香取神宮をうろうろ(52)
 香取新誌 (12)

 妄想のネタが尽きてきたような気がしますね。この本も終わってしまう。清宮君もなかなか強引なんで面白いが、疲れますね。相変わらずお金いじりをしながらですが、さすがにいじるお金が尽きてきた感じです。・・・というより、お金をいじっているより、船を調べている方が面白かったというわけです。肆佰料戰座船之創復模型及其性能分析 この中に左の図がありました。上から2番目の船です。どうやら17世紀のもののようです。なんだか、大型の和船のような・・・大日本海志編纂資料 資料分類 ずいぶんと史料があるぞ・・・こりゃざっと目を通すのだってかなり時間がかかる・・・

 この編纂資料の図面類をざっと眺めましたが・・・どれも同じに見えてきますね。和船の基本デザインは同じなのかね?・・・まあ、船の構造は基本的に目で盗めるし、高性能の船は運用を眺めていればその優位性についても知ることができてしまいます。あとは、それをどこまでコピーする技術を持っているか?という事になるのでしょう。つまりは、技術の裾野の広がりの問題ですね。

 和船の技術の裾野はどんなものなのか?船の艤装品の一覧などもありますから、そういったあたりから探ることも可能でしょう。デザイン以外は・・・基本的には、船釘に関する技術、水漏れを止めるために技術になって行くのでしょうが・・・多分、お!あんな形、どうやって止水をする?なるほど、そういう工夫か!・・・よし、コピーだ・・・

 ふと、平賀君を思い出しました・・・本の世界だと知り合いが大勢いますから・・・譲君・・・夕張・古鷹の建造で様々な工夫を・・・装甲板を構造材に・・・明治11年生まれ・・・日本は明治になって数十年でヨーロッパに肩を並べる造船国になるんですから・・・・月下の世界の住人としては・・・やがて、清宮君や様々な人と出会う事になるのでしょう・・・行けば、この若造め!ってね・・・Savinien de Cyrano de Bergeracなんかにも会ってみたい・・・とは言うものの、あちらに行くつもりは当分ないですが・・・

 とにかく、ネット上には興味深いものが一杯あって・・・この数年ですかね?これでは研究者は・・・参考文献に目を通すだけで歳とってしまう事になりそうな・・・私は、残りの一生をかけても読み切れない本がネット上にある事がわかってしまいましたから・・・どうするかね?好きな本を読んで一生を・・・ってなるのかね?なんって・・・

 遊び遊び、色々とチェックしていると・・・中華民国の1円貨に鳥船がデザインされているらしい・・・そう、ずっと以前見た気がしました。孫文の1円銀貨・・・実物は買おうと思った時がありましたが、入手せずに終わったものですね。ネット上に写真は沢山ありますから、良さそうなものを修正してみました。

 左の写真の船がどうやら鳥船のようです。中国のサイトをずいぶんとうろつきましたが、あまり良い絵が無いような感じです。技術系の手引書は中国本土より日本にずいぶんと残っているような感じですから・・・天工開物とか・・・天工開物 一応、東洋文庫のやつを持ているのでネット上の物を利用しなくて良いのですが・・・時々眺めるのも良いかな?

 中国の古代の舟ってどんなものだったのやら?宋代にはかなり船を出していたようですがそれ以前は?中国語の文献を気合で探すか・・・なんとなく糸口は見いだせてきていますが・・・中国語の読み取りがね。基本的に漢文の知識で読んでいるので、どこまで正確に読みとっているのか不明なのが情けない・・・読書百遍でなんとかなるか?・・・結局はお金が出てきて・・・前振りが長くなりすぎました・・・さて、続きを・・・
 近代デジタルライブラリー - 香取新誌 32コマ このあたりを読んでるのでした・・・大戸社と神崎社・・・からです。


大戸の社は大戸川の東方にある。神崎社は西方にあって、ちょうど常陸の那珂川の左右に、大洗磯崎と酒列磯崎とがあるのと同じである。


 どうしても、大戸社と神崎社をペアで考えたいようです。ただ、大戸川って、現在の地図では大須賀川・・・大戸神社の近くを流れ、池に流れ込む川かね・・・どういった意味で2つの磯前神社を挙げているとか?近代デジタルライブラリー - 国史大系. 第3巻 日本文徳天皇実録巻8 277コマ 大洗磯前に神様が降りた話があります。これが発端・・・

常陸国上言。鹿嶋郡大洗磯前有神新降。初郡民有煮海為塩者。夜半望海。光耀属天。明日有両怪石。見在水次。高各尺許。体於神造。非人間石。塩翁私異之去。後一日。亦有廿餘小石。在向石左右。似若侍坐。彩色非常。或形像沙門。唯無耳目。時神憑人云。我是大奈母知少比古奈命也。昔造此国訖。去徃東海。今為済民。更亦来帰。

 常陸国から言ってきた。鹿島郡大洗磯前に神様が降りてきた。塩焼きの翁が夜半に海を眺めていると、海は天のように輝いた。明くる日に水の中に2つの不思議な石があった。高さは各々1尺ほどであった。神が作った物のようで、人間の手で作られたものではない石だった。塩焼きの翁は自分のものでないのでそのままにしておいた。また、1日経つと、また20余りの小石が石に向かって左右に、あたかも侍座するように並んでいた。色彩は普通の物ではなく、あるものは沙門のような形をしていた。ただ、目と耳はついていなかった。このとき、神が人に憑いて、私はオオナモチ大奈母知・スクナヒコナ少比古奈の命である。昔この国を造り終えて、東の海に去ったが、いま民衆の救済のために、また戻って来たと言わせた。

 神様といっても、塩焼きが夜、海に光を見て、2つの石があって、その石は人が加工したとは思えないものだったようです。遠目には普通の石なんでしょうね。しかし、人では加工できないような状態になっている?表面が磨きあげられているとかですかね?隕鉄なども候補かな?普通じゃないか・・・重いし特別価値があるとは思えないから放置、翌日になると普通の石ではない色をした小石がまわりに20個余りあって、坊さんのような姿ののがあったが、目や耳が無い・・・さあ、この20個余りの石はどうなった?もちろん拾われたんでしょう・・・そして、話が大きくなり、普通の石だけど普通じゃない1尺ほどの石は・・・神社行きですかね?多分、酒列磯前の方が先に、これ貰って行くよ!って話でしょうね。そうなれば、もうひとつは大洗磯前へ収めざるを得ない・・・で同時に神社の設置となったのでしょう。何か分からぬが、それなりに立派なものは、神の仕業かね?

 不思議な石の話と薬師如来でそこそこ賑わって・・・薬師如来はどうしたんだ?ちょっと気になりますね・・・後にはどちらも跡を留める程度の所まで落ち込んで、酒列磯前神社は元禄15年場所を換えて造営、大洗磯前神社は元禄3年の造営で立派になる・・・大戸・神崎神社の関係を磯前と同じにするためには、祭神をそろえる必要があるから、先に祭神が同じであると決めたという事か・・・でも・・・和魂・荒魂の構成ではないから・・・ちょっと強引すぎるのではないかと思いますがね。しかしどんな石が上がったのやら?斉衡3年;856年ですから・・・久慈の琥珀を輸送中の船が沈んで琥珀が流れ着いたか?琥珀は・・・縄文から古墳時代あたりにはかなり流通して、出土品がありますね。平安時代は香として利用かな・・・そこから、空白なのか良くわからない時代があって、室町時代に採掘が盛んになっているみたいです。あとは、瑪瑙ですかね・・・水晶も出ますね・・・でも、これらの物でないでしょう・・・瑪瑙は火打ち石に使われたりしていましたから・・・おっと、また戻ってる・・・先へ進めねば・・・


大戸川村に、御休と云う川岸がある。大戸社の旅所で浜おりの地であると云う。
大戸川村は、大戸の川村、川尻村も大戸の川尻村であるに違いない。森戸、岩ヶア等の村々は、大戸の分郷したものであろう。大戸は元磯田の郷であって、その内の岩ヶ崎は磯田の名残であると云う。石をいわともいそとも訓ずるのは、石の上イソノカミの類と思うように。且つ口碑にも残っている。牧野村うれいと云う地に大戸社の一の鳥居があったと云う。これも又、磯田の郷の内であるに違いない。



 大戸川村か・・・情報が少ない・・・大戸川、ふと天保水滸伝に出てきたような?あれ、違う・・・五郎蔵がまだ現役の頃の話だから・・・もうちょっと前、以前読んだのは・・・大戸川の御用聞の五蔵だな?御上の仕事をしてるのに、自宅で開帳寺口を取ってる・・・銚子の五郎蔵が・・・ってやつですね。大戸川、貸元がいますから・・・江戸時代には結構栄えてたんですね!・・・これは天保水滸伝より前の話で・・・ああ、これこれ、近代デジタルライブラリー - 勢力富五郎 長編講談 こんなのだ・・・近代デジタルライブラリー - 勢力富五郎 長編講談 51コマ 第7席での話の中で銚子の五郎蔵が大戸川の五郎を懲らす話になるんです・・・面白いね!って、また、だらだら読み始めてしまいました。講談の速記本は面白いのです。

 まあ、歴史書じゃないので・・・でも、江戸に近いし・・・天保水滸伝の背景になる時代は、これが流行った時代の明治時代に近いから・・・そんなに荒唐無稽な話になっていないのでは?

 さて、真面目に大戸村をチェックしましょう・・・明治22年に東大戸村に大戸村・大戸川村・山之辺村・森戸村・片野村・上小川村・関村・新寺村・玉造村が合併して成りますから。これが、ここで話題にしている磯田郷のおよその範囲なのでしょうかね?牧野はちょっと遠くないかね?磯田郷は印旛郡久住村磯部区があるから、これじゃないかという説もあるようですね。ここは、昔は香取郡だったから・・・とか、滑川・神崎・小御門・七沢あたりとか・・・磯田郷はよくわからない場所のようです。

 忘れてた・・・前提になっているのは、和名抄に掲げられている香取郡6郷の話ですね。大槻郷・香取郷・小川郷・健田郷・磯田郷・譯草郷の6つですね。譯草郷は清宮君は駅家郷の誤りではないかと騒いでいるわけですね。大槻郷は佐原町字岩崎から東大戸村・玉造・森戸・大戸川のあたり、香取郷は大槻郷+香取神宮のまわりを含む呼称か、佐原町の東側から旧海上郡の境までかね。小川郷は東大戸村に小川地区があるから、このあたりと関、大須賀村の東大戸川村に接するあたり、健田郷は米沢村の武田を中心に小御門や大須賀の接する地域。そして・・・・問題の2つの郷・・・譯草は多田つまり油田牧のあたりでしょう。だから、清宮君は油田牧のあたりに駅を置きたかったと・・・磯田郷は・・・やはり、神崎の後背地に相当する場所で良いのでは・・・神崎は荒海に突き出た荒崎で、多分、砂洲で繋がった陸繋島だったのでしょう。ちょうど、モン・サン=ミシェルのような場所・・・時には陸地から切り離される場所・・・郡衙が置かれた場所が磯田郷で郡衙の置かれた場所の陸の駅が眞敷で良いのでは・・・しかし、論拠を何か引っ張り出さないと・・・磯・浦・浜・・・あ?もしかしたら・・・鬼怒川+小貝川の流れ込み潮汐のある場所で潮津波などが起こる場所としての荒海をを考えました。そんな海が神崎から西に広がっていると・・・神崎の西側の津は、神崎神社の下の八坂神社のあたりだけが大きな船の係留場所で、それより南が係留地に向かない磯、神崎の東側が穏やかな浦・浜であるとしたら・・・滑川方面の常総の中海に接するあたりを磯と言っても良さそうな気がしますね。もし、潮津波が起こるような場所であれば・・・船を繋留しづらい・・・妄想全開だね・・・小松の台地に馬の常備された駅があった事にすれば良い・・・結局ここに行きつくのか・・・どうやら、香取文書の中で、神崎界隈の事が、香取郡内であっても空白になっているのではないかと・・・香取神郡と言っても、中央政府の枠内、中央政府は神崎と言う交通の要衝を押さえているとか?それとも、押さえた期間が短くて、香取神宮の対抗勢力が中央政府のアウトソーシングとして神崎を押さえたか?これが・・・香取神宮の文書・蔵書を中心に研究した清宮君にとって油田牧を交通の要衝に置きたくなった理由なのかもしれません。

 ふと、ここで郷と言うのの広がりがなんとなく・・・私にとって・・・奇妙な広がりのような気がして・・・行政区画の境界って、山とか川とか、そういった自然地理学的境界ですから・・・川が境界になるのだが、利根川流域では川を中心に地域が広がっているのでね。このあたりって歩くより船で移動するのが普通の世界なのでしょう。頭では分かっているのですが、なんとなく川が大きな地理的境界になると、体にしみ込んでいる・・・車に乗って歩きまわっているので、橋の少ない川は困る・・・しかし、船を乗り回している連中にとっては大河は大通りと言う事になるのでしょう。中小河川、そし屋敷の庭先まで繋がる路地のようなエンマ江間ですね。

 川に接した集落の広がりを示した良い場所はないかな・・・第二次世界大戦直後の航空写真で探すと・・・新利根川が霞ヶ浦に注ぐ所の集落である上須田の航空写真を眺めるとそれらしい感じですかね。今は、集落内を道が通り抜けていますが、この時代では集落の両側までしっかりとした道があって集落内の道はなんとなく繋がり、川に向かって集落が形成されているように見えますね。

 航空写真を眺めていたら香取郡を上手く示しているものを発見。コース番号M44-A-5RT 写真番号103 撮影年月日1946/02/13(昭21)  2月か・・・この時期に水田に水が入ってるのか?地図作成のための航空写真と言う雰囲気ではないですね。高度6096mから撮影・・・白く光っている部分が海で、右下の平地の部分も全部水面だったと考えればよいから・・・太平洋岸の栗山川の流域の大きな入り江と小野川や大須賀川の入り江などがあるわけですね。

 なんとなく、香取海とか常総の中海とか呼ばれるものの千葉県側のイメージが湧いてきましたね。こりゃ、地図でぬり絵でもしないといけないかも?

 古い時代の津の位置は、現在陸上になっている可能性が高いですから、そういったものも勘案しないといけないのでしょう。

 ちょっと、大戸川へ戻らないと・・・大戸駅の近くで大須賀川が分かれて、利根川本流へ注ぐ水路は天保3年に江戸幕府が造ったものか・・・

 江戸時代は水運の時代だと、頭を切り替えないといけない・・・なんとなくわかってはいますが、車で移動しますからイメージが違うんですね・・・・利根川の渡船も一通りチェックするか・・・小堀の渡船には以前乗りましたが・・・水上交通を理解するには・・・軽トラを借りてきて、小さなボートを積んで出かけてみるかな・・・ボートはあるから・・・なんって、遊んでられないか・・・消費税が上がるぞ・・・参ったな。税+保険で4公6民より分が悪くなるか・・・月額で5000円程度収入を伸ばさないといけないと云う事になるのか・・・

 金がかかる・・・何かを手に入れるためには税金がかかる・・・気を取り直して、大戸に関して・・・大戸と関連のある地域は、矢作がちょっと気になります。矢作と大戸神社の関係です。大戸神社の御神宝の羅龍王面が最初は矢作に降りてそれが大戸社に納められることになった経緯ですね。道路の系統からするとほぼ最短で結ばれる道が存在しますから・・・しかし、気になるのは・・・神社って集会所の役割を持っていると思うわけです。律令時代・・・軍団がありますが、こういった所の集合場所として神社などは良さそうな気がします。律令時代の砦は?となると・・・辺境に置かれる柵ぐらいしか思い浮かばない・・・郡衙などはそれなりに武装した人間がいたのでしょうが・・・方八丁とか角方などがそういった・・・一辺900m弱の正方形の区画を探せばよいのかな?・・・これは国府のでしょうから・・・郡衙だとこれより小規模で100mほどですね。よって可能性のある場所は、神崎の大字郡だったら・・・ただ1か所ですね。郡台ってところですかね?下総神崎駅の南に広がる台地の上、郡衙の仕様からするとここぐらいしか置けない。小松が駅の所在地を示す名称なのか、それとも、千葉氏の小松XXが入って小松になったのか?そのあたりを調べないといけないかな・・・大戸にも大戸砦があるようです。神崎には神崎砦・小松要害に小松砦があったようです。神崎砦は、神崎並木だから・・・神崎中学校のあたりの丘陵ですかね?神崎わくわく西の城って所あたりから東に砦が広がっていたか・・・わくわく西の城・・・大赤字じゃん・・・とにかく、軍団とか館跡とかそういったものも、行政区画的なものを知る手がかりになりますから、ちょっと真面目に見て行く必要があるかと考えるわけです。

 あれ?なんだかGoogleEarthの文字が化ける、Java関連の物もなんとなく変?近代デジタルライブラリーが表示されない・・・何?14日の朝4時3分ごろまでまともだったのに・・・ちょっと出かけてついでに、大戸神社へ行ってきました。雰囲気は・・・大生神社が頭の中に浮かびましたが・・・境内に入ると・・・プチ香取神宮だね。楼門はありませんが、拝殿・本殿・神庫・氏子会館(社務所か)とにかく、きちんと役物は揃っていますね。行ってわかったこと、神社の裏に深い谷津が入っている・・・香取海の周辺の神社は、近くに、こういった谷津を持っている所が多いのです。鹿島界隈だと、椿神社、坂戸神社、沼尾神社もそうだし・・・大体、どこも古代の津の在りそうな場所ですね。実は、頭の中のイメージとしては、西側に田畑が開けていると勝手に思っていたのがいけなかったのです。台地の中央部に存在しています。しかし、そこには深い谷津が入り込んでいます。

 こういった地理的な条件の類似から、なんだか、神社が津の管理人の事務所のように見えてくる・・・

 大戸神社をうろついてきましたが、この神社は元禄14年以降、かなり充実してきた感じです・・・鳥居をくぐって右の水盤は元禄14年の銘が入っています。そして、神楽殿の中の神輿は元禄15年・・・多分、元禄14年に、この神社が実質的に香取神宮から独立した事によるものではないかとおもわれます。興味深いのは、社殿と御神木の配置なんです。御神木は何と拝殿前に存在します。そして、本殿裏には夫婦杉があります・・・これって、元禄の造替前の香取神宮の様子と同じじゃないかと・・・そして、現在の社殿は宝永4年;1707年に徳川幕府将軍綱吉によって造替されたものとのこと・・・大戸社は、元禄13年の香取神宮の摂社としての造替を断ったので、香取神宮からの経済的な独立を図ったようですね。このあたりの経緯を示す史料は少しは香取神宮文書の中にあるようです。

 この神社で、目を引いたものは・・・本殿の裏手に、七夕飾りがあって・・・左の写真の短冊ですね。何と、即物的な・・・「お金」とは、NBA・・・北米のバスケットリーグを見に行きたい・・・村パの恋が実りますように・・・「お金」か・・・何にその金を使うかで、・・・金の価値による望みの実現につながりますから・・・お金だけの力による実現が困難な恋の成就が願いとしては重いのかな?ほほえましくもあり、考えさせるものでした。1日が36時間にして欲しいってのも気になったな・・・1日がもっと長くなる事を望んでいるのか、1時間が短くなる事を望んでいるのか?あとは、痩身・美白・美脚願望とフォロワーが増えますようにか・・・Twitterだね。さて、近代デジタルライブラリーも回復したようなので、続きを・・・次回ね!

2013.09.14
関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - 大日本神社誌写真大鑑 写真がいっぱい!昭和10年の刊行です。
近代デジタルライブラリー - 古事類苑. 神祇部26 150コマ 磯前神社 
神社啓蒙 
近代デジタルライブラリー - 科学史考 なかなか興味深い、読み物として悪くないね。ついつい、読んでしまいました。
近代デジタルライブラリー - 検索結果 天保水滸伝 天保水滸伝以外の絵本がぞろぞろ出てきました。こういった物の研究が良いかも! 
近代デジタルライブラリー - 検索結果 清宮秀堅 新撰年表 清宮君の労作ね・・・データベース使だったんですね。

参考になるもの。
東京大学史料編纂所 Historiographical Institute The University of Tokyo
電子資料館 | 国文学研究資料館 
近代デジタルライブラリー - 検索結果 明治神社誌料
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 千葉県 534コマ
 近代デジタルライブラリー - 明治神社誌料 府県郷社. 上 茨城県 592コマ
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本地理志料 
国立国会図書館デジタル化資料 - 和名類聚抄 20巻 
大日本海志編纂資料 資料分類
近代デジタルライブラリー - 大日本神名辞書
茨城県遺跡リポジトリ



近いうちにやりたいもの
香取志 
古文書(冊子・一紙・巻子・絵図) 日本銀行貨幣博物館 これって面白そう・・・特に、社会関係史料が・・・
近代デジタルライブラリー - 検索結果 徳川時代商業叢書
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本財政経済史料



  










inserted by FC2 system