香取神宮をうろうろ(107)
 香取志 (41) 寒川の神社から・・・

 さて、何か面白い事は無いかと・・・毎日毎日考えるのですが・・・無いものですね。少なくとも、新しい映画の在庫は日々増加していて、映像を楽しむことに関しては問題ない生活ですかね。これで、自由になる金が沢山あれば、それほど問題は無いのですが・・・近代デジタルライブラリー - 検索結果 往生要集 往生要集を眺めたりと・・・絵入のカラー版が読んでいて楽しいですが・・・この手の本で楽しんで良いのか、ちょっと疑問ですが・・・とにかく、人間の想像力というものについて考えさせられるものです。源信の時代の極楽地獄・・・極楽はどうも、食べ物に困らず、常に音楽が流れ、良い着物を着るとか、明るい光の中にあるとか・・・その程度ですね。このくらいなら、仕事というものが無ければ、実現にそれほど困難なものではないという事です。地獄の光景は・・・面白いの一言ですね。荒唐無稽な社会・・・往生要集の中で私が置かれたくない立場は・・・地獄の鬼にはなりたくないですね。絶対に死なない亡者を相手に、毎日死を与える役・・・どんなに残忍な事をしても、しばらくして涼しい風が吹き、生きよ生きよとやられると、残酷の限りを尽くして責めさいなみ殺した相手が生き返っちゃうんですから・・・

 右のような挿絵を見ると・・・お前さん、また同じ奴をいじめてるのかね?そうなんだ、今日は3回も殺したんだが、忌々しい風が、こいつを生き返らせるんだ・・・俺たちの仕事は何なんだろうね?俺たちは、こいつらを罰しているのか、それとも、こいつらに罰を与えるという罰を与えられているのか分からないよ・・・俺たちの仕事の休みは、地獄の釜の定期点検の時だけだから・・・ひどい話だよ・・・いつ、この仕事から解放されるんだろう?こう、毎日、死なない奴を責め苛んで殺したとしても・・・あの忌々しい風で、元の木阿弥だ・・・俺も、死んで地獄に落ちてみたいよ・・・なんてね。さて香取志 25コマ 続きと行きましょう・・・

寒川の神社、蘇我比唐フ神社 右二坐あり千葉郡、老尾の神社 匝瑳郡にあり、高椅の神社、健田の神社 右二坐結城郡にあり、麻賀多の神社 印旛郡にあり、茂呂の神社、意富比の神社 右二坐葛飾郡にあり、桑原の神社 岡田郡にあり、蛟〔虫偏に罔〕ミツチの神社 相馬郡にあり
我が神宮にこの十社を加えて式内当国の十一社と云う。往古は神宮正殿の前左右に五社ずつ、この十社を祭っていたと。長保二年の旧記に書かれている。


 下総国の式内社のリストですね。長保2年;1000年か・・・一条天皇の御世・・・当社香取大明神神秘三十六ヶ大事の記述ですね。・・・長保二年十一月三日 神主 左馬頭従五位上武名の著述・・・多分、後代の偽書なんでしょうが・・・

 それぞれの社の仕様は一丈三尺桧皮葺・・・4.5mほどの社ですね。なんとなく・・・羽黒山を思い出しました・・・隋神門を入って下って、ちょっと先へ行った所の末社群・・・こんな風に参道の左右に並んでいたのかね?正面右に神木、神木に並んで中殿だか中門があって・・・

 事実かね?一丈三尺って境内社のサイズとしてはかなりの大きさで、これが十社も並んでいたら、その威容たるや・・・かなりのもののような気がします。羽黒山で隋神門を入って、その先に、この右の写真のような空間に出会ったとき、凄いな!って思いましたから。

 この不思議な空間・・・始めてでしたね。軒を競ってという感じで社が並んでいましたから。かつての羽黒山の様子を見たい気がします・・・誰か3Dで最盛期の羽黒山の堂塔を再現しませんかね?かなりの手間と考証が必要になると思いますが・・・とにかく、現存している物だってかなりの量ですからね。

 まあ、私ができるのは簡単な合成写真ぐらいですね。この写真を元に、手持ちのそれらしい映像を重ねて簡単な写真合成をすると・・・

長保二年の香取神宮の社殿の様子は左のような感じになるのでしょうか?左右に大きな境内社が並び、その奥に御神木と中門とがあり、その先に本殿があるというイメージです。

 今の雰囲気とはずいぶんと違います。多分、庭上儀式の関係があるでしょうからもう少し、境内社の間隔が広いかな?本殿がかなり大きいな・・・でも、こんな感じでしょうね。・・・中門の背が低すぎるんだな・・・しまった・・・大戸神社の写真をベースに使えば良かった・・・そうすれば、元禄の造替以前の姿を比較的簡単に造りだせる・・・まあ、そのうち、様々な時代の香取神宮のイメージを作り出せるような気がします。

 こうなると、3Dソフトも引っ張り出して久々に、オブジェクトを少しずつ作成して行くと良いのかな?なんって気になってきます・・・御神木から、現在の祈祷殿の南東の地面が等高になっている所までの距離が25mほどですから、ほぼ御神木の所から軒を連ねて隙間なくという感じになるのでしょう・・・これって凄く凝縮された空間が生まれると思われます。

 ただ、古い絵図を見ると・・・この庭前の凝縮された空間というものがなんとなく感じられなくもないですね。でも・・・古い絵図との関連は?と考えるわけです。右の図が本殿などの主要部を描いた部分です。これって、多分・・・理想形?概念?古くからの言い伝えの具現物?伝承の位置?御神木の位置は不変と考えたときに、私の頭の中では、本殿は御神井道へ向かって・・・南東に向かって建てられていたと考えたわけです。多分、江戸時代になっての最初の造営ではその様に向いていたと思われます。本殿の位置を十数メートル下げていますし、建築の順序からすると、現在の神札授与所あたりにあったと思うのでね。

 ちょっと、今考えているのは、この図は正しいのではないかと思うのです・・・本殿は南東どころか、ほぼ東に向いていたら?と考えたわけなんです。基本的に東向き、参籠所は南向きで北側に中門につながる廊下でもあったのかと・・・そして、この神庭を斜めに切るように連なっている細長い2つの建物が、下総式内十社の5社ずつの建物ではないかと・・・正神殿の左右に5社ずつ・・・御神井道から直進し、5社ずつ都合10社をめぐって、その先の祓殿へ辿り着く、祓殿で御祓いを受けた後に神庭に入り中門へ、そこで参拝・・・とか・・・鹿島神宮の仮殿前に注連縄を張り巡らせた空間の祓所が存在します。香取神宮にはそれが無いのでね。それで、なんとなく・・・

 建久4年4月6日の造営リストを眺めると楼門が無くて・・・東廊・西廊が、東廊一宇、五間葦葺作料官米七十石・西廊一宇、五間葦葺作料官米七十石・・・上の図では神庭を斜めに横切るように南北に並ぶ細長い3間の建物で表現されているものではないかと・・・そして、ここに5柱ずつ10柱の神が祭られていた・・・右下から順に参拝して左上へと参拝して・・・その先にアサメトノ 一宇三間一面=仮殿前が祓所として使われていた・・・そこから、戻って神庭に入り参籠所の前を通り・・・中門へ・・・上の図は室町期の比較的新しい状況をしてしているような気がします。古い状況は・・・御神木の北側に参籠所があったのではないかと・・・しかし、参籠所の位置が変化するのと、造替に関して仮殿があるというのが気になります。伊勢神宮の造替では旧本殿から神本殿への遷座・・・遷宮で済む・・・香取神宮では旧本殿から仮殿、そして、新本殿への遷座が行われる・・・旧本殿が解体されて、神本殿が作られる・・・旧本殿の背面庇の神座は旧材が使われる・・・もし、上の図は東を向いて建っている本殿を正しく表現している・・・御神井道からの延長線上に10座の下総式内社が並んでいるとしたら・・・

 祭祀空間の連続性という事を考えると・・・宿直がありますから、参籠所は同じ場所に建て替える事は不可ですね。従って、参籠所の位置は上の図の位置と。御神木を挟んで反対側の位置にあるパターンがあってもおかしくない・・・造替を行うための必然ですね。御神井道と御神木の位置は不変・・・従って、御神井道から入った先の10座の下総式内社の位置は不変・・・仮殿のアサメトノは同じ場所に造替が可能・・・鹿島神宮と同じで祓所が仮殿とセットと考えると、アサメトノの場所に祓所があって、アサメトノが隠滅しても・・・祓殿として存続・・・最後は榊だけになる・・・ここで行われた祓いは・・・多分、祭当のそれぞれの家の社へ・・・神宮境内で完結する祭りから・・・祭当の家から祭りが始まる・・・神宮を中心とした社家の結束を高めるためのシステムかね?・・・本殿の造替は、本殿を解体してそこに本殿を建てるのかね?背面庇の御神は旧材を使うようですから・・・そして、元禄の造替の際には本殿の位置を変えることについて特別な問題は無い・・・すんなり決まっていますね。鹿島神宮の場合は、その位置が重要らしく、占いによって神意の確認を行っていましたっけ・・・従って、香取神宮の本殿の造替は、本殿の位置の変更が必然なのかもしれません・・・

 もし・・・上の図のように、本殿が東向きで、元禄の造替の際には現本殿の位置が窪地で杉が生い茂る場所であるなら・・・造替の場所は1か所ありえなくなりますね。そうなると、本殿の所在地は、神木の西の現在の拝殿のあたりしか無い事になる・・・そして、本殿・中門・参籠所がセット・・・参籠所は新旧が併存、神参籠所が完成して移転したら旧参籠所は解体・・・建久4年4月6日のものでは・・・廳屋一宇、五間一面葦葺なのでしょう。

 妄想的に・・・別に、古い時代の神社の向きは・・・天子南面の思想とか入る前に造営された神社には関係ないような気がしますから・・・現本殿の位置を避けて、古い絵図の向きが正しいものとして本殿は東向き、造替に関して下げたり前に出したりとしたと妄想すると・・・経蔵の位置も正しい位置関係になりそうですから・・・正神殿の前に5社ずつという条件と、現在は完全に隠滅しているという条件と、妄想的に御神井道からの参道と右の図のABの不思議な配列を満たす条件としてはOKなのでは・・・ただ、Cをアサメトノ=仮殿、その前を祓所とするなら・・・本殿との距離がありすぎます。遷宮の際には仮屋根の付いた幕を張った通路で結ばれますから・・・中門が重要な儀式空間であるのなら・・・Cは祓所であって、アサメトノではない・・・そうなると、アサメトノの位置は2つの新旧の中門Dの間の南・・・楼門正面あたりになる・・・それならば、アサメトノは楼門が成立して仏堂の要素を取り込んでくるとサイズ的に愛染堂となってもおかしくない・・・と妄想しちゃいますが・・・

 他に気になっているのは・・・奥の御前六所・高御坐という表現の社ですね。奥の御前六所は六所神社の事ですが・・・奥の御前・・・何かの重要な物の前にあるという言い方ですね。高御坐は倉庫として扱っていましたが・・・坐を庫と見ていることから・・・口伝ではなく文字情報を元にしているようです。神宮の艮・・・北東にある・・・高御坐は香取志で、私は初見ですから、出典は何なのかは不明ですが・・・六所神社の前に祭祀空間が存在するという事になるのでしょう・・・

 具体的に地図上で示すと左のようになりますね。上中央に花園神社とされている場所に黄色の四角で示したのが奥の御前六所になるわけです。ここに猿田彦って書き込みがあったのもちょっと気になるんですが・・・ここは北側が崖になるんですかね?台地の縁に近い所です。そして、南向きに社は建っているので向かい合う位置に北向きに何かが存在していたような感じです。かつては・・・私のいいかげんな昔の記憶では、斥候杉の所から、この黄色の丸の所を道が抜けていたような記憶が・・・道じゃない・・・道の跡のようなもの・・・木が倒れていて入れなかった・・・おぼろげな記憶では・・・そこから鹿島新宮か宝蔵か何かの建物が見えたが、そこからは・・・垣があって入れなかったような・・・

 それと・・・御神井道から真っ直ぐに、極当たり前に左の図でも矢印で進入路を示していますが・・・なんとなく、ここの階段の勾配からすると、ここに通路が作られたのは比較的最近のような気もするわけです。右の写真ですね。これまた根拠はまるでないのですが・・・もし、この石段が昔から存在していて、かつては土の段や、中央部分を石段としていたなら・・・左右は水が流れてかなり深くえぐれる・・・それなら、この勾配というのはちょっと考えにくいというだけの話なんです。右のブロック積みの部分は・・・トイレの拡張の関係での土留めなのでしょう・・・

 古い記憶なんで、良く覚えていないのですが・・・昭和45年か46年に香取駅から、御神井道から上がり、右へ行き、斥候杉の跡の看板を見た記憶が・・・そして香雲閣・六所、桜馬場から本殿の方へ連れて行かれたので・・・そして、宝物殿を見て、旧参道の石段を下りて左へ行って右へ、森林の中の道を要石へ・・・そして、雨乞塚・長威斎を眺めて・・・奥宮は記憶が無い・・・そして現表参道の大鳥居の所に出てきて、草団子を買って・・・バスで佐原へ向かおうとバス停の前で待っていたら・・・佐原行きのバスは通過・・・バス停のポールが片側にしか無くそこに立っていたので、香取駅方面の客に見えたわけです。

 現在は、左の写真のように、佐原駅方面は、当バス停の反対側にてお待ちくださいの表示がありますが、昔は無かったんです・・・昨年、久々に行ったとき恨みがましく確認してきました。

 バスが行ってしまったので・・・香取駅まで歩きましたね・・・佐原だって大差ないと思うのですが・・・なぜか、親父は香取駅へ向かいましたね・・・多分、佐原への道を良く知らなかったのでは?もしくは、佐原の方がずっと遠いと思ったのでしょう?・・・でも、確かに倍ぐらいあるか・・・1時間ぐらいかかるかな?とにかく、香取駅から佐原へ行って佐原から土浦へ船で、そして常磐線というコースでしたね・・・

 そう、この神社シリーズの原点は・・・このときの記憶からなんですからね。でも、御神井道を通った記憶は現地に行くまで、記憶の奥に沈んでいましたね・・・なぜかこのときの総門の記憶はないですね・・・総門は昭和17年に竣工のようですが・・・表参道を通らなかったか?あ・・・バス停から、表参道を上がって、総門を通り・・・桜馬場へ・・・桜馬場の斜面の階段を下りて民家の庭先みたいな所の道を通って大坂へ出て、香取駅へ向かったのかな・・・なんとも、マニアックな道をたどったような?桜馬場へは・・・なんとなく、今の道とは違ったような?・・・記憶が定かではない・・・

 長い年月を生き続けた神社ですからね・・・時代の変化の中で、時々大きな変化をしてきたのではないかと・・・時代の雰囲気や、時代の要求によって・・・元禄の造替や・・・明治期の祭祀の変化・・・さまざまに形を変えつつ伝統を守って来ているわけですから・・・明治期の旧参道・・・昭和初期の現参道・・・多分、時代の要求ではないかと・・・為政者の交代などで・・・その正統性を示すために・・・伝統を引き継いでいる事を示す・・・

 なんとなく・・・易姓革命なんって言葉が頭の中に浮かんできました・・・天は自ら統治することは無く、地上を何らかの兆しのよって示した王家によって統治させます。しかし、この王家が徳を失うと・・・天は、その命ずるところを改めます・・・革めるので・・・これで、革命が起こると・・・これが王朝の交代・・・私なんかが思うには、天は人間のつまらぬボス猿争いなど関心が無いのではないかと思うのです。多分、天の関心事は・・・人倫ではないかと、万民の正義・正しい行いというものに関心があるのではないかと思います。多分・・・これがその時代の徳・・・ある意味、流行のようなものです。下々が是とするもの・・・これから外れると、所詮ボス猿・・・代わりなんていくらでもいる・・・徳というのは、その時代の論理によって証明できる正義であるとか、正しい行い・・・政治家といえどもそれから外れた行いは許されない・・・しかし、政治家は時代を作ることができます・・・万民が是と認める物・・・しかし、是のようであって・・・感情的な不安定なものを持ち出す政治家も出てきます・・・一時的な是というものです。良く考えると・・・馬鹿な!というようなものですね。こいつを持ち出すようになると・・・その政治家・王家は、実は時流に乗れていなくて・・・見放される・・・天であろうが、下々であれ・・・権威は財政的な基盤によって尊敬されもし、財政的な基盤が無い・・・というか、その実は国民の資本である事がばれると・・・そんなものか・・・と言われて馬鹿にされるわけです。馬鹿にされるようになった時は・・・一般的に、挽回不能な状態ですから・・・側近すらそっぽを向く事になり・・・組織は動かなくなり崩壊するしかなくなる・・・これが、私が思う易姓革命なのです。・・・・天は人を以て言わしむ・・・天とは多分、みんなが思い信じている事ですかね?・・・公序良俗の集団的解釈・・・とでも言えば良いのかな?

 ふと、オリンピックに関連して・・・政治家には言った方が良い言葉で、国のトップの代表選手に言ってはいけない言葉・・・誰の金でお前はでかい顔をしているのだ!もっと実績を出せ!政治家は、誰の金で動いているかを往々にして忘れるようですから・・・そりゃ、当選するときは、支持基盤かもしれませんが、当選したら・・・民衆の代表者で、支持基盤だけの代表者では無くなるわけですから。そして、民衆の血税を使うのですから。しかし、国際大会の代表選手は・・・それ自体で、我が国のトップであり、それは尊敬に値するものですから・・・それが、我が国の実力なのですから・・・負けることで文句をつけるなら、代表を送ってはいけない・・・だから、参加することに意義がある・・・ゴールドメダリストは、人類のトップであり、国を越えて、我が人類のトップであり、国を越えて尊敬されるべきものだと思うのですが・・・

 ありゃ・・・またやっちゃいました・・・ここらで切って次回へ・・・ちょっと気になる事があるので、ちょっと調査です。

2014.02.23

  

関係ないが、興味深いもの


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東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
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