東北をうろうろ(27)
 山寺 立石寺へ・・・・4

 いよいよ五大堂が近くなってきました。この石畳は広くて平らで魅力的であります。やはり、アップダウンは厳しいものです。

 正面のお堂が開山堂、慈覚大師円仁をまつるお堂です。朝夕2食の食事を供えるとか・・・供えた食事はどうするのでしょうか?ちょっと気になりますね。

 撤下とか・・・お下がりを誰かが頂くとか・・・そういったことはあるのかな?捨てるわけはないのですから・・・まさか、屋根にほうり上げて烏に食べさせるとか?

 陰膳・影膳・・・どっちだっけ?生きている人に、死んだ人にあげるやつ・・・地域によって差があったりしますから・・・

 ああ、食べ物のことを考えたら・・・それぞれの院は無住じゃないのですから、ゴミが出るわけですが・・・ごみは出ないのかな?ゴミはやはり下まで担いで下すのか・・・持ち込んだものは原則持ち出す必要がありますからね。

 立石寺の山中にも下水が通っているようですから・・・食品系のごみはディスポーザーですかね?

 左の小さなお堂が納経堂、写経を納めるお堂とか?どんなお経を納めるのやら?とにかく山内では最も古い建物であるとのこと・・・昔の本では如法院では衆徒寺より一人一カ月ずつ順番に当直し、斎戒沐浴し、靜服律衣を着て香などをたいて、石墨草筆を使って1日7行半の法華経を写して閏月がある年の11月28日に開山堂の横の納経堂に納めるとの説明がありますね。

 天台宗だから、鳩摩羅什訳で・・・八巻だったかな?正三角形に積み上げると1本足りない?いい加減な記憶だけど・・・七巻かも・・・これを納める・・・ふむ、4年たつとどうなるんでしょうね?法華経を埋納しちゃう?案外、4年に1つ寺を新しく造るという計画だったとか?さすがに一切経とか大蔵経とかは5000巻を越える経典集成ですから、こいつの筆写は大変ですね。

 そういえば、親鸞上人が閲覧したと言われる、鹿島神宮の一切経はどうなったのかな?と余計なことばかり考えてしまいます。鹿島神宮には笠間を治めた笠間時朝が、建長7年;1255年に納めた宋版一切経があったようです。

 立石寺には一切経蔵がありますね。どんな版の一切経が納められているのやら?これも気になりますね。立石寺から別のお寺に贈られた一切経などもありますから・・・何やら流出して、韓国で国宝になっているとか?そんなのもありましたっけ・・・

 まあ、お経というのはものが大切なのではなく、書かれている内容が大切なのですから・・・そういえば、末法の世に向けて経典を保存するために経塚などが造られ、経巻が埋蔵されましたっけ。しかし、本当に必要なことは・・・形を保存するのでなく、その精神を保存することだったのではないかと思いますがね。心の中に伝わるものは、伝えられていけば、それは永遠です。しかし、紙に書かれたものは・・・紙が失われれば、その精神も失われますからね。大切な精神は、紙などに託すのではなく、人の記憶に託すべきなのかもしれません。逆か・・・人の心の中からその精神が失われてしまうから末法、そうなれば、紙に書かれたものもまた無力・・・経塚の存在意味もない・・・これが末法・・・人に伝わる精神が失われ、さらに書物も失われると復元不能・・今の時代、信仰は現世利益をなんとなく願うだけに近いのですから・・・末法・・・廃仏毀釈は末法の始まりだったのかもしれませんね。

 廃仏毀釈・・・日本の場合は、かなり形式的なもの、それに先立つ三武一宗の法難なんてのはすごいですね。三武つまり北魏の太武帝、北周の武帝、唐の武宗、そして一宗、後周の世宗による廃仏による廃仏

 円仁が体験したのは会昌5年;845年の年号から会昌の法難とよばれるやつです。このときは道教中心の世を作ろうと、仏教、景教、松教、マニ教も禁圧されます。宗教が生活に深くかかわると、国家の方針と合わなくなるということのようです。

 宗教弾圧の基本形って何?多分、権力者が特定の宗教ととりあえず結びつく事から始まって・・・

 会昌の法難だと、唐の武宗が道教を信じます。多分、現世利益の不老不死か何かでしょうね。結局、仙薬と称する劇薬の服用で33歳で死んでしまい、本気の廃仏は2年ほどで終わってしまいます。まず、権力者が帰依する、次に、多分・・・他の宗教に対する嫉妬・・・大抵は財政的なものでしょう、健康でお金持ちとしての不老不死・・・道教によって不老不死が保障された武宗皇帝は、自分の宮殿も最新型が良いと思いましたが、財政難で・・・しかし、新興の寺院がかっこよくて、我が宮殿もあんなのが良い!なんでやつらはあんなに金があるのだ?あなたの国民は、税金を払うのは嫌がりますが、ああいったところに金を落とすのは大好きなんです!いや、税金で浮かした分で、ああいったところに貢いでいるんです!あの立派な寺院はあなたのところに入る税金をちょろまかして流れた金でできているんです!・・・流れた金で何が行われているか?ですって!そりゃすごいですよ!何しろ4600余りの寺院があって、お堂などの小規模なのだと40000もありますよ。そういったところで、役にも立たない祈りをして飯を食っている僧侶とか神父や尼僧などは26万人もいて、あなたのための税金にならない寺田は何千万haもありますよ。その田畑を耕作する輩は、本来のあなたのための税金を払うはずの奴婢などで、なんと15万人もいると言うじゃないですか。あなたがぬるいことをやっているから、それだけの富があなたの下から去っていってるんですよ。これだけの財源があればあなたは、すぐにでも金丹を手に入れることも、素晴らしく豪華な宮殿に住むことができるのですよ!・・・けしからん!宗教などお前のところのやつだけで良い!

 最高権力者にもどうにもならないのは、お金の流れ・・・経済ですかね。最高権力者であることによる満足と、不老不死の可能性を手に入れたら・・・あとは、その財力でしょう。

 円仁、慈覚大師はこの法難に出くわしていますから、寺が長続きするためにはどうすればよいかの腹案もあったのでしょうね。長続きさせるには、何か守るルールを作ること・・・日々気を使って維持しなければならないものです。言い訳のしにくいもの・・・法燈なんってそのための装置のようなものかもしれません。そして、毎日写経を交代で行うことも・・・こういったシステムを維持するために為さねばならないこと・・・寺領を拡大、免税地の確保、そこでの商品作物の栽培・・・寺が豊かになれば、まわりの民にも波及効果があることを示すこと。常に、仏の加護がある・・・信じさせることですね。

 なるほど、右の写真の納経堂・・・寺の人間を奉仕させるための重要な一つの装置の一つなのか・・・小さなお堂ですが・・・1千年以上の時を越えて、1つの組織を運営させ続けるための根幹となるもの・・・

 法燈と写経、この2つのシステムを維持することを考えると・・・法燈を絶やさぬためには油が必要でしょう。多分、比叡山と同じ菜種油の類でしょう。この油を安定して供給する菜種畑、搾油所、貯蔵所が必要、最低限の需要に対応するだけではなく、それなりの規模がないと・・・販売網の拡充だな。経費も賄える程度の規模が必要でしょう。写経だと、なんといっても高価な紙の自給体制・・・コウゾ、ガンピ、ミツマタなどの植物の保護及び栽培、蒸したり木灰でのアルカリ処理、トロロアオイの根やノリウツギの樹皮から採られるネリ、紙すきは10月から3月ごろまでの冬の作業ですから、農閑期の収入源としても重要だったかもしれません。そして、墨や筆、墨だと松煙墨とか油煙墨とか・・・筆も毛が必要、膠なども・・・

 お寺って、ある意味こういった基礎的な製品の生産にかかわり、これらの製品を使って、付加価値性の高い経巻や本を製造・・・その元になるのはもちろん、原本となる経巻や本・・・これさえあれば、高付加価値商品の製造が可能・・・

 ただの木材は、仏像になり・・・円仁さんはずいぶんと仏像を作っていますからね。仏像などは、超高付加価値商品では?しかも、古くなると・・・いずれは国宝!漆や金箔などの工芸にかかわる技術・・・仏殿を作るための大工の技術、石積みのための石工の技術、石工の使う高硬度の鏨の製造技術、さまざまな技術集団が大寺の周りに造られていく・・・場合によっては鋳造技術や・・・大寺はそういったものも含めた文化の中心であると言えるわけです。そして、本山と末寺という形で、人的交流のネットワークも持つわけですから・・・寺は文化を担った組織であったのが、いつの間にか経巻の価値は下がり、仏像も寺を離れ民間の仏師が製造するようになり・・・技術が放散した結果、葬式などの儀式に生きる形になり・・・形骸化していくことになるということなのでしょう。今や、観光・・・

 ありゃ?何を書いているのやら・・・どうも、観光というのを楽しめない、いや、あまり一般的でない楽しみ方をしているようです。 観光の定義ってなんだっけ?観光=ツーリズムとは、そこの住民でないものが、永住を目的とするものではなく、自らの商売とは関係することもなく、旅行者の移動と滞在によって生じる全ての現象と出会う人々の相互の関係の総体とか、そんなのだったっけ?まあ、商売とか移住で移動するのではなく、単にそこに来て、何かを感じたり、何かをすること・・・乱暴な要約だと、「居住地でない場所へお金を使いに出かけてくること。」だな・・・

 しかし、歩いて50歩100歩の距離の話が、ずいぶんと長くなるものです。五大堂はどこ?なんって感じですね。 

  

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