香取神宮をうろうろ(34)
 正遷宮の様子は・・・

 正遷宮の準備が始まるようですね。浜の大鳥居からの参道なども修理の手が入り、リニューアルが完了しようとしています。正遷宮が行われる境内の状況が見えてこないのが問題ですが・・・どうやら、現在見られる社殿のほとんどが形を成し、細かな作業を残すだけになっている感じですが・・・しかし、わずか2カ月程で、壊れかかった建物と建物の跡地に現在まで続く建物に一変するという事になるんですからね・・・さて、正遷宮へどんな具合になるやら?

 しかし・・・過去の事柄を未来から、その時代を生きた人間のように眺めるというのは日記を眺めて体験できる事ですが・・・偶然の産物のように起こる様々の事象も・・・未来から眺めると必然なんでね。偶然というのは結果を知らない者にとっての偶然、結果を知っている者にとっては、すべては必然なんですがね。未知であるものは偶然・・・しかし、偶然それが既知になってくれると、なるほどと言って必然になるか・・・前地の神は全ての因果の糸を読めるので、偶然もまた必然になり、卑小な人間にとっては必然もまた偶然になるのでしょう・・・できれば、偶然を減らして驚かないようにしたい気もしますが・・・この偶然が面白いんだよな!・・・この当時生きた神官たちだって、造替の請願を出したのは良いとしても、現実にどんな社殿になるかの予測はつきかねないのだから、細かな仕様書を出していたとしても、ときどきバタバタがあったりするわけです。・・・さて、先へ進めましょう・・・

11日新市場村・多田村の人足を頼んで鳥居場所の土取りをする。この日御遷宮の幕を下々の老女どもに縫わせた。丹波方より木綿30反来る。・この日、両奉行から社家・社僧の装束が江戸から届いたという事で、丹波・図書・金剛寶寺が会所へ取りに行った。
・束帯1・装束夏冬・狩衣・大紋などを願い通り両社務は受け取った。
・狩衣・布衣・晒浄衣を惣神官が受け取った。
・神子装束5人分、素襖袴6人分、白張12人分
・別当装束、その他社僧の相続願い通り受け取った。
このように受け取って、社家・社僧に残らず渡した。別紙に装束願い帳あり。
この日の暮れ方両奉行へ津宮の宿舎まで丹波と図書がお礼に出る。
・この日棟札の下書きを確認してもらうために、両奉行に見せたところ、気に入らないという事で、こちらより下書きを出すという事でそれ以後、棟札の話は出なかった。
9月13日御神宝道具が完成した。まず大祢宜方に納めさせて、両奉行がやって来て御神宝道具の見分を行って、引き渡しとなった。
 広矛の箱 干珠満珠玉箱 御神輿4宇 大神輿1宇 御几帳4 御簾3間 御櫛33 八足机4 御盃の台10 御鉢5 御行器1荷 御木鉢大小21 御鉾4 御太刀4 御弓4 御矢28本 御箙4 行騰4 御神馬道具4通り 御銚子提子2対 御瓶子1対
神楽笛1 神楽鈴2 神楽太鼓1 神楽大拍子1 湯立釜2 末社木鉢21 右委細、別帳にあり。
9月14日御神宝御道具大祢宜宅に置いてあるというので、近在の者が見たいと願うので拝観させる。大勢の人が来た。15日も昼前に大勢の人が拝観に来た。
この日二の鳥居が建った。この日、丁子・山崎より人足50人ほどを頼んで御宮の掃除を行う。仮小屋切り組み、幣串を削らせた。この日両奉行がやって来た。会所へ顔を見に出た。

 あれ?また老女たちが幕を縫っています。という事は、毎回、縫ったり解いたりを繰り返しているのでしょうか?昨今と違ってこの時代工業製品は高価ですから・・・基本は反物として保存なのでしょうか?それとも、新たに縫う事に意義があるのか?素材は古くとも、幕としては新品とか・・・外遷宮と正遷宮に同じものを使わないとか?そういえば・・・外遷宮の話で・・・仮殿は御供所である。後に下屋を下げ神輿を遷して仮殿にした。遷宮以後下屋を取り払って焼き捨て、跡を御供所に用いた。とかですから・・・ただ、再利用できるものもあるようですから、このあたりの判断基準ってどんな具合なのやら?

 そして、古代・中世のファッションが到着したとな。15日の正遷宮に合わせて発注されていた品物が、続々と江戸あたりから届くという事ですかね?これって凄いことだと思いますが・・・物流が良くなった昨今ならそれほど凄いと思いませんが、宅急便の始まるちょっと前だと、結構早くに発注しないと間に合わなかったような?場合によっては自社便を立てて輸送していたくらいですから・・・しかも、基本は船便でしょうから、こういったスケジュールできちんと物が動いているというのは驚きです。

 さて、完成した神宝類のリストがありますね。フツヌシの広矛の箱、干珠満珠の箱・・・この2つは中身に興味がありますね。気になるのは、これらが象徴的なものなのか、古代の伝世品なのかですね。信仰の世界の品はいずれでも価値は変わらないのですが・・・問題は魂でしょうからね。神宝は神様に奉仕するための道具類という事なのでしょう。俗物な私は・・・直ぐに神様の財宝という方を考えてしまいます。

 確かに、右の実用に堪えないようなものも、ありがたい御神宝なのです。虫食いだらけでも良い作品に見えますから・・・さて、続きを・・・

15日御遷宮の掃除普請、昼から御神輿・御神宝御道具を皆仮殿へ運んだ。
拝殿より仮殿迄小屋掛け、天井に薦を張り、地面にも薦を敷いた。両脇に幕を張って、1間に1つずつ油火を燈した。拝殿より獅子の間まで両脇に幕を張った。
・御内陣の掃除は、内八人の社家がやった。几帳と御簾を掛けて、暮れ六ッ時に終わった。
・神馬を四匹そろえて出した。そのうち二匹きは大宮司の方でそろえ、二匹は大祢宜の方でそろえた。
・内陣の供え物は御酒・御供・鴈・鯉・大根・のし・こんぶ、庭上の供え物は御酒・御供・干魚・羽盛・高盛、いつもの祭礼と同じ。
・夜の五ッ時分より惣神官出資で、九ッ時に遷宮は終わった。大祢宜図書・その倅内膳、その他内八人父子あるものは二・三人ずつ出て、相勤める。庭上大宮司丹波とその倅の蔵人、惣神官出仕して、常の祭礼の通り行った。
神輿供奉行列

こんな具合に、仮殿より供奉、獅子の間にて、みな下座、大神主・四郎神主内陣まで神輿を供奉する。内内陣より大祢宜が奉遷する。神輿4宇がこのように4度に遷宮を行った。次に御神宝・御道具がこれらの人たちによって内陣に運ばれて、大祢宜の指示の下に納められた。
・供物を供えて、内陣・庭上神事を行った。夜の九ッ過ぎに終わった。
・竹村惣左衛門・平岡十左衛門から、銘々に太刀・馬代が出てきた。大禰宜が受け取り、内陣へ備えた。下奉行より金二百疋が上げられた。
・惣左衛門。十左衛門は遷宮が終わった後で、内膳が案内して獅子の間で神を拝した。もっとも、両奉行は長裃だったので遷宮の間は神楽所の方に桟敷を拵えて、両奉行と下奉行はなどはそこで待っていた。古い几帳や、その他の供奉の品などみな大祢宜方へ持ってきた。使った内幕と両奉行よりの御初尾は相談の上、両所へ納めることになった。ただし、内陣に関するものは、大祢宜方に納めるように、大宮司がそうするようにと言ったので、両所へ納めることになった。

 さて、正遷宮の15日になりました。まずは掃除から始まります。そして、大祢宜邸に置いてあった御神宝や御道具などを仮殿へと運び出して行きます。そして、拝殿から仮殿迄の小屋掛けを行い、屋根や地面に薦を敷き詰めます。そして、外遷宮と同じ様に幕が張られます。この幕の材料は丹波方から30反とありましたから・・・外遷宮の際には反数が出てきていませんから、案外30反余計に必要になったという事だったのかもしれません。何しろ、遷宮の行列の移動距離が変わったのですからね。拝殿より獅子の間と来ました・・・獅子の間が分からない?こんなものがあるのか?仮殿から拝殿に行って、拝殿から獅子の間で・・・その先に本殿があるのですから・・・獅子の間は幣殿の事ですかね?それとも獅子の間は石の間か?権現造ですから・・・獅子の間に関して色々と調べるわけですが・・・不明ですね。人の動きからすると幣殿の当たりですがね。どうも、わからない物が色々と出てくると困ります。

 拝殿から幕を張るわけですから、本殿のあたりまでですから・・・幣殿の部分に幕を張り渡したという事なのでしょう。御内陣の掃除も行いますが、御内陣、つまり本殿内部の掃除は内八人で行った・・・内陣に入れる人が限定されているのでは仕方ないですが・・・まだ、正遷宮前ですが・・・それでも、遷宮の準備だからなのでしょうか?こういったことも気になるわけです。内八人か・・・内院神主と呼ばれる人たちですね。儀式は伝承される必要があるためですか・・・親子で儀式に出るという事のようです。そして、備忘録を作って・・・伝承されていくことになる。

 神輿供奉行列・・・神輿で神が移動する・・・これは理解できますが・・・この神輿がどのようなものか?不明・・・香取神宮を研究しようとする者にとっては常識なのかもしれませんが、私には不明なんです。ただ、この神輿の大きさとかも気になるのですが・・・

 どうも、基礎が無い所で造替なんって大がかりなテーマに取り組んでしまったのが問題のような感じです。しかし、香取神宮の祭式の基礎とかそういった本は無いし・・・指導教官がいるわけでもないし・・・そういえば、香取神宮の巫女をやってた人がいましたっけ・・・電話番号が分からん・・・こんな具合ですからね。

 とにかく、行列の規模からすると神輿がやたらと大きいはずはない。大神主・四郎神主の手から大祢宜の手で納まるような感じですから・・・丁子村の人が動員されている気配もないし・・・まさか、香取市ウェブサイト: 香取遺産(アーカイブ香取遺産)この掛け仏・・・御正体を移動させているのか?

 どうも、一連の動きを眺めていると、正遷宮に先立ってこの神輿が作られているような感じです。確か、仮殿が到着するような話があって、仮殿は御供所の裏手に軒を出してそこに安置・・・とかでしたから・・・御神宝の話だと、箱の納品の話になっていましたから、案外神輿とは、掛け仏を入れる箱の事だったりして?

 神輿4宇がこのように4度に遷宮を行ったようですから・・・この4度とは・・・経津主大神・武甕槌命・比売神・天児屋根命の事でしょうか?本地仏か?・・・とか考えてしまいます。しかし・・・武甕槌命は鹿島新宮へと出ているはずなんですが・・・ふと、御正体とされた掛け仏って・・・鏡の前に居るみたいな感じですから・・・神の寄り代となるものも変遷があるのかと・・・石や樹木から始まり、銅鐸のような音の出るものを経て、鏡となり、鏡からさらに人の似姿の仏像へと・・・神仏混淆というのは単なる姿の混交で、精神までは・・・というような気がします。まさか、拝殿から獅子の間の幕・・・獅子の間が幣殿で八龍神が睨みを利かせているから?色々と妄想できますね。

 さて、この4宇の神輿・・・本殿に上がったままなんですかね?下げているような記述が無い・・・そして、御神宝・御道具類が運びこまれていきます。そして、古い道具類が下げられてきます・・・そして、どこが管理するかの話し合いが持たれたようです。でも、大宮司はちょっと前には大禰宜で・・・大祢宜だって大宮司家の者じゃん?なんって・・・家移りしただけで、家に付属の物はあまり動かしていないような感じでしたから・・・まるで駐在所のお巡りさんみたい?オフィスと宿舎がセットになったような感じ・・・赴任すると直ちに仕事に就ける・・・まあ、神宮組織というのがあって、それを運営する人が世襲で、それなりに人事異動があるから・・・という事ですかね。

 幕府のお役人様の正装は長裃というのは判りますが・・・また知識外のものが出てきました。長裃でどのように移動するか?これです。馬には乗れそうもありません。下駄や草履を履て外をどうやって歩く?泥道は歩けないよな・・・など考えてしまいます。知識としてあるのは、裃の上のやつがピシッとしているのは、Yシャツの襟と同じで鯨の髭の芯が縫い込まれていたのぐらいですかね。長袴は考えたことが無かった・・・更衣室があれば、普通の袴で行って、履きかえればOKですかね?それとも、裾に仕掛けがあって・・・紐でからげると短くなるとか・・・

 とにかく、遷宮の間は神楽所の方に桟敷を作ってそこで待っていたって・・・これって、神楽所を更衣室に使って、仮設の桟敷で待たせたという事ですかね?長袴についての知識が無いのでこんな程度の解釈しかできない・・・桟敷と拝殿までは・・・神楽所か・・・そういえば、神楽所らしき写真を見出しましたっけ。

 右の写真が多分神楽所のような感じです。木母杉の所に建っている建物ですね。この時代では楼門脇の回廊は存在せず、楼門の左右に建物があって、そこから数間の塀が伸びているという感じです。ただ・・・これって本当に神楽所?なんって疑問もわいてきます。神楽所はもうちょっと右の方にあると思っていましたから・・・木母杉に近すぎるような気もします。

 でも、明治30年代の絵図と建物の特徴は似ていますから・・・左の図ですね。多分、間違いなく神楽所でしょう。井戸に関してのいい加減な推測で懲りていますから、色々とチェックするようになってきたんで・・・

 しかし、神楽所は何故なくなった?旧拝殿を祈祷所として神楽所の機能を持たせたから不要になったのか?昭和10年ごろには既に神楽所は存在していないようです。

 この神楽所と拝殿までの距離はかなりある・・・拝殿に接するように桟敷を仮設したか?多分・・・長裃で、長い袴の裾をくくり上げて脛を出して歩いて来て、仮設の桟敷で袴の裾を直して待っていたのでしょう。 括り上げ・・・どこかで見た言葉・・・記憶が・・・幕下の取組での行司のような恰好か・・・

 とにかく、拝殿を通って獅子の間で礼拝したわけです。獅子の間が分からない・・・本殿と拝殿の間の幣殿を獅子の間と言い慣わしているのか?

 でも、元禄13年の造営で権現造に変わったのであれば・・・幣殿を獅子の間と名付けたのは如何なるわけか?また、分からないことが出てきました。八龍神の間とかなら簡単ですが・・・獅子が置かれているのか?幕府のデザイナーの命名なのやら?色々分からないことが出てきました。遷宮で使われる神輿ってどんなものやら?行列からすると、大勢で担いでいる気配は感じられないし・・・本殿に運び込んでいますから・・・しかし、いつも思うのですが、神社って収納場所が無いようであるようで・・・色々なものが何処からともなく出てきて祭礼がおこなわれるような感じです。大神輿などは何処にしまわれているのやら?

2013.08.11

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