香取神宮をうろうろ(64)
 茂呂の探索 (4)

 岩舟町が茂呂なのかよくわかりませんが・・・とにかく、先に進まないと・・・円仁とか始めたら大変なことになりますから・・・史料が少ないものや、限定されたものであればそれほど話を広げなくて済ませられますから・・・円仁だと・・・唐まで守備範囲にしなければならないし・・・凄く面白いでしょうが・・・まあ、近いうちに・・・そして、今回いじっているのがアクアマリン、結構良い色なんですが・・・中にゴミが沢山あって・・・9カラットちょっとある石ですが・・・価値の方はあまりないですね。でも大きいのでお気に入りです。写真を撮るのに使っている光源がかなり赤っぽいのであまり良い色に見えないんですが悪くない色です・・・でも、安物・・・でも、非常に美しい結晶より個性的で好きなんです。金のゴテッとした感じのオブジェに嵌め込むと良い感じになるかな・・・なんってね。私の感覚としては、高級おはじきという感じなんでね。だから、超高価なものは面白くないし・・・完璧な結晶を望むなら化学的な組成が同じ合成石で満足してしまいますから・・・私の性格が歪みひびが入っているのと同じか・・・なんって・・・ちょっと、一般的な価値観と違うので、こういった物の美を求めてしまうのかもしれません。アクアマリンも良いものは色が美しく・・・メジナ産の1カラット程の良いものが写真のと似たような値段のがありますが・・・大きさからするとこちらですね。小さな石は・・・ちょっと濃いめの色のサイダーの瓶の欠片のようで・・・写真の様なインクルージョンの多い石は、カットもかなり工夫されていたりするので面白かったりしますが・・・おっと、宝石の話じゃないんだった・・・

 とにかく、茂呂・・・多分岩舟を抜けて富田へ向かうには・・・栃木県道67号線を東進して、岩舟静和郵便局の先の道を左折して北上するのかね?そして富田バイパスを越えて緩やかなカーブの道を道なりに大平町富田となるようです。昭和17年の航空写真では、静和郵便局のあたりのAの方が明瞭になっていますが・・・どうせ律令の頭の固い官人はBの道を設定したのではないかと・・・直線の方が計画は簡単だから・・・あとは、このあたりは220mほどの方形区画が感じられるので、Aの曲線はそれにそぐわないので・・・そして、このAの曲線の道は、その先に同じような道のつながりを持っていますから、後代に別の目的で作られた道が、そのまま固定化されたのではないかと・・・勝手な推測です。

 そうだね・・・慣れた道ならこういったショートカットも良いのですが、なれないと道に迷う可能性が高いですね。 あれ、通り過ぎちゃったみたいだ、ここはどこだろう・・・って、私は、緩やかなカーブの道って苦手だから・・・単にそれだけですかね。

 まあ、現地に行って道しるべの石とか何かあるかもしれませんが・・・さすがに、気軽に行ける距離ではない・・・何しろ、貧乏なのでガソリン代がかかるのが問題ですね。日々、金持ちになるための努力はしていますが・・・難しいものです。新規事業でも考えればよいのでしょうが・・・このところ、眠くて・・・よく眠れます・・・しかし、道の夢を見るので、かなり病気なのかもしれません。

 富田から道なりに進んで例幣使街道は右の航空写真のBで示した繋がりです。しかし・・・これは東山道でないと思いますね。栃木の中心街は当時は、中心街でないはずだから・・・国府遺跡から離れています。因みにAは両毛線の繋がり、Cは東武線の繋がりを示しています。・・・この航空写真は昭和17年の陸軍のものですね。昭和17年にかなり長い直線路がこの平原の中を工作しています。集落や微高地の繋がりを考えると、どうやら富田から道なりに北上して栃木県道11号線に合流して北上、川連を北上、茨城県道309号線で、駅の所在地は距離とまわりの遺構との兼ね合いで・・・違うな・・・やはり栃木県道11号線で現両毛・東武日光線の栃木駅を抜け土地御県道3号線万町交番あたりに律令の栃木駅があったと思われます。右の写真で茨城県道209号線があまりはっきりとはたどれなかったので・・・こちらだと多分・・・錦着山公園あたりに駅があったと思われますが・・・気になるのは、このあたりも烽火のシステムが組めそうですから・・・錦着山に烽火台を設置、万町の駅家、その先の国府・・・あ・・・私の頭の中の地図が間違っていた、というか感覚的に下野に益子や茂木が入るってのを・・・そうしたら、国庁跡は国衙の跡ですね・・・川を挟んで郡を統括する場所として考えると、川の暴れ具合にもよりますが、悪くない場所かもしれません。よって、とりあえず万町のあたりにあった律令の駅は田部と私は妄信することにしましょう。

 妄信なら簡単ですが・・・妄信するために、少しはその根拠を持たなければなりませんね。ちょっと気になったのは、国衙の機能なんです。国衙と郡衙が同じような場所に併存している所があります。まあ、栃木県庁と宇都宮市役所・・・つまり国衙と郡衙の違いが何なのか?なんです。一般に国司の権限は祭祀・行政・司法・軍事を掌るわけですが・・・一方の郡司は徴税権を有し、その保管、貢進、運用、班田の収受も任される事になります。まあ、地方の支配者ですね。国造の系列ですから・・・朝廷は、各国に国司というコンサルタントを派遣し、そのチームが在地の領主とコンサルタント契約を行い、最新のマネジメントを教え、上納を要求していたと考えればOKなんでしょう。コンサルタント契約の内容としては・・・祭祀と行政と司法の3点についてで、軍事に関しては独占的なものだったのでしょう。祭祀に関してはどちらかというと大宮司の派遣で、在地の神職集団は祢宜の統括下にあったのでは?司法は・・・どうせ・・・私の妄想的見解では・・・天つ罪・国つ罪の2つのカテゴリーでの役割の分担・・・国司権限は天つ罪、郡司権限は国つ罪でしょう。

 具体的には・・・私の妄想的見解では・・・天つ罪は畔放・溝埋・樋放・頻播・串刺・・・これらは田の境界をいじる話です。封建的領主を考えると、これらは古くからの在地領主の土地所有権に関わる問題ですから、在地領主間でのトラブルはそれより上位の国司の裁断するものです。さもないと、領地争いの戦闘に入ってしまいますね。そして、生剥・逆剥・・・これらは馬の処分に関する規定ではないかと思います。追剥は財物を剥ぎ取るわけですから、別に皮をはぐ必要はない・・・馬を生きたまま窃取する場合と、勝手に利用する場合の2つのパターンを想定しているのではないかと思われます。そして、糞戸は、権威に対する反抗についての罪でOKだと思います。馬に関しては養老令の廐牧令で定められているように・・・近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第12巻 令義解 142コマ この後から3行目、凡・・・官私の馬牛帳は、毎年、朝集使に預けて、太政官に送ることになっています。従って、馬は登録制で、太政官の支配の下にあると言って良さそうですから・・・従って、国司権限で裁断しなければならないものとなるわけです。そして、権威に関するものも、地域の勢力争いの範疇でしょうから・・・別に宗教的な意味など考えなくて良いと思われるわけです。

 そして国つ罪は生膚断は死に至らぬ傷害罪、死膚断は傷害致死罪、白人・・・こりゃ、ハンセン氏病などの伝染病は自由剥奪の範囲に入るから判断を下す必要があるでしょう。上通下通婚・・・近親婚に関する規定に対する罪、畜犯せる罪、獣姦罪だね。昆虫の災・・・防虫・害虫駆除についての采配、高つ神の災・・・一般的な気象や地震・火山などによる被害の救済、高つ鳥の災、稲の雀の害とかそういったものの駆除でしょう。畜仆し、蠱物する罪は反社会的な呪詛の裁定、川入・火焼など、普通でない死の検断でしょう・・・どうして、学者先生は普通に考えられないのかね?よほど呪いが好きと見える・・・古代人は合理的だと思います。不合理は裕福で暇な人間の特権ですから・・・国つ罪は地方自治の範疇を示したものであると考えれば、極めて合理的に国司と郡司の職務権限を分けることができると思われます。・・・なんだか、真面目な歴史法学をやってるような?捨てた過去の亡霊か・・・妄想研究が好きなのに・・・

 さて、こう考えると国衙と郡衙の併存は可能で、郡衙+駅による通信ネットワークを調整し、軍事にかかわる権限を地方で行使するのが国司であると仮定してしまいましょう。軍事力を持ったコンサルタント・・・軍事力に関しては・・・規定は何だっけ・・・近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第12巻 令義解 43コマ 職員令の大国を眺めると・・・国司の権限は、祠社、戸口の簿帳、民に教育をほどこす事、農桑を勧課する事、所部を糺察する事、貢挙、孝義、田宅、良賎、訴訟、租調、倉廩、徭役・・・・ほらあった、兵士、器仗、鼓吹、郵駅、伝馬、烽候、城牧、過所、公私の馬牛、闌遺の雑物の事・・・寺、僧尼の名籍の事。兵士、器仗、鼓吹、郵駅、伝馬、烽候、城牧、過所、公私の馬牛・・・この書き方からすると軍事は徴兵、兵器、指揮するために太鼓と角笛の管理、通信システム、軍馬の管理・・・これが国衙の軍事に関する権限ですね。こういった多くの権限を持つ国衙に対して、郡司は庶民に通達を出す機関の長のようです。

 まずい、お遊び研究だから、順序が逆だ・・・まあ、前提となっている知識というものも、久しぶりに使うので精査していると言えば恰好がつくか・・・兵士は名簿で適当に選べばOK、士官・下士官は選抜制だったっけ・・・器仗は火を単位とするのはそれぞれの集落で所有だったね。糒とか・・・そういえば、先ほど鯛飯・・・鯛の炊き込みごはんを炊いたんです。糒が出てきたんでふと・・・藤原純友の伊予水軍伝統の鯛飯も良いかと・・・多分、生か軽く焼いた鯛を魚醤に漬け込んだものと生卵を、少量の水でふやかした糒にかけて食べる物ではないかと・・・、高エネルギーのそこそこ旨い食いものではないかと・・・生卵などは、桶の中に砂でも入れて埋めておけばOKだし、涼しい所だったら孵化することなく半年は楽に持つ・・・ああ、鯛のズケを食いたいが・・・貧乏で鯛の刺身が買えない・・・今回は大きな鯛のあら298円の半値!を買い込んできて、鯛の一番旨い所を食べた気がしますが・・・おっと、近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第12巻 令義解 99コマ 軍防令を眺めていたんです。・・・しまった。と言いつつ・・・今回は面倒だったので、鯛のあらを1回煮てそれを使ったが、次回は軽く焼いて丁寧に身をほぐして・・・無駄の出ないようにすればOKか・・・でんぶにしてから・・・骨もきれいにして吸い物を・・・軍防令では糒と塩だけなのでちょっと気になりました。個人装備は・・・自弁で弓1張、弓弦袋1口、副弦2条、征箭50隻、胡箙1具、大刀1口、刀子1枚、砥石1枚、藺帽1枚、飯袋1口、水甬1口、塩甬1口、脛巾1具、鞋1両ですから、糒と塩で戦うことになる・・・伊予水軍は良いものを食っていた?

 とにかく、国司の権限で軍が動くような感じですね。気になるのは、軍はその時々に召集されるもので、常備軍ではないようです。そして、軍とは別に国衙が動員を行うことになるようです。ん・・・捕亡令によると、兵は官司・坊里でも動員がかけられるようですから、兵士は基本的には武装自警団員のようなものなのでしょうか?しかし、兵種は歩兵と騎兵があって、最小単位は伍で5人を単位、伍が2つ10人で火、火が5つ集まって50人で隊、隊が2つ100人で旅・・・・末端だけで良いでしょう。徴兵方法は同戸のうち3丁ごとに1丁を取る・・・この規定が厄介だよね・・・律令制の戸って妙なシステムですから・・・日本の家族制度がかなり不安定なんで・・・本家に従属する分家も含めて本家の一円支配する土地の上に生計を一とする場合は一戸のようですから。それでも、50戸を以て1里とするわけですから・・・結局のところは同じ場所に住んで生計を一にする20人ほどを1戸としてまとめたような感じになっているようです・・・だから1里は20×50=1000人ほどの人口があって、このうち男が500人、正丁の割合を50%で250人で3で割って80人・・・まあ、50人で隊を里毎に作るというのが良さそうな感じですね。最下級指揮官の隊正が里で1人なら具合が良さそうです。そして、装備品リストからすると・・・伍が2つの10人火で紺の布の幕1口、裏を着く、銅の盆・小さな釜、どちらかあるものを2口。鍬1具、草刈1具、斧1具、手斧1具、鑿1具、鎌2張、鉗1具。火が5つで構成される50人の隊ごとに、火鑽1具、熟艾1斤、手鋸1具となっています。これらは共同体での所有かな?それとも・・・非常時にお金持ちが供出するものなのか?平常時には利用可能なのか?ちょっと気になります。冬の初めの国司の閲兵の際にあればよいのかも?集団ごとで準備するものを忘れてた・・・火毎に6疋の駄馬が必要で糧食は兵士各人ごとに糒6斗、塩2升を備蓄・・・ということは1里から30疋の駄馬が常備される必要があり、6斗×50=300斗・・・今の斗ではないでしょう・・・隋・唐律を継受しているなら1斗は6リットルぐらい1800リットルということは2トンぐらいの備蓄量ですかね?塩は2升×50=100升 60リットル 120kg程度が備蓄されていたことになるかな。この条文の中に、装備品について書かれていますね。装備品等は、種類別に倉庫に貯蔵することになっていますから、一式そろえておく必要があり、専用の倉庫も必要ということになりますね。こりゃ、村の鎮守の神様の所にでも倉庫を置かなければならなくなるのか?それとも里長・郷長・・・町内会の区長につながる人物宅に倉庫を置くとか?ところで、軍事教練もある程度は郷単位で行われたのかね?その場合には、どんな場所が使われたのか?消防団の演習とか・・・どうしてる? 今なら、大きな公園とか小学校の校庭とかね?古代には、この2つのものは存在しない・・・

 一応は、国司による査閲があるようですから・・・そのためにはある程度演習を行っていないとカッコ悪い・・・従って演習をやっているはず・・・ちょっと、現近代ではどんなだったのか?戦中は警防団が組織されていますね。これを例に引いてみましょう。近代デジタルライブラリー - 秋田県令規類聚 附・解説書式総攬 警防団 78コマ 眺めていると面白いものです。養老令の軍防令の中に別式によるなどの表現がある・・・式に相当する内容みたいな感じです。式には雛型があって、国司とか担当部署が現状に合わせて式を起草したとか・・・もちろん、中央のそれなりの部署で決裁を受けて施行されるとか・・・ああ、また間抜けな事を・・・養老令の中に規定があった・・・面白くない部分なのでざっと読んだだけだったやつ・・・公式令がちゃんと存在しているじゃないか・・・この部分を真面目に読んでいなかったから・・・大筋のやり方は分かっていたから式を起草して・・・承認は正解で・・・駅馬を利用することやそういった基本規則が書かれているのに気付かなかった・・・近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第12巻 令義解 119コマ 公式令を真面目に読んで法を理解しなきゃ・・・何で養老令の研究になるかね・・・やはり、一回真面目に通読して養老令の構造を理解しないといけないのか?確かに、養老令の規定が明治に至るまでの法源であるから・・・これを学ばなくして日本史は語れないことになる・・・陰陽師ではないが、式を打つということは・・・文書化した命令を発することを意味するようですね。国司レベルの高級官人は律令に通じていて式を打つ能力を要求されるって事かね?生殺与奪を只の紙切れ一枚で人を動かし実行することができる・・・呪詛より確実・・・だから、呪い札の「急急如律令」なのか・・・式は律令に則って書かれた文書・・・理解しましたよ、高々数百ページの漢文、チョロイものさ・・・お遊びお遊び・・・何しろ、明治の初めまで令義解で学んだ人間たちが高級官吏となって、様々な法を起草したのでしょうから、戦前の令規を理解するベースにもなるはずだから・・・現行法令の基本になったものとも言えるし・・・今更、学位論文を書く気はないけど、ちょっと気合を入れた遊びをしますよ・・・養老令を精読しつつ・・・

 装備品の中で、裏のついた紺色の幕って何に使うのか?天幕かね?幕というとやはり・・・近代デジタルライブラリー - 和漢三才図会. 巻第21〜52 62コマ この幕しか思いつきませんね。どんな具合に野営したのか?それとも野営はしなかったのか?気になります。軍団の移動は基本的には街道と宿駅を使うのでしょうから・・・民家に分宿が基本だったとか?多分、後代に使われた陣幕の祖ではないかと思われますが・・・陣幕ってどんな利用をしたのか?色を指定している意味は?裏は多分白ではないかと思いますが・・・まさか、演習を行うときに敵味方の陣を識別するためとか?白軍と青軍・・・何かで読んだ気が・・・兵棋演習、白は白旗に通じるから赤に替えて、赤軍・青軍での演習を行うようになった・・・出典不明、おぼろげな記憶・・・源氏の白旗・・・古来白旗は敗北を意味するとは思えない・・・近代デジタルライブラリー - 改正陸軍服装全書 129コマ 陸軍で彼我識別用に白の腕章を使ってますね。イギリス海軍の演習だと青・赤・白などを使っていたような?ああ・・・青龍白虎だ・・東軍が青、西軍が白じゃなかったかな・・・多分・・・そのうち要調査・・・清宮君に毒されたか・・・でも、合理的・・・実戦なんってあまりやらなかったはずだから。軍備は基本的に平時に行い、有事は起こしてはいけないのだから。有事は無能な政治家が扇動によって引き起こす・・・殺し合いを好む人間はキチガイだから・・・差別的な用語を使った理由は、個人の闘争における殺人は、止む事を得ずして行われることがあるが、集団による闘争に於いては、全員一致の止む事を得ずして行われることはないと信じるから・・・国家間の場合は特に・・・よって、戦争=殺人を教唆する政治家はキチガイと言ってよいと思われる。狂気を生み出す政治家を野放しにしてはいけない・・・戦争を賛美する政治家も・・・戦争の可能性を示唆する政治家も危険だと私は思う!回避するのが真の政治家と信じるから。キーワードは、「話せばわかる。」「問答無用!」簡単な話です。どちらの意味でも・・・話してしまえば殺せなくなる・・・殺すには話してはいけない・・・これは公理だと思います。歴史から学べることは多いのです。日本人はどうやら、歴史の中にロマンを求めます・・・多分、だから、あまり歴史から学べないのかもしれません。私は由緒正しい日本人ですが、どうやら異端のようです。日々思いますが・・・苦労して生きてるんです。インターネットの匿名性に感謝・・・・まあ、誰も読まなければOKですがね。興味深いものです・・・

 さて、急いで鹿沼の茂呂まで繋がないと・・・でも、あわてることはないね。せっかく国衙と分かっている場所に出くわしたんだから・・・それから室の八嶋についても・・・清宮君なら茂呂の八嶋と読み変えそうな・・・

 右の写真が耕地整理が行われる前の国庁跡周辺の様子です(1947年)・・・宮野辺神社とその南にあるわけですが、10世紀まで機能していたと言われる国庁跡・・・道路の系統性がない・・・立派な道路が作られていたのでしょうから、その跡が少しは確認できるかと思っても、ちょっと見当たりませんね。まあ、南側にそれらしき道と思われるものがありますから、多分国庁跡なのでしょう。あまり納得できませんが、木簡とか出土しているようで、それから国庁と判断したのならね。1/25000の地図には古国府とありますね。これも気になります・・・10世紀まで機能していた・・・・それ以降は別の場所に国府が移動したことを意味しますから・・・国府って多くは鎌倉時代まで機能していたのかね?室町時代になると消滅・・・消滅原因は?何に替わったのか・・・まあ、それはそのうち考えましょう・・・国庁跡であったことは間違いないようなので・・・じゃあ、ここから移転した後は・・・

 候補地は3か所・・・1つは大宮神社ですかね。左の写真でBに当たる方形区画、そして・・・これがわからないAなんです。現在、この区画は工場なんですが・・・都賀町平川じゃないのか大宮町にまたがる?この場所が戦前に工場用地として造成された場所なのか?気になる所です。何しろ国庁跡と呼ばれている場所が、90mほどの方形区画なんでちょっと小さいような?Aは何なのやら?ちょっと拡大すると・・・

 右の様な区画なんです。工場用地としては非常に大きく400mの区画ですね。ただ、工場用地にしては道路の系統性が良くなさそう・・・現在は南側の区画がGKN ドライブラインの本社工場、北の部分が平川住宅となっていますね。GKN ドライブラインの前身は栃木富士産業・・・ということは、右の写真の工場は旧中島飛行機栃木工場ということになるんですかね?でも・・・現在の区画割りと微妙に違う・・・これは何故?まさか国府跡かね?でも400mを越える方形区画はでかすぎるね・・・そして、もう1か所がCの大神神社、国府西って地名の東にあって、室の八嶋がある総社なんでね・・・別の言意味でも気になる存在ですが、ちょっと分かりません。写真のDが古国府の国庁跡です。

 あと気になるのは、錦着山公園ですね。なかなか良い場所で、私が古代の官人なら、烽火台を設置する場所として推奨してしまいますが・・・妄想妄想・・・ただ、このあたりに北からの守りのための良い後方基地があっても良さそうだと思うのでね。気になるCの大宮神社に室の八嶋があるんですが・・・これはどうやら総社の様なものらしいので、どこかに本家があるに違いないと考えるわけです。室の八嶋・・・室八嶋大明神として知られていて、後に大神神社になったとのこと・・・さあ、本家は?と気になるわけです。

 室の八嶋・・・奥の細道で曽良が・・・・室の八嶋に詣す。同行曾良が曰はく、「此の神は、木の花さくや姫の神と申して、富士一体なり。無戸室に入りて焼け給ふちかひのみ中に、火々出見のみこと生まれ給ひしより、室の八嶋と申す。又、煙を読み習はし侍るもこのい謂はれなり。」将、このしろといふ魚を禁ず。縁起の旨、世に伝ふ事も侍りし・・・ってな話になるわけです。この話の前提になるのが、邇邇芸命と結ばれた木花咲耶姫は一夜で身篭るのですが、邇邇芸命は国津神の子ではないかと疑うわけです。これを晴らすための誓約をして産屋に入り、天津神である邇邇芸命の子なら何があっても無事に産めるのだと、産屋に火を放ってその中で3人の御子を生むわけです。

 なんとなく、万葉集の・・・近代デジタルライブラリー - 万葉集東歌の研究 55コマにある 之母都家野 美可母乃夜麻能 許奈良能須 麻具波思兒呂波 多賀家可母多牟 が気になるわけです。 しもつけの みかものやまの こならのす まぐはしころは たがけかもたむ 下野の三鴨の山の小楢のような恋したかわいい子は誰の家に入ったのだろう。かね・・・もっと露骨かな?小楢す・・・小楢の様な、コナラの実は2つぐらいくっついて実るから・・・くっつきあって、いちゃいちゃして寝たかわいい子は誰の笥(け=食事などの入れ物)入れ物になってるか・・・この歌を詠んだのは・・・木花知流姫の旦那にして大国主の祖先である八嶋士奴美かね?・・・茂呂神社の祭神は大国主神(荒魂)・大物主神(和魂)だから・・・で、船橋の茂侶神社は木花咲耶姫命を祀る・・・この、大神神社も茂呂チェーン社ではないかという気になってきたし・・・古代のスキャンダルをも担っているのでは?元地は多分、富士もある岩舟町=茂呂では・・・妄想は限りなく・・・・ここらで切らねば、それでは次回・・・
2013.10.08

関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - 万葉集東歌の研究

参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
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 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 千葉県 534コマ
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 茨城県 592コマ
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国立国会図書館デジタル化資料 - 和名類聚抄 20巻 
大日本海志編纂資料 資料分類
近代デジタルライブラリー - 大日本神名辞書
茨城県遺跡リポジトリ
近代デジタルライブラリー - 仮名日本書紀. 上巻 204コマ 景行天皇
国際日本文化研究センター 怪異・妖怪伝承データベース
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近いうちにやりたいもの
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古文書(冊子・一紙・巻子・絵図) 日本銀行貨幣博物館 これって面白そう・・・特に、社会関係史料が・・・
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