香取神宮をうろうろ(65)
 茂呂の探索 (5)

 茂呂神社がこんなに長くなるとは思わなかったが・・・まあ、だらだら気の赴くまま・・・気分は、なぜかブルートパーズ・・・写真は6カラットぐらいの石ですね。美しく透き通って良いカット・・・私の所にある、こういった良さそうな石は・・・大抵は合成石の機械研磨・・・これは、天然石ですカットは多分機械研磨でしょう。ブルートパーズは美しい色で良いのですが・・・天然物はほとんど存在しないのでね・・・でもこれは天然石だけど、処理によって青くなっているのです。スイス・ブルートパーズなんでね。処理法は放射線ですね・・・スイス・ブルーと呼ばれるのは中性子線だったかな・・・元色は無色透明なはずですね。残留放射はあるのか?残念なことに、私の所のガイガーカウンターでは計測できませんでした。ですから、夜に自ら光るとか、近くにあるフローライトを光らせることはありませんね。ある意味に於いては、核汚染によって青くなっているとも言えるかね・・・この石も日光浴させたり、加熱したりしたら色が失せてしまう可能性を持っているのでね。宝石言葉はひらめき・調和・感情的すれ違いだとさ・・・

 東山道の宿駅も田部までたどってきたつもりですが・・・栃木市の中心部に近い所に田部を想定しましたが・・・これは都賀郡、田部は河内郡でなければならないようで・・・都賀郡の郡衙を駅に仕立てて、郡衙の持ち馬5疋+伝馬の5疋で10疋としてやるか?そうしたら、田部は16km先へ・・・これでつじつまが合うのか?で東山道はどの方面に?例幣使街道を宇都宮方面なのか?宇都宮方面に向かうと常陸が遠ざかる・・・国道294号線に近い所へ・・・遺跡は?鹿沼の茂呂は・・・と考えるわけですが、どうやら東山道の田部駅は多功南遺跡というのがそうらしいので・・・万町交番あたりから12kmで4kmほど短いが、川を越えなければならないから、徒歩4時間でたどりつけるでしょう・・・

 左の航空写真の赤丸の所が、多功南遺跡の所在地のようです。画像処理の結果はあまり芳しくなく、道の遺構は分かりません。ここが郡衙正倉だとすると、ここから150mぐらいの所郡衙がありそうです。直ぐ南が県立上三上高校です。この写真では鉄道と道路で谷津が切断されていますが、この近くまで伸びていることにしましょう。そして、高校の敷地が郡衙で、その南を通る道を想定すると・・・私の都合で、道はこのあたりから北東へ、そして南西へ伸びてくれなければなりません。すると赤丸の右の方の白い襷みたいなのが東山道・・・強引ですが・・・道幅40mは広すぎますから、道が南から北に移動した跡ではないかと・・・そして、この道は途中で隠滅し、下蒲生36°25'42.86" N 139°53'52.74" Eで現れています。そして栃木県道47号線へと繋がります。そして・・・・

 河内郡衙は上三川町大字上神主は多功南より北の方にあり、郡衙であっても、伝馬の追加の無い場所なので、東山道の近くであるが駅ではないことになるのかな・・・ここから南下すると下総結城郡に入ってしまうから、もう少し先へ・・・鬼怒川を越えたい・・・芳賀郡の郡衙らしきものが2か所1つが8km、もうひとつが16km離れた所にあるから・・・都賀から田部まで思川と姿川で1時間=4kmのロスタイム、田部からだと・・・田川と鬼怒川などだから2時間のロスタイムで8km離れた栃木県真岡市中字間木堀池内の中村遺跡に・・・・あれ?たどってきた道は、県道47号線の鬼怒川の鬼怒大橋の北の大沼かな?山倉大六天王神社の所へ出る・・・八坂神社の所で道が分かれる・・・そのまま行くと真岡の街で12km真岡の街を衣川にしちゃうか・・・無理だね・・・戻って良く見ると・・・さっき現れた道は栃木県道47号線につながるのではない!上三川城址公園の先の栃木県道158号線につながるんだね!右の写真で明瞭に・・・上三川城の北西の角がへこんでいるのは、ここに東山道が通っていたから・・・この城は上三川城は建長元年(1249)から慶長2年(1597)までの350年にわたり栄えた中世の平城だということだと・・・この城が築城され、城下の形をとるようになって、道が付け替えられたようですね。雰囲気は城の南を通って東山道へ合流・・・真岡への道との兼ね合いでしょう・・・いや迷った・・・さあ、距離を測って、衣川駅家を見つけなきゃ!となると・・・宇都宮市石井町だね位置からすると、ここが衣川駅家でいいや!これで、河内郡の2つの駅家はOKですね。次は新田だが・・・これはどこ?芳賀の郡衙の5疋+伝馬5疋が近いかな?渡し場を考えないと・・・多分石井の高龍神社と対岸の竹下町の高龍神社がセットでは?荒魂・和魂ではなく・・・なんとなくチェーン社さ!といっても、この場所はかなり道がつけ変わっているようです。自然堤防だか、河岸段丘だかに微妙な切れ目がありますね。どうやら、国道408号線を北上するのが良さそうです。川を渡るので1時間=4kmを引いて対岸を北上していくと・・・12km先に何があるかですね。鐺山の交差点を北上します・・・高根沢町の石末の先、高根沢中央小学校のあたりまで来られますね。若しくは、宝積寺の町内・・・

 さて、困った・・・山の方へ入るのか?それともこのまま氏家から矢板を目指すのか?ここは郡境なので仮に、宝積寺を新田にしてみます。ここから16km東北本線に沿って道が伸びています。

 塩屋郡の中心はどこなのやら?矢板か喜連川か・・・喜連川の方が国道294に出やすいかな?とりあえず、距離を測定・・・

 左の宝積寺の中心街を抜けて、この道を鉄道沿いに北上・・・やがて東北本線から道は少しずつ西へAの丸の中央から・・・・・台地の上を進むと台地から下りてBの丸の中央へ、さくら市立南小学校かな?ここから国道293の南を兵こうした道があってCでさくら市立熱田小学校あたり?・・・川筋が変わってかなり隠滅・・・でも所々に道の跡らしきものが存在・・・そして喜連川の方へ、国道293号線に合流・・・そして、喜連川の本町交差点あたりで16kmですね。ここに塩屋郡の郡衙があれば完璧なんだが・・・そして、国道293号線を進むと・・・1/25000の地図では小川に那須郡衙遺跡の表示があるのでOKにしちゃいましょう。喜連川から、ここへの直行の道はたどることはできますが、効率が悪そうです・・・ないわけではないが・・・

 左の写真のAが国道293号線が小川の街に出る所、コメリと小川中学校の間の道でしょう。多分旧道ではないかと思います。国道294号線はAの右の2つの方形区画の中央を北上する道でしょう。Bが那須郡の郡衙跡のようで・・・旧道は黄色の丸の所へ通じています。東山道の時代はどうやらAの赤丸の左側の河川のさらに左を通って、那須郡衙へ・・・Bから、Cの記号のあたりへの道もあるようなんですが・・・大差ない・・・ここから白河まではおよそ40km国境はどうなる?磐上-黒川<白河関>(ここから陸奥)雄野-松田・・・白河の関は駅扱いか?それとも・・・どうも違うようですから・・・

 宝積寺を新田駅家にして、喜連川を塩屋郡の郡衙所在地にして・・・小川の先の那須郡の郡衙なら・・・使える駅は磐上・黒川・・・山間部だから、15km程度を基準にして2つの駅を置くと、黒羽が磐上、葦野を黒川にすればOK・・・一応、歩いて4時間、馬で2時間以内を考えるとこんな感じ・・・さて、どんなものか?喜連川を郡衙にしたけど無理かね?1駅飛ばすには山間部の駅間を20km程度にしなければならなくなる・・・あとは、伝馬を郡境に置いて中継するが駅ではない扱いにするとか・・・国道294号線に出るルートを考えたときに、芳賀郡と塩屋郡の郡境が変だから、6km程度の山道を両端で5疋ずつで繋ぐとか・・・考えましたが・・・一応はそれぞれの郡に出張所を置いて・・・

 まあ、こんなものでしょう・・・間違えたって別に誰の迷惑にもならない・・・せいぜい、騙されて論文を書いて不可になるぐらいですかね?一応は怪しい出典を挙げていますが・・・私は神ではないので、信ずるものは救われないことになっている・・・自分でやってて、自分のやってる事を信じてない・・・所詮仮構・・・妄想妄想・・・でも、一応は裏を取ろうとしてるんですけどね・・・ただ、黒川は気になります。しかし、黒川の所に黒川駅を置くと・・・規定時間ではたどりつかない可能性が高い・・・

 小川の三輪という地区、三和神社も気になるのですがパス・・・白河の近くも見たくない・・・何か気になることがあれば、香取神宮からさらに遠ざかってしまう・・・大国主も気になる・・・国土開発の神・・・養老令の研究もしたい・・・なりそこねた歴史法学者の立場から神話と養老令の関係を探りたい気もするが・・・どうも、なりそこねたものが多くて・・・よき夫なんってものにも悪い夫にもなれなかったしね・・・結婚したことがないと、田舎ではいじめられることを知った・・・ひどくではないけど・・・

 さて、鹿沼の茂呂をチェックしてみるには、やはり都賀郡から北上ですかね?というより、もっと気になっているのは国道293号線なんです。単純に、293号線と294号線と50号、354号、125号線、あと房総を遊ぶのに409号線と16号線かな?・・・これらを知っていると、東京低地を除く関東を遊びまわれるという事なんです・・・メジャーな4号6号線は使わないのでね。なんだか、暇があると走り回っていた集大成のような感じになってきたな・・・

 では・・・鹿沼の茂呂は・・・見方を変えて、鹿沼の茂呂からの交通路の繋がりを眺めてみますかね。古い交通路となると、おなじみになった近代デジタルライブラリー - 下野国誌. 巻之1 28コマ の地図ですね。

 鹿沼の所を眺めていて万里小路古跡ってのがある・・・見野村の所ですね。これって何?鹿沼から日光へ向かう道のようです。

 万里小路・・・藤房の話ですかね?後醍醐天皇の忠臣とされる・・・何やら、1767年に、見野村の長光寺境内で山崩が起きて、そのとき、観音像の入った唐銅の塔や鏡、銭などが出てきたとのこと、この鏡に書かれていることから万里小路藤房の遺物で、長光寺は藤房にゆかりの寺になったようです・・・近代デジタルライブラリー - 日蔭草 20コマ ふむ・・・なるほどね。南北朝の遺跡か・・・下野国誌も斜め読みして色々と知りたいことがあるんですが・・・始めると、大作業になってしまう・・・香取新誌の小冊子ですら・・・いつの間にか下野まで・・・

 茂呂に関しては・・・近代デジタルライブラリー - 下野国誌. 巻之2 12コマ ここに、都賀郡の茂呂駅のあたりの中ノ島、曲の島、鯉ヶ島、大河島、荻島、高島、卒島、島田などの八か村を差して茂呂の八嶋というような深い説があったとか・・・私もやってる・・・東山道だけに絞って急いで位置の推定を行っただけだから・・・

 よって、都を出て東山道を進み、田部から鬼怒川を渡って栃木県真岡市中字間木堀池内の中村遺跡で一休み、国道294号線を南下、我孫子へ出て、我孫子から上総へ・・・船橋取手線かね?いや、南守谷から北柏、県道51号栗ヶ沢茂呂神社経由県道51号、69号、72号で上総国府かね?若しくは相馬郡衙から国道356号、県道4号国道16号線で上総国府・・・これが、国司の着任ルートの可能性のあるものですね。

 気になるのは、下野の国真岡から常陸の国筑西市に入る時に、鹿島神宮遙拝の儀式はどこでやったか?下総側でやっているようだから、こちらでも・・・国境が動いていなければ、ちょうどよい場所に小学校があるが・・・真岡市立久下田小学校・・・道の系統性から隠滅した道の位置は・・・左の写真の、墓地のあるあたりのなのでしょう。地図だとこのお墓は・・・時宗のお寺の光見寺ですかね?無責任に・・・ここほれワンワン・・・

 この時代の国境ってどんなだったんですかね?水駅とかなら遙拝とかする場所を定めることもできますが・・・ここは、直ぐ北に小河川か何か水路があったようですが・・・

 時々思うのですが・・・墓地になった場所って、再開発を行っても残る可能性が高い・・・神社やお寺、公共機関とかに形を換えて妙な区割りが残ることがありますね。・・・そういえば、福島に巨大な墓所ができようとしていますね。核の墓地が・・・あれは何として利用できるのだろうか?合理的に考えれば、原子炉解体などの核研究施設と原子力発電所・・・世界最高の原子力研究施設用地として優れているが・・・そして、避難済みだから・・・巨大原子力発電所とか・・・核攻撃にも耐えられるとかそういったもの・・・そのぐらいしかないような?生かす事を考えれば、廃炉は進むし、汚染水対策だってもっと気合が入る・・・現在施設管理に携わる人たちの現状は墓守ですから・・・感情的に許せないものを説得して前進させるのが政治だと思うが・・・無能な感情的な市民派と呼ばれる扇動政治家には無理なことなのでしょう・・・しかし、原子炉の全廃の話はどうなったのかね?再稼働の噂もあるが・・・全廃に向けて行動するのではなかったのかね?そして、発電と送電を分けようとか馬鹿げたことも言っていたが・・・あれはどうなったのかね?

 でも、分けたら面白いかも?発電会社と送電会社に分けるというが・・・実質は発電所+送電線管理の会社と、電力トレーダー会社になるのでは?そうなると、汚れ仕事と綺麗な仕事に分かれる・・・当然、賃金に差が出る・・・汚れ仕事<綺麗な仕事が公理だね。従って、汚れ仕事の人気は無くなり、綺麗な仕事をする人間の売り物が足りなくなる・・・物の値段が上昇する・・・原発なんって最大の汚れ仕事になるわけだから・・・高給を取っても、何か事故でもあれば、命がけな上に白い目で見られる・・・どんなに努力をしても報われない仕事・・・確か、行方不明となり後に遺体が発見されたタービン担当者だったっけ・・・逃げたことになってたものね・・・感情的で無能な政治家は綺麗な仕事の面を創りたいのかね?日本経済の根源は何か?・・・簡単な話・・・エネルギー資源に尽きますね。電力が供給不安定なら、震災以前だって夏期の電力消費規制を企業に課していたんだから・・・工場を建てて新たな電力需要があっても、それに供給する電力が不足する可能性があるのだから新規の大型工場なんか作れない・・・大工場を作るには、自前の発電所を持ち、夏期には余剰電力を生み出すだけの能力を持つ必要がある・・・現状ではこんな前提だものね。余剰電力が出るから電力を売買する市場があればよい・・・だから、発電と送電を分けたいのでしょう。しかし、巨大発電所を作る理由は・・・その方が効率が良いからに尽きるわけです。コージェネレーションシステムも悪くないですが・・・とにかく、エネルギー政策がぶれているうちは、経済は活性化しないと思うのですが・・・だから、私だと乱暴に、原発廃止、発電・送電分離!後は野となれ山となれ・・・原発ありきだった電気自動車もどうなることやら?あれって、夜間電力の受け皿としてのものだったはずだから・・・意味もなく街灯をつけまくったのも・・・感情でぶれる政治家が多いと駄目なんですね。律令は簡単・・・行うべきことは既に決まっている。ぶれないから・・・急急如律令ができるのですが・・・立法機関がぶれるから、国がぶれるのです・・・

 茂呂だった・・・茂呂をやってるんだった・・・私も直ぐぶれる、遊びだから・・・室の八嶋は茂呂の八嶋でも良いような気がします。それは、茂呂のあたりが沼沢地であったときなら、普通の葦原と沼に対して木々の生い茂る島の様に見える微高地の景色は確かにそのように見えると思われます。

 右の写真のように茂呂の周りには島のように見える微高地が並んでいることに気付きます。多分、都から来て、小石の原である安蘇の河原を見た後に、湿原に並ぶ島を見て安らぎを覚え、さらに遥か彼方に筑波があるわけですから、歌を詠みたくなるのは分からないでもない気がします。何しろ足利に入る前あたりから何もない広大な関東平野を垣間見ているわけですから・・・茫漠たる原野の中にオアシスのような水の箱庭のような景色・・・どうかね?

 ちなみに、大神神社の室の八嶋の配置は左の様になります。岩舟の富士山は浅間神社でしょうから、これが縮図になっているのなら茂呂の八嶋の写しと言えるかも?微高地には大抵神社があるはずですから・・・残念ながら、地図上ではそれぞれの微高地に神社があることは確認できますが、名称までは無理ですね。現地調査をする気力に欠けるのが難点ですね。そのうち気が向いたら・・・ってね。何故かね・・・2時間ぐらいの距離なのに・・・近頃は貧乏でケチの度が高まって・・・以前は、休みだとどこかへ出かけたのに・・・彼女を作らないからだね・・・

 小さな祠の名称を探るのは結構大変なんですよね・・・そりゃ、聞いちゃえばいいのですが・・・そのために役所があるけど・・・学位でも懸っていたら、使いますが、遊びではね・・・彼女を作って遊びに行くのが最高の遊び研究なんですがね・・・大神神社の室の八嶋はどこから見るんだ?筑波山は見えるから借景でも良いが・・筑波山が左端になるようになるには、三鴨神社の辺りかね?ってなるのを知っていたので、下野国誌は避けたんだが・・・しかし、安蘇の河原から、茂呂の八嶋の場面展開は絶対に歌を詠むのには面白いはずですが・・・

 さて・・・鹿沼の茂呂ですが・・・右の写真の様な感じです。いつもの見慣れた2つの谷津の間に茂呂があるという感じです。ここは神社がありますね。高龍神社・・・龍は雨の乗った龍でしょうかね?その辺の詮索は良いとして、この名の神社はどこかで見ましたね・・・宇都宮市石井の鬼怒橋の両端にある高龍神社・・・地域で分業しているような感じです。じゃあ、伊勢崎の茂呂の神社は?飯福神社ですね。後代の神社なので不明ですが・・・伊勢崎神社は元飯福神社?

 あとは・・・結城の茂呂だね。

 左が結城の茨城県道17号線沿いの茂呂ですね。ここもまた、谷津の間の台地を押さえている・・・ただ、ここの神社がわからない・・・香取神社や諏訪神社・・・色々あって不明・・・

 ただ、言えそうなのは鬼怒川と古東京湾東岸の茂呂をひとまとめにして、岩舟町の茂呂本郷を発祥の地と考えるなら理解できるかもしれません。鹿沼の茂呂は宇都宮方面の高龍神社チェーンを、遅れて伊勢崎の茂呂は飯福神社で伊勢崎を押さえた・・・ 西仁連川は利根川水系ですから、利根川水系進出のベース基地がここにあるということなのでしょう。あれ?・・・伊勢崎・佐野+岩舟・鹿沼・結城・流山・栗ヶ沢・船橋・楯縫の茂呂かね?ちょっと強引に8つにまとめましたが・・・岩舟の茂呂本郷を中心に8つの茂呂のネットワークがあったとか?これは、探すともっと出てきそうだから危ないな・・・ああ、千葉にもあったし・・・これは言えないね・・・とにかく良い場所を押さえていることと、その手口からすると、茂呂チェーンがあったような気がします。案外、隠滅の程度からすると、石器時代の物流システムを担った氏族ではないかと・・・妄想してしまいます。ただ、この神社チェーンと高原山の石器の散布範囲が重なったらちょっと面白いかも?まあ、関東平野での東山道の位置も理解したし、多分・・・古東山道が国道293号線+294号線らしいことも、妄想的確信を得たし・・・あ・・・千葉県内の茂呂の考察をしなきゃ!すっかり忘れていた・・・ここで切って次回だね・・・
2013.10.10

関係ないが、興味深いもの

 
 
 

参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
近代デジタルライブラリー - 検索結果 明治神社誌料
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 千葉県 534コマ
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 茨城県 592コマ
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本地理志料 
国立国会図書館デジタル化資料 - 和名類聚抄 20巻 
大日本海志編纂資料 資料分類
近代デジタルライブラリー - 大日本神名辞書
茨城県遺跡リポジトリ
近代デジタルライブラリー - 仮名日本書紀. 上巻 204コマ 景行天皇
国際日本文化研究センター 怪異・妖怪伝承データベース
近代デジタルライブラリー - 検索結果 和漢三才図会
近代デジタルライブラリー - 和名類聚抄地名索引
近代デジタルライブラリー - 検索結果 令義解

近いうちにやりたいもの
香取志 
古文書(冊子・一紙・巻子・絵図) 日本銀行貨幣博物館 これって面白そう・・・特に、社会関係史料が・・・
近代デジタルライブラリー - 検索結果 徳川時代商業叢書
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本財政経済史料



  










inserted by FC2 system