。春日大社も香取神宮も根は同じということなのでしょう。

 なるほど・・・重規君も大炊殿=御供所があるが、酒殿はないのが気になっているような感じですね。多分、形式的に飯や酒を製造する場所が社頭に置かれたのだと・・・しかし、香取神宮の特殊性・・・境内に水源を持たないという事で、神饌の準備を行う場所・・・包丁式の場所としての神饌殿=御供所が存在しただけだったのではないかと・・・水源の近くに酒殿が置かれ、いつの間にか、祭当の社家で假屋を置いて飯を炊き、酒を醸すようになったのではないかと・・・気になるのは、香取神宮の近くの酒造家は?と気になるわけです。醸造業は・・・佐原から神崎にかけてが盛んですね。神崎の酒蔵まつりに行かなきゃ!3月中旬の日曜日・・・香取神宮の近くでは醸造業は盛んではない・・・何か理由があるのかね?水の関係ですかね?ちょっと気になります。

 多分、神宮が持っていた酒造の技術が早い時期に放散してしまったということではないかと・・・酒は商品価値が非常に高いためだと思われます。佐原・神崎の酒は江戸へ・・・北浦の津の村々は醸造業が盛んで、ここで造られた醤油が江戸に送られていたようですね。それと、薪が多く出荷されていたとか・・・何の資料で見たのか?後でチェックしておかないと・・・

 さて、御机枡が出てきましたね・・・香取神宮をうろうろ(81) 香取志(15) 穀物の流れ・・・ここでちょっと触れたやつ・・・年中の祭典に用いる米を机米ツクエマイと言う。この机米を計る舛を金丸舛という、二升三合入りなり、三升三合入りもありとのこと・・・この2つのマスは何に使うのやら?3.5kgと5kgぐらいを計る舛・・・祭器ならびに神饌名目考にあるやつですね。一応、今昔物語じゃなくて、日本霊異記にある、穀物貸し出し用の小さな枡と、受け取り用の大きな枡・・・容量からすると、律令の半年分の公定利息に相当する枡と考えたやつですね。机米を量るときには小さい方を使っていますから、この2升3合に何か意味があるのでしょう・・・米一升は机銭5文か・・・和同開寶の1文が布1常に当たるとか・・・そんな事を思い起こしてしまいますね。・・・日銀の資料で見たことがあるような・・・和同開寶で当時の1升の米が5文とか・・・当時の1升は現在の約4合相当だったかな・・・なんとなく和同開寶での規定の準用か?しかし、23合か・・・6升ね・・・5文は銀銭か?銀銭1枚について銅銭25枚だったかな?・・・これでは合わない・・・ん・・・銀銭は地金の1.5倍ほどの価値があるとされたが・・・地金貨も流通していたようで・・・それでも合わないな・・・通貨史もチェックが必要ですね。

 机銭の5文は・・・布1常の系譜にあって・・・米は別系統かね?良くわかりませんね。ただ・・・神前に上げるのは小判ではなく銀貨でとか元禄の造替の際にやっていますから、なんとなく・・・私は銀に拘ってしまうわけです。とにかく、机銭・机米・机XXという物に関してはそのうち考える必要があるような気がしますね。なんとなく、律令の頃の遺風が残っていそうな気がしますから。

 さて、元三関連では、どうやら1月1日の鶏鳴から10日までは神楽を奏さないようです。代わりに、版を打つと維新前年中祭典式考にありますね。笛や太鼓を用いず、版=板を打って神楽の代わりにするようです。どんな具合に打つのか分かりませんが・・・拍手より大きな音が必要なのか?気になる所です。しかし、どんな板を打つのやら?魚の形をしているやつは・・・魚梛カイバンでしたね。これは、禅宗のお寺さんで見かける、眠るな!のサインのようなやつですから・・・板木も寺院の鳴物ですかね?神社だと・・・拍子木になるのかね?笏拍子とか・・・鳴物が古い時代では違っていたということなのでしょう・・・鳴物は養老令の軍防令との兼ね合いが気になりますね。楽鼓と軍鼓はどのように分けていたのか?陣太鼓は私的所有が禁じられていますけど・・・そう言ったものとの関連があるのかと・・・山鹿流の陣太鼓とか忠臣蔵で有名ですが・・・物語の話ですね・・香取神宮で正月中に打つのは打板・・・神より板、琴の板とか言って杉の板を叩いているのかね?

 さて、巻行器の話が出てきますね。製造法は香取宮年中祭典記にこんな図がありますね。なかなか興味深い・・・香取群書集成2巻は結構面白いのではないかと・・・香取志では祭祀をざっと眺めて、詳細は気合を入れて、そのうち眺めるとしますかね。

 利根川に生えるマコモを夏の土用の間に刈り取って、干しておいたものを編んで、この巻行器が33造られ、これに1石2斗6升5合の飯が盛られるわけですね。

 この米を計る舛・・・机米を計る舛を金丸舛という、二升三合入りなり、三升三合入りもありってやつ・・・祭器ならびに神饌名目考にあるやつですが・・・江戸から明治にかけて生きた人の筆になるもので、分飯司家所蔵の文献の記述ですから、多分・・・枡座で造られた公認の枡を使っての換算でしょうから信頼できる数値ではないかと思います。すると・・・この枡は23合=4140mLですから、律令の1升がおよそ4合とされていますから・・・この枡は6升ということになって・・・律令の1升は690mLということで私の中では完結させておきましょう。ちょっと、気になったのは・・・4合ってやつ・・・酒には四合瓶がありますね。確かあれって、盃って単位だったのでは?どうせ、為政者の都合で、酷税を誤魔化すために、一升を大きくしていったのでしょう。現在の1升=1800mLになったのも・・・江戸枡から新京枡に変更する際に縦横を1分ずつ減らし、深さを2分増やして容量を4%近く増加させたみたいですから・・・しかし、酒の方は4合が律令の1升を踏襲して行ったものではないかと・・・酒税は仕込みの米にかかっていたようですからね。そのため、日本酒は酵母の耐アルコール性を高めて、醸造酒での20%を越える高アルコール濃度の酒を生み出したみたいですから・・・そして、さらに柱焼酎を加えて高アルコール濃度の腐らない酒を生み出し、それを水で割って飲んでいたようですから・・・如何に少ない米から沢山のアルコールを作りだすかという事が重要だったようです。

 私の妄想研究成果としては・・・香取神宮に伝わる金丸舛の小枡から、律令の1升は現在の0.38升に当たるとでもしておきますか・・・大枡はもちろん、米を小枡で貸して、半年後に受け取るときは大枡で、当時の利息制限法の限度の利息とした。と、しておきましょう。真面目な研究の振りをすれば、修士論文ぐらいかけるかもしれない・・・「香取神宮の金丸枡による律令の1升の推定」とか・・・2種類の枡に関しては・・・日本国現報善悪霊異記下26話の近代デジタルライブラリー - 群書類従. 第拾七輯 日本国現報善悪霊異記 58コマ これでも引けばOKでしょう。しかし・・・酒を水で割って量を増やすとか、貸す時には小さい枡、受け取るときは大きな枡・・・当時の効率的な枡の用法が示されているような・・・なんとなく、当時は利息制限法の規定の枡があったのではないかと・・・6升ね・・・思い当たるのは711年の穀6升を銭1文と定めるというやつかな?708年に和同開寶が発行、710年に銀銭の使用禁止・・・よって6升枡で和同開寶の銅銭1文の規定の延長線上にあるのかね?

 再計算・・・この律令の6升枡を1升として用いて、5斗5升の米を炊く・・・律令の6×55=330 330升が33の巻行器に納まるって・・・なんだ、巻行器の容量は律令の枡で10升入りじゃないか・・・なんとも美しい数の関係・・・6升で1文の規定で・・・和同開寶で55文か・・・机銭は米1升=5文換算・・・そうすると、55÷5=11 11単位の机銭・・・33÷11=3 巻行器3つ分が5文に相当する・・・5と6の最小公倍数の30升か・・・美しい数の並びになってきましたね。なんとなく、大宝律令下に於ける祭式の様相を示してきましたね・・・

 とにかく、香取神宮の金丸枡は律令の6升で穀の価格1文を量り取るのに使われたもので、祭祀の基本料金は5文で、律令の規定の30升で、飯でいうと巻行器3つ分に当たる・・・とでもしましょう・・・10升で1斗も表すには、この30升って良さそうな表現ですね。律令の時代って、こういった数の関係って重要視されたのではないかと・・・ふと、律管が頭に浮かびました・・・黄鐘の管の長さ9寸・・・現在は黄鐘の周波数は437.0Hzのようで、この周波数の音叉が売られていますね。平均率のAの音が440.0Hzですから、これよりわずかに低い音が標準なんでしょう・・・周代はどうだったのか不明ですが・・・音の高さを共鳴管の長さで定義していますね。こんなことを考えると、最新流行の律令体制をいち早く具現したのではないかと・・・そして、それが伝統として残っている・・・右の図が、金丸枡で米を量っている所ですね。

 穀物の現物なら、23合借りの33合返しで、この大小2つの金丸枡で説明が付きますが・・・穀物借りの銭返しだとどんな計算になっていた?ちょっと気になります。というか・・・米や布現物通貨と銭の2本立ての経済ですから・・・米や布は不良在庫という概念はないのでしょうか?ちょっと気になります。

 金はないけど米は余っているから、米で払います・・・布が過剰生産気味だから布で・・・なんとなく、現物通貨がメインで、銭は補助貨幣的な使われなのか?それとは逆なのか・・・ちょっと気になります。そもそも、律令の時代・・・余剰生産品はそれほど無さそうな・・・だから経済成長率が極めて高く、実体経済そのものが、ハイパーインフレ状態だったのではないかと・・・それでも、米の消費は大して多くないから・・・国衙・群衙の正倉には米が余り気味で30年ほどで、過剰在庫状態になっていたとか?

 ちょっと巻行器が気になり始めました。なんだか、まこもの束を編んだ物ですが・・・

 なんとなく、基本構造は米俵との類似があるような?

 一応、巻行器の製造過程の図が香取宮年中祭典記にあるんですが・・・右の図ですね。何やら・・・桟俵のようなものを作っています。もしかしたら・・・この桟俵のような物をマコモの束を巻きつけたような物の底に入れるのなら・・・こりゃ現物を見てこないといけないかな・・・

 1度現物を見たことはあるんです。古い古い記憶・・・香取神宮の宝物館に展示されていた物が・・・さすがに古すぎる記憶で・・・詳細はというより、内部を覗かなかったので外見の記憶しかありません。

 なんとなくの妄想によれば・・・納豆容器の藁苞の仲間の発展形なのかと・・・菰・・・マコモ・・・米俵の構造は菰で円筒形の側面を作り、その両端を桟俵で閉じる形になっています。側面は稲藁で造るにも関わらず、その名称は菰なんですね・・・菰を編むのは菰編台を使うんだよな・・・多分、縄を利用する技術が発達する前の容器製造技術になるのではないかと・・・しかし、製縄技術は縄文時代には既にあるから・・・縄でマコモを編むという発想に至らなかったのか?・・・ちょっと気になります・・・そもそもこの容器では織りの概念が欠けている製品ですから・・・まさか、製縄技術は比較的新しい技術なのか?少なくとも、縄文土器の底には網代の跡がありますから、編むという技術は存在していたことは間違いないですね。網代の場合には単に継ぎ足して編み広げて行くことでかなりの大きさのものを作ることが可能ですね。そして、莚や菰はもじり編みによって作られますね。縄文時代の石器で大量に出てくる石錘などは・・・漁網のおもりとか、このもじり編みのおもりとか言われますが・・・巻行器はこの手の技術とは無関係・・・って・・・何か、もの凄く古い伝統の継承物なのか?と気になるわけです・・・

 どうもイメージが湧かない・・・多分、古代の製糸技術について知らないことが多すぎるような・・・まったく、自分の無知さ加減にあきれますね。縄文時代の糸は・・・木綿ユウの類・・・麻や楮・藤蔓などから採った長繊維を指で紡いで作ったものですね。指で紡ぐ糸と、両手で綯う縄への技術的な差は感じられないが・・・なぜ、巻行器には縄が使われていない?

 指で紡ぐ糸・・・と縄綯いの技術に差があるのか?紡錘車で紡ぐ糸と、指で紡ぐ糸・・・指で紡ぐ糸も種類があったかな?単に縒りがかかっているだけのものと、よじって絡み合った縄のような構造の糸と・・・分からん・・・糸、紐、縄、綱、索・・・違いは何?製法や使用目的、時代的なものなどで、重層的?複層的?な分類が行えそうなのでこいつを考えるだけでも無茶苦茶時間がかかりそうですね・・・

 とにかく、左のようなもじり編みの系統のものとは違った技術・・・左の写真は、正月の伊達巻のものですが・・・技術としては経糸に相当する糸ですけどね・・・菰の方もこれと同じ技術で作られるのに・・・細い稲縄があれば問題ないのに・・・巻行器は飯米を盛る容器なのに・・・ん?まさか、巻行器はもともとは飯米ではない何かを盛るための容器だったとか?米が価値あるものとして登場して、何かの代わりに飯米を盛るようになった・・・

 可能性のあるものを考える必要がありますね・・・稲が導入される前の、神にささげられる・・・価値ある物・・・米が富の象徴であるなら、富の象徴となりうるもの・・・多分、それなりに価値があるものだから、米が割り込んできても、神饌に残っているはずのもの・・・そして、米のように粒状または、粉体のものかね?

 神饌をだらだら見始めると、鮭の胎子がありますね。筋子に塩をして、紙で包んで藁苞に入れて、燻製にしたもののようです。こいつは旨そうだな・・・濃厚なネットリ感のある筋子・・・藁苞系ですが違いますね・・・

 色々なものが苞に盛られているようです。可能性のありそうなものは塩苞萱ですかね?塩が神饌として上げられているようです。

 しかし・・・あの律令の枡で10升の塩の33個分の塩って考えにくいし・・・残念ながら、稲作以前の祭祀まで考察することは困難であると・・・違った・・・妄想することすら困難ですね。ただ、ヒントになるものではないかと・・・なんとなく、香取神宮の祭祀は石器時代まで遡れるのではないかと・・・巻行器って不思議な入れ物だということです・・・
 
 元三の時の料理に関しては、確かに色々なものが並べられています。一部は左のようなものです。多分、現在の大饗祭の品目と変わらないのではないかと思いますが・・・詳細は、現在を知りませんから不明ですね。

 食いもの系はなかなか厄介です・・・試作して食べてみたくもなるし・・・久々で筋子の燻製でも作りますかね・・・あれ?ずいぶんと長くなってしまった・・・ここらで切るとしましょう。

2014.03.02

  

関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - 群書類従. 第拾七輯 14コマから日本霊異記

参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
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国立国会図書館デジタル化資料 - 和名類聚抄 20巻 
大日本海志編纂資料 資料分類
近代デジタルライブラリー - 大日本神名辞書
茨城県遺跡リポジトリ
近代デジタルライブラリー - 仮名日本書紀. 上巻 204コマ 景行天皇
国際日本文化研究センター 怪異・妖怪伝承データベース
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近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第13巻 延喜式
延喜式検索システム
近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第12巻 178コマ 類聚三代格
『鹿園雑集』奈良国立博物館研究紀要|奈良国立博物館
近代デジタルライブラリー - 大内裏之図
近代デジタルライブラリー - 帝室制度史 6巻. 5巻 附圖
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