香取神宮をうろうろ(98)
 香取志 (32) 奈良の都と風水、そして匝瑳殿・・・

 この1週間ぐらい、新作映画を中心に見ています・・・ ふむ・・・-= RUBY RED =-この映画のドイツ語版を見てますが、なかなか興味深い・・・日本語になるのはいつになるんだろう?2013年公開の映画を見てるんですが・・・外国語があまり良くわからないので楽しみが半減なんで・・・映画界では日本は辺境なのか?ちょっと気になります。ネット上の映画も高解像度で素晴らしいのですが・・・Ruby Red (book) - Wikipedia, the free encyclopedia ふむ、原作はこれか・・・ドイツの作家のものですね。ルビーレッドは英語の題名で、ドイツ語ではLiebe geht durch alle Zeiten Wikipedia 愛は時代を越えて・・・タイムトラベル物ですね・・・原作も目を通したい気がしますが・・・

 インターネットの中を漁ると色々なものが出てきますね。最新のSFXなどに興味があって、色々と映画を眺めるんですが・・・SFXはSFXとして見せない物が多くなって・・・この映画でも随所にSFX・・・特殊効果はごく普通に映画で使われて・・・凄い画面を生み出しますね。さて、次は何を見るかね?どうも、新しい映画の方が面白そうで・・・新鮮なものは良いものであるかもしれません。・・・最新のSFXを活用した映画って何だろう?・・・あれ?Ender's Gameって・・・エンダーのゲームん?2014年1月18日公開・・・これも、ネットにある・・・なかなか面白い・・・ふむ、こりゃフルハイビジョン対応のプロジェクターでも買わねば・・・あとは、英語力の一段の向上かね・・・

 さて、香取志 16コマ 続きから始めようと思ったら・・・・

 ちょっと気になって龍田大社と広瀬大社の位置を確認してちょっと考えてしまいました。風水だと、この神社を置く理由というか、この場所に置いたのは蔵風地をこしらえるためと考えると・・・この2つの神社は・・・龍田大社は崇神天皇の創建のようで、数年間の凶作と疫病に対して、崇神天皇に夢のお告げがあって天御柱命・国御柱命の二柱の神をこの地に祀れという事にになり創建されたようです。廣瀬大社の方は崇神天皇9年、広瀬の河合の里長・廣瀬臣藤時にお告げがあって水足池が一夜で陸地になり橘が数多く生えたことが天皇の耳にまで達して創建されたようです。

 崇神天皇の御世か・・・まさか・・・郭璞と同時代の話かね?まさか、奈良を風水の蔵風得水の地にするための装置として置いたかね?最新流行の考え方で素晴らしい未来都市を!という構想で・・・風水が郭璞に連なる考え方であるとされるのですから・・・多分、郭璞はその基本構想を考え出したか・・・この時代の方術師の筆頭として考えられたからだと思いますから・・・なんとなく、邪馬台国をこしらえた文化は、戦乱で中国大陸からこぼれ落ちた連中でのものではないかと・・・海を越えて新天地を・・・当然、当時の最新の文化の縮図を乗せて船出してきた・・・未発達の日本の文化など蹴散らす威力があったのではないかと・・・それ故、邪馬台国の入口までは中国の史書にもあるが、その本体は謎・・・おぼろげな徐福の渡海によって作られた国の末裔か何かの振りでもしたのか?・・・亡命者がいてもおかしくないような時代ですからね。

 この一団が、九州から諸国を巡りながら・・・奈良盆地を目指しますが、大和川を遡ってのコースは在地勢力が強くて紀ノ川を遡り熊野で怖い思いをしつつ、援軍を待ち、宇多へ進み背後から三輪山のふもとへ入って行ったのでは?と妄想しています。正統研究とはかけ離れていますから・・・妄想、妄想と分かっているからOKなんですが・・・橿原に蔵風得水の地求めますが・・・多分、水運の関係で放棄されるのではないかと・・・藤原の都を穴と見立てるなら主山を耳成山、内青龍を天の香具山、内白虎を畝傍山を想定したのではないかと・・・左の写真の中央上が耳成山ですね。どうも、この地形は・・・風水の・・・まさか耳成山は造成したのか?なんってちょっと思ったりもしますね。

 なんとなく、藤原京などが造営されたときは、大陸の最新の知識を総動員しての都の造営だったとか?風水師はこの時代には世俗化せずにまともな都市計画者だったとか?ただ、藤原京の場合には、水運や・・・通商をあまり意識しなかったのか?メインの通りも狭いし・・・

 ふと、崇神天皇は斑鳩に都を置きたかったのかね?それとも、外交拠点としての都市・・・ん・・・陪都でも考えたのかね?・・・聖徳太子はなぜ斑鳩に宮を?・・・何らかの目的で造営するわけですから・・・聖徳太子だと、遣隋使関連かね?荘厳な街・・・?大和川が気になって来て・・・斑鳩も内陸の盆地ですから・・・外交が必要なら、外港が必要です。奈良に都があった時は?ってね。そして神武東征では盾津から奈良へ入ろうとしたみたいですが・・・

 例によって、適当に水没させて・・・大和川のチェックをすると・・・Aのあたりが斑鳩ですかね。そして、どうやら右のような川筋が浮かび上がってきます。大和川の付け替えが行われているというのでそれなりにいじりましたが・・・基本は生駒山系を抜けて、北へ流れ、現在の河内平野の草香江と呼ばれた入江に右の図のようにBあたりに流れ込んでいたようです。これが堆積と海退によって先へと伸び淀川と合流かな?Cが上町台地ですね。古代の奈良の港へというと。盾津ということになるようですね。

 藤原京が成立する前は、個人の大邸宅がそのまま宮みたいで、奈良盆地の中を宮があちこち宮が動いていますからね。その中でちょっと気になるのが近江宮ですかね。何しろ滋賀県で琵琶湖の脇ですからね。これは、多分白村江の戦いで敗退して・・・逃げ出して対外的には秘密の都って感じだったのでしょうか?松代の大本営みたいな雰囲気ですね。まさか、本土決戦も視野に入れていたのか?

 なんとなく、聖徳太子あたりは国際都市をイメージしたのではないかと・・・明日香は海から遠すぎる、海運を考えての未来都市を斑鳩に作ろうとしたのではないかと・・・ふとね・・・栄光の都を・・・しかし、この時代の天皇は都というか御座所をちょこちょこ替えるものだ・・・まるで・・・Xの所に転がり込んで政務を行っているみたい・・・気のせいか?

 まあ、いずれにせよ、当時の奈良盆地の権力者は、陽宅を風水に則って作ったのではないかと・・・何しろ最新流行ですからね大陸風の考えを元にして・・・急速な文化の移入・・・文化の担い手は・・・多分、出雲ではないかと・・・北九州陣営はなんとなく瀬戸内を支配していないような気がして・・・というより、北九州勢は自ら船を出していないような?なんとなく・・・大陸側の国際港が五島にあったのでは?なんってね・・・妄想ですが・・・日向から北上する邪馬台国に対抗できないのなら文化の担い手にはなりにくい気がして・・・海運=海軍力・・・陸戦隊を持てば陸上とは違った兵力の集中運用が可能では?・・・ん・・・ちょっと違うな・・・

 ふと・・・浅野弾正長政君の手ではないかと・・・なんとなく・・・香取神宮をうろうろ(50) 香取新誌(10) ここでちょっと検討したんですが・・長政君は戦上手なんですね。上手と思う理由は・・・先に、なるべく大勢に消極的な中立を誓わせちゃうから・・・消極的であれ、中立を誓ったら、その者の権利を保障するという手を使っているように思えるんです。敵になるか?味方になるかの2択は厳しい選択ですから、楽な選択として、とりあえず自分の領地に専念することを誓わせてしまって、初動を押さえてしまうような感じです。我が国民性は熱しやすく冷めやすいので・・・わ!戦うぞ!にしなければ良いようです。関東であっという間に中立陣営を作り上げ、中立を誓わせれば・・・寝返りにくいし、そこから自分の陣営に引き込むのは敵を味方にするぐらい面倒な事と思うので・・・当面敵対しないという約束だけでも動けなくなる・・・ということなのでしょう。そして、時間が少し経ってほっとすると、絶対に動かないような気がします。

 基本的には、我が民族は、懐柔策が利く民族?で比較的和平の道は短いのではないのかと思います。先進の文化の素晴らしい製品を送りものという素敵なものを武器として戦って・懐柔して?・・・行った・・・、九州からの一団の話へ戻って・・・・神武東征では盾津で初めての抵抗があったということみたいです。少なくとも、そこまでは順調だから・・・初めての組織だった抵抗は・・・大和川をめぐる攻防なのかな?結局は背後へ回って圧力をかけて諦めさせる事になりますが・・・奈良盆地勢力はそれなりに開化していたのではないかと・・・多分、出雲経由で入ってきた文化ではないかと・・・弥生時代の奈良盆地での農業規模は・・・なんとなく、奈良盆地は巨大な湿地だったのではないかと・・・所々に高乾な微高地があって住むのに良い場所、そして水田耕作に向いた場所だったのではないかと・・・、富の蓄積と人口の増加が、やがて宮を中心とした集落へと成長させて、出雲あたりからやってくる高度な文化製品を手に入れるようになる・・・やがて、巨大都市に夢を馳せるようになる・・・宮の威容とその前に立つ市・・・ふと、社頭の年の瀬の市のイメージ・・・の何百倍もの・・・毎日続く縁日を夢見てかね?

 まあ、そんなわけで、大陸の最新の都市計画の風水の前身になるものが奈良に入り、小さな集落が宮を中心に広がってきた時代が、神武東征の時期なのではないかと・・・それから、治水に付随して巨大土木工事の流行によって・・・古墳作りが富の象徴としてもてはやされる・・・ふと、妄想・・・土で作る古墳設計とそれにかかる労務の一般計算セットなんって思いついてしまいました。四角い箱と碁盤の目を引くための道具と、アウトラインを引くための棒、スプーンと印の付いた糸と、数取り棒かな・・・箱庭キットのようなものですね。前提になるのは、スプーン1杯が2人の土を掘る量、糸の印1つがその土を1人が1日で運べる距離とかにして、縮尺との間での定義を行えばよいでしょう。計算は掘るのに2人、積むのに1人、運ぶのに1人で、運ぶ単位距離として・・・使い方は左の図のようにしておきましょう。

 上の図が基本工で二人が土を取って、一人が運んで一人が積み上げる4人工とします。一般土木だとこのぐらいですかね?よしマニュアルを・・・

 先ず、自分が毎日使える労務者の人数を確認しましょう。工期はどのぐらいにするか考えておきましょう。労務者には毎日食べさせなければならないので、それも考えた上で人数を決めてください。

 キットの箱に砂を満たしてください、付属のヘラで平らにし、付属の突起の付いた定規で砂の上に碁盤の目を切ります。次に砂を盛ったり、穴を掘ったりして、古墳予定地の実際の地形に似せて基本地形を作ってください。木などが生えている場合は、付属の3種類の竹串を使って、大中小の木に分けて刺しておきましょう。ここまで準備ができたら、次に、古墳の形をこの地形上に描いてください。・・・・まわりの地形との関係については、葬書の解説をご覧ください。

 ここで、現場の草刈り作業や、樹木の伐採、抜根作業などの手間などを考えて木に見立てた竹串を抜いて行きましょう。このあたりは普段行っている業務ですから見積もりは自分でできると思います。

 次に、土取り場から土を積む場所までの距離を糸の印を使って計ります。5つ目の印まで運ぶのであれば、スプーン1杯の砂が2+5+1=8人工になります。もし、1日に100人を動員できるのであれば100÷8=12…4で12回運べます。・・・ああ、馬鹿らしい・・・でも、こんな風にすれば見積もりができそうですし、まわりの人間を納得させるのには良さそうですね。・・・ふむ、これだけの作業で、隣村のやつより大きなのが作れるのか!とか納得できますからね。人間って先の見えない仕事はやりたがりませんからね。

 しまった・・・ふと、フルハイビジョン対応のプロジェクターの値段を見ていたら・・・何と、値上がりしている・・・どうやら、年末商戦向けの値段をつけている所が減っています。価格改定を行っていない所が減っているのか、輸入品の値段がかなり上がっているような?駆け込みで、こりゃ買わないとと思って、買い込んだものが・・・その店の販売品目から消えてしまった・・・という事は、価格を改定していなかったために利益が出なかったか、下手をしたら損をしたという事か?ちょっと気になります。まあ、ガソリンだってちょっと前の1ドル70円位の時は、53円の税+1ドル(70円)で123円位だったのが、近頃では53円+1ドル(105円)=158円位になっているみたいな気がしますね。原油価格はほとんど差が無いという感じですが・・・なんとなく計算が合うので、既に円安のために物価が上昇している事になるとか?円安を誘導して物価を上昇させて、この物価上昇をインフレと考えて、消費税を増税するって・・・庶民を馬鹿にしているのかね?輸入品の値段が3割上がって、それに3%の税が上乗せだとどういう事になるのかね?1000円の品物は消費税込1050円、それが3割値上げの8%の消費税だから1000×(1+0.3)×(1+0.08)=1404 1404円になるのか・・・ふむ354円も高い買い物になるのか・・・まあ、原価に対する3割だからここまで大きくならないが・・・原価を8割としてそれに3割乗って消費税なら1123円ぐらいですね。いずれにせよ、4月になったら絶対に2年は耐久消費財を買わない・・・いや買えないぞ・・・なんって気がしてきました。多分75000円程度のフルハイビジョンのプロジェクターも私の妄想的な計算式だと、円安で販売価格は78000円ほどにならないといけないのではないかと・・・こりゃ、欲しいものは今のうちに買い込んでおかねば・・・あとはPCだけど・・・経済は複雑だ・・・国内の農産品の値段は下がるのかな?ちょっと気になります。

 さあ、気を取り直して香取志を・・・

匝瑳殿
磐筒男神、磐筒女神を祭っている。元享3年大宮司実材佐土殿を作る。元徳の記述に佐渡殿を作る。保延の記述では佐渡殿一宇、匝瑳北條役千葉八郎云々、この事で匝瑳殿と名付けられているのであろうか。社殿には神秘があり。また往古香取連五百島が匝瑳郡に住む、それ以後、匝瑳殿の修造を匝瑳郡役とするとか。これ末社記の説である。文永の官符に佐渡殿一宇葦葺金物あり、作料官米三十斛、匝瑳北條翻訳也、より地頭などこれを進造する。末社記の冠注に佐渡殿は不開殿の助殿・渡殿の廊下の様である。案ずるに毎年三月神幸ではここで神幸の支度や修理などをして、本宮にここから渡廊があったのか。不開殿はへは帰殿、匝瑳殿へは渡殿である。だから二か所のあるとか、重規に言わせると、これらの事ども今の様子とは非常に違っているので、細かな事は考える事が困難である。毎年五箇度の御扉閉の神事が終わってから大禰宜家がこの社を祭るのを例としている。


匝瑳殿か・・・匝瑳殿も良くわからないですね。經津主神の父母神を祭るようで、磐筒男神、磐筒女神の2柱の神を祭っているようですが・・・そういった感じの記述が無いですね・・・ちょっと不思議な気がします。どうも、何か神を祭る社殿というより、本殿の付属の建物みたいな扱いをしていますね。どうも、ここの記述からすると、匝瑳殿と不開殿は並んでいるような感じで、匝瑳殿ので神幸の準備って神輿を準備するということなのでしょう。匝瑳殿で神輿を用意して本殿へ行く、そこで神を神輿へ移して神幸する。帰ってきたら神輿から神を本殿へ移し、不開殿のところで神輿を片付けるとか・・・そんな感じですね。で・・・匝瑳殿の所在はどこになるのかね?不開殿というと鹿島新宮のような気もしますが、現在の匝瑳殿の周りには不開殿と呼ばれるような建物はありませんから・・・年中祭禮大禰宜勤方に匝瑳殿が出てくるのは、10月25日の神事初の中に出てくるものですね。両祭当出る、先に神前、次に大禰宜屋敷の内、匝瑳殿の前にて勤める。次に大宮司屋敷の内、印手社の前にて勤める。社家3人ほど出る。御酒調進、御下がり頂戴、両祭当より徳利1つ宛て来る。 こんな感じですね。匝瑳殿は大禰宜に関連し、印手社は大宮司に関連するような感じですね。他には、11月4日の五箇度の時です。本殿で勤めた後、神楽の奏楽が終わった後で、匝瑳殿に御供を備えて、大禰宜が一人で奉幣を行い、祝詞をあげて、備えた御供を頂戴して退下、庭上で御酒、五獻、御内陣に上げた供物の類が社家に振舞われるようです。

 源太祝年中行事だと、1月10日の夜に宮中匝瑳殿の奉射があるとのこと。ここでも食べ物が出てくるような?前日米五合宛て揃る、焼物代として拾貳文・・・御三獻の神酒は大禰宜家から出る・・・「恒例之御日待也、同夜諸親類呼べし」・・・ふむ・・・匝瑳殿は何かと食べ物に関連があるのか?それとも、本殿から撤下した神饌類を持って行く場所として都合が良いのか?確か、匝瑳殿は仮殿として使われたのかね?何しろ、造替などの遷宮の場合、神を移すための通路を作り、それを幕で覆ったりとかしていますから・・・近い方が良さそうな?元禄の造替で、大がかりに神殿の配置を変えたために、儀式空間に変更があって色々と建物に関しての注文を出したりしていますからね。

 残念ながら、次の不開殿の方を見てから、匝瑳殿に関して何か分かるか気にすることとして次へ進めるしかないような感じです。

2014.02.01

  

関係ないが、興味深いもの


参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
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