香取神宮をうろうろ(30)
 建物が建ち始め、いよいよ本殿の棟上げが・・・

 本殿が・・・と言い始めてなかなか進まないものです。こちらは遊び遊びですからね。しかし、棟上げが遅いな・・・なんで?柱は何本か立ったのはずいぶん前の様な?何故棟上げがはじまらぬ?何か特別な事情があるのか?段々気になってきました。早く先を読めば良いのでしょうが、それでは面白くない・・・さて、続きと行きましょう。

8月12日鈴木文蔵がやって来て13日に棟上げと決めたのだが、ちょっと問題があって延期してくれないかという事だったので、延期の廻状を村々へ出す。この日惣衛門が会所に来て、図書と出会って、次のような口上するようにと、下書きを見せられて、それを書いて出した。
口上覚
当社御修復で御内陣の唐戸まで御普請ができたので、正遷宮ができる状態まで完成しました。この唐戸より内側には社家の者でもみだりに立ち入ることができない場所ですので、正遷宮以降大工が入ることは許されません。御内唐戸の外の造作が残っている分には正遷宮以降大工が入っても差しさわりがありません。以上
8月12日大禰宜 香取図書 大宮司丹波代 香取蔵人 竹村惣左衛門殿

あれ、棟上げが延期だそうです・・・12日になって、餅を持って来いという廻状が行ってるのに・・・どうやら、その件で書かさせられた口上書きにヒントがありますね。

 御内陣の唐戸まで御普請ができた・・・という事は、右の図で緑と灰色の部分が完成したという事ですかね?緑が内内陣で、灰色が内陣で、黄色が外陣、その前のぐるりが大床ですかね。という事は、屋根があるんじゃないか?まさか屋根なしで遷宮というわけにはいかないでしょうから・・・棟上げの意味が違うのか?

 普通は棟上げというのは、一番高い位置にある棟木を設置する作業の事ですよね。唐戸までついているなら・・・白木かね?これって、屋根があるよ・・・多分・・・この文面からすると、緑と黄色の部分がほぼ完成、点検が必要な程度という事ですかね?完成しない理由として考えられることは・・・装飾品でしょうね。塗りが終わっていない、江戸に出していた彫刻類が戻ってこない、戸の建付けが悪くて・・・などなど・・・

 こりゃ、急いで先に進まないと・・・

8月13日丹波が江戸から帰って来た。欠落者は牢屋に入れてきたとのことで、久次郎・源之丞も帰って来た。兵左衛門・太郎左衛門は江戸に残してきたとのこと。この日会所より服部千右衛門・吉田彦六より御神宝についての用事があるので来たとのこと。図書が来て会うと公儀へ提出した帳と、仕様帳に違う点があって、人を遣わして確認中とのこと、違っている部分について分けを聞いて、そこに付箋をした。
この日九ッ前に兵左衛門が帰って来た。津宮又左衛門・籐左衛門が五人組の御差紙を持ってきた。則忠左衛門・兵左衛門に渡させて、その受け取りをもらって帰っていった。
この日御棟上げの餅が、織幡村・小野村・幡峰村・森戸村・磯山村の名主・年寄が持参した。御棟上げの日取りが延期になったので、餅は大祢宜が預かることになった。丹波の方にも油田村・大戸川村などから餅を持ってきたとのこと。
8月14日兵左衛門を江戸に出した。この日妙塔院の件で、惣持院に使いを出した。

当月21日、御本殿と本地堂の棟上げをしたいが、この日は良い日かと問い合わせに、吉日であると答えた。この日棟上げをすることになった。以上
8月14日 別当 金剛寶寺 大祢宜 香取図書 大宮司 香取丹波 竹村惣左衛門殿
正遷宮吉日の覚
9月の初の日取 11日 12日15日
9月の末の日取 22日 26日
この5日の内のいずれかの日に指図があれば勤めます。以上
8月14日 大祢宜 香取図書 大宮司 香取丹波 竹村惣左衛門殿
口上覚
御家来の内に服喪中の者があるようです。津宮の宿舎にて使っているそうですが、当社の御用を申しつけないように。同じ火で調理したものを食べる事も駄目です。一棟の内に住むことも差しさわりがありますから。以上 8月 日 香取図書 香取丹波 竹村惣左衛門殿

 髪結吉三郎は牢屋に入れられてしまったようです。連れて行った人たちも順次帰ってきていますね。欠落者は牢に入ってどうなるやら?江戸の法体系も気になって史料を集め始めましたが・・・と言ってもリンクですけどね。本を買いに行かなくて良いのがいいですね!

 さて、御神宝に関して御役所仕事がはじまりました。どうやら、事前に出ていた修復リストと、修復の仕様帳が一致しないという事のようです。多分・・・直前の見分の際に物品が増えているのではないかと・・・これをどうするのか?そういったやつではないかな・・・話を聞いて、付箋を貼らせて・・・江戸へ問い合わせですかね?

 さて、髪結吉三郎の件が出てきましたね。どうやら、牢に入れた後で、その書類を完成させるために、兵左衛門が遅れて帰って来たようです。書類を完結するためには、髪結吉三郎を雇ったり、泊めていたりした人が証明書か何かを書く必要があったのか?それで、津宮又左衛門・籐左衛門が五人組の御差紙を持ってきて、則忠左衛門・兵左衛門に渡させ田という感じですかね?五人組の欠け落ち者を処理する基本のパターンを知らないので、こんなところと推測するしかありませんね。主家からの物を盗んでいなければ敲きぐらいで済むのかな?

 棟上げの餅がやってきています・・・磯山村などは近いのに、廻状が行かなかったのか?それとも、念のため持ってきたのか?それとも、早くに搗いてしまったのか?中止の廻状の文面が知りたいですね。案外、搗いてしまったのなら大祢宜または大宮司まで届けるようにとか・・・織幡村・小野村・幡峰村・森戸村・磯山村からは大坂を上がってくるのか?油田村・大戸川村からは氷室坂を上がってくるのか?とか・・・昔の道をチェックするのも良いかもしれない・・・

 役人の中から服喪者が出たようですね。同じ建物に暮らしていると、別火というわけにはいかないだろうという疑いですかね?なかなかチェックが厳しい・・・

 棟上げが21日に決するようです。1週間程度の遅れですね。そして、正遷宮は9月中に行う事で調整が行われていますが・・・棟上の遅れは何だろう?先を急がねば・・・

15日津宮惣左衛門の宿舎へ当日の礼かたがた内膳が顔を出しに行った。棟上の餅が与倉村から来る。
16日雨で御普請は止まっている。惣左衛門がやって来て、早々に宿舎に帰る。この日返田祝が来た。返田の拝殿の柱立は明日の17日になったとのこと。なるほど分かったと応えた。棟上の餅が谷三倉村から来る。
・惣左衛門が用事があるからという事で、千右衛門・文蔵・彦六より3人で来るようにとの手紙が来た。3人で出かけると、社家・社僧の装束の見分をするから、書付を出してほしいとのこと。そこで、我々で下書きをして、見合う装束の品の書きだしを差し出すと伝えて帰る。帰ってから3人で相談の上書付を作った。真夜中になって、明日清書して差し出すからというので、皆帰宅した。
この日御棟上の餅おつりと村から暮れ方に届いた。鹿嶋の鍛冶が来て、御本社の鍵を借りて帰った。
8月17日装束の願い帳を清書して、惣左衛門の会所へ持参した。3人で惣左衛門に帳面を持参すると惣左衛門は一覧して、又別にも下書きして欲しいとのこと。そこで、書きあげて判を押して出してきた。これはこの帳面とは別にある。御棟上の餅、中須村・三倉村・篠原村・佐原村から来る。
・夜中に太郎左衛門が帰って来た。14日の夜中に伊賀守の役人達から前嶋十兵衛の所まで、この方三人方へ、江戸へ来いとの手紙を持参したとのこと。この手紙を写して、行かせた。
8月18日雨のため、御普請は少しだけ進んだ。御棟上の日の21日に決定して、その配状を村々に書いて出した。佐原村より餅が2籠来た。

 相変わらず、上棟の餅がやってきています。雨で御普請は止まるし・・・間に合うのかね?谷三倉村・・・どこだ?多古町か・・・神宮まで10km以上ありますね。香取郡ではありますが、遠くまで神宮の威光は輝くわけです。後は、惣左衛門の呼び出しがあって、装束のリストが欲しいという話のようですね。例の、正遷宮に向けた装束の話なのでしょう。

 困った・・おつりと村ってどこだ?香取郡にあるのか?前回の山崎村も香取郡の一覧には無いけど香取の小字一覧の中にあったので、順路から推測しましたが・・・丁子(よほろこ)とか読みにくい地名がありますから厄介・・・言われてみれば、丁・・・よほろ、正丁とかそういったので見かけるといえば見かけますが・・・香取神宮の神輿を担ぐ人を出すとかで・・・新市場村は徳川家康が香取神宮の造営を行ったときに大畠村に様々な職工を置いて造営し、そのときに物資調達のために市場を置いた事から起こった名前とか・・・おつりとは・・・漢字が思いつかない・・・そのうちこの村とも出会えるかもしれません・・・保留にしておきましょう。

ちょっと気になるのは・・・鍛冶屋の事ですね。鹿島からやってきています。香取には錠前の鍛冶屋はいないのか?まあ、鍵と言っても・・・鉄製の曲がった棒のようなやつでしょうね。ちなみに、右の写真の物が、鹿島神宮の拝殿の鍵です。

 末代に、もし失くすようなことがあれば・・・そういったわけでこういった鍵の図を作ったようですね。という事は・・・鍛冶屋に頼んで、鍵のコピーを作らせているという事ですかね?

 鍵の本体は、扉に組み込まれた、落とし錠の類でしょうね。まさか、海老錠を作らせたか?何で読んだのか不明ですが・・・水戸にも錠前師がずいぶんといたような・・・和錠・・・そういえば、本殿なら鍵と封の二段ですから・・・上の図のような鍵ではないか・・・正倉院の鍵をイメージすれば良いのか・・・

 鍵など気にしていませんでしたから、鍵の写真は・・・左の様なものを無理やり・・・護国神社の写真から伸ばしました。こういった鍵を借りて行ったのか?

 しかし、新たに作るなら、見るだけでも良さそうな気がしますが・・・なんとなく腑に落ちません。本体もコピーかね?これも考えにくい・・・可能性があるのは・・・錠前が壊れていたのを忘れていて、修復のリストにはいっていなかった、仕方ないから修理を頼んだ・・・なんとなく、壊れている物が多い話ばかり眺めていますからね。

 鹿島に鍵師はいたのか?気になりますね。江戸時代の鍵師って刀鍛冶が兼務か刀鍛冶からの転職が多かったようですから・・・香取には刀鍛冶がいなかったが、鹿島にはいたのか?なんって・・・鹿島大掾家が城を構えていますから・・・鹿島は鳥居前町であるとともに城下町でもあるでしょうからね。こういった事で、産業構造に差があるのかもしれません・・・また、あまり根拠がないことを・・・

 ちなみに、拝殿の方は・・・朝早くに行った時の写真に、旧拝殿の扉の写真がありますね。右のやつは、扉に掛け金がありますが、錠前は付けられていなくて・・・右側の戸の下に四角い金物の四角な穴があります。これが鍵穴ですね。猿鍵の類です。

 よって、香取神宮も鹿島神宮も拝殿の鍵の構造は似通っているものであると言えるでしょう。本殿の方は・・・しまった、原文は「錠」と書いてあるじゃん・・・よって、鍵じゃなくて、上の護国神社の錠前の様なものを鍛冶屋に修理に出したという事なのでしょう。今度、護国神社の錠を良く見てきましょう。

 しかし・・・文字の使い分けを気にしていなかったのが敗因でした・・・鍵・鎰・鉤・鈎・鑰・錠・・・日本語は難しい・・・

 そして、棟上の日が21日と決定し、廻状を出す事になります。さて、鍵で手こずってしまいましたが・・・いよいよ棟上が近づいてきました。続きは・・・次回に!

2013.07.29

関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - 江戸の女
 こういった物を研究した方が良いかな・・・・
近代デジタルライブラリー - 検索結果 徳川禁令 こりゃ、死ぬまで研究できるかもしれない・・・
近代デジタルライブラリー - 検索結果 鼠小僧で検索 このあたりのシリーズの方が面白いか?
近代デジタルライブラリー - 検索結果 往生要集 絵入 こいつは面白いかも・・・往生要集って好きなんです!
 
 












inserted by FC2 system