香取神宮をうろうろ(69)
 香取志 (3) 邪馬台国はどこ?

 困った・・・段々香取神宮から遠ざかっていく様な?でも一応は香取志を中心にやっているつもりが・・・邪馬台国探しになってしまいました。しかし、經津主神を定義づけるには、素直に魏志倭人伝を読み解いて邪馬台国がどんな場所かを決めないと・・・經津主神は国譲りの主役ですから・・・神話の中の綺羅星の一つ・・・綺羅星というとダイヤモンドなんですが、私の所には大きなしょぼいダイヤモンドしかないので・・・小粒なものはありますが、写真に撮るためケースから出すと面倒な上に写真に撮るにしても、近頃使っている90mmのマクロレンズより強力なものが必要になるので・・・そこで、大きくて扱いやすくて美しい、大粒のキュービックジルコニアを引っ張り出して眺めるわけです。安物ですが、カットは良く、美しいフレアーが出ますから・・・これがダイヤモンドなら高価なものです。お金持ちで有名な人が身につければダイヤモンド、私が身につけると正しくキュービックジルコニアと思われるに違いない代物です。宝石って難しい・・・それが置かれる状況で価値あるものに見えたり、ガラス玉に見えたり・・・所詮は素材の価値というのはその物を利用する者の手にゆだねられ、状況がその価値を示す事になる気がします。こういったものの場合は間違いなくそうだと思いますね・・・これがダイヤモンドかキュービックジルコニアか、舐めてみないと分かりませんから・・・宝石は舐めて味わうものでないので、簡単には見分けられません・・・さて、魏志倭人伝の邪馬台国への道を味わってみるとしましょう。・・・・そうそう、ダイヤモンドを舌の先につけると、非常に冷たく感じるんです・・・熱伝導率の高い物質なのでね。

 面倒なのでWikiの魏志倭人伝の関連する文章を見ながら検討していきます。

倭人在帶方東南大海之中 依山島爲國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國
倭人は帯方郡の東南の広い海の中に山がちな島に国を作っている。漢の時代には100あまりの国から成り立っていたが、現在の所は使節が伝えてきている30国ばかりになっている。

從郡至倭 循海岸水行 歴韓國 乍南乍東到 其北岸狗邪韓國七千餘里 始度一海千餘里 至對海國
帯方郡から倭に行くには、海岸にそって海路で韓國から南下し、東に航路を取ることになる。その北岸は狗邪韓國で、帯方郡から7000里余りの距離である。・・・さて、ここで航海方法と距離が出てきました。航海方法はメルカトル図法の海図を使っていて、緯度の計測には魔法のひょうたん系の技術を利用していると思われます。つまり、目的の経度まで北または南に進んで、その緯度で東または西へ航路を取って進むというものです。この時代大圏航路は取れませんからこれで良いと思われます。魔法のひょうたんは、緯度を測定するための装置で、右の図のように3つの穴をあけたひょうたんに水を入れて人工水平面を作り出し、これを使って北極星の高度を観測するものです。北極星の高度は北緯に等しいので、これで観測すれば、目的地の北緯で観測して正しい高さに削りだされたひょうたんを使えば、その北緯に達することが可能です。六分儀とかアストロラーベなどと同じ機能を持つものです。経度の測定は、航海用時計が発明されるのを待たなければなりませんから、地文航法でなく、天文航法を行うにしても、目的地の緯度まで移動してそれから、その緯線上を移動しないと道の無い海の上で迷うことになります。

 さて・・・7000里ってどんな距離か?それが問題です。里は・・・30里=16km=歩きで4時間=馬で2時間と勝手に平坦な陸上では想定していますが・・・とにかく、狗邪韓國まで7000里余り、そして沿岸航路から外れて海を渡って1000里余りで対馬に着くか・・・

 帯方郡から陸地沿いに狗邪韓國まで来るための最短航路は左の図の様なものでしょう。ぎざぎざに動くから伸ばせばこんな感じかな?・・・距離的にはこんなもの・・・当時の舟は1日に100km程度は走ったのではないかと思われます・・・遣唐使船は宇久島から揚子江河口の揚州まで800km真西に航行して8日間ぐらいですから・・・8日間の航海で1日1000里というのが海上交通での距離の換算かね?1日に1000里走る馬・・・これだけ連続で走れる馬はいないが・・・・1000÷24=41.6・・・1時間当たり42里・・・時速22kmあまり・・・短時間なら馬で可能でしょうね。理想的な状態で1日に到達できる距離をその乗り物での1000里としていたのかね?・・・私の妄想の中では、舟は1日に1000里走り、それは100kmであると定義しちゃいます。さて、そうなると、ここから1000里=100kmで対馬・・・沿岸航路を取り、対馬ですからどこか適当な港を後にして対馬への行程を取るのであれば引き返し可能な場所から考えて右の様な場所を選んで、方位に関する記述なないので、対馬の南端を狙うと・・・これで96kmですから、いま妄想的に想定した距離に一致します。ここまでは満足!

其大官曰卑狗副曰卑奴毋離所 居絶島方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南北市糴
そこの支配者はは卑狗といい、副官は卑奴母離という。この地は海に囲まれた島で、四百里程の広さである。山が険しく、深い森で覆われ、道路はけものや鹿の通り道のようである。人家は千余戸ある。良い田はなく、海の物を食べて自活し、船に乗り南や北へ貿易を行っている。糴・・・テキ・・・まさかテキヤ的屋って糴屋かね?字義は よい米をえらびとって買い入れること らしいが・・・今の的屋は・・・選びとられた残り物をそれなりに高く売るか・・・貴様がいつの間にかキサマ!殺してやる!になったのと似てるのか?

又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國 官亦曰卑狗副曰卑奴毋離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食亦南北市糴
また南に瀚海という名の海を渡って1000里余りで一大国に至る。支配者はここでも卑狗といい、副官は卑奴母離という。広さは三百里で、竹木の叢林に覆われている。3千戸ほどの家があり、少しの田がある。田を耕すだけでは食べるのに不足するので南や北に貿易を行っている。
 さて、方位指定がありますね。南に行けと・・・対馬は南東の方角の見える所にあり、南北に長いため航路をミスすることは無いので方位指定は適当なのでしょう。しかし、南と言われれば南なのでしょう・・・すると・・・たどり着く先は五島列島の宇久島あたりですね。ここまでで90kmほどですから当たりではないかと思います。五島列島は対馬より小さそうですから・・・有川湾までなら120km弱・・・概ねOKでしょう。この頃の舟は、碇が下せる場所があれば、安心するような感じですから。渡洋の場合は神経質な感じです。この頃の推算航法の精度はどのくらいか?時計は無く、緯度の測定だけですから・・・少なくとも、緯度の測定+東へ進むなら、九州を外すことはないと思いますからね。経度測定は時刻が問題なのですが・・・私の腹時計の精度は、午前4時、8時、9時、11時30分、12時30分、15時に関しては-5分±2分程度の精度で・・・夜9時過ぎに飯を食わなければ朝4時からその精度ですね。食べると、朝は寝坊することになっていますが午前9時からはその精度が保てるようです・・・変な話ですが・・・かなりいい精度なんです。この腹時計が航海用に使えるかは不明?

又渡一海千餘里 至末盧國 有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛行不見前 人好捕魚鰒 水無深淺皆沈没取之

 また海を渡って1000里余りで末盧国に至る。四千余戸があり、山から海に続く浜に人々は居住している。道は前を行く人が見えないほど草木が茂っている。住民は魚やアワビを好んで捕っている。海が深かろうが浅かろうが、皆、潜って魚介類をとっている。・・・さあ、困った、方角の記載がない・・・わざわざ南に来たのだから、ここから沿岸航法を取っていくことになるのでしょう。対馬から南東に壱岐を経て北九州に向かったわけではなさそうです。そうなると・・・五島列島から島沿いに・・・どう行くか?第一案・・・天草だな・・・福岡方面に戻るのは面白くない・・・たどって何処へ・・・せっかく南へ行くことになったんだから・・・それで読んでみて、それから再考してみましょう。とりあえず右の図のように五島列島の辺りから115kmとして天草へ渡ることにします。島影を近くに確認しながらの航路を選ぶとこれより長くなりますが、右の図の航路ならとりあえず、舟から陸地が確認できる状態で航行できるはずです・・・そして、150km未満95km以上を1000里として・・・強引に・・・そうなると末盧國は・・・天草かよ、定説と違うよな・・・長島町福泊まで行けるとその方が面白いのだが・・・130km・・・

東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐
東南に陸地を五百里進むと伊都国に至る。官は爾支といい、副は、泄謨觚、柄渠觚という。1000余戸がある。代々王がいるが、皆女王国に統属している。郡の使者が往来し常駐している。ふむ、ここか事実上の邪馬台国入口になるのですね。帯方郡からの郡使が常駐している。東南に500里・・・駅馬だと1日1000里草深い所を歩いて移動が原則の所では歩いて1000里が1日行程?時速4kmとすると4×24=96kmが1000里だから1里は100m・・・1丁かね?110m・・・500里はおよそ50kmちょっと天草は島だから、海峡の2km程を渡るのに2時間から3時間分を海峡・瀬戸2つ控除して南東に30km程度の距離と考えて・・・それとも脇本港へ直行できるか?144km多分無理・・・とにかく天草から30kmの距離で、または、福泊から40kmで良さそうな場所は・・・出水しかなさそうな?しかし、奴国がでかい・・・だから定説とは外れるが伊都国は脇本にするしかない・・・そうすれば・・・次の戸数が合いそうだから・・・多分左の様になると思われます。もちろん沿岸部を回って30kmほどだから距離は合いそうです。出水平野をメインと考えると、脇本は出水の外港になるかね?

東南至奴國百里 官曰 凹の下に儿 馬觚副曰卑奴毋離 有二萬餘戸
東南に100里で奴国に至る。官はジ馬觚といい、副を卑奴母離という。二万余戸がある。・・・・戸数からすると出水平野の西の端ということになるか・・・地誌を元に行程を決定しているのだから仕方ない・・・出水を奴国にしちゃえ!距離からすると右のように野田川流域か?ここなら2万戸余り置けるか?

東行至不彌國百里 官曰多模副曰卑奴毋離 有千餘家
東へ行くと、不彌国に100里で至る。官は多模といい、副は卑奴母離という。千余家がある。・・・米ノ津川の流域ということになるようです。右の野田川流域からおよそ10kmで米ノ津川でここが不彌国になる・・・

南至投馬國水行二十日 官曰彌彌副曰彌彌那利 可五萬餘戸
南に行くと投馬国に水行二十日で至る。官は彌彌といい、副は彌彌那利という。五万余戸ほどある。・・・・何?これって話が違うじゃん???何処から2000kmになるのかね?出発点の帯方郡からか?そうしたら、天草からさらに1000kmを進むと投馬国があることになる?真南に進むとそこには茫漠たる海があるだけ・・・沖縄本島まで600km余り、それから400kmで八重山諸島だね。ここを投馬国とするしかない。もしくは大東島か・・・ここは明治以降だから無理だね・・・とにかく、一応は日本の領土内・・・でも、琉球本島で良いのでは?戸数からすればそのぐらいかな?まあ、この航路は下手をすると半年かかったりしますから・・・

南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳 皮に是 可七萬餘戸
南に行くと邪馬台国に水行十日、陸行一月で至る、女王の都である。行政官は伊支馬といい、次が彌馬升といい、次が彌馬獲支といい、次が奴佳テイ という。七万余戸ほどある。・・・前段と同じ理屈なら、天草まで海路10日そこから1か月の陸路って30日として1500kmだから、こりゃハッタリですね。出水まではきちんとたどることができましたが、この先27日行程が不明です。多分、魏の使節は伊都国の脇本に常駐、赴任するときは多分海路・・・そして、出かける範囲としては天草及び出水平野あたりまで、あとは九州山地を眺めその先に女王の都があると宣伝だな。1ヶ月もかかるぞ〜という理由は・・・都が存在しないか、存在したとしても出水平野よりしょぼい・・・それでなければ、朝鮮と同じで鉱物資源関連を秘匿していた・・・このあたりの山に金山が存在した・・・菱刈金山は新しいものですが・・・ヒミコは金鉱山の秘匿名とか?楽しい妄想です。

 あちゃ、遊んでられなくなった・・・校正原稿が送られてきたぞ・・・まずい、問題チェックを行っている教師の能力を越えた問題を作っちゃった・・・どうしよう・・・担当者の能力に合わせるか・・・しかし、どうしてこういった条件を見落とすかね?さらに、解答を見て、問題の胆になる内容を問題文の中に入れろと?つまり、問題そのものが解けなかったから、原稿に沢山赤を入れてくれたようだな・・・困ったものだ。さあ、どういう対応をするべきか?

 さて、返事が来るのを待っている間に、ちょっと考えるとしましょう・・・果たしてこれで正しいのか?魏志倭人伝の伝える通り進んでみましたが、これでも良いような・・・ただ、私の妄想的な里の解釈ですからちょっとまずいかもしれませんが、なんとなく正しいような?
 最も早い交通機関を利用して、その速度が持続できるものとして、自然障害がない所での1日の到達距離を1000里とするって定義ですが・・・整備された道では馬が1時間持続できる速度、人間の徒歩の速度、外洋船の1日の到達距離・・・どうも、物差しで測る距離ではなく、時間が重要で様々な里が使われているような気がするからです。この妄想が正しければよいのですが・・・

 ありゃ、返事が来た・・・無視しても良いようです。でも・・・予め用意してある解答解説では、それをやってはいけないという内容が書いてありますから、その部分は削除しておかないと・・・お前は馬鹿だ!という宣戦布告に取られる可能性がある・・・危ない危ない・・・まあ、数10年ほど前、指導要領が変更になる前に必死になって研究した問題パターン、・・・久留米を受ける連中に解けるか・・・他の問題も難易度をあげたら・・・平均点が下がるぞ・・・困ったものだ。妄想研究の方が面白いのに・・・しかし、なんで九州をやってる?遊びも本気の仕事も?不思議なものです。・・・風水の同気感応かね?いや・・・偶々さ、受注していることは分かっているから・・・毎年断っている仕事なのに、なし崩しで毎年受けている・・・嫌な仕事・・・

 さて、九州南西部は片がついた気がしますが、南東部は基本的に熊襲と呼ばれる部族の領域のような気がしますが・・・どうなっているのやら?一応、ヒミコの地盤が九州南部で良さそうなのでこれで良いのでしょう。さて、九州北部の勢力との関係を妄想してみないといけないでしょう。それでは、次回はそのあたりを・・・しかし・・・帯方郡から女王国まで12000余里って12日で着く事を意味するから・・・出水平野が女王国かね?水行10日+陸行2日・・・水行10日+陸行30日・・・なんだか記述に矛盾がある?まあいいや!
2013.10.20

関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - 琉球国中山世鑑 う・・・漢文を読むのか・・・
近代デジタルライブラリー - 古琉球 
 
参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
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