香取神宮をうろうろ(93)
 香取志 (27) 兵器に関して・・・

 新しい機材が増えると、そのつなぎ方を大きく変える必要が出る時があります。今年の正月の変更は非常に大きくて、信号の流れをずいぶんと変えたために、しばらくは自分でどのように繋ぎ直したのか分からなくなったりもしました。一応、ブロックダイヤグラムは書くのでOKですが・・・まあ、所々無線になったところもあるし・・・統合化というのはなかなか難しいものです。

 まあ、たまには気合を入れて楽器いじりもしたくなるし・・・新しい楽譜でも買い込んで練習するかとか・・・そんなことも思います。ちょっと面白いのがヤマハのネットカラオケ・・・カラオケが月額630円で歌い放題 パソカラホーダイ 歌を歌って遊んでるのが好きなんで・・・なんとAndroid版があることに気付きました。一応金を払っていますから、ちょっと試しにandroidの方へMySoundカラオケというアプリを入れてみました。使ってみると、まだそのサービスが始まってから日が短いためか曲数はそれほど無いようです。若向きな選曲です。使ってみて良い所は、かなりの曲にガイドボーカルが入ってますね。音はあまり良いという感じではないですか、とりあえず聞くのには十分ですね。そして、何と・・・楽譜を表示してくれるものまであります。ガイドボーカル+楽譜だと良いのですが・・・残念ながら両方同時というものは無いようです。カラオケの文字の送りが変な時もありますが、実用上はそれほど問題ないようです。曲を覚えるためにはなかなか良さそうです。ただ、楽譜は2小節分の表示なんで・・・さて・・・ちょっと、正倉院の収蔵品を眺めることにしましょう。

 竹製品を中心に眺めましたが、残念ながらそれほどの点数は見当たりませんでしたね。このあたりが気になります。確かに竹の加工にはかなり切れる刃物が必要です。まあ、割るぐらいなら大したことは無いですが・・・しかし、鋸で繊維を切るとなるとかなり大変です。刃物の減りが早いですからね。問題になるのは良い鋼があるかどうか?これですね・・・古代には輸入品の良い鋼があって、仏閣などに花崗岩が加工されて使われますが・・・よい鋼の無い時代には、普通鋼で加工が可能な石材である砂岩などへシフトしていたような気がします。

 近代デジタルライブラリー - 正倉院御物図録. 第10 ここに弓関連が並んでいるので・・・

 さて、先ず気になっている弓を眺めてみます。左の写真が正倉院に納められているものですが。弓弭の様子から、こいつは真っ直ぐな棒に弦を張る形になりますから。矢を放つ時に弓が返らないので、間違いなく弦は腕に当たり痛い目に合うと思います。よって腕には弦が当たらないようにするために防具の鞆が必要になります。実戦で鞆を忘れたら大変・・・矢を射って腕を押さえて座り込んだら・・・戦いにならないね。押手の使い方でなんとかできるかもしれませんが・・・中世まで使われているので、その頃までは鞆の必要な弓が使われていたのでしょう。

 弦を掛ける弓弭の形状などは右のように現在のものと同じような形状ですし、弦もほぼ同じようなものでしょう。ただ、ちょっと手入れが大変そうですね。「くすね」は必須ですね。松脂を植物油で練ったものを塗りつけて、麻ひもで作ったわらじでごそごそ擦ってやらないと切れちゃうでしょう。写真の弦は弦を強化するための資材などは揮発してしまったもでしょうか?かなりけばだって見えますからね。まあ、私なんかは合成弦でしたからそれほど頻繁には手入れしませんでしたが・・・弦が切れるのは嫌なものでしたね。まあ、ケブラーはそう簡単に切れませんでしたけどね。

 実戦用の兵器だと手入れにはずいぶんと気を使ったのではないかと・・・消耗品の予算をチェックすると何か見えるかも?変な事ばかり考えてるけど・・・

 しかし・・・この旧式な弓が返ることを意識していない構造の弓を実際に扱ってみたい気がしますね。そうすれば、鞆の必要性が分かると思いますが・・・でも・・・弦で打たれると痛いからな・・・弓の弦の痛さを知らないボランティアを雇ってやらせるとか・・・しかし、押手の使い方次第・・・鞆ってもっと別の目的を有しているとか?わざと、弦を鞆に当てることに意味があるのか?まさか、弦が切れないようにするための道具とか?・・・ちょっと力学計算・・・矢が弦から離れた後のエネルギー計算でもしてみますかね?パラメーターは・・・よくわからないけど、矢が離れた後もかなりのエネルギーが残存している感じ・・・

 まさか・・・丸木弓って、矢が離れた後の弓が持つ残存エネルギーが弦に対して大き過ぎるのでは?・・・違うな・・・残存エネルギーは現在の弓の方が大きそうですね・・・まさか・・・裏反の無い弓だけど、矢が離れた後に弦が返るのを防ぐためか?今の弓とまるで違う扱いをしなければいけないのか?手の内・・・押手の使い方が違うのかね?1つ作って実験してみますかね?ミズメでしたね・・・山歩きでもしてちょっと調達してきますかね・・・遊びネタがまた増えてしまったような気がします。

 さてとにかく、この時代の弓には鞆が必須のような感じですね。面白いのは、矢のセットですね。胡禄に入っている矢は、左のように50本ひと組になっています。糸で1本1本がばらばらにならないようにまとめられています。ちょうど・・・袋の口とか、指を紐で繋ぎ合わせて・・・紐を引くとほどけて行くのと同じ繋ぎ方がしてあるそうです。つまり、これは実戦兵器で、通常は使わないことになっているという事なんでしょう。しかし、いつでも使えるように、員数が合うようにバラバラにならないようにして管理されている兵器なのだとという事のようです。

 この矢の長さは80pですね。私にはちょっと短いかな・・・通常、私は92pを使っていましたから・・・ふむ、近頃は七面鳥の羽を使っているか・・・ワシントン条約の影響ですね。私の矢は何だったか・・・なんとなく、弓を始めたくなってきました・・・弓道場でも通うか・・・

 近頃のジュラルミンの矢は1本あたり2200円か、この時代では実戦用の征矢はもっと高価だったのでは?現代でも50本そろえると110000円・・・ふむ、装備品としては安くない・・・何しろ消耗品ですから・・・現在のライフルの銃弾はM16だと・・・M855 $419.99/1000発・・・ふむ1発42セント、45円位と考えればよいか・・・戦争道具も安くなっている?まあ、ライフルは高価ですが・・・M16は$1600程度ですね。17万円か・・・American Spirit Arms - Precision Firearms - AR15, M16 Rifle, M4 Carbine なかなか興味深い・・・現在のちょっと良い弓は10万円ちょっと・・・何を考えているやら?弓具をそろえると結構な値段になるな・・・近頃・・・いや以前から貧乏だから・・・でも、気が向いたら「かけ」、弓を引く時の手袋みたいなやつでも買いに行くか、それ以外はネットで揃うから・・・

 さて、実戦用の矢の根なども面白いのですが、それより、正倉院の鉾が気になります。武器の管轄は延喜式の時代には兵庫寮ですから、ちょっと気合を入れて兵庫寮を読んでいるのですが・・・元旦の儀式はなかなか大変なようです。太鼓や鉦を合図に諸門の前の連中が呼応して・・・というやつをやっているようです。延喜式には膨大な情報が詰まっているようです。一通り読みましたが、全文検索ができれば・・・というのでデータベースでなくワープロでやることにしました。

 作業は簡単です。ネット上で公開されている文字データをワープロにコピー&ペーストででかい文書ファイルを作って・・・ワードの標準設定で600ページを越えましたが・・・そこで、キーワードを選んで置換を・・・検索と置換で検索語を入れて、次を検索・・・これで、全文検索ができるようになったのでOKです。

 一応、どこに出てるかが分かれば、国会図書館のデータと比べればOK・・・あるものは安易に利用すればOK・・・

 さて、次は槍のチェックですが、正倉院に入っている槍は不思議な形をした手鉾以外は基本的に左の2種類のものですね。およそ3mの棒の先に穂が20pほど突き出すようになる全長35p程のものです。袋の部分は先が細くなっている感じですから・・・さて、この鉾・・・形状の違いは何か?というのが気になります。旧式のアルペンシュトックみたいだと・・・というより、Swiss voulgeってやつですよね。一般にはHalberdってやつです。日本語じゃなんって言ったっけ・・・長柄武器の仲間で・・・槍斧・斧槍・鉾槍・・・現在も現役の兵器ですね。例によってバチカンのスイス衛兵・・・今もこれを装備していますね。

 この兵器は、歩兵が騎兵に対抗する手段ですね。騎兵は馬から引きずり降ろせばOKですから・・・しかし、なぜか日本ではこの手の兵器は流行らずに消滅していきますね。この辺が不思議です。隼人は多分、この鉤のついた鉾を装備したのではないかと思います。通常は木槍を持っているのですが・・・木の棒は鉾に直ぐ化けますから・・・この正倉院御物を紹介している本では、この鈎の無いものを、後世の直鑓に似る。身に込みを作らず袋によって柄を取り付けているとか説明をつけています。ここからすると、棒の先に袋状のジョイントを持った刃物がついている物を鉾と言っているようです。従って、後代に出てくる大太刀の柄が長くなった長巻やその後継の薙刀などは、鉾とは別の系統の発達をしたものと捉えているようです。従って、刀身に込み=柄に差し込む部分、刀でいう「なかご」を持つものを鑓と言っているようです。まあ、どちらも突き刺して殺す事を主眼としたものですから大差はないでしょうね。

 多分、魏志倭人伝には日本には馬がいないことになっていますから、魏志倭人伝の時代には馬はほとんど日本で知られていなかった・・・北方から持ちこまれた可能性はあるが・・・アイヌは牧畜を行っていたようだが・・・自分たちが積極的に利用していない海産物の輸出でそこそこ食べていたみたいな?馬は、あまり海を越えて運ばれなかった・・・そこへ騎馬による奇襲で1人で大勢を蹴散らすことで恐怖を振りまいたのかね?これが、倭国大乱かね?邪馬台国の王は馬で戦争を仕掛けてまわったとか・・・その系統のものが・・・神武東征を行った・・・やがて、大陸から新しい技術が到来・・・歩兵が騎馬に対抗する技・・・

 ふと・・・干戈・・・干戈との関連からすると干戈って戦車戦の兵器体系ですね。干は楯で戈は右の図のようなものです。刃物の部分は中国の戦国時代のものでそれに柄を書きこみましたが、およそこんなものです。使い方は、戦車ですれ違いざまに相手に打ち込むとバッサリやれるという危険な兵器です。こんなものを持った戦車に追いかけられたら・・・後から首を叩き落とされるし、戦車で立ち向かっても、痛い目にあう・・・妄想・・・戈はホコって言われますから・・・正倉院の鈎のついた鉾は右の図の戈とは付き方が違う・・・右の図の戈は切って抜けるようになっているのに対して、正倉院の鈎付きの鉾はそのまま引っかかってしまいます。騎馬や戦車でこれを使って人でも引っかけたら乗り手が落ちますね。というわけで・・・隼人のような弓も持たない、楯と上のような鈎のついた鉾を持って騎馬に立ち向かう部隊とすると・・・騎兵より地域性圧力は強いのでは?・・・ここでさらなる妄想・・・日本を騎馬で荒らしまわった連中は、この正倉院の鈎のついた鉾を知っていた・・・さらには所有していた・・・敵対する連中はこの対騎馬兵器を知らない・・・本拠に残して遠征へ・・・この鉾が・・・高千穂の・・・秘匿名「天逆戈(鉾)」とか・・・

 ああ、また妄想で遊んじゃった・・・騎馬は勝るというものを否定する武器・・・何しろ、スイスの傭兵隊はこの手の兵器で、ヨーロッパで勇名を轟かせていましたから・・・左の連中が、騎士を馬から引きずり落として・・・まあ、戦争のやり方を変えてしまったという事なんでしょうね。

 我が国も、騎馬の連中が幅を利かせていたので・・・こういった兵器は秘匿されたのでは?正倉院にはこの鈎の付いた鉾がかなりあるようです。

 そして・・・延喜式を全文検索かけると・・・多分、隼人は正月などの閲兵で木槍を持って儀式に参加していますが、この木槍は隼人司の項目にあるだけのようです。他にはこのようなものは存在していない・・・秘密兵器だったとか・・・恵美押勝の乱でも出庫されなかったとか・・・

 もうひとつ気になるのは・・・装備品は木槍となっていますね。なんだか・・・秘匿名ぽい気が・・・兵庫寮の管理下にならないように木槍と称して180本の対騎馬兵器を秘匿しているとか?というより、兵部省直轄でもないような・・・兵庫寮は兵部省の下部団体ですが・・・兵器だけでなく、組織の来歴も秘匿されている?・・・なんとなく・・・第二空気とか・・・一号艦とか・・・何しろ、槍ばかりでなく・・隼人の詰所らしき威儀所には横刀190口、楯180枚、木槍と称するものが180竿と兵庫寮の管轄でない兵器がありますから・・・そして、鎮守府ですら官人に陸奥国の人間を入れてはならないのだから・・・なぜ、隼人がこんな中枢で武装していられるのか?

 ついでに・・・ミケランジェロのデザインした制服を着たスイス衛兵隊と隼人は似ているような?隼人もそろいの制服を着ているようですから。そして、武装して行幸について歩きますから。これって・・・服属した蕃賊ではないと思うのですが・・・しかし、通説ではそうなってる・・・犬の吠え声を真似して邪気を払う・・・一人で百人を相手に戦えるような連中より給与が良いようですから・・・左発本声、右発末声。惣大声十遍、小声一遍。訖、一人更発細声二遍・・・なかなか面白いね。本声は普通の声で、末声は弱い声で、大声は大声で、小声は小声で、黙る、一人で細い声・・・何だろうね。普通に気勢を上げてオー!、弱くオー!距離感が出そうですね。そしてみんなで気合を入れて大声で・・・わ!大変だ大勢いるぞ・・・オーの弱い声で、静寂が・・・その後で細い声で・・・オ・・・

 さあ、やっつけるぞ!、(遠くで)俺たちも!みんなでやるぞ!女子供もやるぞ!・・・遥か彼方からも細い声で、やるぞ!・・・とか、そういった演出かね?重要な儀式での約束事・・・遠来の客はそういった演出を知らないから、こういった示威行動はパスか? 単に邪気を払うだけに声を出すなんって・・・暇人のやることでしょうから・・・暇人はそう考えるかね?

 毎年20人を採用して定員制を取っていますから・・・毎年20人の退職者かね?バチカンのスイス衛兵は年齢は19歳から30歳まで・・・19歳の誕生日が来て31歳の誕生日の前日までか?12年間・・・まあ、少数精鋭ならそのぐらいでしょう。なんだかガンマンの定年みたい・・・反射神経の衰え・・・かね?180人÷20人=9年間の奉職か?

 もうちょっと妄想・・・律令の専門課程・・・医疾令の規定だと13〜16歳で修業を始めて7年から9年で上級の医師として一人立ち・・・いや、4年で独り立ちできるコースがあるから・・・20歳から25歳で一通りの専門教育を終えるのでなく、20歳で脈がないね、一応はこの免許は与えるで、追い出されたか?・・・20歳で専門職となる・・・多分隼人も同じと考えると20歳で任官、そこから9年・・・30歳の誕生日の前日で退官だったのでは?募集要項と思われる文中の 隼人幹了者 ってやつが良くわからないが・・・普通に訳せば、隼人をやったもの・・・ああ、中核となるものだから、一般兵士と違って定年が違うのか?30歳で退官した連中の、再雇用と取ればよいのかね?じゃあ、ちょっと考えなおすか・・・

 官人三人、史生二人率大衣二人、番上隼人廿人,今来隼人廿人,白丁隼人一百卅二人・・・隼人はシビリアンコントロール下にあって、官人・史生の管理下にあり、大衣2名、番上隼人は白丁隼人からの持ち上がりと欠員が出たら退役した隼人から取ってきて20名。今来は新規徴募20名、白丁が一般隼人で132名で良いか。そしてこれは2つのグループになるから・・・大衣1名、番上隼人10名、今来隼人10名、白丁隼人66人・・・・66を素因数分解すると2×3×11・・・2列縦隊、3列縦隊、6列縦隊・・・ふむ、陣はこんな感じになるのか・・・ビジュアル化すると右のようになるのかね?

 これに対して100騎ほどの弓で武装した騎馬武者が突撃したとして・・・十分対抗できる武装ではないかと?何しろ、騎馬は密集隊形が取りにくいですから・・・近寄って馬から引きずり落とされたら・・・そうか・・・正倉院のもう一種類、ちょっと不思議な形をした手鉾があります。これって・・・

 不思議な形の手鉾は左の写真のものですけど・・・これって、騎兵の切り込み鉾では?長さ約1m・・・兵器というのは、攻撃に対しての対抗手段を考えるという鼬ごっこですから・・・剣を持った歩兵に機動性のある騎馬の弓兵、これに対して楯とこの鈎鉾で対抗して・・・騎馬弓兵+騎馬鉾兵による重装歩兵の切り崩し・・・

 で・・・兵器の研究開発部門はどこにある?ふと気になったのが、左の鉾・・この刃物の鉄は日本産?中国産?それとも・・・こういったものが気になります。軍備専門に売り込む商社とかあったのか?そういえば・・・近代デジタルライブラリー - 露軍ニ於ケル機関砲ノ使用 この本は、軍需商会出版部の本で、我が国の陸軍が機関銃操典を編纂する前にロシアの機関銃使用を紹介した本ですが・・・律令時代も、中華帝国の最新兵器詳解とかそういった出版物が横行して、最新兵器需要を喚起してたのか?なんって・・・余計な事ばかり考えてしまいます。

 まあ、正倉院などは試作兵器の倉庫としては良さそうな気もしますがね。どうも、隼人は犬の鳴き真似をするだけの部隊とは思えなくなってきました。隼人ってどう見ても常備軍のようにしか見えないが・・・なんとなく、古代ローマは常備軍を持ち、中世ヨーロッパ諸国は常備軍を維持できず・・・近代ヨーロッパへ脱皮する際に常備軍が置かれたが・・・帝国主義というより、常備軍を持てる国家規模というのがあるのかもしれませんね。まあ、軍隊を保有するには金がかかる・・・

 ふと・・・再び養老令の軍防令との兼ね合いが気になります。5人で伍、10人で火、50人で隊・・・これとは明らかに編成が違いますね。令で規定されるものとは違った編成。5人で1分隊、1人が伍長、2分隊10人で、これに小隊長1人の11人で1小隊、3個小隊で1中隊、中隊長以下中隊幹部が5人、2個中隊で1個大隊で大衣=大隊長・・・・2個大隊と、教育小隊10人の教育小隊2で教育中隊を含んで連隊・・・連隊本部は官人2史生2で、生産部隊なども監督する・・・並び方から妄想すると、こんな軍隊編成ですね。まあ、軍の編成は世界中どこも大きく違う事はないので、こんなもので納得しておきましょう。番上隼人の定年は何歳になるかね?さすがに、こまかな施行規則までは考えが及びませんが・・・律令というのはパターンが決まっていますから、何か推測できる手がかりがあれば何とななるのかもしれません・・・妄想研究の威力ですけどね。しかし、この隼人司はずいぶんと金がかかるぞ・・・給与がかなり良い・・・平均年収を750万円として人件費で年間20億円ぐらいかかるのではないかと・・・犬の吠え声で高給取りになれるような論理構成なんって私の頭には無いのでね・・・ふと・・・これって1大隊欠、各2中隊欠の編成かね?中隊幹部の数からの推測・・・これなら、特科連隊として大きな顔ができるかもしれません。戦略を考えると・・・隼人部隊を中核に、騎兵大隊を20騎程度で、4個大隊80騎遊撃、軽歩兵2連隊、各1500を隼人部隊の鶴翼に配置して・・・古代の陣はどんなものを考えていたんでしょうね?

 さて、もうひとつ気になるのは、応天門前の広場の広さですね。儀式空間というのも、儀仗編成には重要ですから・・・もしかして・・・鹿島神宮の祭頭祭ってのは、この隼人部隊がモデルとか?色々と妄想が膨らみます。

 隼人司に関して読めば読むほど疑問が・・・まあ、応天門の内外の儀式空間って興味深い・・・門闕ってやつですか。門を舞台・演壇と考えると、その両側に伸びる、門の前の広場に凝縮感を与える門闕・・・その中に整列する最強部隊・・・衣類・装備に金がかかっていてもおかしくない・・・門の前・・・応天門前、そして会昌門前・・・近代デジタルライブラリー - 陽春廬雑考 40コマ 朝賀図説 探せばありますね。会昌門前に並ぶ隼人らしき図を見つけました。右の図が、会昌門前に並ぶ槍を持った者たち、門前東西に2隊控えています。ただこの図は・・・兵部省の隼人司に記載されているものと違いますね。朝賀であればこの会昌門ではなく左の応天門前になるはずですから・・・この図はいつの時代のものなのか?未確認情報では江戸時代の写本のようですが・・・

 この図では官人が2・2、その後に隼人が2・2・4・4と並んでいて片側に12人、東西で隼人は24人、官人は8人が控えていることになります。その中の1人を抽出すると左のような装備をしていることが分かります。

 胡床に腰を掛け、楯と槍を装備していますからこれが隼人の制服のようです。・・・この図は、寛政年間から天保4年まで生きた大石真虎という名古屋の浮世絵師の画いたものから書き起こしたようです。大石真虎は有職故実を学んだようですが・・・どんな史料をを元に描いたのか?ちょっと気になります。なんとなく、袖や襟の感じが・・・なんとなく腑に落ちない・・・どこが違うのか分かりませんがね。なんとなく、妄想的見解です。国立国会図書館デジタルコレクション - 検索結果 大石真虎素晴らしい絵がいっぱい・・・見とれてしまいます・・・しかし・・・なんとなく。

 ずいぶんと歴史書を見てきた気がします。ふと思った事・・・なんとなく・・・歴史に対するアプローチの仕方というものがね。私の場合は、人間の仕様などは、この10万年ぐらいほとんど変わっていないから、旧石器時代の子供を拾ってきて、現代に持って来たって普通に馴染むと思うわけです。そして、基本的な正義であるとか名誉などの概念も変わらないと思うのですが、歴史学者の多くは、古人は今の人間とは違うのである!違いを明らかにしようとしているような?江戸末と開化期のアプローチの違いってあるようですから・・・こういった物の見方って興味深い・・・今の世の中だって、古代だって、基本的には人間の行動は・・・経済が基本でしょうから・・・豊かで余裕があればお祭り騒ぎができるが、そうでなければ祭祀など心の中でするだけになりますからね・・・仕事をサボってお宮参りができるなんって・・・仕事が無くならなければできますが・・・仕事がなかったら、お宮参りではなく就職活動でしょうから・・・就職活動の合間に、手を合わせて・・・優先順位は食う事!から始まる・・・身なりを整えて、食のために走り回り、住まいができたら、節度ある生活ができるようになりますからね・・・つまり、古人も今の人間も違いはない、ただ・・・風習・儀式・儀礼に違いがあるだけのような気がします。しかし・・・今も昔も違いはないのよ・・・では、歴史学者は食えないということなのかもしれません。

 そう、教授するというのは一種の話芸ですから・・・素晴らしい語り口、斬新な、耳目を引くような・・・それでなければ食えませんから・・・私もソフィストでしたから・・・ああ、一応まだ現役か・・・でも、近頃はソフィストがメインの仕事ではなくなっていますからね。でも、ソフィストとしてはそう思います。食べるために知識の切り売りをするには、大した事のない知識でもそれを針小棒大なものにしないと聞いては貰えない・・・

 ふと、これに関連して・・・手元にあったFOX&HOUNDのパキスタン製かな? その大型ナイフを久々に引っ張り出すとちょっと錆びていて・・・勝手に隼人の装備品と妄想している蕨手の黒造横刀・・・日本独自の・・・って説明が入る蕨手刀ですが・・・タタールの刀って蕨手のものがありますね。振り回した時に手から離れて飛んで行かないように工夫されたものでしょう。・・・日本のやくざ映画などを見ていると、白鞘の短刀とか振り回したりしていますが・・・私はあの短刀を振りまわす気力はないし、あれで何かを刺すなんって怖い事はできません・・・だって、あんなもので刺したら・・・自分の指を失くしますからね。鍔は基本的に自傷防止用の安全具ですから・・・どうも、我が国の刀剣というのはなんとなく、実用性に乏しいような気がして・・・まあ、実戦に向けては一応、よく斬れるように刃を荒く研ぎ直したり、鍔元の刃を引いておいてわざと切れないようにして自傷を防ぐことなどもしたようですけど・・・全般的に刀剣の扱いが実用向きでないような感じです。このナイフは極めて実用的ですね・・・ヤギなどのサイズの獣の解体には適したナイフです。鶏を割くには大きすぎますがね。この柄なら、刃が50p程あっても問題ないものです。パキスタン製なのでダマスカス鋼にも関わらず安価ですからね。真鍮部分も磨くと見栄えのするナイフです。普段は包丁と一緒に置いてあるナイフです・・・持って歩くと銃刀法に触れるサイズですから・・・このナイフの柄が優れているのは、刃が長くなっても問題ない事なんです。冗談で刃の長さを50p程に伸ばしてもこのナイフの柄はそれに負けません。右の写真のようにね・・・

 こういった柄のしっかりしたナイフが実用に耐えるナイフなのだと思います。・・・ふむ、なんとなく、このナイフもう一本買って刃を安来鋼・・・青紙スーパーで、このぐらいの長さにして・・・本焼きで・・・鋼材屋に・・・でも、研ぐのが大変だし、作ったら捕まるな妄想だけにしよう・・・そういえば、延喜式で砥石関連が出てくるのは服部で砥四顆から始まって・・・青砥や伊予砥とか出てきます。青砥は、京都の宮川に産する中研ぎに使う砥石ですね。そうすると、延喜式の伊予砥は仕上げ用かね?伊予砥の細目は近頃ではあまり見かけない・・・私の所には小さなやつがあるけど・・・多分、実用刃物では今のような鏡面仕上げをする砥石は使わなかったと妄想しますから・・・そりゃ・・・よい砥石も欲しいですね。作業が楽ですから・・・しかし、天然石の良い砥石は極めて高価ですから・・・大清水砥とか欲しいですが・・・延喜式は砥石に関する記述もずいぶんとあるわけです。全文検索は便利だね。・・・・しかし、なんで日本は楯と剣または槍という組み合わせにはならなかったんだろう?両手で振り回す剣が主流になった理由は?

 なんだか、装備品を考えると疑問が沢山出てきます・・・ここらで切るか・・・

2014.01.21

関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - 陽春廬雑考

参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
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近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第12巻 178コマ 類聚三代格
『鹿園雑集』奈良国立博物館研究紀要|奈良国立博物館
近代デジタルライブラリー - 大内裏之図
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