香取神宮をうろうろ(68)
 香取志 (2)

 さて、どうしたものか?香取志は經津主神を本居君に無視された事に対する怒りによって書かれたみたいな感じで・・・そうなると神系を真面目にチェックしないといけない気になってきました。經津主神がどんな神であるかも明らかにしたい気がしてきました・・・参考となる文献は・・・中国の史書と、古事記・日本書紀・旧事本紀とか・・・妄想の及ぶ限り再構成してみるとしましょう。まあ、基本方針は前回にざっと眺めましたが、その妄想を精密化しようという試みです。まだ、気合を入れてやったことがないので、どうなる事か?11.5カラットのルビーも気合を入れて何かに仕立ていないので、高級おはじき状態・・・これは綺麗な結晶で、カットも悪くない・・・だから、合成石・・・酸化アルミニウム結晶で、不純物のクロムが赤を発色・・・天然石だと数カラットを越える良質のものは少ないので・・・天然石で2カラットクラスで100万円・・・例によってタイムマシンが欲しくなります・・・紫外線で蛍光を発しますし・・・ビルマ産と言いたくなるような・・・さて、ちょっと気合を入れて經津主神の履歴を調査することにしましょう。

 先ずは日本の神の系譜・・・実用本位で富の蓄積がないものとすると、指導者は世襲にはなりにくいと思われます。理由は、今が大切だから・・・過去からの蓄積がある場合に関しては、蓄積された富が権力基盤になるから、無能であっても富の管理者には権力が付帯する・・・多分ね。権力闘争というものは宝庫を開く鍵の取り合いの様なものと言えるわけです。狩猟採集の時代では、富を開く鍵は、狩猟の能力やチームプレーの良き指揮者ということになるので、抽象的な富ではなくそれを具現する人間ということになるのでしょう。純粋な個人崇拝・・・世襲にはなりえない・・・よって独神でいいわけです。そして、この時代の宝庫は自分たちの狩猟採集を行う領域で、この領域はその集団の共有財産と考えればよいのでしょう。もちろん、その中身は・・・共有ではない部分もあるでしょうが・・・親から子へ伝えられる秘密の場所・・・一定のルールの下で、多分秘密裏に独占しているものは個人財産・・・秘密でなくなってしまって公知のものとなると共有財産ではないかと・・・ばれたら独占できないし、独占することは困難になる・・・

 こんなわけで、別天神や神代七代の独神はそういった社会形態の中での神であろうと思われます。日本に人類が居住するようになって10数万年ぐらいでしょう。富の蓄積の小さな時代が続き、それを大きく変化させるのが農耕牧畜というやつでしょう。日本で農耕が開始されるのが・・・近頃は6000年ほど前になったような?陸稲などのプラントオパールの検出か・・・古き畑作時代・・・イモ文化は?まあ、栗や栃の木の管理とか、海岸にはカキの養殖のための栗の木の杭とか・・・縄文時代の生産品の保存性はどんなものなのか?イモの場合は簡単ですね、単年度決済か?イモは芽が出ちゃうから収穫から次の収穫までの食料になる分+種芋以上の生産は過剰生産になりやすいか・・・澱粉で保存は可能だが・・・加工の道具と手間が・・・澱粉というと吉野葛に代表される葛もあるが・・・あとはソテツの澱粉や彼岸花の根の澱粉・・・色々あるが・・・基本的にはその時期をしのぐためのような感じですね。そのまま置いておいて風味が維持か良い方向に変わるというものはあまりなさそうな?やはり、米や麦の栽培が主食の大きな転換点なのかもしれません。旬を楽しんで生きる時代から、蓄積による豊かさを求める時代への転換かな?日本で水稲栽培が始まると、余剰穀物が発生して豊かさと蓄積の時代がやってくることになるのでしょう。

 穀物の余剰とそれを安定して蓄積する倉庫技術の発展で、労力を食料生産だけではなく、道具の素材の製造技術へと発展させたことで、石器時代にサヨナラ、青銅器時代へ入ることになるのでしょう。もちろん、高度が高く切れ味のよい素材としての石器の利用は続くでしょうが・・・近頃はセラミックの包丁が私のお気に入り・・・さて、水稲栽培が導入され、金属器が導入され、生活の質が変わります・・・次の年の収穫までの食い延ばしの生活から、数年間は・・・30年ぐらいは持つ穀物の蓄積となれば・・・その日の食べ物に満足する生活から、食物以外のものへの欲望が生まれるでしょう・・・良い生活の意味の変化・・・富を開く鍵は、食料の調達能力ではなく、倉庫の鍵となったのでしょう・・・リアルな鍵の所有者が権力者、鍵は能力ではなく所有していること自体に意味がある。そして、沼沢地の占有こそが、より大きな富への道と理解した瞬間、闘争原理の世界が現出します。小人閑居して不善を為す・・・穀物という高エネルギー食、それまでの主食が副食となったために狩猟採集の意味が変化・・・狩猟具は戦争の道具へと変化・・・次の段階は・・・さあ、戦争だ!君、死にたもうなかれ・・・の声はむなしく・・・親は刃をにぎらせて、人を殺せと、人を殺して死ねよとて,二十四まで育てし・・・で、倭国大乱となるのではないかと・・・多分、中華帝国が認識していた日本の政府は九州地方の勢力ではないかと勝手に妄想しています。朝貢が行われていたのは安帝の時代だから・・・106年 - 125年あたりは安定していたが・・・この後乱れて・・・中国の史書に現れる日本は・・・Wikiの記述を編集して・・・

後漢書・東夷傳・・・建武中元二年;57年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬・・・ここで印綬をもらってますね。漢委奴國王って印だね・・・漢帝国の属国である委奴國の王の印だろうね。日本は中華帝国では倭奴国として知られていたようですから・・・
安帝永初元年;107年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見・・・人間を出したか・・・
北史倭国伝・・・安帝時、又遣朝貢、謂之倭奴國
隋書倭国伝・・・安帝時、又遣使朝貢、謂之倭奴國・・・・記述に進展なし
旧唐書倭国・・・日本国伝 倭國者、古倭奴國也・・・倭國に国号が変更になっている。

 倭国大乱の具体的な年代は・・・漢靈帝光和中 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子卑彌呼爲王 彌呼無夫壻 挾鬼道 能惑衆・・・光和年間;178年 - 184年・・・其國本亦以男子爲王住七八十年 倭國亂相攻伐歴年・・・朝貢が行われるのが238年以降・・・となると、150年頃から騒乱の巷となり、180年ごろには無茶苦茶になって中華帝国も気にしたということですかね?Wikiでは、この続きを以下のようにまとめていますね。再び、都合よく編集・・・

三国志魏書東夷伝 景初2年か3年;238年か239年6月女王は大夫の難升米と次使の都市牛利を帯方郡に派遣し、天子に拝謁を願い出た。帯方太守の劉夏は彼らを都に送り、使者は男の生口4人と女の生口6人、班布2匹2丈を献じた。これに対して魏の皇帝は女王を親魏倭王とし、金印紫綬を授けるとともに銅鏡100枚を含む莫大な下賜品を与えた。また、難升米を率善中郎将、牛利を率善校尉とした。
正始元年;240年 帯方太守弓遵は建中校尉梯儁らに詔書と印綬を持たせて倭国へ派遣し、倭王の位を仮授するとともに下賜品を与えた。
正始4年;243年12月、女王俾彌呼は魏に使者として大夫伊聲耆、掖邪狗らを送り、生口と布を献上。魏の皇帝は掖邪狗らを率善中郎将とした。
正始6年;245年魏の皇帝は帯方郡を通じ難升米に黄幢を下賜した。
正始8年;247年女王は太守王?に載斯烏越を使者として派遣して、狗奴国との戦いについて報告。太守は塞曹掾史張政らを倭国に派遣した。
泰始2年;266年女王に就いた壹与は、帰任する張政に掖邪狗ら20人を同行させ、掖邪狗らはそのまま都に向かい男女の生口30人と白珠5,000孔、青大句珠2枚、異文の雑錦20匹を貢いだ。

 ・・・漢帝国の朝貢国として107年に国際的に認知された権力機構の文化水準が気になります。紀元57年に印綬を受けていますが・・・このときの使節は中国語が話せたはずですし、文書主義の中華帝国に対してそれなりの文書を提出できる文化水準であったはずです。だって・・・大夫を自称していますから、言葉も通じ中華帝国の礼を理解していたはずですから・・・さもなければ、統治機構を持った国とは思われなかったに違いないでしょうからね。あとは生口だね・・・何の技能も持たないものを献上してもそれは無用で価値のないもの・・・言葉も通じないものって献上する価値がない・・・まさか二足羊のわけはないし・・・価値のあるものだとするならば、中国語に堪能な才気あふれる人間・・・人としての価値ある人間・・・留学生であって人質かね?冊封体制についての知識が必要か・・・帝国在住の事務官かね?

 手ごろなWikiの記述を眺めると、最後の朝貢使節はネパールからとのこと・・・その手はずは・・・
光緒32年(1906年) - 6月1日付で「稟」を送り、「朝貢品」を携えて「陽布」(カトマンズ)を発足したことを清朝に通知。
光緒33年(1907年) - ラサに駐扎している清蔵大臣聯豫は正月16日付で北京に報告。同年、ネパールの朝貢使、北京入り。
 これを見ると、双方に駐在員を置いて文書の交換を行って、朝貢が行われていることがわかりますね。それから考えると、紀元57年の時点で、既に倭奴國の駐在員が居て、中華帝国との交渉窓口となっていたと思われるが・・・だから印綬がすんなり出てくる・・・封禅の儀式に非公式に駐在員が参加して、翌年の朝貢かね?しかし、気になるのは駐在員を置くということはどういった事なのかが問題・・・他国の者が中華帝国内に居住するということに関するルールが・・・朝貢以外の貿易は認めないのであれば、駐在員が現地で消費するものと、本国の指示で買いためて置くものの区別をどうつけるか?このあたりの制度が・・・泰始律令か・・・この時代の法制度は・・・こいつについての史料は?朝貢に関する規定が分かれば・・・ネット上に史料はあるのか?まあ、旧代の法制度を継受しているのでしょうから・・・基本的には清朝の法制度を眺めても大差ないかも?そういえば、律令の国である朝鮮でも、日本人の居住区があって、日本の貿易商はそこに集住だったっけ?日本だと唐人屋敷とかいう商館・・・朝貢貿易は制限貿易だから・・・・近代デジタルライブラリー - 清朝全史. 下卷 92コマ広東の外国商館と公行・・・興味深い・・・ああ、我が国にも貿易用の館がありましたね鴻臚館ってやつが・・・筑紫の鴻臚館なんてのも、57年頃から設置されたのかね?迎恩門でも近くにあったか?冊封体制に組み込まれているのなら必要なものだろうと思うのですね。

 つまり、貿易商も使節も一時入国の際は鴻臚館を利用しなければならない事になるのでしょう。短期ビザで入国の場合は鴻臚館で、長期の場合は商館の設置かね?日本人町なんってあったのか?気になる所です。租界か・・・あってもおかしくない・・・制限貿易にはつきものですから・・・租界だってどちらが主導権を握るかの問題ですね。中華帝国の場合は多分、帝国側が主導権を持ち、朝貢側が従う形で、一定範囲での居住が認められる形かね?そういった法が古代の中華帝国に存在するかが問題です。生口か・・・囚人・奴隷・家畜などを意味する言葉・・・「生」ひと文字では学生や健康の意味があるようだし・・・

 さて・・・一応、歴史の復習は終えました、定説をとりあえず無視・・・指導原理は、整合性が一応保たれていればOK、そして面白ければ、さらに良いとしましょう。妄想研究ですから・・・一応、歴史を眺めると、新しいシステムに切り替わって、およそ200〜300年ほどでシステムは破綻することになっているようです。縄文文化から弥生文化が日本全国に普及するのが紀元前300年ぐらいとすれば、それから富の蓄積を行い、ローカルルールの整備が進み、社会的な富の蓄積が行われ、中華帝国との外交関係を樹立し・・・これからという所で、覇権を争う戦いが始まるようです。

 日本書紀を基準に考えることにします。古事記でも良いのですが、正史らしきものは日本書紀のようですから・・・読み物としては古事記の方が優れていると私は思うのですが・・・妄想をそれらしくするために、本居君に怒りをぶつける小林君に敬意を払って・・・

 さて、妄想しよう・・・倭国大乱の頃の日本の勢力分布を勝手に考えましょう・・・前提にするのは、アマテラス=ヒミコと勝手に妄想します。それに、本拠地は九州のようですから・・・それに、アマテラスは水稲栽培が行われてからの神ですから、そう考えてもOKかと・・・その全段階は、前回示したように、合名会社イザナギ・イザナミでしょう。これは、淡路島界隈から出たものと考えて置きます。そして、九州地方とは別個に発展していった勢力と仮定します。そして、出雲にも似たような勢力があって・・・多分、その領域は出雲から吉備、そして紀伊半島あたりに及ぶものとします。東は・・・多分、諏訪地方あたりまで影響を及ぼす勢力と勝手に決めます。このあたりまで一つの文化圏として統一していたものがあったと仮定します。まあ、青銅器時代の話ですね。もうひとつの勢力が、合名会社イザナギ・イザナミという事にします。淡路島から瀬戸内の四国沿岸から、九州北部のどこかに拠点を持つ勢力で、日本海貿易にも力を入れている・・・そう、海洋民族的な要素を濃く持つ集団であって、先進的な商業の概念を持ち、領土より商業による利益を追求する一団とでもしましょう。そしてもう一つが問題で、北九州に勢力を持ち、合名会社イザナギ・イザナミと関係を持っている勢力、多分、金印を有していた九州北部勢力、そして、アマテラスの前段階の九州南部勢力・・・高天原勢力とでもしますか。

 一応は我が国と中華帝国との外交関係をチェックしましたし、妄想の出発点の基本的な勢力配置も設定しました、あとは勝手に南北九州勢力に関する設定を行わなければならないので、九州の地誌をチェックしておきましょう。基礎資料は、厄介な漢文の魏志倭人伝・・・それでは、こいつを妄想的見地で読み解いてみることにします。・・・まあ、このあたりで、次回としましょう。
2013.10.18

関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - 支那ニ於ケル法典編纂ノ沿革 
 
参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
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