香取神宮をうろうろ(102)
 香取志 (36) 高御座・薦殿・酒殿・諏訪神社・火御子社・火王子社・・・

 SONY製品を買う意味が無くなってしまいましたね・・・SONYのPCが無くなるんじゃね。近頃はTVとPCのセットのように感じていたので特にその感が強いですね。でも、しばらくするとTV事業そのものがPC事業になってしまうかもしれないような気がします。私の近頃のTVの使い方からするとね。TVとPCモニターはかつては別のものでしたが、現在は同じですから・・・そして、単なる映像表示装置としてのモニターは所詮はPCの従属物ですからね。主となるものを捨てて従を採った時点でSONYの戦略は終わっていると思うわけです。SONYがコロンビアを買収したときは凄いと思いましたね・・・ソフトの時代を先取り・・・TVなどコンテンツなしには成立しませんからね。まあ、PCでなくても、無線で何でも表示できるようなそういったTVなら面白いと思いますね。そう、私がちょっと前に夢想したようなシステムなら・・・AVアンプまたはモニターに主導権がありますからね。PCやその他の表示装置の親方になれるモニターシステム・・・そういった方向性だと面白いのですがね。まだ、PCには色々とできる事があると思われますが・・・まあ、WindowsよりAndroidの方が面白いような気がしますけど・・・私の所の大昔のSONYのPCでも引っ張り出して動かしてみますかね・・・といっても、VAIO以前のマシン486DX66Mhz搭載・・・良いグラフィックボードがついていましたね。中身だけ最新型にしますかね・・・そろそろPCも買い替えたいし・・・筺体が増えるのは面白くないし・・・PCなんってどれも同じようなものだから・・・デザインも重要だけれど・・・私はPCの筺体など見たくないのです。邪魔だし・・・いじりたくなるんでね・・・

 さて香取志 18コマの続きからですね。

高御座
座は仮名で「くら」つまり庫であって、すなわち神庫である。神具を納めるところである。神宮の艮の方にある。


 珍しく、先の方をちょっと見てしまいました。宝殿ってのが造営の注文に入っていましたから、どうも宝殿とこの高御座は性格が違うような気がしてね。ちょっと気になるのは、御神宝ってのは、造替の度に造り替えられるか修復されるようで、基本的には本殿内にあるような気がして・・・こまごましたものを置いてある場所なんでしょう。現在の社殿の艮;北東には倉庫風の物は無いですね宝庫や香取文庫がありますから、倉庫群とも言えなくもない・・・これも伝統ですかね?さて、続きは・・・

薦殿
海童神を祭っている。文永の官符に三間葦葺、作料官米30石但、治承の例に任せ、20石、無足の間荘々作料官米の内を以て行事所の沙汰と為して造り進す。


 薦殿は海童神を祀っているのか・・・という事は綿津見の神ですね。海神を祀っている・・・薦なんって名称にあるので、てっきり、祭事に使う薦を造るための場所か、薦で包んだ物を置く幣殿のようなものかと考えてしまいましたが・・・海神を祀っているのか・・・薦殿・薦神社って・・・宇佐神宮の祖宮ねぇ・・・応神天皇、神功皇后を祀るか・・・比淘蜷_は宗像三女神で沖津宮の田心比売命、中津宮の瑞津比売命、辺津宮の市杵島比売命の総称のようですね。そして、薦神社といわれるのは、薦神社の三角池に自生する真薦を刈って作った枕形の御験である薦枕を神体にして、これを奉じて行幸するか・・・まあ、近いと言えば近いか・・・マコモで作った枕か・・・そして、行幸の際の依り代が置いてある場所かね?

 ちょっと復習・・・造宮所役注文写によれば
正神殿/於岐栖社・一の鳥居/勢至殿・不開殿/佐土殿・アサメ殿/東廊・中殿/北庁・膽男社/三の鳥居・祭殿/火王子社・忍男社/内院中門・西廊/若宮社・酒殿/渡殿・外院中門/東脇門・西脇門/宝殿/二の鳥居/楼門/大炊殿/薦殿/脇鷹社/鹿島新宮/八龍神社(6宇)/玉垣31丈6尺・・・etcだね。この社殿の並びが気になっていたんです・・・鳥居は本殿に近い方から順に一の鳥居から始まって、三の鳥居は津宮の鳥居河岸にあるものですね。ですから一の鳥居の内側にあるのが正殿・於岐栖社で以下の社殿はその外側にあると仮定しても良いのかと・・・つまり境内の内陣に正殿・於岐栖社があり、外陣が東西2つに分かれていて・・・そう、東脇門・西脇門の役割が何かにあった・・・なんだっけ?大禰宜勤方の正月三日のやつか・・・大禰宜方を東矢的、大宮司方を西矢的と云う・・・・・・4月5日・・・参籠所・御供所の後に東座社家待合する。西座は愛染堂の前に揃う・・・5日夜、早乙女 東座は大禰宜・権禰宜・物申祝/西座は大宮司・宮之介・国行事・物忌・・・東座・西座の概念がありますから・・・東と西に分かれている

正神殿
於岐栖社・一の鳥居
 勢至殿・不開殿/佐土殿・アサメ殿/東廊・中殿/北庁・膽男社
 三の鳥居・祭殿/火王子社・忍男社/内院中門・西廊/若宮社・酒殿
渡殿/外院中門/東脇門・西脇門/宝殿
楼門/大炊殿/薦殿
脇鷹社/鹿島新宮/八龍神社(6宇)

 あれ?違うな・・・アサメ殿は西になる?東西の位置の関係と、東座・西座という職掌とは違うのかね?さて困った・・・こりゃやりたくない職掌のチェックをしなければならなくなるのか?門や鳥居でそれらしく分けたけど、この社殿の並んでいる順は何か意味を持っているに違いないと妄想しますがね・・・だって、東西の脇門は併記、東廊・西廊は分かれて書かれていますからこれって不自然・・・何かの思惑があってか?単なる掃除当番の関係かもしれないが・・・でも、なんとなく職掌で分かれているような気がしますからね。やはり掃除当番か?

 例の妄想的な配置図は修正の必要がありますね・・・何がというわけではないのですが・・・なんとなく・・・

 この社殿の中で気になるのは於岐栖社ですね。息栖神社のことでしょうが・・・香取志の書かれた時代には存在しない上に詳細が不明な社殿となっています。なんとなく、香取神宮・息栖神社というグループから鹿島新宮・息栖神社というグループに再編があったような気がしてね・・・

 薦殿を考えてたんだ・・・薦殿は大炊殿の後に書かれていますから雰囲気は薦殿・・・行幸用の神輿倉か祭祀用の薦製品の製造場所みたいな感じですね。薦殿を本殿前にちょっと前に考えましたが、さてどこか?こうなると・・・ますます分からなくなる・・・分からなくなったら先へ進むしかないね。それとも、職掌のチェックか・・・

 う・・・まあ、職掌に関しては後で出てくるから・・・先へ進みましょう。

酒殿
大宮司家の伝えでは罔象女(ミツハノメノ)命であるという。考謙記に春日の酒殿に行幸す。春日社記に酒殿の神島田明神、神名式に酒殿の神二坐、酒彌豆男(サカミヅヲノ)神、酒彌豆女(サカミヅメノ)神とある。文永官符に五間社葦葺作料官米百石、河東遠山方本役也、よって地頭等これを造り進す。右三宇今消歇する。


 酒殿か・・・罔象女命・・・水神ですね。なんとなく、これは境内にはなさそうな感じがします。五間社ですからかなり大きな感じですね・・・境内に無いように思えるのは、香取神宮には水が無いからですね。まあ、どれくらいの量の酒を醸すかによって違うと思いますが・・・気分としてはかなりの水を使うから山の麓の井から運ぶのは面倒だというだけで・・・それに、生産設備なんで、商売になりそうな感じがしてね。大炊殿も外のような気がしてきましたね。確か・・・明治17年の大饗祭の様子を描いた大饗絵巻に右のような絵がありますね。現在は神徳館の御炊殿で飯を炊くようですが・・・このときは中教院で飯を炊いたようです。飯の炊き方は湯取ですね。研いだ米を笊籠に入れて、これを笊ごと茹でて煮上がったら笊籠を取り出して手桶の水をかけて糊灰汁を抜く方法を使っていますね。そして、マコモの薦莚の上に広げて、荒熱を取って御櫃に入れて神饌殿に運んだようです。

 酒も飯を炊かねばならないでしょうから・・・香取神宮へ酒を納めているのは・・・寺田屋本家でしたっけ?

 まあ、酒の技術などは早い時期に神宮から放散して行った技術ではないかと・・・飯炊きの技術の方は、利根川の高瀬舟ではこの方法で炊かれていたようですから、船子連中は神宮の文化の継承者であったのかもしれません。

 春日の酒殿を引いているのは何故ですかね?罔象女命ではないと暗に仄めかしているのでしょうか?ちょっと気になる書き方です。そして・・・右三宇って?酒殿・薦殿・・・高御座は艮にあると・・・あると書いておきながら無いのかね?それとも何か抜けているのか?高御座は艮か・・・本殿の北東の摂末社が気になりますね。

諏訪神社
建御名方神を祭っている。大己貴の神の子である。


 シンプル・・・諏訪神社・・・現在は楼門前の馬場にありますが、明治の修理以前は鹿島新宮・天降・諏訪・猿田彦と並んでいますね。猿田彦は現在の香雲閣のあたりですかね?諏訪社はどうやら斥候杉のあたりではないかと・・・斥候杉も無くなってしまいましたが・・・元禄の造替の香取神宮の山にある摂末社は・・・15か所が修復され・・鹿嶋社・側高社・匝瑳殿・六社相殿・弧座山・奥之宮・印宮の7社新造 日御子社・市神社・馬場殿・花園社・優波山社・佐山社・祓殿・天降 8社修覆ですね・・・あれ?側高社?これはどこかね、これは大倉の側高社ではないから・・・諏訪社は造替の対象になっていない?猿田彦も・・・という事は・・・なんだか妙な?

 猿田彦・諏訪は触れていないから、元禄13年の時点では比較的新しいのか?補修の必要がない・・・璽社が入っていなかったのは気になったけど、大宮司邸の付属みたいだと認識・・・奥宮・押手などは社殿は存在しない・・・重要度の高いものは維持管理して存在するでしょうから・・・馬場の市神・馬場殿、花園社は存在・・表参道ですからね。楼門は無かったようです。愛染堂はあり・・・こういった社殿のチェックをきちんとやらないといけないのかね?大体、この右上の図ですら橘三喜一宮巡詣記の図ですが・・・橘三喜が巡詣した時代より後の物ですから・・・あれ?あった・・・別のバージョン一宮巡詣記 39コマ 猿田彦の所が六所神社ですね。いずれにせよ、楼門と鳥居の位置関係から元禄の造替以降の香取神宮の様子を示している事は間違いないでしょう。

 猿田彦はどこへ行ったのやら?神社も移転するのかね?一応、香取神宮関連の寺院は移転がありますね。享保14年11月11日妙塔院新市場村地蔵院へ移転 享保18年8月17日にも移転とある?という具合に、妙塔院が移転しているようです・・・まあ、護摩堂なんかも引いて移転させたりしていますね。

 しかし、何故?造替の際に修復願いを出さなかった?それとも、元禄の造替の際には存在しなくて・・・社会的な事情で猿田彦や諏訪神社を置いたのか?確かに、ちょっと位置的なものが気になります。どうやら、本殿の裏手の垣がある所の土手から南は宮林のようで、この土手の切れる西の並びに・・・享保16年12月4日 材木蔵二間半に長六間に建てる、護摩堂本屋敷内の土手並びに。20日までには完成。という具合に木蔵が作られていますから、現在の本殿の裏手の林の中にある建物が、その木蔵の後身に当たるものなのでしょう。従って、このあたりがゴマンド屋敷であったという事のようです。そして、鹿島新宮の北側の桜馬場との間はどうやら大禰宜が管理している土地であったようです。そうなると・・・猿田彦や諏訪は大禰宜の管轄ですかね?右の図が神宮の宮林周辺の土地を示した絵図で享保11年11月の物です。

 多分、宮林と書かれている場所が小高くなっている場所なのではないかと・・・その脇を道があって・・・多分、社務所の後の道・・・という感じですかね。詳細は不明ですが・・・次へ進みましょう・・・

火御子の社
大己貴の神を祭り、末社記には武蔵国氷川明神の記に火王子火御子有り。注には氷は簸と書くとある。これは、簸の川上より遷し坐すという。風土記に氷川の神大己貴の尊、文永官符に、一間社葦葺金物あり。作料米30石、建久以後始めて募って公田4か所を用に立て千葉介これを造り進す。よって、今度千葉の介頼胤遠山方二丁葛東二丁造り進す。

 また知らない社殿が出てきますね・・・火王子社・忍男社と並べて書かれているやつですね。火御子社・・・それとも日御子社・・・日・月社とかもあるし・・・違うか?名称はかなりぶれることが多いような気がしますからね。武蔵国氷川神社・・・御祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命とのこと・・・国造本紀によれば、景行天皇の御代に出雲の氏族である兄多毛比命(えたもひのみこと)が須佐之男命を奉じてこの地に移住したとのこと・・・この書き方だと、それとは関係なさそうですね・・・なんとなく無責任な記述の雰囲気を持っていますから・・・

 神社の祭神ってどのように決まるのやら?勧請したのであれば問題ないですが・・・側高神社のように名前の分からない神が祭られたりしていますから・・・なんとなく、国造体制下に移行する際に神社コンサルタントでも派遣したのではないかと・・・どうせ、朝廷の語部などが面白可笑しく語り、お前さんの先祖はXXの御子の・・・XX代の孫とか系図の中に組み込んでいったのではないかと・・・まあ、出自の分かっている連中はそれを名乗ったのでしょうが・・・新興の者たちだっているはずですから・・・私には不思議に思えるのは、古事記は講談のネタ本に見えるのですが・・・なぜ史書として扱われるのか?偽書説もありますが・・・それ以前の問題のような気がしますがね。古事記は物語としても良くできていて好きな本ですけど・・・多分、国造体制を創りだすための一つの装置ではないかと・・・お前さんの御先祖の話を聞かせておくれよ・・・ふむ、その話ならちゃんと伝わってるよ。我々の言い伝えでは・・・な、こんな風に昔は交流があったんだ、同じ血が流れた人達が我々の事業に参加している・・・この贈り物を受け取って、我らの事業に参加しよう!・・・そうか、我々にもそういった貴い血が流れているのか・・・と騙される・・・詐欺の手口みたいな感じですが、多分・・・今も昔も有効な手段であったと思われます。騙されないためには・・・確たる、御先祖様についての伝承が無ければならない・・・でも、1点に収斂するようになりますから、頂点をつくればOK・・・そして、それぞれの神に様々な事績や特技を組み込んでおけば・・・氏姓制度を支配のための序列形成に使えるでしょう。悪く言えば・・・血族の創成ですね・・・血族の擬制・・・なんだかヤクザ組織みたい・・・盃ごと・・・それぞれの単立の組を契約によって上部団体に結び付けて行く・・・

 ふむ・・・財務基盤か、雑舎といえども30石か・・・20年を置いての造替・・・30石って結構高額では?江戸末で1俵3.5斗・・・30石=300斗・・・300÷3.5=85.7…86俵で、10俵3両ちょっとで・・1両10万円・・・300万円弱か・・・一間社ってそのぐらいですかね?

 ちょっと価格調査・・・右の1尺5寸の台座用のもので、台座とともに60万円位になるのでしょうかね?これより大きなものでしょうが・・・4〜5倍つけで、それほど高額とは思えないか・・・まあ、写真の物は銅板葺ですから、江戸以前だとかなり高額になりそうですね。作料のために4丁か・・・1反で8俵で4町は40反で・・・8×40=320俵 1年分の年貢が領主にではなく神社に入るのかね?4割程度抜くには良い広さの田なのか?・・・

 馬鹿な計算はこれ位にして・・・30石か微妙な量ですね・・・例の米百俵の精神などと照らし合わせると・・・一人にとっては米百俵は結構な量ですが、大勢に分けるとあっという間に無くなってしまう量・・・まとめて投資するとそれなりの威力を発揮する額・・・まあ、保険のようなものですかね?安心料・・・

火王子社
素戔鳴尊を祭っている。同官符に一宇一間葦葺金物あり、作料官米30石、下野方の郷本役也、よって地頭武藤左衛門尉長頼之を造り進す。


 火王子社・・・やはり良く分かりませんね。火御子・火王子・日宮・天宮・・・似たようなものは色々ある・・・スサノオは現在の香取神宮の摂末社だと馬場殿と六所神社に祭られているようですが・・・六所神社って便利な器なのか?ちょっと気になります。

息栖神社
甕速日の神・樋速日の神を祭る。同官符に、於岐栖社一宇一間葦葺金物あり、作料官米30石、吉橋の郷本役也。よって地頭千葉の介頼胤之を造り進す。


 武甕雷男神の先祖ですかね?武甕雷男神と一緒とか色々と言われますが・・・岩裂神・根裂神の御子の磐筒男神・磐筒女神が経津主神の親神・・・息栖神社と於岐栖社は別物のような気がしますね・・・なんとなく、東国三社の息栖神社の祭神は久那戸神、岐神なんって呼ばれる神で・・・猿田彦ですかね?・・・

 正神殿/於岐栖社・一の鳥居/勢至殿・不開殿/佐土殿・アサメ殿/東廊・中殿/北庁・膽男社/三の鳥居・祭殿/火王子社・忍男社/内院中門・西廊/若宮社・酒殿/渡殿・外院中門/東脇門・西脇門/宝殿/二の鳥居/楼門

 於岐栖社が甕速日の神・樋速日の神を祭っている・・・武甕雷男神に関係のある神・・・匝瑳殿=佐土殿が磐筒男神・磐筒女神を祭っている・・・経津主神に関係のある神・・・昔の本殿は正面に扉が2つ・・・この条件からすると・・・右の図のような祭祀空間を考えてしまいますね。東側の武甕槌大神・西側の経津主大神の祭祀空間、そして親神の社殿が東西に存在・・・本殿を造替する際には、それぞれの親神の社殿が假殿になる・・・もっと、妄想・・・確か、鹿島神宮に武甕槌大神は常駐せず、時々降りてくる・・・本殿は大昔は無く、假殿が降りてきた神の居場所になる・・・確かそんな感じの話・・・本殿を置くようになってから常駐なのかね?なんって・・・

 妄想の続き・・・香取神宮の経津主大神・武甕槌大神の二神の内、武甕槌大神は香島へ派遣・・・なぜかそのうち土着となり・・・香取神宮の手が届かなくなる・・・香島は鹿島へ改称・・・8世紀初頭に鹿島神宮が独立した・・・よって、本殿の武甕槌大神の祭祀空間が空いて、於岐栖社の代わりに佐土殿が東へ移転・・・旧佐土殿はアサメ殿へ改称・・・武甕槌大神の祭祀空間として新たに鹿島新宮を置く・・・古き伝統なのか鹿島新宮は東に置かれた・・・鹿島・香取の2つの神宮の間に堺となる息栖神社が置かれた・・・これじゃ板門店だね・・・それで、香取神宮にも猿田彦が置かれている?

 そして、通常は使われない旧佐土殿はアサメ殿に愛染堂になり、花園神社になり・・・その場所は神饌殿として使われる事になる・・・鹿島神宮の古い庭上儀式のパターンは鹿島神宮文書に並び方が出ていましたね、それを東西に置いて対称形にすれば見えてくるのか?こりゃ、祭祀空間の使い方を考えると・・・かなり興味深いですね。段々、無駄と思える社殿が減って行きますね・・・消滅した理由もなんとなくつけられる・・・現実に存在する神社で、神社デザインの妄想をするのは・・・ちょっと罰当たりな気分がしてきた・・・ちょっとここで切るとしましょう・・・

2014.02.10

  

関係ないが、興味深いもの
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近代デジタルライブラリー - 現行府県社以下神社法規
近代デジタルライブラリー - 祭儀類典
近代デジタルライブラリー - 神社諸願届記載例
近代デジタルライブラリー - 民俗怪異篇
近代デジタルライブラリー - よろづ短言
近代デジタルライブラリー - 祭


参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
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 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 千葉県 534コマ
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国立歴史民族博物館データベース
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近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第12巻 178コマ 類聚三代格
『鹿園雑集』奈良国立博物館研究紀要|奈良国立博物館
近代デジタルライブラリー - 大内裏之図
近代デジタルライブラリー - 帝室制度史 6巻. 5巻 附圖
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