香取神宮をうろうろ(105)
 香取志 (39) 北廳から・・・

 ふむ、道徳教育か・・・近頃はどのような教科書を使っているのか気になりました。安倍政権が掲げる道徳教育充実の一環で、愛国心養成や伝統文化に関するページもあるそうなので気になって・・・どうやら文部科学省が拵えたものだという事なので・・・調べてみると、ちゃんと存在しますね。興味深いものなので、ざっと目を通す事にしました。道徳教育:文部科学省新しい教科書のフルセットがあります。

 興味深い事に当たり前のことしか書いてありませんね。中学3年生用の最初の方には・・・法やきまりの意義 法やきまりを破ったら、刑罰を受けるだけではなく、相手に対する償いをする責任を負う。また、そのことで自分や周囲の人のそれまでの生活が失われることもある。
 法やきまりを守ることの意義について、考えたり話し合ったりしたことを書いてみよう。だってさ・・・そうだな・・・

 総理大臣が・・・「憲法解釈の最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ!」だって・・・

 教科書のすぐ上に書かれている本文には・・・法やきまりを守ることの意義について、考えたり話し合ったりしたことを書いてみよう。とあって・・・ルールがなければラグビーは単なるボールの奪い合いとなり、競枚として成り立たないばかりか、観戦している私たちに感動を与えることもないだろう。ラグビーでも、バレーボールでも、サッカーでも、野球でも、これは、スポーツ競技全てに共通する。競枚の中で、ルールは誰もが守るものと定められ、もしこれに反する行為があれば、罰せられる。・・・とある・・・

 ルールを解釈するのはプレーヤーではなく審判です。法治国家での審判者は裁判所・・・しかし、同じようにプレーヤーである国民の審判によって法の解釈を変えようとしています。そして、この教科書には権利と義務って何だろうとあって、法やきまりは、人々の権利を守りみんなで社会を支え合うために、義務として「しなければならない」ことや、「してはならない」ことを定めている。さらに続けて・・・一人一人が義務を果たさなかったリ、自分の権利と他人の権利が衝突したときにきまりがなかったりしたら、どのようなことが起こるだろうか。身近な法やきまりを例に考えてみよう。・・・だって・・・

 でも、総理大臣は自分のルールでプレーをしようとしているみたいなんだけど・・・次に、より良い社会を目指してって項目があって・・・私たちの先人は、皆が快適に暮らせるための方法を話し合い、合意し、法やきまりとして定めてきた。そして、それを守ると同時に、時代の変化に応じて、より良いものに変えてきた。法やきまりは、私たち自身のものであるという自覚をもち、しっかりと守った上で、より良いものに見直していくことも、私たちの大切な役割である。私たちの身の回りのきまりについて、生活の変化に対応するために、見直すべきものがあるかどうかを話し合ってみよう。だって・・・

 それじゃ、自分のルールで社会の決まりを変えようとしているって・・・見直すべきものは何だろう?合意は先祖がやったことだから今の人間にとっては関係ない!ってやるのかな?まさか、この道徳の教科書って反政府的な内容なの?どちらが正しいのかな?

 道徳の教科書に必要な事って、功利的な内容の方が良いかもしれません・・・みんなが仲良く楽しく暮らせるためにルールを作ってきた、これを享受するためには?自分勝手は駄目なんだよ・・・だから、小学校1年生用のにはそういった内容が盛り込まれています。二宮尊徳の話も良いでしょう・・・ただ、家を建て直す=金を儲けるという内容を前面に出す必要があると思われます。金が無ければ庄屋の家格を持つ家を復興させるのは困難ですからね。徳目か・・・本来は、良い金の使い方というものが欠けていると駄目だと思うのですが・・・金は束にして使わないと威力を発揮しない、人間もまた然り・・・仲間の作り方・・・あちゃ、長くなりすぎ・・・総理大臣が言っても、国民がOKを出しても・・・違憲立法審査権ってのはどうするのかね?憲法を改正しない限り違憲となりそうだが・・・論理からすると裁判所がNo!を出した場合・・・それを出さない、出しても従わない・・・憲法は事実上停止されるのかね?無法が法として通る第一段階ですね。・・・そして、世界から孤立するのか

 新しい道徳の本をざっと、全部を眺めましたが・・・立派な行いとしては、若き日のリンカーンが登場していますが・・・政治家としてはこのシリーズの中では唯一ののようですね・・・立派な言葉もあまり政治家からは出ないようです。スタンリー・ボールドウィンの志を立てるのに、遅すぎる事は決してない・・・ぐらいですかね。・・・基本的に野心家なんですね。政治には尊敬とかあまり似合わない言葉のように感じますね。まあ、政治というのは人倫とか道徳を超越した所にある汚れ仕事だと思うので、私は近寄りたくないのです・・・戦争だ!とか言って人殺しを平気で画策できる連中ですから・・・

 さて香取志 22コマ 続きを・・・

北廳
神地神戸の民事を掌り、訟を定めるなどの事、当官のものである。この廳に集まって、商議を行い考えるところである。和名抄には四声字苑によると、廳は汀の反、萬豆利古止止乃まつりこととので賓を延く屋である。人衙ニンガである。重規が云うには、鹿島志、司召祭の條に、正月十五日惣神官の職位の次第を書記し、銚場に於いて東に向かい高らかに読み上げる。直会の條に、楼門の右の方に忌垣で囲った場所を銚場と呼んだとか・・・和名抄に銚は徒弔の反、銚子、佐之奈閇サシナベ、俗云う佐須奈閇サスナベで燒器で、〔金に烏〕ラウイタ似ていて、上に鐶がある。今、鹿島神宮で銚場と言っているのは廳場を誤って使っているの違いない。古には鹿島にも廳があったに違いない。それは今はその文字も失っているのか。銚は先に述べたような意味を持った文字であれば、司召や直会を執り行うには少しも理由の無い文字であるのだ。


北廳ね・・・太政官に擬され民事を掌るところか・・・多分、町役場みたいな業務を行う場所ですね。戸長役場とかで明治時代に復活して後には市町村役場に化けたやつの古代のものが、寺院がこの役を行うようになって、消滅したやつのことなのでしょう。ただ、香取神宮では江戸時代でも寺受けではないよ言うなことが大禰宜日記の中にありましたね。金剛寶寺は別当であるが、神領の人民支配は神宮が直接行っているような?

 ふと・・・国造体制以来の伝統ってのが・・・国造体制下で神社を中心とした評と国造個人名の評に分かれるような気がするわけです。香取神領とかXX国造領とか個人名のものはその個人が人事権の枠内に入ってしまったら、配置転換などを受けなければならないと思うわけです。神領はそこに冠される神社が消滅しない限り、その名であり続ける・・・しかし、人間の寿命は限られ・・・何か違うな・・・良い表現が思いつかない・・・

 神領・・・神にささげられた土地だから・・・神という抽象的な存在が信仰され続ければ神には寿命が無いからその意味で強い永続性があるが、人の支配によるものは、その人間の寿命や、その家というもので考えても、その永続性に関しては弱いものでしかない・・・これが近いかな・・・まだ、考えが良くまとまっていないが・・・神領という神祇官系の支配体制に入るものと、国造という太政官系の支配体制に入るもの2種類の支配の体系を有するのが、所謂国造体制かと・・・神領というのは基本的に人間の支配領域に入らないので、神領として存続・・・明治維新で、それも崩壊ということか?ちょっと、気になってきました・・・香取神宮などがおとなしく上知した理由というのが・・・神領である、神の領域である世俗のものではないと突っぱねることができなかった理由というものが・・・多分、江戸幕府の宗教政策に関連があるような気がしますが・・・神領の世俗化・・・上知するしかない事情は?というわけです。鹿島神宮の社務日記の明治元年8月に「幕府の御朱印差し出す。大宮司出府、これまで通り神領政治致したき旨願出、取り上げなし。」とあります。つまり、鹿島神宮の既得権益は無視されたわけですね。こういった、既得権益の無視というものが気になるわけです。神領に手を出すな!と言えない時代の到来ですかね?

 なんとなく、新たな妄想・・・国造体制への中央政府の勧誘に対して、香取神宮は、ここは神領で私どもは単に神から委託されてこの地を管理しています。ですから、私個人が国造となって中央政府の管理下にこの地を置く事はできません。ここは神領です。と突っぱねたら?神のヒエラルキーの中に組み込むしかない・・・国譲りで大きな功績のあった神である・・・XXという神階を經津主神に与える・・・この国にとって祈ってくれ、幣帛を捧げるから・・・我が国の統一の中で、そういった神階の導入による神界の再編成も行われたのか?とかね。妄想はこれぐらいにして・・・

 なんで鹿島志が出てくるかね・・・廳でも銚でも良いような気がしますが、それでも銚場というのが気に入らないようです。香取神宮では南廳の前で司召を行うが、香取神宮では銚場だって?銚って酒を注ぐためのある種の鳥みたいに嘴が長くて上に輪のような持ち手の付いたやつだよな。こんなイメージを持った漢字を使うなんって、それって廳の建物を失くしただけじゃなくて、そのものが持つ意味も忘れ去られているじゃないか!って感じですかね。

 多分廳が帳場になって、儀式の後の飲食を共にする場所という事になって銚場になったのでは?鹿島神宮の提灯待では楼門の正面右手に御旅所が置かれます。つまり、この場所が南廳に当たるということなのでしょう。そして、楼門外の儀式空間がここに存在している・・・そして、ここで、右の写真のように御神酒を頂きましたが・・・重規君は・・・何か文句が付けたいのでしょうかね?私は・・・もう少し大きな器で飲みたかった・・・

 とにかく、行政のための役所が置かれていたのでしょうが、それが社務所や大宮司邸とかそういった場所か、神領支配に便利な場所に出て、その跡が従前どおりの儀式空間として使われていったということなのでしょう。呼び方は変わっても、鹿島神宮にも伝統はちゃんと受け継がれているということでしょう。別に、御神酒を頂いたから義理立てしているわけではありませんが・・・もう一杯と言えないのが辛い所です・・・続きは・・・

押手の社
神宮の坤の方二町余りにある。倉稲魂の命を祭っている。正月御鍬入れの神事がこの社前である。五穀を艮の隅に埋める。則祈年穀の祭りである。この祭りを行う前には、神地神戸の民はもとより、近隣の民も一切の農具を取らない。


 押手神社・・・要石の所の神社ですね。左の写真のように、お稲荷さんぽく焼き物の狐や、石造の狐が置かれています。艮の隅に五穀を埋めるのか・・・ふむ、この社は西を向いているから左後の方ですね。どうやって埋めるやら?そのうちもう少し丁寧に見てきましょう。この鍬入れの神事は正月7日以降に行われていたようです。明治18年以降は1月4日に行われるようになった・・・現在の香取神宮の年間祭事の日程の中に鍬入れの神事は無いようです。押手神社例祭が2月4日となっています。新暦・旧暦による差なのか・・・不明です。立春以降に行われるという祭りと考えて良さそうな気がします。2014年の旧正月7日は2月6日ですから・・・七草粥を食ったら、そろそろ働け!って感じですかね。農事関連の祭礼は月の満ち欠けを基準にする旧暦とは異なり、太陽の運行を基本とする二十四節気の方をベースに構築されているという事ですかね。

 ふむ・・・この日が農家の仕事始めの日なんですね・・・この祭りが行われるまでは絶対働かない!ってか?仕事納めはいつ何だろう?こちらが気になりますね。私は、休むことばかり考えているようです・・・

裂々殿
大禰宜宅地のうちにある。磐裂の神・根裂の神を祭っている。神宮の祖神である。正月三日、同四日の夜に亀卜・矢的の神事がこの社の前で行われる。これを東御占・東矢的の神事と云う。既に書いている御竈社の亀卜・矢的を西御占・西矢的と云う。同夜同時にこれを行う。


 裂々神社ですね。位置付けとしては、大宮司方の御竈神社と同じような位置付けの神社ですね大禰宜家の先祖でもあるのでしょう。現在の香取神宮祭祀の中には組み込まれていないような感じの神社です。やはり、香取神宮の祭祀の組み立てについても気合を入れて史料を集めるか・・・そのためには、ちょっと図書館に行くしかないかな・・・もうじき摂末社の項目が終わってしまいますから・・・

日天宮
祠職郷の長宅地の内にあり、日の神を祭っているに違いない。


 日神社の事ですね。旧参道の北側にある社で現在の祭神は天照大御神のようです。郷の長とは何ですかね?律令の里長ですかね?郡司の下にあって地方自治の末端の、税の取り立てと出挙の管理とかを行っている・・・地元の有力農民が任命され庸・雑徭を免除されていた・・・これですかね?ふむ・・・大禰宜家のならびにあるから・・・大禰宜+郷長が地方行政を担っていたという事になりますかね?郡司の力が衰え郷司として郷倉の管理を行い直接国衙支配になって行くという事ですかね?国造体制下の国造が郡司に化け、郡衙が一括して倉庫で米穀を管理している時代から、郷でも倉を持つようになり統治単位が細分化されて・・・旧勢力の国造=郡司の地位の低下・・・郷単位で郷司体制に入り・・・郷司はやがて地頭に化ける。そこで地方ごとにその地頭を束ねたものが地域支配者として、中央政府から離脱・・・ふむ、国造体制は基本的に大土地所有者を氏の長者としてその地域支配をまかせ、郡衙に倉庫を建てさせて米穀を一元管理することで富ませ強くした・・・技術の進歩によって、それなりに豊かになった郷では富の根源である米穀の管理を倉庫を建てて自前で行い、そこで管理・・・富の集中から分散の時代へ・・・結果として郡司の地位の低下・・・国衙としてはそれぞれの郷倉を管理することで良しとするが、富の集中が無くなることから国衙も地位が低下かね?

 基本的に、地方が経済的に独立するようでは中央政府の威光は届かなくなる・・・たとえば東京都と鳥取県では国への依存度がずいぶんと違うのではないかと・・・年度が異なり、厳密には比較できませんが・・・鳥取県の県税関連の税収は565億円でこれ以外の歳入は2922億円で歳入合計は3487億円かな・・・東京都では都税が4兆1195億円でこれ以外の歳入は2兆0295億円・・・国への依存度が違うわけですね。道州制の導入など面白いかもしれません。財政基盤で領域を規定したとしたら・・・東京を中心とする州と大坂あたりを中心とする二大州が、財政面で国の依存を排したら・・・平安末期のような様相になるのでは?天皇の下の総理以下の中央政府と2大都市圏・・・天皇の下の太政官以下の律令政府と源氏と平氏の二大勢力・・・その先は、再編・・・

 香取神宮の場合には、大禰宜+郷長体制が維持されていたということなのでしょうか?神の下での秩序ですから・・・In God We Trustってのは強力なのかもしれません。時代を越えられるのは、神ですから・・・妄想が膨らむ前に、次へ行きましょう・・・

月天宮
祠職分飯司宅地の内にあり、月の神を祭っているに違いない。


 ふむ、月神社か・・・現在の祭神は月豫見命ですね。日の神・月の神というのと天照大御神・月豫見命というのではずいぶんと雰囲気が違うような?職掌に応じて各祠職の屋敷で祀っている神があるということなのでしょうか?基本的には祭当となる家の社という感じなのでしょうから・・・大宮司の御竈社、大禰宜の裂々神社、郷長の日天宮、分飯司の月天宮・・・ということなのでしょう。大禰宜をやってた人が大宮司になると、大宮司邸に移り、大禰宜の時は裂々神社で東御占・東矢的の神事を主宰していたのが、大禰宜としては御竈社で東御占・東矢的の神事を主宰する事になるという事なんでしょう・・・多分・・・こりゃ、手持ちの文書もきちんと読みこなす必要がありますね。香取文書纂って色川三中の調査した文書目録の内、私の手元にあるものとか・・・基本的には千葉県史料中世編香取神宮に含まれるのではないかと思いますが・・・さて、次は・・・

次社
少彦名命を祭っている。高皇産霊尊の御子である。神代紀に委しい。


 困った・・・この神社の名前は初めてです。スクナヒコナと関連のあるのは・・・祭神が大名持命の膽男神社かね?これだけでは情報が少なすぎて分かりませんね。神崎神社つながりなら・・・ここの祭神が天鳥船命、大己貴命、少彦名命ですから・・・ただ、ここの祭神も明治になってかなり入れ替わっているような感じですし・・・まあ、そのうち何か出てくるかもしれませんから保留ですね。

早川の社 また、速川とも書く
瀬織津姫の神を祭っている。大祓いの辞に佐久那太理に落多支都速川の瀬に坐す瀬織津比唐ニ云う神とか、社号はこれから出ている。側高の神社の末社である。


 この神社も知りませんでした・・・側高神社末社か・・・近代デジタルライブラリー - 香取郡誌 208コマ 明治41年村内の落書神社・一夜山神社を本社に合祀か・・・ちょっと前に出てきた一夜山神社との関連は?早川の社に関する情報はここにはありませんね。この香取郡誌を読み返していると・・・近代デジタルライブラリー - 香取郡誌 219コマ 膽男神社が貞観元年の官人で、浜手守の神といい、津宮の村名はこの社から起こった・・・昔は、毎年6月晦日に名越祭があった・・・この祭礼が忍男神社へ移ったのか?・・・瀬織津姫は毘沙門天の妻とか言われる事もあるようですから・・・側高神社と関連はありそうですが、どうやら不明です。弁天や吉祥天の系統で消滅したか?所によっては十一面観音とか・・・ちょっと分かりませんね。

向の社 また嚮社とも書く
保食の神を祭っている。神代紀によると、保食の神は首をめぐらして、国に嚮うのならば、口より飯が自ずと出てくる。又海に嚮かうのならば鰭の広物、鰭の狭物が、口から自ずと出てくる。社号はこれから出ている。返田社の末社である。


 この神社も知りません・・・返田神社の末社か・・・この間行ったときに境内に三島神社ってあったのは見てきましたが、他にあったかな?・・・保食の神は月夜見尊に殺されちゃう神様ですね。向か・・・この神社も不明ですね。嚮導・・・ある方向に向かって導くとかそういった所からのイメージだと・・・ふと、ピカソの猫を思い出してしまいました。猫にソーセージをもらっていたピカソ・・・人様の台所に向かうと口にソーセージが・・・保食の神はお稲荷さんになっている所がありますから・・・お使いの狐が・・・人様の住む国に向かうと、口に飯が・・・海へ行けば鰭の間の広い大きな魚や、鰭の間の狭い小さな魚を口に・・・なんだか変なイメージですが・・・結局は不明な社ですね。次は・・・

三島社
伊豆国三島神社と同体である。大山祇神を祭っている。又見神社末社である。


 又見神社の末社の三島神社ですね。又見神社の境内に又見社の左側にある神社ですね。現在の祭神は香取連三島命ですね。ここには古墳があり、又見社の下と、右側に石室がありますから・・・その関連かと・・・しかし、天保4年頃は大山祇神・・・大山祇神は、神徳館の璽神社の近くに祀られていますね。こちらは私の妄想は・・・酒造の神・酒解神と考えて酒殿の関連かなとか・・・三島神社の祭神は平田篤胤君の説で混乱していますが・・・又見神社自体も色々と変遷があるようで・・・よくわからないですね。

天の宮
新市場村にあり。猿田彦を祭っている。


 天の宮か・・・近代デジタルライブラリー - 香取郡誌 232コマ これによると、社格は付属で天宮神社、祭神は天御中主命ですね。郷社に付属する村社ですかね?どうも、社格というのは良くわかりません・・・妙見系の神社かも?香取郡誌に並ぶ神社には天・日・星・・・妙見信仰系の神社が多そうな感じなんでね。ただ、香取神宮の星塚の天香香背男の系統の神なのかもしれませんが・・・これも妙見に吸収されていくことになるのでしょうけど・・・千葉氏の妙見信仰の影響もあるだろうし・・・さて・・・猿田彦・・・そう言えば、六所神社の場所にも絵図の中で猿田彦が現れていましたっけ・・・猿田彦は天孫降臨の際に道案内をしたので、道の神、旅人の神と考えられたようで・・・香取神宮の御田植の神事で先導する面をかぶり木の薙刀を持ったものが・・・右の図の行路神がイメージ的に・・・それと・・・香取神宮と関係ありそうな久保神社の神幸絵図に描かれている猿田彦とか・・・このあたりの祭礼の行列のパターンなのか?ちょっと気になります。

 そう言えば、佐原の大祭の山車の人形も猿田彦から始まったようです。でも、神幸祭の先頭は八龍神だし・・・ただ、御田植祭の古い姿が違うのかもしれないし・・・これまた不明ですね。猿田彦と天御中主命の関係は・・・天御中主命というと・・・妙見信仰が・・・と堂々巡り・・・

 このあたりで一旦切るとしましょう・・・

2014.02.16

  

関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - 大本教祖出口直子伝 ふむ・・・


参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
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 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 千葉県 534コマ
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近代デジタルライブラリー - 仮名日本書紀. 上巻 204コマ 景行天皇
国際日本文化研究センター 怪異・妖怪伝承データベース
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近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第12巻 178コマ 類聚三代格
『鹿園雑集』奈良国立博物館研究紀要|奈良国立博物館
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