香取神宮をうろうろ(62)
 茂呂の探索 (2)

 茂呂神社・・・国土開発神社ですかね?海岸線の移動を考えると、ずいぶんと古い時代に置かれたような?古い時代の交易品と言えば・・・黒曜石などの石器を作るための材料となる岩石ですね。栃木県では高原山あたりに黒曜石や珪質頁岩の産地ですね・・・普通は矢板が産地として紹介されますね・・・これにかかわっていたら、旧石器時代の商社ってことに・・・茂呂ブランドの石器など・・・と妄想を始めてしまいます。でも・・・東山道は石器時代に遡る道なのでは?なんって・・・なんとなく、黒曜石の産地をつないでいるような気もしないでもない・・・佐野町の石器をチェックすると、茂呂山のあたりの出土があるし・・・私は石も好きで・・・残念ながら石器はないですね。宝石は好きで・・・ダイヤモンドなどは好みですね。ダイヤモンドやすりとか・・・切削工具の王様ですね。よく切れます・・・ああ、ダイヤモンドやすりって石器の親戚か・・・石か・・・そういえば、トランジスタも石ですね。それから、時計などの精密機械用の軸受けも石・・・私もダイヤモンドのでかいのを持ていて・・・カットは最悪、内包物は沢山あって・・・でも1.5カラットはあります。本物の天然ダイヤモンド・・・価値としては多分一万円位・・・カットの良いキュービックジルコニアに輝きに負けますが、ダイヤモンドなので硬いです。そして、舌先で触れると冷たく感じます。熱伝導率の高さを感じられるサイズなので・・・そのうち、このダイヤを生かせるデザインの彫金作品を作りたいものです。金のペンダントとか良いかも・・・中世風な無骨なデザインの・・・それでなければ、サルヴァドール・ダリのような・・・私のデザインセンスでは厳しいが・・・

 さて・・・ちょっと古代の道を知るために、延喜式の駅をチェックしてみました。

下野国 足利・三鴨・田部・衣川・新田・磐上・黒川 各10疋 伝馬 安蘇・都賀・芳賀・塩屋・那須郡 各5疋

常陸国 榛谷5疋・安俣2疋、曾禰・5疋 河内・田後・山田・雄薩 各2疋 伝馬 河内郡 5疋

下総国 井上10疋・浮嶋・河曲 各5疋 茜津・於賦 各10疋 伝馬 葛餝(飾)郡10疋・千葉・相馬郡 各5疋

上総国 大前・藤瀦・嶋穴・天羽 各5疋 伝馬 海上・防?(陀)・周淮・天羽郡 各5疋

安房国 白浜・川上 各5疋

 まあ、こんなものですかね・・・異字体があったり、俗字があったり・・・延喜式は延長5年;927年に完成らしいので・・・更級日記が1020年だから、更級日記の時代には、東山道で下野から常陸・下総・上総の順で来る道はあまり流行らなくなって・・・とにかく、東山道を考えてみることにしましょう・・・

 下野の東山道の宿駅は足利・三鴨・田部・衣川・新田・磐上・黒川でしょう。そして、伝馬・・・伝馬って何?基本は・・・郡家ごとに5匹ずつ置かれた伝馬を乗り継ぐ・・・葛餝(飾)郡10疋って、あるから・・・でも、千葉・相馬郡 各5疋は定数だが・・・なぜ記載がある?・・・他の郡は実は2疋とか・・・違う・・・805年に廃止の下総国印旛郡鳥取駅。埴生郡山方駅。香取郡眞敷。荒海等駅、以不要也・・・民営化が終了・・・幹線は維持・・・

 そうか・・・郡衙も馬を持ってるんですね。規定と違う場合にはここに載せられているのか?どんなルールで掲載されている?郡衙の有する伝馬と、ここで掲げられている伝馬の違いは?・・・私にはその知識がありませんね。ざっと、調べても・・・これについて明確な答えは見つからない・・・さあ、妄想だ!どうも、私の頭の中では、正倉+津という組み合わせのイメージが強く、郡衙が駅路から離れたところにあるような・・・そんなイメージがあるんです。たとえば、相馬の郡衙+正倉+津は多分、官道だった国道356号線からちょっと入ったところにあります。多分、道は台地の中央を通ることになっていて、郡衙は津の機能が優先され、駅の置かれた道から枝になっていたから・・・駅は基本的に中継地点・・・ただ、郡衙が中継地点になる場合は郡衙の常備の馬の他に、伝馬が置かれることになるのかね?葛飾は武蔵または下野と上総を結ぶことになるので、10疋かね?違うな・・・養老令では、駅馬は駅で乗り換える事になってるから、10疋の馬を運用する駅は10疋の駅に接続しなければならないはず・・・5疋や2疋は最小ユニットに近いから・・・常用4+予備1、常用1+予備1・・・という意図で置かれたら・・・井上では2つの街道の分岐にあたるから駅馬の数が多いとか?

 律令制というのは・・・合理的でなければならないと思うわけです。理由は簡単で、大勢が関わるプロジェクトの場合は、理性的に納得できるものでなければならないからです。感情で構築されたシステムは、利害の対立で直ぐに崩壊しますから・・・基本ルールはこうなります。この基本を守って構築するとこうなります。ただ、ここでは例外規定として、これを設けます。納得できますね。それでは、先に進めます・・・という討論でしか、しっかりとしたシステムは構築できないからです。例外規定ばかり、様々な思惑で左右されたらシステム構築はできませんからね。

 そして、律令体制というのは、基本ルールだけで運用される効率の良いシステムであったはずです。根拠は・・・「急急如律令」おまじないの文言ですが・・・昔の役人は素早い対応が必要だったのでしょう。感情によって構築されたシステムは、不合理で、その適用は恣意的ですから、強い指導者がいればそれなりの効率を発揮しますが、感情には委任の概念がありませんから、弱い指導者の下では効率は悪くなり、寝起きの悪い指導者だと最悪・・・感情を無視した規則だけで動くシステムは、指導者なしに強い運用が可能・・・我が国は、基本的に合理化反対をスローガンに掲げることができる不思議な国ですから・・・律令の導入で国内はもの凄い効率で動きはじめたのではないかと思われます。そして、感情を優先する人間は、官営のシステムを利用することが苦手なんで、官営のシステムをベースにある程度自由のきく、私設のシステムを構築します。同じ役割をこなす複数の私設システムが運用されるようになると・・・官営のシステムは不要になるので、監督官庁として君臨して民間に任せてしまうことになるようです。

 さて、馬の数からシステムを考えてみますかね・・・メインの街道はA-B-Cとあったら、両端のA・Cは行き先が1つしかないから5疋、Bは行き先が2つあるから10匹・・・違う・・・駅馬による逓送は半二重通信網だから・・・1通信は往復を意味しますからね。駅で馬を必ず替えるのは、往復で通信終了なのだからでは?・・・それから、律令のシステムは上意下達が基本だから、主幹となる街道では10疋・・・常用8予備2とすると、1日8便が下りとして想定。上りは緊急以外は朝の1便で・・・下り8上り2の配当の方が良いか・・・とか・・・緊急時も考えると、主幹は10・主要は5・末端は2でいいか!ってなるのでしょう。分岐のある所はそれなりに考えればよいという例外を入れればOKかね?すると・・・半二重通信システムで運用されているのなら、郡衙も駅から16km以内となるのかね?

 ルールとしてはシンプルな方が説得力がありますから・・・


 下野の・・・安蘇郡・都賀郡・芳賀郡・塩谷郡・那須郡・・・と西から並んでいた・・・東山道からの枝ですかね。

 冗談でちょっとビジュアル化して検討してみますかね・・・私の知っている場所を中心に考えてみると・・・右のようになりますね。写真中央の手賀沼の北の相馬郡郡衙跡から16kmの黄色の円を作ってコピーした円を並べてみました。黄色の丸は、中央右は神崎の香取郡で、下が市原の上総国衙、その上が下総国衙=葛飾郡衙です。赤の丸は想定される駅から16km・・・

 冗談で結ぶと、なんとなく良い感じ・・・というより、駅は郡衙を結ぶ中継地点だから、郡衙の位置とそれに至る合理的な経路を推測してやらないといけないか・・・ならば、郡をチェックしなければならない・・・しかし、香取郡の様に、郡衙が移転していると思われるものはどうするか・・・延喜式を基準に考えるか・・・

 郡の一覧と、郡衙の位置も必要か・・・そして、基本は東山道からのルートで、武蔵は東海道への編入後だな・・・

 とりあえず、東山道から上総国府までのルートが主幹とすればよい・・・安房までは主幹と考えなくて良さそう・・・根拠は薄弱で・・・養老2年;718年上総国から阿波国造と長狭国造の領域だった平群郡、安房郡、朝夷郡、長狭郡の4郡を分けて安房国とした・・・小郡の乱立ですから・・・天平13年;742年には上総国に吸収、天平宝字元年;757年再び安房国・・・国司を置く必要が希薄だったようですから・・・

下総国 井上10疋・浮嶋・河曲 各5疋 茜津・於賦 各10疋 伝馬 葛餝(飾)郡10疋・千葉・相馬郡 各5疋

 頭の中がゴチャゴチャ・・・駅路と伝路・・・駅路は国衙間を結ぶもの伝路は郡衙間を結ぶものかね?であるなら、井上10疋・浮嶋・河曲 各5疋 茜津・於賦 各10疋・・・ここまでは下野から下総・上総への主幹の駅、この間に郡は猿島郡から始まって、葛飾郡・・・・だから、猿島郡郡衙は境町かね?ここから16kmで、野田市の船形を井上に、ここから16kmの流山の茂呂神社付近を浮島、そして最後の16kmで国府台=下総国衙=葛飾郡衙・・・野田の船形を井上とした理由は・・・ここから我孫子方面に道が分かれるから。それから、大きな谷津になっていますから、水上交通の要衝であろうと・・・浮島が流山の茂呂神社としたのは・・・気分的にそうであって欲しいと思うから・・・茂呂神社が入江に浮かぶ島のように思えるのと、流山・・・山が流れてきた・・・一般には赤城山だけど・・・茂呂神社の入江が使えなくなって、御諸山=茂呂神社が流れてきた・・・清宮君風のこじつけだが・・・可能性としては悪くないと思うが・・・妄想妄想・・・とにかくこのあたりですね。

 そして、下総国府から上総国府の間に、河曲を花見川の曲がってる所の・・・県道69号線・・・広尾十字路あたりかな・・・駅が余ったから、安房国まで伸ばして、郡衙を間に入れて、足りない分を茜津・於賦でうめるか・・・於賦は我孫子あたりに置かれることがあるけど、相馬郡衙から流山茂呂神社まで16kmなので、於賦は我孫子ではない・・・茜津は多分、上総国衙と安房国衙の間にある交通の要衝・・・於賦はどこだろう?雰囲気は・・・上総の内陸の交通の要衝になる場所・・・

 妄想ですが・・・根拠は、役人は書類上で決める場合が多く、意思決定をする人間は、現場からの情報を総合的に判断して合理的=見てない人を納得させる事ができれば、計画は進められるから・・・私も、同じ事をしただけです・・・根拠にならんか・・・しかし、基本は郡衙だから・・・先に郡衙を拾って置かないといけないことになるのか・・・じゃ、やり直し・・・

下野国 国府 下都賀郡
郡 足利(アシカカ)、梁田(ヤナタ)、寒川(サムカハ)、河内(カフチ)、芳賀(ハカ)、安蘇(アソ)、都賀(ツカ)、塩屋(ノヤ)、那須(ノス)
駅 足利・三鴨・田部・衣川・新田・磐上・黒川 各10疋 伝馬 安蘇・都賀・芳賀・塩屋・那須郡 各5疋

常陸国 国府 新治郡
郡 新治、真壁、筑波、河内、信太、茨城、行方、鹿嶋、那珂、久慈、多珂
駅 榛谷5疋・安俣2疋、曾禰・5疋 河内・田後・山田・雄薩 各2疋 伝馬 河内郡 5疋

下総国 国府 葛餝郡
郡 葛餝、千葉、印旛、匝瑳、海上、香取、埴生、相馬、猿島、結城、豊田
 井上10疋・浮嶋・河曲 各5疋 茜津・於賦 各10疋 伝馬 葛餝(飾)郡10疋・千葉・相馬郡 各5疋


上総国 国府 市原郡
郡 市原、海上、畔蒜(アヒル)、望陀(マウタ)、周淮(スサ)、天羽、夷隅、埴生、長柄、山辺、武射
駅 大前・藤瀦・嶋穴・天羽 各5疋 伝馬 海上・防?(陀)・周淮・天羽郡 各5疋


安房国 国府 平群郡
郡 平群、安房、朝夷、長狭
駅 白浜・川上 各5疋

 まあ、こんなものだね・・・気になるのは、足利郡衙があって、足利駅があるというのは?やはり、中継点にあたる郡衙の場合には駅または伝馬を持つが、終末点にあたる郡衙の場合は駅は持たないのか?

下野国 国府 都賀郡
郡 足利(アシカカ)、梁田(ヤナタ)、寒川(サムカハ)、河内(カフチ)、芳賀(ハカ)、安蘇(アソ)、都賀(ツカ)、塩屋(ノヤ)、那須(ノス)
駅 足利・三鴨・田部・衣川・新田・磐上・黒川 各10疋 伝馬 安蘇都賀芳賀・塩屋・那須郡 各5疋

 ならば、足利・芳賀・都賀・那須は中継点である郡衙、残りは終末点を考えられる?下野の地理に疎いので、どこがどこか分からないで推定しています。先入観にとらわれずに済むから・・・

 とりあえず、主幹となるのは足利・三鴨・田部・衣川・新田・磐上・黒川と仮に定めることにします。芳賀・安蘇・都賀・那須は終末点ではなく、どこかの郡衙の中継点で、残りの郡衙の梁田、寒川、河内、塩屋がぶら下がる。さあ、条件の洗い出しは終了・・・先ずは、前回調べた東山道の駅・・・坂本-野後-上野国府-群馬-佐位-新田-足利-三鴨-下野国府=都賀-田郡-衣川-新田-磐上-黒川・・・となるから、足利から黒川が一致・・・下野国府が問題?近代デジタルライブラリー - 駅路通. 上巻 33コマ ふむ・・・どうやら国府と郡衙と駅がひとかたまりの様ですね。国府は都賀とまとめちまいましょう。そうなると、都賀郡衙+駅とは別に国衙がある・・・国庁跡は国衙で、街道がある国府村は国府入口で郡衙の所在地と考えればよいことにしましょう。あとは枝だから、地理的な条件がわからないと手が出せないので、地図に当たりましょう。さて、地図を当たるにしても・・・・面倒だな・・・

 地図を見ながら、再び考え込んでしまいました・・・更級日記の冒頭の部分・・・東山道でやってくるのは理解、佐野か栃木辺りから小山市南部、古河の脇の塩屋郡を抜けて猿島郡・・・と下総を抜けて上総へ行くのは良いとして・・・一応、郡衙・宿駅を通り抜けて行けますが・・・これって、メインの街道ではなさそうな?だって、常陸を通っていないので・・・栃木から常陸の石岡への道は・・・とにかく、鬼怒川の東岸に入らないといけない・・・そうなると、下館・下妻・水海道・我孫子のルートになる・・・私の好きな国道294号線のルートだが・・・なぜ、常陸なんだ?真壁郡か?・・・国道50号線で小山経由、下館から国道294号線を南下しかない・・・そうすると、守谷を抜けて布施弁天へ渡ってじゃない・・・そのまま国道294号線で、現在の古利根の小堀を渡って・・・相馬郡衙経由、国道356線で布佐、千葉県道4号線で南下、国道16号線に合流して南下、296号線の交差のあたりが、河曲がりでは?新川はもっと上流で終わっていて・・・ここで揚水して花見川に流している・・・その先を16号から直進して離れ、四街道へ・・・そうしたら市原の上総国府・・・距離を出すと、千葉県道4号線と国道16号線の合流が河曲しないといけない・・・千葉中央区あたりまでが、ここから16kmぐらいだからOKか?色々と可能性が出てきますが、更級日記の冒頭を満足させるストーリーはこれになってしまう・・・確かにこのコースなら、ほぼ予定通りにたどりつくはず・・・問題は、神崎への道はどうなるのか?・・・印旛郡の郡衙を公津にしちゃう・・・基本的に印旛沼の渡しを支配させれば、河曲から直線で、新たな駅を置かずに済む・・・あれ・・・東山道が飛んだ・・・

 推測はできるのでが、国境を越えての繋がりのルールがわからない・・・公用で通過する場合には、必ず国衙に挨拶することとか・・・分からんことは放っておいて・・・和名抄を・・・近代デジタルライブラリー - 和名抄諸国郡郷考 15巻. 巻之八 東山道下 10コマ 足利あたりからの解説に目を通しておきましょう・・・といっても・・・この本はあまり情報量が多くない・・・

 国司例幣路てのも考えなきゃいけないのかね?・・・よし、決めた・・・心の赴くままに、系統研究を行うには情報が少なすぎるから、とにかく、思いのままに資料を集めて考える下準備をしましょう。更級日記の冒頭に関してはなんとなく理解しましたから・・・東海道の話は後回しにすればよいし・・・今考えているものよりはるかに後代の話ですからね。関東が水浸しで、交通路が限られていた時代を推測するわけですから・・・

 ちょっと気合を入れて近代デジタルライブラリー - 下野国誌. 巻之1 28コマ 都賀郡の図があって・・・佐野は見当たらず茂呂が大きな顔をしていました。何と・・・ちゃんと交通の要衝のような顔をしています。

 この本はいつの本か? 河野守弘 寛政5年;1793年−文久3年;1863年・幕末の国学者ですね。嘉永元年;1848年の本のようです。

 佐野はまだ成立していませんね・・・なんと、安蘇郡佐野町・植野村・界村・犬伏町・堀米町・旗川村が1943年に合併・・・じゃあ、この茂呂は佐野市の茂呂ではないのか・・・いやどうやら、佐野庄は北の方で、茂呂は・・・江戸時代には安蘇郡は・・・足尾のあたりまでの山の中が領域だったようです・・・アソは足尾に変わったとか・・・さっき読んだばかりでした・・・でも、このあたりと足尾が結びつくのが解せない・・・桐生か日光から足尾へは行きますから。あ!思い出しました。栃木県道15号線で鹿沼と繋がっていたんでした・・・そういえば、5年ほど前、このあたりを走り回っていました・・・日光など、適当に走り回っていましたから・・・風景を見ると思いだしますね・・・氏家君はどうしてるかな?さて、こりゃ茂呂の探索はまだ続くな・・・ここらで切って、次回だな・・・
2013.10.04

関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - 日本石器時代人民遺物発見地名表 
近代デジタルライブラリー - 検索結果 下野国誌 こりゃずいぶんあるぞ・・・
 
 
参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
近代デジタルライブラリー - 検索結果 明治神社誌料
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 千葉県 534コマ
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 茨城県 592コマ
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本地理志料 
国立国会図書館デジタル化資料 - 和名類聚抄 20巻 
大日本海志編纂資料 資料分類
近代デジタルライブラリー - 大日本神名辞書
茨城県遺跡リポジトリ
近代デジタルライブラリー - 仮名日本書紀. 上巻 204コマ 景行天皇
国際日本文化研究センター 怪異・妖怪伝承データベース

近いうちにやりたいもの
香取志 
古文書(冊子・一紙・巻子・絵図) 日本銀行貨幣博物館 これって面白そう・・・特に、社会関係史料が・・・
近代デジタルライブラリー - 検索結果 徳川時代商業叢書
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本財政経済史料



  










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