香取神宮をうろうろ(106)
 香取志 (40) 風神の社から・・・

 日本って先進国として生きられるのか?ちょっと心配になってきました・・・先進国って、先取りの気性を持った国で、それを実践していなければならないと思いますからね。原発にしろ航空宇宙にしろ・・・何でも最先端の技術を有しなければならないのではないかと思われます。しかし、近頃は保守的というか・・・技術など高度に発達させて使いこなしてこそ技術であるわけですが・・・大言壮語が好きになるようでは・・・

 私も、できれば最先端の生活を送りたいと思いますが・・・お金がね・・・金が無くても最先端に近い生活がしたいと思うと・・・情報通信に特化して最先端の生活というものを構築するしか無くなるような感じです。良いものが食べたい、良い服を着たい・・・色々と欲望はありますが・・・衣食に関してはかなり低レベル・・・この所は最先端の洋画には接している感じですが・・・良い酒も飲みたいし・・・最先端の生活って何?とか最先端を求めつつ考えるわけです。

 最先端って何?・・・やはりエネルギーを大量に消費する生活となるんですかね?知力・体力を補うために・・・昔なら簡単・・・沢山の奴隷または使用人を使う生活でしょう。今は、そういったものではなく電力などのエネルギーを使うことで豊かさを作りだす事ができますね・・・奴隷というと労働の種類だけ奴隷がいるわけです。物語などを語る奴隷、歌舞音曲のための奴隷、調理のための奴隷、経理のための奴隷とか・・・

 今は、コンピュータを奴隷として使って・・・映画に歌舞音曲の類は世界中から集められ、給与計算とか経理事務とか文書仕事は大抵の事をこなしてくれますね。電気というエネルギーを使って・・・原発はそろそろ再稼働でしょう・・・政治家には舌が2枚どころかもっとありますから・・・原発を稼働させるために安全設備投資をさせたり・・・全廃のためには不要な作業を平気で指示したりね・・・それに、国内では危険で稼働不可の原発を海外に輸出する事はOKとか・・・頭が狂っているとしか思えません。危険なものを売りつけるなんって・・・倫理規定はどうなってるのか?やはり、政治家というのは人倫から外れた存在なのかね?

 最先端のものに興味を失ったら、日本は何をするのかね?最先端の未知のものに対する憧れを失くしたら・・・最先端の未知のものの探求は手を抜けない・・・忙しいから余計な事はできない状態になっている、そうでなくなったら・・・小人閑居して不善をなす事になるのかね?人倫から外れた政治家の下で行われる不善は・・・なんだか、ちょっと怖くなってきます・・・結局は、普通の庶民が困る事になるだけなのでしょう・・・久々に、風が吹くとき なんってアニメでも見たくなりました・・・昔々のレーザーディスクがありますからね。

 戦争が可能になる世界が近づいている・・・そして、人殺しの事ばかり考えている政治家がいる・・・怖いね。私は、殺されたくないから、殺さない事を考えますが・・・政治家は殺す事を先ず考えるのかね?

 さて香取志 24コマ 続きと行きましょう・・・

風神の社
津宮村にあり、祭神は三坐、中社倉稲魂命、左社級長津彦命、右社級長戸邊命である。二月初酉の日にこの神を祭る。


 この神社は何かを調べているときに所在確認をしましたね。香取駅の北に国道へ出る道の東側、津宮幼稚園の並びの角の公園のような社地ですね。ここは神仏混淆の度合いが高かったようです。

 ここの敷地の南西の角に頭が無くなって代わりにそれらしくセメントで補修された仏があります。右には奉待廿六夜愛染明王の碑があります。愛染明王で月待講があった?どこの愛染明王?って考えてしまうわけです。このあたりで愛染明王というと、香取神宮の愛染堂、又見神社近くの東光山総持院の本尊の愛染明王、このお寺は現在はありませんね・・・どうなったのやら?天竺鈴なるものがあったとか・・・気になります。

 ここにはこの三坐の他にお稲荷さんと御霊宮で5つの社があり、五社の由来という碑が立っていました。お稲荷さんは明治41年の河川改修工事でここに移転してきたとか、御霊社は おそれの宮 とか・・・このあたりには古墳が沢山あって、里人がそれを壊して畑にした・・・悪疫が流行し・・・この社を現在の香取駅前に祀った・・・昭和44年にここに移転してきたようです・・・残念ながら、この碑には愛染明王に関しては何も書かれていません。これも、どこからか移転してきたものかもしれませんが・・・詳細は不明です。二月の初酉の神事では、昔は深夜に行われていたが、現在は昼間に行われるとか書かれていますね。確か、何かで読んだね・・・この日の神事は見るものではなく、見ると良くないらしく、里人はこの日の夜は夜歩きしなかったとか・・・この社は香取神宮の末社のようですが・・・どうも、神宮の神事とは切り離されていたような?明治18年以前の96の神事の中には入っていませんから・・・年中祭禮大禰宜勤方などには現れてこない神事です。風神祭って言うと4月や7月だったような?それでなければ八朔の行事・・・なぜ2月なのか?・・・風神とは関係ないのか?2月中の行事は・・・一萬灯ぐらいですから・・・何かあるかね?

 見られてまずい物・・・そう言えば鹿島神宮の方にありましたね。・・・道祖神児童公園って所に・・・ここには「こっそり神」ってやつがありまして・・・願い事には、人に見られないようにこっそりとやってきて、こっそりと帰ると願いがかなうとか・・・残念ながら、ヒントになるような事柄は無いですね。こういうときは・・・先へ進むしかない・・・

住吉社 稲荷社 妙見
妙見とは浮屠が称する所である。これら三社共に丁子村にある。


 妙見とは浮屠・・・浮屠かブッダの音写だね・・・仏塔ってのもあるけど仏教徒の言う妙見、星を祭っている社ぐらいの意味なのでしょう・・・丁子の摂末社か・・・近代デジタルライブラリー - 香取郡誌 232コマには、八雲神社に素戔鳴命、側高神社に不詳、住吉神社に底筒男命他二柱とありますね。これで住吉社は確定ですが・・・住吉社に稲荷と妙見があるのかね?このあたりが分からない・・・航空写真で確認しますが・・・不明、そのうち気が向いたら現地調査ですかね・・・住吉社なんだけど、仏教徒は妙見様と呼んでいるという事かね?住吉社なんだけど、稲荷もあって通称がお稲荷さんで通っているとか?でも、三社共にある・・・近くに妙見神社がありますが・・・香取町多田字堀之内・・・丁子じゃないし・・・この住吉社GoogleEarthで前の道がチェックできますが・・・参道が良くわからない・・・先へ進むか・・・

落書の社
大倉村にある。古老が伝えて云うには、鹿島の神の使いの鹿が文をここに落とした。こののちしばらくは祟りがあって、里人がこれを恐れて祠を建てて落書の社と祀ったという。この説には疑いがある。それでも、鹿島の神の使いの鹿が我が神宮に来る事は今でもある。1年とか3年を隔ててだが、多くの人がそれを見ている。鹿が来て神庭に膝を折り伏した後で、瑞垣を3度巡ってから去って行く、昔からその様に云われている。


 この神社に関しても情報が乏しいですね。大倉字石神代にあったが明治41年;1908年に大倉の側高神社に合祀とのこと・・・明治41年というと利根川の堤防関連かね?ちょっと不明・・・香取神宮のお使いの鹿はあちこちで何かやらかしていますね。これって、何か元になる事件があったのか?気になります。香取神宮に鹿島の神鹿がやってくる?なんとなく、餌に困った鹿が神宮に迷い込むという話みたいですね。数年に1度ぐらい迷い込んで来て、御宮の前に座り込んでいる。そして、何もないと瑞垣の中を窺って、そして立ち去る・・・そんな感じですね。

 神社って、鹿を飼っている所がありますね。神鹿・・・私のような罰あたりが考えると、なんで飼ってるの?って感じですかね。餌代はかかるし・・・経済効果は余りなさそうだし・・・私だと、直ぐ商売にすることを考えてしまいますが・・・神鹿の角で作った特別なお守りとか・・・ナイフの柄などに良いですから・・・プレミアムグッズを考えてしまうのが情けない・・・ゴルフのティーとか・・・なるべく小さくて加工が楽で・・・それなりに売れそうなやつ・・・楊枝、耳かきの先・・・考える事がみみっちくなってきたぞ・・・でも、昔は鹿角や鹿皮などは経済的な価値を有していたのではないかと・・・ふとね。まあ、石器時代じゃないから骨角器の需要はあまりないかな?だから・・・お守り・・・神鹿の数は少ないから、高付加価値商品に化ける可能性がある・・・和栽のヘラとか、箸、帯どめ・・・天然素材の手工芸品ってのは高付加価値商品の可能性を持ってますからね・・・あれあれ、何を考えているやら?春日大社 おみくじ 鹿 - Google 検索 春日大社の鹿がくわえているおみくじって秀逸・・・私も欲しくなってきた・・・鹿みくじ500円か・・・鹿島神宮にはこういったものは無いのか?ちょっと気になりますね。久々に鹿島神宮でものぞきに行くか・・・香取神宮の重要文化財の狛犬は・・・駄目だ・・・かわいくないから売れないな・・・でも・・・悪くないか?趣味の問題ですね。やはり春日大社の一刀彫の鹿みくじは秀逸かもしれない・・・

 ちょっとだけ、春日大社に行きたくなりました・・・まあ、観光ってこんなものなのかもしれません。

 また馬鹿な事を考えちゃいました・・・右の合成で作った写真・・・顔がかわいくないから、基本は吉の系の神籤をくわえさせておいて、100に1ぐらいの割合で大凶をくわえさせて・・・大凶が出たら昇殿して御祓いが受けられるとか・・・阿吽箱入り1200円、大凶なら御祓い+お守りが付きますとか・・・どうだろう?大凶保障付きおみくじ・・・馬鹿だね。焼き物で・・・このぐらいの値段なら粗利はかなり出そうだな・・・うん!神棚に上げるのに良さそうなサイズにするとか・・・次は・・・

山王の社
近江国日吉と同体である。山王とは習合者流が称するものである。


 日吉大社ですね。ここの祭神は大己貴神(=大国主神)、大山咋神ですから・・・この神社は・・・分かりませんね。山王は中国天台山の鎮守の地主山王元弼真君ですから・・・地主神・・・亀甲山の地主神は?・・・この香取志の建て物系の中で今のところ出てきていないのは・・・大山祇神社で祭神は大山祇命・・・海や山を支配する神・・・三島神であったり、酒の神であったり・・・そう言えば、香取神宮って林業をやってましたよね・・・風で木が倒れると入札で売る事をやってました・・・林業の神は?・・・明治18年のやつだと・・・1月4日・4月11日に山口祭ですかね?ただ、大禰宜勤方や源太祝年中行事には見当たりません・・・大山祇神社の例祭は1月8日・・・不明ですね・・・大山祇神社は神徳館の北側にあって・・・総門脇あたりから見ると、左の写真のように見えます。

 奥まった所まで入り込むのは面倒なんで・・・でも、ちょっと建物としては境内の神社とは雰囲気の違った建て物ですね。

 山王の社か・・・これかもしれないけど不明ですね。先へ進むか・・・

水神の社
罔象の女神を祭っているの違いない。二社あって、一社は吉原村の境にあり。一社は元は平井という所にあったが、今は追野という所へ移して祀っている。


 ミヅハノメの女神ですね。吉原村との境か・・・追野は又見神社の北の方ですね・・・残念ながら、特定不能ですね。次に行くしかない・・・

大炊殿
今、御供殿というのがそうである。毎日の神膳はここから調進している。文永官符には、大炊殿一宇三間葦葺金物あり、作料官米三十石無足の間、荘々の作料官米の内で行事の所の沙汰として、これを造り進す。


 ふむ御供殿ね。参籠所の南にあった建物ですね。御供殿と神饌殿って違うのか?ちょっと気になります。現在、香取神宮には神饌殿というのが本殿の西側にあります。神饌殿の扉の所から眺めると、右の写真のように、拝殿の西の扉に正対しています。しかし、この神饌殿は・・・なんだか物置みたいな感じですね。別に、ここから毎日、神膳を調進しているような感じではないですから・・・ちょっと不思議な感じです。

 なんとなく、元禄の造替で、参籠所の南、御神木の東に造られた御供所とは意味が違うような感じですね。なんとなく、現在の社務所の並びの北の棟が御供所のような感じですね。

 多分、アサメトノの後身・・・仮殿としての役割なのではないかと思いますが・・・そう言えば、この前の本殿の改修の際に仮殿はどこを使ったのだろう?気になります。昭和初期の改造では、この場所に假御本殿を建てていましたから・・・

 ん?大山祇神社は長部山だって?という事は・・・現在の大山祇神社とは違った神社があったのか?長部山って、神宮の南東にあった舌状台地・・・城跡があるとか・・・

 昭和の始めには、大山祇神社は左の写真の右下の黄色の丸で囲った所か、その下のあたりにあった・・・神宮は左上の四角で囲った場所ですね。現在は山ごとなくなっていますから・・・この台地を削った時に移転したのかね?

 確かに、右の昭和の初めの改造の際の配置図の中には璽神社は存在していますが、大山祇神社が無いですから・・・多分、昭和の始めには大山祇神社は現在の場所には無かったようですね。

 改めてみると、斥候杉の所の道が、現在のものと違っていますね。今は、大きく東の方へ蛇行していますね。六所神社に向かって直進する道になっていますね。神徳館の門の位置が現在より前に出てますね。多分、総門下の広場ができる前・・・道の位置も微妙に違うのかな?

 神社についての基礎知識を増やさないと・・・近代デジタルライブラリー - 神道秘伝行事宝典 知らない事がいっぱいある事に気付きますね・・・なんとも、泥縄・・・この本一度読んだはずなんだけど・・・ちっとも理解していない・・・まあ、こんなのを一回で理解するのは困難ですが・・・やはり基礎力が足りないからねぇ〜 さて、次は・・・

参籠所
五十余人の神官等、一昼夜にして交代し、直宿の所である。


参籠所は、右上の図では旧神饌所と書かれている場所ですね。現在の、神札授与所の場所です。宿直か・・・直宿で「とのい」と読むのか・・・一昼夜で交代ね・・・勤務開始時刻は何時からなんでしょうか?ちょっと気になります。仮眠など取ったのか?何かに宿直の輪番のリストがあったような気がしますね。

 旧大禰宜文書に香取太神宮毎月三日三夜御宿直番次第ってのにありますね。
一番・・・大宮司・大神主・総検校・文三郎祝・塙祝・吉原検杖・禰宜祝
二番・・・大禰宜・四郎神主・田所・六郎祝・修理検校
二番・・・宮介・次郎神主・高倉目代・角案主・秀野長
四番・・・権禰宜・六郎神主・権判官代・酒司・土器判官代
五番・・・物申祝・中平(幣?)神主・田冷判官代・権検校・銀冶屋検校・擬祝・油井検杖
六番・・・国行事・堀口神主・中祝・三郎祝・正検非違使・大細工
七番・・・副祝・小井土神主・権介・権祝・佐原禰宜
八番・・・大祝・大長手・正判官代・五郎祝・源太祝・木守判官代
九番・・・録司代・小長手・権検非違使・佐原案主・分飯司・権次郎祝
十番・・・行事禰宜・幣所祝・雉判官代・鳥検杖・神子別当

 こんな具合です。毎月三日三夜ですから・・・1の日が一番の当番かね?旧暦だと29日か30日ですから・・・月の満ち欠けの周期が29.5日なので・・・十番は楽ができるのか?ちょっと気になります。一番と五番の人数が多いのは何故ですかね?なんとなく、これで一の日と五の日なんって気にしただけなんですが・・・詳細は不明です。

酉尅到来、可相渡、不可有懈怠、仍状如件、
干時天文十三季甲辰二月吉日

 ああ、リストの後に、こんなことが書かれているね・・・酉尅・・・酉の刻かね?なら午後5時から7時ごろ、日の入りの頃・・・夜勤から入るようですね。夜が明けてからうつらうつらで仕事かね?帰ったら倒れるように寝られるか?サボるな!か・・・皆さん大変ですね。夜勤は何をするのでしょうか?気になりますね。そうすると、神夫は日勤のみかね?でも宿直惣使って神夫がいますが・・・宿直の準備をする係りかね?膳部所担当も入っていますね。ちょっと気になって、上のリストの内膳部所の担当を赤にしましたが・・・よくわかりません・・・多分、食事は神様と同じで朝夕の2回なのかな?膳部を動員しておく理由は特にないとか?でもお腹がすくような気がして・・・供物は撤下するようですから・・・何かに鼠に食べられてしまわないようにってありましたが・・・どうも余計な事ばかり読み、そして気にしてるようです。この輪番からすると夜食は出ないのか?気になります・・・そのぐらいの役得があっても・・・仕事に張り合いが出るというものですが、食べたら・・・眠くなるかね?

 それぞれの番の先頭の責任者は両社と六官、そして奉行が2名ですね・・・どういった組み立てになっているんだろう?ちょっと気になります。大宮司・大禰宜は対外的なもので神宮を空ける事が結構ありそうな感じですから、そういった事についても考慮されていそうな感じなのでね。そのうち細かく見て行く事にしましょう。

楽殿
年中九十余度の祭祀または臨時にもここにて神楽を奏するのである。よって楽人舞妓の類、命婦などまでこの殿に群参していた。


 神楽殿ですね。元禄の造替で復活?しますが、このときには、必要だから造ってくれ・・・大きさとかそういったものは分からないが昔は存在したとか、そんな感じの心もとない請求のようでした。そこで、楼門内の西側に右のような感じに建てられたようです。この建物が元禄のものかは分かりませんが、明治の初期に存在していたと思われる建物です。

 写真の神楽殿の手前にある木が木母杉ですね・・・どうも、この神楽殿はそれほど大きなものではなさそうです。神楽人が7人女職が11人ほど香取神宮にはいたようですから・・・まあ、入れない事は無いが・・・舞などは庭上でのようですから、楽人が入れば良かったのではないかと・・・幕府への要求も、とにかく作ってくれって感じでしたから・・・

 奏楽や舞などは経済基盤のしっかりした神社でないと維持するのが大変だと思いますね。文化装置は高価なものです。まあ、年間90回も利用するのであれば・・・というより、それぐらい活躍してくれなければ置く意味がない・・・なんって思ってしまいますね。文化って無駄なものが大切だと・・・

 現在はこの楽殿は、旧拝殿の祈祷殿を利用しているようです・・・祈りというのは継続なのかね?私も、毎日祈りたくなるような神を持ちたいのですが・・・どうも、そういった精神構造を持たないのか、神秘体験預かれない人間なのか・・・靖国問題で総理の参拝が国際問題になっていますね・・・自宅に神棚があって、そこには靖国神社の大麻があり、毎日奉仕していて、人生儀礼も・・・靖国で行っている・・・毎年決まって参拝に行っている・・・それなら、隠れてこそこそ行くのはOKでしょうね。ただ、それでも、そういった人が日本の首相になったら、諸外国は懸念するでしょう・・・・靖国神社参拝・・・総理大臣として、望まれる姿は何か?これって・・・パターンA、毎年昇殿参拝を行っている人が、総理大臣になっても続けている。パターンB、毎年昇殿参拝を行っている人が、総理大臣の期間だけ昇殿参拝を行わず、私邸で祀っている靖国神社を参拝している。パターンC、総理大臣期間中だけ、注目を浴びるために靖国神社を参拝する。A・Bは靖国神社の真の崇敬者、Cは単なるパフォーマー・・・私は、総理大臣の私生活に興味はないですが、現状の国運をかけての昇殿参拝であるのなら・・・パターンAである事を祈りたいですね。これなら、私は文句は言えませんから・・・もし、パターンCなら・・・やはり政治屋かで終わりですが・・・普段の行いってのは重要ですね。もし、崇敬の念もなくパターンCだったら?・・・・私は、一応神を恐れる人間なので・・・どの神であれ、誰が信じる神であれ、その信者に、この神に誓え・・・どんな神であっても、それに誓うと・・・やはり、それに縛られる人間なんでね。その程度の畏敬の念を神に持っています・・・まあ、ある意味、汎神論者で無神論者ではないようです。日本人って、宗教に寛容というか・・・ある意味無関心なような気がします。節操もなく、神社だ、教会だ、寺だと行きますから・・・でも、それって、キリスト教徒やイスラム教徒・・・特定の神に奉仕する信者から見たら奇異な事なのかもしれません・・・単なる、政治的なパフォーマンスにしか見えないが、政治的なパフォーマンスにはメッセージが込められていると考えるのが普通ですが・・・そのメッセージがどのように捉えられるかの問題でしょう。

 そろそろ、大御心を本気で考える時期ではないかと・・・「他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス」というのを、もう少ししっかりと考えるべきでは・・・この言葉って、天皇が自らの志を語っていますから・・・「敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ」・・・戦争は人類の文明も破却するものですからね。そして、戦争は多くの人の心を痛めます・・・「帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ」なのですから。・・・「情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム」は・・・・人間として重要な事だと思いますが・・・総理は何を考えて参拝したのか?人の心の内は分かりませんが・・・神を恐れる人間である事を祈ります。・・・まあ、日本の神様は寛容で、そう簡単には神罰は下さないようですが・・・

 変な話になってきましたから、ここらで一旦切るとしましょう・・・少なくとも、信者でないものが信者の振りをすることは最も良くない事のような気がしますから。そして、これは真理だと思いますから。そして、その人間を量るときの判断基準の1つだと思いますから・・・信念を持っているかそうでないか・・・簡単な基準です。

2014.02.19

  

関係ないが、興味深いもの
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近代デジタルライブラリー - 滑稽日本史 ふむ、表紙が取れるほどの面白い本・・・節をつけて読み上げる本だね。
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参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
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