香取神宮をうろうろ(27)
 建物が建ち始め、いよいよ本殿が・・・

 なんだか・・・もうじき8月、日記の方も2013年の私の方も・・・妙な感じですが・・・旧暦だとまだ6月半ば・・・余裕はありますね。300年も前の日記を眺めて何やってるんでしょうね?エドウィン・ライシャワーの円仁唐代中国への旅 「入唐求法巡礼行記」の研究ってのを読まなきゃと・・・ふとね。近頃冊子体の本をあまり読んでないな・・・なんってね。何しろ、蔵書が・・・国会図書館の古い本だったら・・・一生かかっても読み切れないだけの分量がありますからね。直ぐに脇道にそれて、面白そうな本を読み始めちゃいますから・・・

3日鈴木文蔵がやってきた惣左衛門からの手紙を持ってきた。その手紙は次のようなものだった。
同役の十左衛門の倅が亡くなりました。相談したいことがあったので、十左衛門の宿舎へ行きましたので、十左衛門の所で穢れを受けたと思いますので、行水を行って御普請場に出る事は問題ないでしょうか。意見を聞かせていただきたい・・・図書・内膳様とのこと。
返事は、十左衛門と会うために、そこへ出かけても問題はありません。その日のうちに、図書は江戸へ上りますので、両奉行の所へ暇乞いに参ります。
この日蔵人・内膳、十左衛門の所へ悔みに行く。
この日鈴木文蔵が服喪について尋ねてきた。嫡子の服喪は一般に忌は20日、服は90日であるが、当社にては、忌・服共に30日である。これを過ぎたものは神前へ出ても良いと告げた。
この日御本殿・楼門・拝殿・幣殿が段々と出来上がってくる。彫刻の彩色が大宮司の座敷で始まる。
この日服部千右衛門・鈴木文蔵が尋ねてきたことは、4日昼より新飯の御神事があるが、御普請は行って良いものだろうか?当地ではどうしているのかという事だった。当地では毎年百姓の家来までもが家業を止めて休むことになっているというと、それであるのならば御普請は休みにしようという事になった。

 忌って、祈りの期間で死の穢れが続く期間なので人と会う事を控える・・・服は哀悼の意をささげるため、慶事にかかわらないようにする期間でしたっけ・・・こんなことは、知識ではありますが・・・私は・・・まあ、いいか・・・知ってて行わないのは、やや心苦しい・・・

 新飯神事か・・・現在は・・・この祭典に先立ち、午前5時ごろより氏子の方々が自宅で炊いた赤飯を持ち寄って、御神前へ奉納され、祭典終了後に催される自衛隊有志による奉納相撲大会の昼食として振る舞われるとあるので、赤飯を食べる会のようです。新飯神事と言ったが明治5年からは秋季祭と名称を変えたとのこと、新嘗祭の奉幣が官よりあるためで、このあたりの人は、この日まではその年できた新穀を食べずにいて、この祭りの日に新穀を神宮に捧げてのち食するようになるとのこと。もし、この日以前に食べなければならない場合は、新飯神事の御供米と唱えて初穂を取り分け、その後で食べればOKとのこと・・・ふむ、例外規定もある実用的な話・・・とにかく、新穀の解禁日の様なものですからね。明治以前は・・・
8月上子日新飯祭當降神神事・竈清神事・新飯神事
8月上丑日新飯献供
10月24日相撲祭當降神神事
といった神事が行われ、これが明治18年に取りまとめられて9月1日の神事の秋季祭になったようです。一応は、かつて五箇度の大神事の1つで御扉開神事・御扉閉神事がついている重大な神事であったとのことです。神事の中心となる祭當の屋敷で行われる神事の消滅によるものらしいな・・・相撲祭は本来は大饗祭の一部だったようですが神事の大がかりな改変が行われた結果のようですね。・・・

 ふむ・・・明治時代に社務所・神饌所・御供所とか建物の名称が入れ替わるのは、どうやら神事の組み換えの結果の様な感じです。祭當の屋敷で準備されるものが、祭當の消滅によって、社務所に移り、社務所がそういった機能を持つことで神饌所になってしまったという事のようですね。神饌調進式の変質によるものか・・・このあたりも興味深いが・・・明治時代の史料をしっかりと集めないと手を出せない領域ですね。香取群書集成3だけでは困難かな。・・・図書館に行っている暇がない・・・それより、データベースでも構築して整理しないと比較対照の効率が悪いから・・・でも、本気の研究者じゃないから、そこまで気合を入れることもないという感じですね。所詮道楽・・・

続きは・・・

8月3日御宝物・御遷宮料をもらったので、そのお礼に大祢宜の図書・金剛寶寺が江戸に向かって出発した。4日に江戸に着く。
この度の御修復につきまして、願い出ていた神宝が奉行たちの見分の上行われることについて指図を願います。遷宮料も出すので、その員数の事については明後日29日の晩方に伊賀守の方へいって話してくれとのこと。7月27日
この奉行所からの書付のため、江戸より丹波が言ってよこしてきた。
5日伊賀守から初めて、4人の奉行の所へお礼をしに廻った。出羽守の3人のお役人にも廻った。伊賀守には遷宮料は白銀でもらえるように書類に判を押して提出した。

 7月27日付の手紙によって大祢宜・金剛寶寺が江戸に向かう事になるわけです。神宝をどうするかとか、遷宮料の員数・・・決まった額か・・・白銀で欲しいか・・・なんで白銀なんでしょうね?黄金でも銭でも同じような気がしますが・・・続きは・・・

8月7日伊賀守へ行って、今度の寄合に出て、皆さまに挨拶がしたいと伺いした。これと一緒に、御遷宮料の不足については、御修理金を使って勤める。その他、絵図。祭礼帳は修理料金で修復したいと窺いを建ててきた。今度の9日に三人で寄合に窺い所を持参する旨を伝えてきた。
恐れながら書付にてお窺いします
・この度の御遷宮料白銀十枚を下されたことは在り難き幸せです。これで、正遷宮・外遷宮の両方を勤める事ができます。その他入仏入用等がございまして、若干不足するものがあります。御修理金より支出して間に合わせるつもりです。今までも、御普請中御神用と、何かと御修理金を頂いていますので。
・当社惣絵図ならびに祭礼の絵巻絵図は、先頃御覧になったように、非常に状態が悪くなっていますので、御神宝と同じようなものですので、御修理金に上乗せして修復し、写し等を致します。
8月8日伊賀守へ出向く
9日飛騨守の寄合に3人で出席する。お礼をして、窺い書を差し出したところ、御修理金でするようにとのこと、社家の装束について尋ねると、公儀よりは出さないとのことで、修理金にて作るようにと言われた。この日丹後守が忌中で出席していなかったので、寄合が終わってから、金剛寶寺・図書、播磨守・伊賀守にお礼に回り、暇乞いをして、10日に帰った。

 ふむ・・・御遷宮料は注文を出してるんでしょう?なぜ不足なのか・・・というのは入仏の費用がいる?仏像を本殿に持ち込む話なんでしょう・・・この費用は・・・金剛寶寺の人間でも使うんですかね?そのための入用は注文していなかったということか?

 白銀の事が出てますね。白銀10枚・・・ああ、贈答用の包銀で欲しいのか?この時代だから元禄丁銀と豆板銀のセットを紙包みにしたやつですね。右の写真のような物でしょう。慶長年間には43匁を一包みとして1両に等しいとしていますから165g、金銀の公定相場が変動しますから、その後50匁、元禄13年から60匁のレートになっているのか・・・御定相場 - Wikipedia ふむ、公定相場が・・・元禄金金1両=銀48-50匁前後だから、いずれにせよ一包み1両で10両・・・単純に壱百萬円ぐらいかね?

 未だに、こういったものは古銭商が売買していますが・・・私にはこれは買えません・・・理由は簡単で、中を見たくなるからです。どんな丁銀が入ってるかとか、豆板銀はどんなの?なんってね。非破壊検査でもしなければならなくなりそうなのでね。それでも・・・開けたくなる!従ってお金があっても買ってはいけない!お金がないから買えないからOKですがね。でもこういったものって欲しいんです。

 近代デジタルライブラリー - 検索結果 三貨図彙 こんな本があったんですね。こういった物を研究するのも面白いかも?

 江戸時代の両替商なんかも・・・興味がありますね。どんな具合に金の純度を測定したいたかとか・・・まあ、ある程度知識は在りますがね。古い冶金学にも興味があるし・・・

 当社惣絵図か・・・造営の度に作っているのでしょうか?慶長の造営の際には作らなかったのか?それとも、このときは一分の修復で、全面的な造営ではなかったのか?気になります。幕府に提出した、現存する物は墨で、現存しない物は朱で描いた絵図があれば・・・事は簡単なのに・・・こんな、楽しい作業をせずに済んでしまったのに・・・

 しかし・・・どうして、状態の悪いものばかり出てくるかね?気になりますね・・・社殿はぼろぼろ、隠滅している物も多々あり・・・絵巻も判読できる程度で良しとしている・・・日記などの記録物は、時々書き起こして、目録的なものを付けたり注釈を入れたり、写本を作ったりして、こちらはかなりきちんと整備されているという感じですね。20年ほどで造替がきちんとされるのであればOKなのでしょうが・・・なんとなく不思議・・・まあ、力の源は文書の力でしょうから・・・文書によって調達・管理する、文書管理が非常に重要・・・百官名で図書(づしょか)・・・

 ふと・・・ユルブリナーはSo let it be written, so let it be done.ハードウィックは So let it be written, so it shall be done.  久々に十戒なんって映画を見たくなりました。なんとなくね・・・英文なんか引用するなんて、我ながら珍しい・・・So Let It Be Written - YouTube とか The Ten Commandments (1956) - Quotes - IMDb 引いたから多分綴りは合ってるでしょう。英語には自信なし・・・

 手持ちの資料が色々な形で増えてきました・・・私のしょぼい頭では管理しきれない項目数になりつつありますね。そこで、一念発起・・・一応、データベースを構築する気になってきました。一応は、プロのITエンジニアもやっていて、データベースの構築・運用などもやっていましたから普通に年表を作るようなことは簡単ですが・・・項目などを細かく指定して美しく必要なものが引き出せるようにするとなると・・・どんなものを構築したらよいか考えてしまいます。とりあえず、西暦・干支・元号・天皇あたりまではそれほど面倒でないので作ってしまえばOK、そこからのリレーションを考える作業をすればOKかななんって・・・リレーショナルデーターベースに、どれだけの物が放りこめるのか?ちょっと興味深い・・・問題は、年代が不祥なものとか、曖昧な情報の盛り込み方にあるような気がしますね。推測される年代の幅とか・・・本気の開発者はどんなものを構築しているやら?非常に気になりますね。?頃・??年から??年の間の3月とかね。記事のぶら下げ方の問題になるのでしょうが・・・メインの年月日システムと記事とのリレーションの問題ですね。在る行事がA年からB年まで行われていて、C年だけはそれがある理由で行われなかったとかね。反復行事の場合は、典拠のあるものとそうでない物の区別もしなければならないだろうし・・・試行錯誤を繰り返さないといけないような感じです。複雑な事件だと、分単位で並べ変えなければならなくなるか?何処まで細分化し・・・前後関係を決めて行くか?A資料では10時に果たし合い、11時に切られて死んだ。B資料では12時に切られて11時半にはまだ酒を飲んでいた・・・2つの史料の整合性・・・単に時系列で並べると、10時に果たし合いが開始され11時に1度切られて、その30分後に酒を飲み12時にもう一度切られたのでは変ですからね。まあ、単純な事件では見れば分かるが・・・因果関係にかかわる記述をどのように処理するかとかね。まずい、こりゃ飽きつつある・・・先へ進めなければ・・・ここらで切って・・・次回へ!

2013.07.26

関係ないが、興味深いもの
近代デジタルライブラリー - 検索結果 日本経済叢書 これは面白そう!
近代デジタルライブラリー - 検索結果 古泉大全 興味深い・・・古銭を集め始める大変だ・・・
近代デジタルライブラリー - 昭和新撰古銭価付 古銭カタログ・・・絵銭が面白い!
近代デジタルライブラリー - 検索結果 古銭価 古銭カタログがずいぶんとありますね。
近代デジタルライブラリー - 検索結果 大正新撰古銭之栞
近代デジタルライブラリー - 東洋銭貨年表 
近代デジタルライブラリー - 本邦通貨の事歴 後で読まねば
近代デジタルライブラリー - 上代貨幣経済史 これも・・・














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