東北をうろうろ(8)
 大湯環状列石にて・・・・

 急に環状列石が気になってしまったら、日没と勝負しなきゃ!なんって気になりました。例によって計画性がないので地図などを確認していなくて・・・ただ、以前にこの先に環状列石があったっけ?なんって曖昧な記憶で走るというわけです。一応、道路脇に矢印のついた看板があったので、とにかく走るぞ!って感じです。

 車を走らせながら考えるわけです・・・観測器具って必要なのか?実は、恐山のあたりから夏至や冬至の観測はどのように行っていたのだろうか?なんって考えていました。恐山で外輪山の山々を眺めて思ったのは・・・観測器具なんっていらない!毎日山の端に沈む太陽を眺めていれば、この場所より南に沈まない・・・つまり冬至の確定、この場所より北へ沈まない・・・夏至の確定ができちゃいます。もちろん、日の出でもよいのですけどね。そして、日にちを数えて、ちょうど真ん中の日が春分や秋分に当たるのですから・・・

 日にちを記録するには・・・石でも並べて数えればよいでしょう。もしくは・・・どこぞの文明で行われていた結縄とかでもね。とにかく20より大きな数って把握するのが面倒です。数を記録する方法・・・そう、算木とかありますね。数とり棒のようなものですが、こいつは意外と侮れなくて・・・そろばんとは違って、方程式だってとけますからね。もちろん使い方次第ですが・・・案外、筮竹なども計算機能を付与することが可能かもしえません・・・久しぶりに易経でも眺めてみるのも良いかもしれません。ずっと以前、あるSFを読んだときに・・・「高い城の男」だったっけ?確か・・・興味を持ったものです。易者が使う筮竹、どうもよくわからなくて・・・偶数・奇数、二進法、卦を立てる・・・ふと、トランペットも占いの道具か?なんってね。卦は二進法3桁を基本としますから、「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」を3つのピストンで表す事が出来ますから・・・・音階なども・・・

 すぐ飛躍してしまいます。

 夏至や冬至というのは、山が取り巻いている場所では日の出入りを毎日眺めていれば体得できてしまうということなんです。したがって、環状列石などは必要としないのです。そして、観測地点は固定されていなくても、その集落のあたりなら観測結果はそれほど変わらない・・・何しろ数十キロというサークルを使っての観測ですから。ティコ・ブラーエの観測精度よりもはるかに高い観測精度を持つのでは?

 当然、太陽や月ばかりでなく星座なども観測できたでしょう。しかし、星座の星となると時計がないと観測する意味があまりなさそうですね。まあ、月と恒星の組み合わせだと何かが出てくると思いますが・・・月と恒星の関係は・・・

 恒星の観測が意味を持つようになるのは、やはり精密な時計が開発されてからでは?北極星は真北と北緯を示してくれますが・・・星の南中時刻は毎日、およそ4分ずつ早くなるし・・・この、数分の差が計測できないとね。ティコ・ブラーエの時代だと、やはり、惑星の観測になるのでしょう。会合周期とかそういったもの・・・考えることは楽しいものです。

 一応は、急いだのですが・・・大湯環状列石にたどりついたときには、お日さまは沈んでしまいました。しかし、まだ明るいので大急ぎで環状列石を眺めることにしました。

 環状列石は以前、小規模なものをちらっと見ましたが・・・ここも、巨大なものとは思わず。立派な施設に囲まれたちょこっとしたやつを本体と思ってしまいました。

 駐車場の案内板を見ると・・・どうやら、規模の大きな奴が近くの広大な広場に・・・それは存在していました。

 野中堂遺跡と万座遺跡なのだそうで・・・なんで2つあるの?とか、考えるわけです。まず、太陽や月の観測をここで行うには、ストーンサークルよりはるかに巨大なサークルである山々がありますから、これは観測装置ではないことが分かります。

 じゃあ、何のために?多分、教育機関では?なんって考えてしまいます。つまり、山のどの部分から太陽が出入りする時が夏至や冬至なのか・・・もちろん、夏至や冬至の日に必ず日の出や日の入りが見られるわけではないので、暦を保持するための印・・・巨大なカレンダーとして機能していたに違いないと思うわけです。

 使い方は?もちろん、サークルの中央から観測するのではないでしょう。だって、中央には石があって、その位置から眺めるわけにはいきませんし、石の上に腰かけて観測するにしても精度が出ませんからね。

 太陽と、中央の石と円周上の観測地点という並びで利用されたと考えるのが良いでしょう。つまり・・・中央の石が照星で、円周上の石が照門でターゲットが太陽や月や惑星となると思います。これなら、かなりの精度で、この場所!って指示することができるはずです。

 教育機関として考えると、生徒が「先生、この石からみたセンターストーンの先の山の端から太陽が出る時が夏至ですよね?」「よろしい」とか、「では春分の日にはどの石から見た山の端に日は沈むか?」「はい、この石です」・・・こんな具合ですかね?

 こんな、巨大なものを作るには労力が必要です。古代なんって食べるのがやっとの世界と考えると、実用的な装置として考えるしかないです。巨大な非生産的なものを維持するのは大変ですから。

 農業以前、狩猟採集の時代にも、生物の営みは太陽の運行に関係があることなどわかっていたので、何かを行う期日を定める必要があったと思われます。この日から先には、山に入っても獲物が獲れないから・・・この日以降は、こういった植物の芽が採れるようになるとか・・・そろそろ、鮭が遡上する時期だとか・・・罠や簗をかける準備をする時期だとか・・・そういった、労働を集約するための指標としての暦は必要なはずですからね。

 じゃあ、なんでこんな装置が2基もあるのか?教育と実践というやつを考えると良いような?マスターと弟子の関係かな?マスターの下に弟子が来ます。その場合、最初はマスターの観測機材を見て、さまざまな観測と記録の仕方を学んでいきます。弟子はマスターの装置を勝手にいじるわけにはいきません。しばらく修行して運用の仕方を覚えてきたら、マスターが観測に使っているのとは別の装置、マスターが弟子の時代にはじめの学習に使っていたやつを、弟子の実地教育用に提供する・・・弟子がやることをマスターはチェックして、知識の伝承を行うことになるのでしょう。

 やがて、マスターは引退して、弟子がマスターを引き継ぎ、自らの師が使ったサークルを弟子に・・・という風に世代を重ねると考えれば、巨大な装置が2基あってもおかしくない・・・弟子入りするのは10歳ぐらいかな?それから5年ぐらいは自分の管理することになるサークルの草むしりと、配置を頭に叩き込んで、この場所に日の出がきたら何のシーズンの開始!というやつの宣言を覚え、マスターの指示のもとにマスターの先代までの知識を引き継ぎつつ、マスターの新たな知見をマスターの先代の観測機材に自分なりの解釈で記録し更新する作業を行い、マスターの引退とともに、マスターの職を引き継ぎ、自分の使っている装置をメインシステムと宣言し、運用を開始するのでしょう。マスターであったものが死ぬと、その管理した環状列石の一部に埋葬され、記念の配石が置かれたとか・・・

 1つのサークルはメインシステムとして使われるのは一世代だから・・・およそ25年かな?案外、こういったシステムの運用が、文字による記録と精密化された暦の出現により観測は重要でなくなったときに、暦を司るものの屋敷・・・神社の建物の造替とか式年遷宮に形をかえたのでは?なんってね。

 紙に記された暦か・・・そういえば、ユリウス暦の実施が紀元前45年1月1日で、それから使われ続け・・・1582年2月24日以降はグレゴリオ暦になります。ユリウス暦も結構優秀な暦で、問題はうるう年の入れすぎ・・・そのため10日ほど春分点がずれてしまったので改正になります。ティコ・ブラーエも、この誤差に日食予測と観測の差から気付いていたようです。数日の差はそれほど問題ないが10日も違うと大変ということなのでしょう。

 逆にいえばユリウス暦が導入された時点ではかなりの歳月の観測結果から、かなり正確な地球と月の運行についてのデータの蓄積があったのでしょう。そこで、当時としては完璧と考えられたユリウス暦の導入・・・その後は、ユリウス暦の検証作業を行わないで運用・・・ティコ・ブラーエのあたりになって、観測装置の精度が上がって・・・ということは、ティコ・ブラーエの観測装置程度の精度の観測がストーンサークル類似の装置と山の端を使った観測で得られていたとも考えられそうです。1500年で10日ぐらいの誤差・・・素晴らしい観測精度では?決して一世代で蓄積された観測結果とは思えませんからね。

 日本にも、中国の暦法が伝えられたのは結構早いのでは?なんって思えるわけです。弥生時代にはすでに入ってきてたかも?そのため、古い暦法は不要になり、維持管理されなくなったのでは?

 まあ、こんな風に考えると、ストーンサークルは学校であり、天体暦であり、ある意味の権力装置でもあったのでしょう。高度な知識は大きな権威・・・維持する価値があるものですね。

 結局のところ、高度な技術を開発できる場所が、世界のトップの国になれるということなのでしょう。高度な技術、大きな付加価値、学ぶべき何かがあるところに人は集まり、その技術を盗む・・・できることなら、あまり学ばず、その結果だけを手に入れる・・・ストーンサークルに書かれた何代にも渡って営々と積み重ねられた検束結果が、千年に渡ってゆるぎない精度の天文定数群として公開された瞬間に、観測技術も観測装置も無用のものになってしまうということのようです。

 ふむ、日本がかつて、列強に肩を並べようと必死の技術導入によって、大きく躍進し、その技術をバックに、効率化をはかって、現在の繁栄を生み出しましたが、次は何?先が、だんだん見えなくなってきていますからね。技術開発や技術導入の予算も削られていってますからね。はたして、この国はどうなるのだろう?あまり使いたくない言葉ですが・・・憂国・・・

 環状列石を後に、帰途・・・それとも、どこかへ行くか?中尊寺も久しぶりに行きたいし・・・そんな感じです。それとも男鹿半島か・・・結局は、盛岡に向かうことにして、夜道を進みます。

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