香取神宮をうろうろ(85)
 香取志 (19) 青森は・・・

 さて、いよいよ素敵な石は払底・・・不透明な石・・・唯一ルースで持っているのはラピスラズリですね。この深い青・・・なぜか好きですね。瑠璃・・・瑠璃色の石・・・ウルトラマリン・・・よい色の石です。

 ルースを買い込むようになったきっかけの石なんです。宝石の類には縁のない人間なんですが・・・その昔、彫金などをやっていましたから、ちょっと軽い気持ちで何か作ろうかと思って、この素敵な瑠璃色の石を思い出して買い込んだんです。手もちのスターリングシルバーの素材も少しあったんですが・・・ラピスラズリはどうも金の方が合いそうで・・・なんとなく・・・デザインしそこねたという感じです。

 確かに、金を美しく見せる石なんで・・・一円玉では映えないな・・・とか下らないことばかり考えて・・・結局、何にもならずに、高級おはじき状態であり続けるというわけです。さて・・・

 南部地方か・・・車で一通り走り回っていますから、大体の様子は知ってますが・・・留まって眺めた事はないですね。十和田湖や八甲田山などは、何度か行ってますね。主な国道はほとんど走っているはずです。近代デジタルライブラリー - 雪中行軍記 こういったものに興味があったんでね。近代デジタルライブラリー - 青森聯隊惨事雪中の行軍・・・興味深い本が沢山あります。あと、興味があったのは・・・恐山ですかね。

 日本中央の碑も、車で移動中に見かけて・・・何だろう?で終わっていましたね。早朝に通り抜ける事が多い場所だったので・・・このぐらいしか、印象がないので・・・遠野の方への興味が強かったからかな?

 こりゃちょっと青森県あたりをチェックしておかねば・・・近代デジタルライブラリー - 青森県地誌 ちょこっと読んで考えるとしましょう。

 現在の青森県・・・その昔は化外の地だったようですが・・・王化の対立語で表現しましたが・・・この地域の近くまでかなりの軍勢が出向いて平定しようとしたようですが・・・組織された軍隊に対抗できる勢力って・・・烏合の衆とは思えませんが・・・近代デジタルライブラリー - 青森県地誌 63コマ 上古 一通りの説明がありますね。石器時代の住民は大和民族の関知せざる民族にして・・・気になるのは・・・中部地方まで進出していた蝦夷が、民族移動をしたのか?しなかったのか?日本海側は日本海文化圏として繋がっていた?それに対して、太平洋岸・・・南部地方は北海道と文化圏を成していたとか?

 大抵の場合は、支配者層は逃げる場所を用意していますから、都合が悪くなると逃げてしまいますが、地面に定着した財産とわずかな家財道具で土地に縛られている人間が簡単に逃げられるか?という、単純な考えしか私にはできませんね。悪いのは、支配者で奴らは卑怯にも逃げてしまった・・・新しい統治者の振る舞いについての情報が入っていて、支配者側のものでなければ、別段何もしない・・・支配者が替わるだけで、いままで通りの生活が続けられるらしい・・・ぐらいでも情報があれば、逃げる必要はない・・・そうなると、基本的な処世術として一般人は、支配者に煙たがられる程度の行動を取り、新しい支配者を喜べばよい・・・生活に直接関係ない、支配に関する物には手を触れなければOK・・・私は知らない、関係ない、古い支配者から解放されてうれしい素振りをすればよい・・・多分、ずるいと言われても逃げられなければこれが上策ですね。支配者は、土地を支配するというより、その土地に定着している人民を支配することで、人民によって土地から収穫を得て支配者として振舞うわけですからね。無人島の王様では意味がない・・・自らの主人であり、自らに向かって、島を耕せ、島を富ませよ!と命じて自分で行動したのでは意味がない・・・支配は、自分が行動しないで、人を動かすことで自らの利益を確保する事に他ならないと思うからです・・・

 大和勢力に命がけで戦った理由が見えてくれば何か考えられるが・・・近代デジタルライブラリー - 新撰皇国沿革地図 ふむ、歴史地図か・・・東北経営のための城柵の変遷・・・近代デジタルライブラリー - 新撰皇国沿革地図 9コマ 

 日本海側の城柵に関しては大化3年;647年の渟足柵が新潟市沼垂付近だから、信濃川の河口に渟足柵が置かれたところから始まり、翌年の大化4年;648年年には新潟県の北の端の村上市岩船に置かれます。そして、それから100年ほどで秋田あたりまで地歩を固め、出羽柵が進出し天平5年;734年に秋田城となります。秋田からさらに北上したのかね?このあたりが気になりますが・・・なんとなく、港の整備を行って行ったような感じですが・・・気になるのは十三湊ですかね・・・とにかく、日本海航路は大昔から盛況だったようです。十三湊の富で、安藤氏が力を持つようになり、何らかの原因でこの十三湊が使用不能になって富が離れ落ち目になったか?そのうち、史料を集めるとしましょう・・・これに対して太平洋岸は・・・

 神亀元年;724年の多賀城、この後宮城県の領域に玉造柵、色麻柵、新田柵、牡鹿柵の4つの柵が置かれる・・・800年代に盛岡市の西に志波城が作られますが・・・このあたりまでしか前進基地を置く事はなかったようです・・・津軽と南部には朝廷は気合を入れて侵攻していない?この理由は?

 数万の軍勢に対抗しうる・・・この事から烏合の衆ではないと判断しますが・・・これに対抗する人間を集めるための組織が存在?それとも・・・朝廷が行った遠征は軍事パレード?文化的な示威行為か?

 今までの流れからすると一番単純な説明は・・・国造体制が全国稲作推進連絡協議会であるとします。ここでの価値観は地域の持つ富を石で計る・・・米本位主義とするなら・・・稲作が困難な地域には価値は認めないことになるかね?ただ、陸稲の方が耐寒性が高いから・・・津軽などにも古い時代に入っている?・・・国造体制は水利事業を伴う全国水稲稲作推進連絡協議会とすべきか・・・水稲稲作が困難な地域は眼中にないという事か?やはり・・・安東氏の出どころと十三湊の交易先が気になってきます。しかし・・・津軽などにも水稲がかなり早い時期に入っていたようだし・・・経済圏・文化圏としてはどうなっていたのやら?財力とそれなりの統治機構を持っていたら?独立国かね・・・気になるのは、アイヌの統治機構・・・松前藩が入り込む以前は?村という単位でも統治機構は存在すると思うのでね・・・これが、ちょっとでも見えればと思うわけです。・・・文化圏というか経済圏というか・・・それはどうなっていたのか?・・・多分・・・

 北海道+青森+岩手・・・あと・・・地勢的に鹿角界隈も含める必要が・・・盛岡藩領か、やはり・・・これを一つの文化圏として設定して置けば良いかな?結局・・・南部地方+岩手という事になるようです。まさか、里芋文化圏ではない・・・蕎麦・稗・粟・大豆文化・・・粉食文化かね?これが南方から様々な作物が入る前の粉食文化?これに栗・栃か?大豆が気になる・・・現在の主産地は北海道・宮城・秋田と佐賀・福岡か・・・宮城・秋田か・・・日本海文化圏を想定すると・・・その両端になるか・・・沿海州というか・・・なんとなく、満州への道である、北朝鮮・中国・ロシアの国境を接する地域・・・ポシェト湾や豆満江・・・渤海国・・・十三湊は渤海国つながりかね?時代が問題だが・・・渤海国はよくわからないなぁ・・・

 しかし・・・日本近海を走り回っていた古代の外洋船に関しての知識が得られていないですね。絶対に、かなりの数が走っていて、日常的なものであったはずなんですが・・・遺跡に現れるのは、田舟の類ばかり・・・外洋船の画像は銅鐸や埴輪に大型船が出てきますがね・・・外洋船などのインフラがあって、朝鮮半島経営などが行われていたのでしょうが・・・なぜか、そういったものが見えてこない・・・近代デジタルライブラリー - 海国史談 24コマ 渤海国 近代デジタルライブラリー - 研究要報. 第10輯 4コマ ・ 渤海、金の歴史・地理的考察  気になるのは・・・日本にはいてくる外来文化のルートが朝鮮半島経由という紋切り型の思考が気に入らない・・・特に北方系のルートが気になるのですが・・・そのためには外洋船がね。渤海使の使った船はどんなものだったのやら?

 そこそこ堅牢な大型船であれば・・・日本海を渡る事については航海術も何も要らない・・・沈まない限り日本に・・・日本海沿岸の地域のどこかに到着しますね。渤海使はどこに到着した?渤海使がやってくるのは11・12・1月か、冬の北西の季節風に乗ってやってきたか・・・じゃあ、直行ルートでしょうね。沿岸航路を利用するなら、この季節を利用するとは思えない・・・それに、到着した場所が日本海沿岸の様々な場所・・・沿岸航行ではなく、とりあえず辿り着いた場所的な感じ・・・到着して、ホッとして陸に上がってとりあえず連絡を入れて・・・という感じ。考えられる事は・・・冬の時期の日本海側って、晴れの日って多いのか?ということ・・・雪雲に覆われていたら天測はできないですから・・・下手をすると、北西の季節風を利用した、風に吹かれていれば着く・・・「だろう航法」ではないかと・・・日本を外すはずはないという確信・・・風に乗って漕ぎ続ければ力尽きる頃に日本に着くとか?辿り着いたら、「悪い、二・三日休む。眠いから・・・動かない地面の上に寝かせてくれ・・・お礼はするから。連絡も頼む・・・休んだら、福浦へ出航するから・・・」という感じだったのでは?だから、妙な入港先が出てきてしまう・・・ここで、積荷を売ったりするから、入港地の指定が出たりするのでは?「日本に着いても休まず入港地まで行け!休ませてもらった御礼を口実に貿易を行うな!」とかね。・・・まあ、現実的な妄想ではないかと・・・

 航海術の基本は、順風を受けて進む事・・・逆風で風上へ向かうにはタッキングを繰り返して行くわけですから、竜骨を持たない船にはかなりきついのではないかと・・・北西の季節風が強ければ、それだけ操船性が向上するかな?ウェアリングで風下へ進むときは、竜骨の効きが悪い方が転覆の恐れがないんだっけ?ディンギーなんかいじらないから良くわからないけど・・・私の限られた帆走の知識からするとそんな事になるのではないかと・・・順風で高速走行が可能になる船・・・

 強い西高東低の気圧配置の際には左の衛星写真のように、北西の季節風で雲が流れて行きますから・・・非常に短い時間で日本海を越えられるのではないかと・・・順風満帆・・・冬の日本海の状況を知りませんから、勝手な推測ですが・・・でも、こんな順風で船は持つのか?気になります。

 気が向いたら、舞鶴発小樽行きのフェリーを真冬の乗ってみるのも面白いかもしれません・・・舞鶴から苫小牧に行くのも良いかな?胃は丈夫なんで・・・冬の津軽海峡は何度か青函連絡船で渡っていますが・・・大して揺れなかったですね。しかし・・・左の写真のような時に、沿岸航路を取ったらかなり厳しいのでは?そんな気がしますね。

 およそ800kmですから・・・追い風で20ノットぐらい出れば800÷37=21.6・・・一昼夜で着くかも?10ノットで800÷18.5=43.2・・・2昼夜か・・・順風の威力を利用するに違いないですね。この衛星写真のような時は日本の沿岸は波が高くなるかもしれないが安定した北西風が魅力的なのかもしれませんね。渤海国・・・寧安とか琿春市あたりが中心だった国・・・渤海使は豆満江から日本海へと出てきたのかね?ふむ・・・日本の古代の国際交流は面白い・・・

 唐突に・・・内視鏡医のための臨床寄生虫 - Google ブックス 興味深い本を発見・・・興味深いって、私にとっては面白い本なんですが・・・マラリアは20世紀になって沈静化したようです。日本住血吸虫は地方病 (日本住血吸虫症) - Wikipediaという具合に撲滅されていきます。流行地は限定的で、中間宿主のミヤイリガイの生息+日本住血吸虫のセットですから・・・案外、稲作とともに持ち込まれたものかもしれません。流行地域は利根川下流域、甲府盆地と富士川流域、福山市神辺あたりの片山地方、筑後川流域など・・・同じ地域の日本住血吸虫で汚染されたミヤイリガイを作物と共に導入してしまったとか?・・・このほかに、肝吸虫や横川吸虫やウエステルマン肺吸虫・糸状虫・回虫・条虫類などが寄生虫症として流行っていたようです。・・・ミヤイリガイは何と一緒に入ってきた?イグサのようなものかね?・・・直ぐに脇道の逸れてしまう・・・とにかく気になるのは、人間や様々な文物を運んだ外洋船ですね。意外と古くから1000トンクラスのジャンクのような帆船を運用していたのかも?気になりますね。古代の地中海だと三橈漕船がフェニキア人やギリシア人が1艘に200人程の漕ぎ手を乗せて、10ノットほどの速力で衝角戦を行っていたようです。紀元前から16世紀頃までこういった船で地中海の海戦は行われていたようですから・・・ガレー、ジャンク、ダウ・・・古代から近代まで使われてきた船・・・三角や四角の帆で・・・

 十三湊の交易先は・・・気になりますね・・・雰囲気は沿海州ですかね?もうひとつ気になるのは、昆布ですね・・・通説では薩摩藩が国内で調達して、沖縄経由で中国へ・・・こんな感じですが、薩摩藩の仕入れはどうなっているのか?ってね・・・ふむ、どうやら沖縄の黒糖を仕入れて大坂で売り、北前船で大坂に集荷された昆布を仕入れていた・・・昆布の産地は?宮城県以北の太平洋岸と北海道か・・・どうやら、アイヌはコンブ漁を行うが自らは消費せず、交易品として利用していたようです・・・収穫期は6月か・・・昆布以外の海産物は?昆布を餌としている生き物がいますね。アワビやウニ・・・俵物になるような物かね?高級海産物の宝庫・・・ちょっと妄想・・・中国に輸出すれば莫大な富に化ける産物・・・大陸から交易のための商人が入っていた気配がある・・・漁労作業で付加価値の高い商品を生産、食料はそれで交換・・・これなら農業などは絶対にしない・・・金融資本家が生産に携わらないのと同じですかね・・・比較が極端すぎるけど・・・夢は金融資本家!無理だな・・・でも・・・金の投資先を考え、実施することでお金が増えるなんって・・・夢・・・

 仮に、十三湊の交易品が昆布だとすると・・・安東氏はアイヌを使って昆布を収穫・加工していたのかね・・・中国では遼東半島や山東半島あたりで作られているらしい・・・近頃は世界最高の産出量を誇っているようですね・・・それなのになぜ日本の昆布?ふむ・・・中国での昆布の生産は大槻洋四郎が1930年代に大連あたりで昆布の養殖成功に始まったか・・・そうすると・・・日本から渤海経由で昆布が中国に入って行った・・・と考えれば輪が繋がりますね・・・案外、元は1271年から1368年にかけて沿海州を押さえたから貿易はどうなったのやら?元が衰退していくのは1320年ごろで、このあたりで安東氏もバタバタしているような・・・日本の中央より、貿易で生きた十三湊の方が影響が大きかったのか?元は沿海州や樺太・・・どのあたりまで出先の役所を置いたのやら?気になる事が沢山ありますね。

 中央の記録に北方での元との関係を示したものは無いのかね?

 ちょっと、気になるのが・・・長く化外の地であり続けた青森・岩手あたりが昆布産地で・・・その南の秋田・宮城が大豆地帯、その南に里芋地帯があって・・・糸魚川静岡構造線沿いもなんとなく・・・このあたりから考えると・・・日本海側に本村があって、太平洋岸に向かって道を伸ばし分村を置いて行ったという感じ・・・能登半島の付根・上越・新潟・酒田・秋田・十三湊・江刺が日本海の重要拠点?・・・命令航路なんっての思いだしました・・・新潟と羅津を結ぶ航路・・・満州から北朝鮮の日本海沿いの港へ高速道路が繋がったら・・・再び日本海航路の活性化が図られるのではないかと・・・妄想は未来に向かって広がります・・・日本海に不定期船を走らせている会社などもチェックしなければ・・・遠い将来に備えて・・・でも、国際フェリー構想は既に・・・東北アジア国際フェリーなんってフレーズを目にするようになるときに備えて・・・長春 日本海がキーワードになるのもそれほど遠い未来ではないと思うが・・・おお、トルコの汚職でトルコ関連が下がっている・・・こりゃ買いだな!とか言えるようになりたい・・・というか、黙って買えるようになりたい・・・沈黙は金なり・・・声に出すようでは金がない事がばれる・・・

 ふと・・・平安文化・鎌倉文化・室町文化とかいう言い方って、急に気に入らなくなってきました・・・基底にある文化などは、政権が交代したってそれほど変化せず、上っ面だけ変化するように思えてきたので・・・なんとなく、権力者の嗜好を文化と称しているような?権力者が単に文化的な水準が低く、無骨で飾る事を知らなかったから質実剛健な文化を・・・とか言うような感じ・・・それ以前の、優美さ・貧乏くさく見えないように、世界的な流行に遅れないように、海外からの目の肥えた客から馬鹿にされないように、国際的な文化の粋を手に入れるために動いた人達が持った嗜好・・・これって、文化ではなく流行では?学校教育で身につけた歴史とは・・・各時代の権力者と、その権力者の持つ文化水準と嗜好と流行を学んだだけのような?極めて表層的な文化・・・私がいつも困る事・・・日本の伝統文化は何?という問いなんです。日本には深い伝統はないというのが日本の伝統文化のような気がして・・・ある時代には、河原乞食の・・・とか、大衆娯楽だったり、比較的高尚な趣味であったり・・・

 近頃気になっているのは・・・おもてなし文化・・・不思議な日本の文化であると思っているんです。先日、日本のカフェ文化なんってものを語って気付いた事・・・カフェ文化というと、フランスの・・・だから、日本のカフェ文化で、日本のカフェ文化を定義するときの必須は・・・フランスではありえない女給というやつですね。日本のカフェ文化というのは女給文化であると言える・・・飲み屋であれ喫茶店であれ、女の子を置くか置かないかで利潤が大きく変化する・・・まさか、夜這い文化の延長線上にあるのか?なんってね。貢くん・・・上納型女系社会・・・下らない言葉遊びの様だが・・・なんとなくね。源氏物語にも現れる夜這いの伝統・・・看板娘・・・関連して・・・

 制度上は・・・結婚によってあたらな戸が創出されますが・・・両家の結婚ですから・・・新しい戸が創出されるのではなさそうな?なんとなくですが・・・都会で独立した家が・・・盆暮れ正月で帰る実家は父方か母方か?なんとなく・・・母方のような?気のせいかね?

 社会の基底というのはそれほど変化がないし、変化を好まないので・・・歴史は繰り返される事になるような気がします。何か大きな転機がない限り・・・そんな気がします。いや・・・転機があってもその残滓は残る・・・ついでに、アベノミクスも・・・なんだか戦時経済のような?大胆な金融政策・機動的な財政政策・民間投資を喚起する成長戦略・・・民間投資の喚起は戦時経済には当てはまらないが・・・投資の方向の問題であるが・・・何しろ、増税が待っていますから・・・民間投資を国債に向かわせば、完全な戦時経済のような気がします。平時ですから・・・税金を支払う代わりに、国債を買え!なんって始まったら・・・危ないね。多分・・・大胆な金融政策・機動的な財政政策・・・で流れ出した現金を国債や預貯金で凍結させないとハイパーインフレの引き金になりかねないから・・・靖国で何を祈ったのか?祭神だけは増やさないでもらいたいですがね。経済的なものって、人を動かす原動力になりますから、非常に怖いものです。こいつが・・・社会を変容させると思うのでね。

 十三湊とかアイヌなどへの興味が湧いてきて・・・大変!ちょっとこの辺で切るか・・・

2013.12.28

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