香取神宮をうろうろ(92)
 香取志 (26) 繊維と文物と・・・

 この所、急に新しい機材が増えたので、それを統合管理するための方法を考える必要が出てきました。どうも、システムを考えるのが好きなので・・・android搭載メディアプレーヤーもさまざまに使ってやらないといけませんから・・・PCとAVアンプをコアに様々な機材が繋がっているので一度整理しないと・・・MIDI楽器の連携も良くしないといけないし、ハードディスクを搭載したレコーディングシステムなども・・・まあ、PCでやっても良いのですが、操作者が旧式なんで、やはり右のような形を持っていて操作できるものが好きですね。

 ただこの手の機材は場所を結構取ってくれます。マイクなど4本ぐらいつなぐと、そのケーブルだって結構邪魔になりますから。まあ、こういったものもやがて無線で繋がりPC上にそういった操作が反映されるようになるというか・・・私の所ではなっていないだけで・・・という時代ですからね。あれ?マスターのつまみが取れてる・・・どこへ遣ったか?床に落ちてました・・・こういたミキサーなども不要といえば不要ですが・・・さて・・・

 延喜式で読みとりたい内容は・・・神祇関連の持つ意味なんです。律令体制では神祇は意味を持たないのに・・・なぜ、社会システムの中で生きている?というものです。養老律令などを眺めても神祇関連はわずかな規定しか存在しませんね。延喜式で再定義されている祭祀が、支配体制の中で、それなりに重要な役割を持っていると考えてしまいます。そして、キーワードは「国譲り」・・・国を譲るというのは・・・支配システムを譲ることだと思うからです。自らが支配している地域を、私は引退する、今までと同じように諸君らの権利は保障される。次の支配者はこの者たちである、善政を期待する・・・私が国造りした国は天つ神の大神の子孫に譲渡するが、出雲国は青垣を巡らせ私が守るというわけですから・・・この事の確認が、出雲国造神賀詞関連のものでしょう。つまり、律令体制の前の体制は、出雲を中心とした、出雲の国造が作り上げた社会システムを継承したと妄想しているからです。

 社会システムが正統に継承されるためには・・・前政権下の特権は維持されなければ承服されないということと、正統な国譲りの形は、出雲政権が行った服属礼に則って行われた・・・出雲国造神賀詞の原型は、出雲政権下での服属礼に則って行われたと妄想してしまいます。よって、延喜式の神祇関連は・・・出雲政権下での支配体制の残滓で、律令体制とは相容れない部分が多々あると考えます。この、基本になる律令と延喜式の神祇の矛盾を見て行くと、それなりに古い支配体制・・・国造体制が見えるのではないかと思うわけです。もうひとつ読みとりたいものは・・・先代旧事本紀・・・偽書だと言われますが、内容的には問題ないような気がしてね。

 一応、しつこく令義解は読み返していますから、これに則って行政を行っていれば、それは問題なく動く事は明白で、それと近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第12巻 類聚三代格 などをみているとまともな行政を行っているように見えるわけです。そして、日本書紀とそれに連なる史書や・・・そういったものを眺めると、延喜式が異質なものに見える・・・なぜ神祇なの?・・・税金ばっかり取りやがって、近頃じゃ何も出てこないじゃないか、なんで税金を集めて納めなければならない?昔の規定はどうなった?さあ革命だ!となると厄介です。・・・延喜式はかつての既得権益の再確認と、新たに創設された機関に関する規定であると・・・祭祀を中心として構成された国家体制ではないと・・・枝葉末節のものが中心に書かれているから妙な方向へ考えが流れるような気がするのでね。それと・・・・香取神宮の文書に現れる古い儀式・・・まあ、正統から外れた研究などは遊びでしかできませんからね。ちょっと、気合を入れて妄想で遊ぶとしましょう。

 延喜式の付録に荒唐無稽な数が現れています。似たようなやつは旧事本紀にも、東日流、富士古文献などの系統の本にも似たようなものが見えますね。

 さて、延喜式検索システムってのをちょっと使ってみましょう。国衙の権限に関して気になりますから先ずは、国司でもチェックしてみました。延喜式検索システム 国司 さて何が出てくるか?祈年祭で官幣と国司が祭る社と分かれています。これは・・・その社の重要度によってわけるのでしょう。重要度って・・・地域支配力?次は風神の祭の話で龍田社に出す物品は国司次官以上を担当者にして、諸郡に命令して買い集めることになっているようです。その対価はその国の正税を充てることになっているようです。ここで入力されている文字で「忸」があるけど・・・誤植かね?忸怩 恥ずかしい事はなさそうなんで・・・調達しなければならない物に多多利なんってものがあるが、これは何?金塗りをしたもので、多多利一枚 麻笥一合 加世比一枚 とあります。麻笥は麻の繊維を縒って作った糸を入れる桶ですね。・・・ああ、分かった。近代デジタルライブラリー - 神宮徴古館陳列品図録 15コマ ここに糸を作るための道具が出てます。Aが多多利ってやつでDが麻笥、Cが加世比という事のようです。

 多多利はその上部に苧麻をかけてそれを爪で解して繊維にするための道具で、解して取った繊維を縒って麻笥に入れて、作った糸をCの加世比に巻き取って糸を束にした綛を作ったのでしょう。Bは、紡いだ糸を掛けておくための「をかけ」、Eは糸を巻く「わく」のようです。写真の物品は明治22年に製造されたものとのことです。

 延喜式に載っていないところをみるとBとEは延喜式の時代より後代の開発品かね?・・・こういったものは官の工房からの調達品ですかね?どうやら、鞍は新調しないような事が書かれていますね。

 なるほど・・・紡錘を使わないで糸を作るんだね、苧麻などの繊維は・・・紡錘を使わないか・・・ん?弥生時代や古墳時代の紡錘ってのは・・・日本に紡錘を使って紡ぐ糸が弥生時代や古墳時代にあったかね?苧麻・麻・木綿(ゆう)などは指で割いて繊維を取り出し指で縒りを掛けているから・・・まさか、真綿か?真綿なら紬糸を紡錘を使って紡いだような?そうであれば、養蚕は古い時代に入っていたか、それともクスサンの繭を綿にして紡錘にかけたか?煮て糸を採る方法が伝わる前のやり方とか?それとも、動物の毛を紡いだか?・・・なんだか、弥生時代に紡錘を使っていたのなら、この時代ですら、これらの品物は古代の遺物なのかね?紡錘車の出土品の数からすると、紡錘の普及率は非常に高かったはず・・・Dの麻笥を使っているから、紡錘は使わないパターン・・・越後上布などは、紡錘を使わないで指とDと同様な苧桶を現在も使って糸を作っていますね。

 なんとなく気になります。まあ、糸車は江戸時代に木綿とともに入ってきたのでしょうが・・・絹糸は煮て作る場合には・・・どんな器具を使ったのかね?・・・弥生時代の絹糸は・・・竪穴式住居の中で火にかけた土器の中に繭を放り込んで・・・どうやって糸を引いた?工場での機械製糸前は、座繰ってやつを使ったいたが・・・片倉財閥も確か、座繰製糸から始まったよな・・・天工開物に出ていたはずだが・・・左の図が中国での製糸の様子ですね。1630年代に刊行された天工開物の挿絵ですが・・・この中国の製糸法の独占は6世紀頃から失われていくようです。ただ、煮て糸を引くわけですから・・・ある意味装置産業ですから・・・そして、秘密は守った方が利益が出るので・・・製法の伝播にはかなり時間がかかったのでは?

 麻のような長い繊維は、指で縒りを掛けてもそこそこ糸を生み出す事ができるが・・・羊毛や真綿だったら紡錘が必要ですよね・・・上布の産地は・・・宮古上布は指で縒りを掛けて糸を作り、糸車でさらに縒りを掛けているようです・・・縒りをさらにかけるのは・・・米国向けの生糸に対してやっていたような・・・糸車はなんとなく、明治以降の導入のような?・・・上布の産地のチェックをしていますが・・・・手績みだって・・・

 じゃあ、やはり草木から採った長繊維は手績みが日本の伝統的な製糸法となるのでしょうか?そうなると、短繊維は真綿とか山繭とか・・・木綿=コットンは弥生時代には存在しない・・・繭を煮て糸を引くのであれば・・・紡錘は不要・・・ヤギやヒツジはずっと後代・・・モヘヤ・カシミヤ・キャメル・アルパカ・ビキューナ、ラビット・・・こんなものしか羊毛以外では思いつかないが・・・

 中国では・・・Wikiの紡錘から中国語へのリンクがない・・・百度で調べるが・・・あまり記述がない・・・一部の地方で使われていた・・・そういえば、日本の紡錘の話もあまり聞かないな・・・江戸期の糸車になってしまう・・・鎌倉・室町時代の紡績はどうなってるんだ?大鎧などで使われるのは、糸といっても組紐みたいなやつか革紐ですかね。そうだ・・・近代デジタルライブラリー - 古事類苑. 産業部 第1冊 182コマ 養蚕 蚕の飼い方はずいぶんと出ていますね。絹糸は他の所に出てるのかね?延喜式の工業関連で機織り染色はありますが糸引きはなさそうな感じです。高度な製糸技術を持つ職能集団はないのかね?

 紡錘は古代から近代にかけて使われているようですが・・・しかし、何故祭器の中に紡錘がないのかね?

 紡錘の使用例としては、右の石山縁起絵巻の源順参籠の図の中に現れてきますね。この場合だと麻笥の中の繊維に縒りを掛けるのに使われている・・・繊維ではなく、指で紡いだものに再び縒りを掛けているのか?

 昔から気になっているのは、竪穴式住居に暮らす人たちがどんな場所で機を織っていたか?なんですね。左の図は近代デジタルライブラリー - 沖縄写真帖. 第2輯 20コマ 久米島紬 織機は明るい所に出して作業しているのか?それとも写真を撮るために明るい場所へ引き出されているのか不明ですが・・・近代デジタルライブラリー - 沖縄県産業十年計画 62コマ なるほど、生産方式を変えるためにかなり色々な事をやっている・・・明治以降、地域振興策としてあちこちの良い生産体制を移植しようとしてるという事です。こういったものって、従来のやり方について明示されていないのが難点です。

 近代デジタルライブラリー - 織物秘伝集 あわてて織物の技術を学んでいます。知らないことがいっぱい・・・上の石山寺縁起絵巻の紡錘を使って作業しているのは経て糸用の強撚糸を作ってる所かね?糸は新参者の木綿の他には、苧糸、楮糸、葛糸、蚕糸、毛糸が並べられていますが・・・毛織物は輸入品ばかりで自製していないような事が書かれていますね。

 近代デジタルライブラリー - 郷土工芸に関する研究報告 34コマ 藤布製造法 これなども興味深いですね。どうやら、右の36コマの図のように縁側に機を出して織ってたようです。ただしこの図は小学校教科書の井上デン女の久留米絣を織る挿画とのこと・・・藤布を織る藤機も同様なものとのこと・・・

 藤布の製造は5月ごろ水を吸い上げ皮が分離しやすくなった藤蔓を伐って来て、それを叩いて形成層の外側の皮の部分を剥がし、さらに黒っぽい表皮を取り去って荒く裂いたものを作り、それを暇をみて灰で煮て繊維を分離させて、流水でアルカリを抜いておき・・・夏から冬にかけての夜なべ仕事で績み、縒りをかけて糸を作る・・・この本だと既に糸車が使われていて、紡錘は使われていない・・・そして、3・4月の農閑期に織るという事です。織る場合には、経糸に糊をつけて耐摩耗性を高めて織っている途中で糸が切れないようにするとか・・・なかなか大変・・・

 ん?木皮細工之研究・・・近代デジタルライブラリー - 郷土工芸に関する研究報告 37コマ この中で気になる一文があります。カツコベというカワクルミの木の皮を剥いで、この皮を竹の針で木の皮紐を縫って箱を作る細工物のようです。そして38コマに衰退の原因の2に 文化の進歩に伴い竹細工の製品ができたこと ・・・となってるんです。ふむ、竹細工というのは文化的な製品なのか?木の皮で作った袋より竹製品の方が上等なのか?竹針で縫っているのだから、竹細工を行う事ができる?昭和11年の本ですが・・・明治4年頃から衰退した・・・竹細工製品に明治時代になってから取って代わられた?じゃあ・・・隼人たちの製造していた竹細工は当時の先端工芸なのかね?確かに・・・正倉院御物を眺めていると、竹製品は見かけない・・・木の皮を割いて作ったものが目に付きますね。

 そういえば・・・私が竹細工をするときには、鉈で竹を伐って来て、鋸で引いて必要な長さにして、節の筍の皮のついていた側の出っ張りを削って、それから竹割鉈で割って、さらにナイフで削って・・・もしくは籤通しなどを使って籤を作ってからの作業になってきます。結構、鉄製の刃物を使うことになりますから・・・確かに、水を吸った時期の木の皮ははがれやすいですから・・・道具はほとんどいらない・・・しかし、竹は刃物を使わなければならないのが問題なのかね?竹の弓などはかなり後代のものですかね?・・・確か、平安中期・・・接着剤の発達が不可欠ですね。魚の浮袋から作ったニベという膠が使われていましたね。素材技術の進歩が竹弓を生み出したわけですから・・・それまでは丸木弓です。正倉院御物はもちろん丸木弓ですね。正倉院の竹製品というと・・・矢柄と楽器の管を見ていますが、竹製品のように見えるのは白葛や柳ですね。漆で塗られていると分かりませんが・・・假斑竹仗ってのがありますね。160p程の杖の頭と先には水晶を嵌め込んで、節に金泥を置いて、藤と樺で段巻をしたものです。

 しかし・・・なんで紡錘とか紡輪が神宝にふくまれてないの?それとも、経糸を強撚糸を使うのはずっと後代になってからなのか?糊でがちがちに固めた経糸を使っていたとか?そういえば・・・対米輸出用の生糸などは縒りを掛け直して経糸に使えるように再加工して輸出していたとか・・・何かで読んだ気がする・・・揚返だったっけ・・・

 国司関連はこの辺で・・・なんだか・・・国司を調べたつもりが・・・古代の繊維に関しての調べ物になってしまいました。しかし、中国産の絹糸に匹敵するものが日本で作られるのが、江戸中期のようですから・・・なんとなく、それまでは真綿から糸を紡いでいたために高級な絹布が作れなかった?西陣などは中国産の絹糸を使って織っていたとか? ちょっと、本気で調べたくもなるんですが・・・

 ん?正倉院御物を眺めていたら槍が出てきましたね。隼人の槍が気になってしまいます。彼らが装備していた槍は1丈1尺だから・・・当時は1尺が律令の小尺は30p程度ですから約3.3mの槍を探せばそれが隼人の装備品である可能性が高いですね。

 ちょっと、正倉院御物を眺めていたら、近代デジタルライブラリー - 正倉院御物図録. 第4 91コマ このあたりから横刀が並んでいます。金銀荘横刀の写真が出ていました。そして101コマに黒作横刀が出ています。刃渡り48pさやは50p茎生の長さが12p・・・多分、こんなやつを隼人は持っていたのでしょう。横刀は将官連中が装備する実用刀なのでしょうから、歩兵が装備しているという事は・・・隼人はエリート兵であると考えても良さそうな・・・階級を表す色の刀を装備していたようです・・・この横刀は非常に強力な兵器ですし、使用する人間を選ぶはずです。刃渡り50pの刀を片手で振り回さなければなりません。これが隼人の武器である根拠は・・・胡床との兼ね合いです。胡・・西域の折り畳み椅子・・・この刀、茎生なんでね・・・刀身と柄が一体ですから目釘が折れて刀身だけどこかへ行ってしまうなんってありませんから。日本の刀と一線を画していますからね。柄が短いですから、刀法が明らかに違う・・・楯を持ち、片手で振り回すパターンですね。・・・隼人の制服も気になります。

 正倉院御物の螺鈿の琵琶なども立派なものですね・・・ちょっと刃物が気になって・・・あの螺鈿、夜光貝ってどうやって加工したの?あれは絶対硬いですから。現代なら糸鋸で軽く挽けますが・・・金銀平脱に使われる金銀の板なども何で切りだしたんですかね?気になります。糸鋸の刃は非常に良い鋼でできていますから・・・昔もあったのかね?まあ、穴をあけるのは簡単ですが・・・堅い鋼の鋭いエッジで削ったか?竹細工もそうですが、非常に硬く切れる刃物が要求されます。そして、同時に良い砥石がね。そうだ・・・小学生のころ、普通の釘を叩いてつぶして刃物のような形のものを作りましたっけ。でも、それでは柔らかい木しか削れなかった・・・どんなに研いでも良い刃にはなりませんでしたね。鋼と普通鋼の違いが分かりましたね。さすがに、コンクリート釘は鍛造も困難でしたっけ・・・機械切削で刃をつけると凄い切れ味でしたっけ・・・

 正倉院御物の鏡にはトルコ石やらラピスラズリも埋め込まれていますから、東西の通商路は長く伸びているものです。この時代・・・気合を入れれば、旧世界のどこでも行くことが可能だったのか?まあ、私の所だって・・・本場中国産のニンニクや、北米産のセロリや、オランダ沖のアジとか・・・特に冷蔵庫の中は国際的・・・そして、家電製品は台湾・中国本土が多いような?この調子じゃ・・・国産品は自分だけになってしまうかも?米は・・・多分ストックは合わせて10kgほどありますが、タイ米も3kgほどあるし・・・確かに私自身は純国産品ですが・・・食べている物からすると、国産化率は低くなっているかもしれませんね。精神以外は・・・国産化率が極めて低くなっているに違いない・・・水は舶来を飲まないから60%のラインは維持できるか・・・

 正倉院に竹製品発見・・・中倉階下中棚に竹帙が1+4=5枚ありますね。中第58号・・・『鹿園雑集』奈良国立博物館研究紀要|奈良国立博物館 個々の図版の9ですね。右のようなものですが・・・こういったものを隼人たちは作っていたということですかね?確かに、美しい竹籤です・・・よい刃物を所有していて・・・籤通しでも使ったか?今なら・・・100円ショップにもありそうな・・・ああ縁取りは綾だから100円では無理か・・・まあ、これが隼人の製品だかはっきりはしませんが・・・とにかくこういったものを作っていたのでしょう。これって・・・経巻とかを包むやつですかね?和綴じ本の帙を考えていましたが、ちょっとびっくりでした・・・近代デジタルライブラリー - 正倉院御物棚別目録 43コマ まさか・・・隼人は毎日軍事訓練で竹を割ってたのか?経帙の多くは藺草製みたいですね。最勝王経は竹の帙とのこと・・・綾裏だからこれは隼人製か?ふむ・・・東大寺辺りで大量に製造される経典を包むための帙を大量生産したいたのか?もしそうであるなら・・・やはり隼人はエリートじゃないかな?野蛮人が高級な物の製造に携わることはないと思うが・・・まさか、経典はこの時代蕃夷の書扱いか?それはないと思うが・・・別に、定説を否定するつもりでやってるわけではないですが・・・状況からすると、定説は?・・・私が勉強不足なだけなんでしょう。漢文も正確には読めませんから・・・何しろ、大学入試用の漢文しかやってませんからね・・・所詮、遊び・・・妄想の産物さ・・・読書のための読書なんでね。これが、一番お金がかからないですから。

 正倉院の竹製品は・・・筆の軸、楽器の管、矢柄、仗、巻物の帙、竹箱、投壺矢、弾弓の弦、

 弾弓・・・興味ありますね。弓で弾を飛ばすわけですから・・・ちょっと気になるのが、鞆との兼ね合い、この時代の普通の弓矢を扱う場合左手に鞆をつけています。すると、今の弓の扱いとは違うわけです。現在の弓は・・・手の内は卵中・・・よって、弓が返って、弦で手を打つことはないし、弓も返るようにできています。弾弓の場合、矢と違って・・・もし真っ直ぐな棒に弦を張ってそれで弾を飛ばしたら・・・弾はもちろん弓に当たるはずです。という事は、弾弓の弓は真っ直ぐでなく、弓が返るような構造になっていて弾を飛ばす事が可能だったのではないかと思われます。もしくは、積極的に弓を返すような手の内を作る・・・まあ、現代の良くできた弓でも初心者ががっちり握って引くと腕が弦ではじかれて真っ赤になりますが・・・私は、何かの拍子で1回だけ痛い目にあったような・・・

 矢に関してか・・・ふむ・・・矢柄の多くは篠竹が用いられているが、葦も使われているのか…羽は2・3・4枚で用途によって数が違う・・・まあ、当たり前ですね矢じりの形状で回転させてはいけない物がありますから・・・というより、この時代の矢はこの時代の矢じりと違って、現代の的前矢では、円錐状の板付ですから・・・そして、積極的に回転させてジャイロ効果で弾道を安定したものにしています。そのためかなりの精度の弾道となります。私も、無茶苦茶調子が良い時は30m先の矢の矢筈の切れ込みの向きが見えました・・・視力は0.4ぐらいでしたから見えるはずはないのですが、偶に見えるんです・・・このときは、困ったことに的に当たった矢の後に矢が当たって矢筈が壊れるんです。矢羽も削ぎ落されてしまうので大損害・・・弓具店へ持って行くと、調子がいいんだね、なんって言われたものです。ジュラルミンの表面にも傷が付き・・・遠い日の思い出・・・とにかく・・・古代の弓と現代の弓とは大きく違うということなのでしょう・・・

 ちょっと興味深いのが工具に近い文房具、面白いのは十合鞘御刀子ですね。スイスアーミーナイフのようなものです。この手のものは、多分木簡や竹簡をいじるときに使うのでしょう。刀と錐と鋸のようなものがついていますから、書き損じたら刀で間違った字を削り、1枚で書き終えられなければ数枚を板で連ねるために穴をあけるとか、タグ・・・木製の荷札のようなものを作るために適当なサイズに切るための鋸のようなものとか・・・この手の卓上工具も欲しくなりますね。

 あちゃ・・・またやっちゃった・・・なんで正倉院を見てるんでしょうね・・・

2014.01.19

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近代デジタルライブラリー - 郷土工芸に関する研究報告
 近代デジタルライブラリー - 郷土工芸に関する研究報告 18コマ 開墾足袋に関する調査研究 ふむ開墾足袋というのがあり、こいつはアイヌの創製になるものなのか?高丈・・・という事は、ゴム底をつければ現在の地下足袋と変わらぬものなのか?・・・ああ、倭人から入り、アイヌ化して、再び倭人が使うようになったか・・・藤布なんってものもあるのか・・・
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参考になるもの。
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近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第13巻 延喜式
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近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第12巻 178コマ 類聚三代格

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