東北をうろうろ(16)
 出羽三山へ・・・・2

 羽黒山の五重塔を眺めましたから、かなり満足なんです。しかし、時間が時間なので、うろうろを開始します。目的地はないんですが・・・とりあえず湯殿山を目指して・・・珍しくカーナビをセットして・・・

 なんとなく・・・しばらく車を走らせると・・・即身仏の寺とかそういった小さな看板を発見、Uターンしてのぞきに行きます。本明寺というお寺です。

 お寺には特別な案内板などはなく・・・赤いお堂があって・・・入定塚があるような・・・

 調べてみると、この赤いお堂が即身堂で、この中に即身仏となった本明海上人が安置されているとのこと・・・見学は可能らしいのですが・・・入定塚なども眺めないと・・・なんって思うわけです。

 この時点ではこの中に即身仏があるなんって知りませんからね。
 即身仏に関する基本的な知識はあるのですが・・・生きながら仏になるとは・・・苦しい修業と・・・苦しい入定・・・考えにくい事柄です。衆生を救うために・・・高邁な理想か・・・

 私には無理・・・天和3年;1683年入定、現存する湯殿山系即身仏として最古か・・・
 

 右の写真の場所で入定とのこと・・・狭い箱の中に座り土中に埋められてしまうのか・・・空気が出入りするつつだけ出された状態で・・・

 生きながら骨と皮になり、さらにただ土中で仏になることを望み・・・

 現行法だと・・・自殺、入定塚などにかかわれば、自殺幇助か・・・宗教としても認められないかな?など考えるわけです。即身仏となるか即身成仏を成し遂げるか・・・言葉は似ていても、内容はやや異なりますね。

 早朝の静かな中に仏が・・・生身の仏がいらっしゃるわけですから・・・不思議な気がします。

 歴史に残る最後の入定は明治36年・・・こんな時代まで即身仏になろうとする人がいたとのこと・・・衆生を救うことは難しい・・・

 美しい景色の中での入定か・・・確かに美しい景色・・・遠くの山々は紫がかり・・・空気遠近法だな・・・とか余計なことを考えたり、雪渓が・・・寒冷化するとこういった雪が長いこと残り・・・氷河になる。氷河地形は・・・とか、色々と考えてしまいます。

 しかし、なんでこの写真を撮ったのか?記憶がないなぁ〜

 なんとなく良い感じですが・・・そして、本明寺を後に湯殿山方面へ・・・やがて、月山 道の駅があって、そこの観光案内を見ると・・・注連寺というお寺があることに気付きます。なんとなく聞いたことのあるお寺・・・すぐにコース変更・・・というわけです。

 注連寺、そう鉄門海上人のお寺・・・即身仏のというわけです。

 お寺に着くと、まだ拝観のできる時間ではありませんでした。とりあえず車を止めて、写真を撮りに歩きます。

 お!なかなか立派な建物・・・というわけです。扁額には湯殿山とあります。この寺についての基本知識はほとんどなくて・・・今回の予定のない旅・・・こまめに案内板などを見ての動きですが、何かに導かれているような気もするのであります。

 境内には誰もいませんから、色々と考えながら散策です。先入観など何もありませんからね。

 行人供養塔の碑の脇に・・「ここ、湯殿山注連寺は、古来より庶民信仰の衆生済度、国家安穏、世界平和を祈願する全ての生ある万物の生命を守る寺です。月山。湯殿山、信仰を護り注連寺は一世一代限りの住職として代々その宗旨を伝えてきました。注連寺山内は先祖代々月山、湯殿山信仰をまもる行人として注連寺に参詣する信者に対する御山の先達としてまた神仏の加護を布教する道を歩んできました。」

 ふむ、世襲の住職ではないのか・・・境内なのか、境内の脇なのか?新山神社という神社がありましたが・・・冬の姿のままでした?雪対策の必要な時期は終わっているような?

 雪は多いようで境内には積み上げられた雪が溶け残っていました。寺の裏手には住職の墓と思われるこじんまりとした墓地がありました。書かれている文字からすると、行者の墓もあるようです。

 このお寺で有名なのは、七五三掛桜とのこと・・・残念ながら花は終わっていました。そりゃ6月の頭ですからね。いくら雪が残っているといえども・・・

 右の新緑のやわらかな色の葉をつけているのが七五三掛桜です。この桜は、咲きはじめの花の色は白く、少しずつ色づいていくとのこと。

 植物としては・・・結構大きな水芭蕉がありますね。山野草が豊富な場所のようです。

 墓地などを眺めていると、春の初めには背の低い植物が徐々に背の高い植物に置き換わっていく様子が見られました。生態系というか、時期を変えた住み分けとか表現する写真はなかなかないので・・・

 多分、このあたりは春の訪れが突然ではなく、じわじわと春になっていくため、2か月ぐらいに渡っての変化となるのかもしれませんね。ああ、なんだかうまく表現できていない・・・文章は難しい・・・

 右の写真をちょっと修正すると良いと思うのです。この小さな黄色の花をつけている背の低い植物の花が終わるのを待つようにしてシダ植物が展葉するというのがね。

 緑色を少しいじって・・・黄色い花との差を大きくすればわかりやすくなると思われます。

 植物の春を謳歌する時期の違いが、小さな植物の存在を許しているということかな?現実問題としては、地面に近いところは温度が上がりやすく、地面から離れるにつれて温度が下がり、背の高いものの成長を抑制しているのかもしれませんし・・・

 単に、シダ植物に比べて寒い時期に花を咲かせる植物がシダの生えるところで生き残って群落を作っているのか?

 自然というのは、なかなか厄介な代物です。適者生存という原理であるだけかもしれません。人間の世界の中にも・・・社会進化論的な考えを入れる余地がありますし・・・スペンサーだっけ?社会進化か・・・単に民衆を食べさせることができる政権が残るというだけか?とか・・・オッカム流になるべく単純化するのが好きなんで・・・

 しかし、このあたりの雪はかなりのものなのでしょう。斜面に生える木の根元の曲がり方を眺めるとね。若木のうちは、斜面を滑り落ちようとする雪で、ほとんど横倒し状態なのでは?

 雪解けとともに上に伸びることが許されて・・・それで、こんな形になってしまうのかな?なんってね。

 案外、このあたりの木は、重力の影響より地面に垂直に伸びて、しばらくすると重力の影響に気付いて物の落ちるのとは反対の方向へ伸びていくのである!なんって言えるかな?無理でしょうね・・・

 これが、このあたりの森林を見て、不思議な形と思ったものです。植物の形は自然環境によって変化するというわけです。自然というのは面白いものです。

 お寺の周囲を眺めているうちに、お寺の扉が開きました。

 早速、拝観というわけです。このお寺・・・湯殿山詣の玄関口です。空海がこの地へやって来て開いたとされる寺です。

 空海が水の中に金色の梵字を見出してやってきたということで、この地にあった七五三掛桜の下で修法を行い、八大金剛童子の導きで湯殿山の山の主である、大日如来の化身に会うことになります。

 この山を修業の場所とし、女人禁制の聖地にします。この地を女性が拝めないことは気の毒と思い、修法を行った七五三掛に注連寺を建立して湯殿山を拝めるようにしたお寺なんです。

 女人のための湯殿山参詣所ですから賑やかになるといういわけです。

 明治時代に入ると、神仏分離、廃仏毀釈で三山は神の山になってしまうので、お寺は衰退していきます。

 拝観しました・・・鉄門海上人にもお会いしてきました。即身仏というのは・・・漆器の仲間なのか?なんって・・・御住職の話によると、鉄門海上人の体は漆塗りとのこと・・・確かに、漆はさまざまな胎器の上に塗り立てることができますからね。一般には木ですが、このほか皮であるとか、竹で編んだものであるとか・・・ですから、ある意味FRPのような状態になっているとのこと・・・人間の体を胎器とした漆器か・・・とか、不謹慎なん人間なので・・・鉄門海上人のお話もうかがって・・・

 御住職は色々と話をしてくれました・・・この寺は祈祷寺で、壇家を持たない・・・葬式を行わない寺であるとのこと・・・ふむ・・・このお寺のある七五三掛地区は数年前の地滑りで住民は散逸、脇の神社も御神体は移され抜け殻になっているとのこと・・・なるほど、冬の姿のまま建物は放置されていたのか・・・

 この寺の天井画は興味深いものでした。飛天の図は見る向きで冠が輝きを持った金に見えたり・・・多分、黄の顔料に雲母が混ぜられているのかな?阿玉台貝塚の土器にも雲母が入っていてきらきらするって知識があったので・・・天空の扉という手を合わせた絵も興味深く・・・馬の絵も・・・白馬交歓の図だっけ?興味は尽きません・・・

 カメラを持っていたのですが、写真も撮らずに眺めてばかりいたら・・・写真を撮ったら・・・と言われてしまいました・・・写真を撮るのは好きなんですけど、撮りたくない時もあるんです。写真を撮ると、見たものを忘れちゃうんです。まあ、完全に忘れるわけじゃないのですが、心の中にとどめておきたいものは写真などに撮りたくない時もあるんです。

 千葉から来たと告げると・・・成田山で修業したとのこと・・・確か・・・真言宗のお寺で、護摩を焚くなどの修法を行うお寺だったなと・・・初詣に成田山へ行って、その足で犬吠埼に行って、うまく君が浜の渋滞に紛れ込んで、車の中で初日の出を拝んだりしましたっけ・・・ふと、そんなことも思い出しました。

 今回は、半分仕事の急ぎの旅で、宿も取らずに目的地不明の旅と告げると・・・この寺は祈祷寺で、いつ祈祷が入るか分からない、寺を空けられないとのこと・・・なかなか大変なことだと思うわけです。目立つ車に乗っているわけでもないのですが・・・日産の・・・それでも、用事で寺を離れていると人目につくようです・・・・

 御住職もなかなか大変であることが分かります。私のように煩悩の塊のような人間は、とても無理な仕事であることが分かります。合掌・・・・

 お寺の中を眺めていると、立派な位牌を並べた所がありました。位牌堂か・・・そういえば、行方の西連寺の常行三昧会を思い出しました。日牌だったっけ?山ほどあって・・・壇家はなくとも、供養は行われるのか・・・祈祷寺・・・私の煩悩も調伏してもらう必要があるのか?煩悩が生きる原動力のような気もするので・・・

 この周辺の森林は豊かな山菜資源を抱えているとか・・・近頃では山菜の出荷も安定して行われているため、私有地の主張が強くなってきているとか・・・山菜の豊富な場所には〆が張られるようになったとか・・・

 豊かな自然の中のお寺・・・虫は出る、ヘビは出る・・・豊かな自然の中の出来事です。

 お寺の脇に古い街道が続いていて、景色も良いから時間があれば言ってみると良いといわれて、道をたどることにしました・・・旧六十里越街道、お寺の脇の道をのぼると十王峠の看板があります。この峠には、地獄の十王の像の御堂があったとのこと、夏の暑さを避けるための茶店や、夜の旅人のために灯があったとか・・・にぎわった街道・・・日本海も見えるという峠・・・

 街道をたどると・・・ああ・・・という感じで本明寺へ、なるほど即身仏でつながっているのか・・・などと考えてしまうわけです。

 なかなか良いところであります。時間も程よくなりましたから、羽黒山への向かうこととしました・・・予定は湯殿山だったんですが・・・すぐ目的地が変わってしまいます。

 だって・・・羽黒山は現在を、湯殿山は未来を、月山は過去をというお話でしたから・・・それに、半分戻って来たんでね。

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