東北をうろうろ(7)
 十和田湖から・・・・

 奥入瀬の美しい自然を眺めて・・・美しすぎると疑問が湧いて・・・でも、旅行中には気づかないことですから・・・疑問は持ちましたけどね。あとは・・・奥入瀬の道沿いの木々の太さがほぼ同じくらいなのは?など、ちょっと気になりますね。なんとなく、炭焼きであるとか薪を取るために定期的に伐採されている雑木林の雰囲気ですね。

 森林を抜けると、広い空が広がります。十和田湖です!時期が時期なんで、静かに広がる湖水しかないという感じです。この湖は3万年ぐらい前の十和田火山の大噴火によるカルデラが原型のようです。そして、何回かの噴火を経て現在の形になったようです。

 大量の水がありますが・・・流出河川は奥入瀬だけ?

 十和田湖には発電所の取水口が開いていて、さらに奥入瀬川の支流にも取水口があり、そのトンネル網で十和田発電所へ水が送られ発電・・・3月から5月と9月から12月には十和田湖の水位を保つために下流の水を十和田湖へ戻すことをやっている・・・

 ふむ、十和田湖の水位は発電所によって保たれていることになりますね。これでは、人工のダムと変わらないのでは?ここまで水位が管理されているとは知りませんでした。

 十和田発電所 奥入瀬川 水系 31,100kW  昭和18年12月運転開始・・・水力発電や地熱発電所の出力って、火力や原子力に比べると1桁少ない発電量に過ぎないのか・・・まあ、自然の恵みの雨に頼るわけですから、一度に大量の水を使うわけにはいかない・・・水には様々な用途があるということなのでしょう。

 なんとなく、神の荒魂と和魂などと考えましたが、自然の猛威である荒魂も、その出力の捌け口はコントロールされて、そう簡単には荒魂が働く機会はないのでしょうか?

 まあ、水害の可能性は小さくなっていますが・・・噴火は?と見ると・・・延喜15年;915年に十和田火山は大噴火しています。この噴火で東北地方は広い範囲にわたって火山灰で覆われたようです。国内での過去2000年ぐらいの間での、最大規模の噴火であったとのこと・・・被害の状況は・・・歴史にはあまり現れてきません。京都あたりで、太陽が月のように見えたとか、降灰があったとか・・・どうも、この時代の東北地方は化外の地であったようです。

 中央政府の権力が及ばない・・・文字による記録がない・・・伝承がわずかにあるような?ということのようです。しかし、東北地方は軍事的な観点からすると、この時代は中央政府に拮抗できるだけの力があった?馬や刀剣に関しては優秀であったような?例えば、蕨手刀として知られる刀ですね。極めて実用的な柄と刀身が一体になった、柄頭が蕨の芽のような形の刀です。この刀は古墳時代末期から8世紀あたりまで、東北地方を中心に作られ、このデザインが日本中に広がっていきます。やがて、柄の部分に毛抜きの形に透かしがはいった毛抜形太刀へと変化し、現在の日本刀の原型になっていきます。

 この時代の東北地方はかなり豊かだったのではないかと思います。しかし、この十和田火山の噴火で窮乏した人たちが南に向かい・・・東北地方南部の中央政府寄りの態度をとっていた者のなかに入ってきて・・・大きな軍事力を与え、田原藤太などの武人を生み出していったのでは?

 何しろ、田原藤太は武装蜂起まがいのことをやって追討の声がかかるのですが、追討する人間がいなくて沙汰止みになり、後に平将門の乱を収拾して大いに男を上げますね。

 将門が京に上る頃に十和田火山の噴火・・・そして、京から戻ってくると東国の軍事技術が大きく変化していて、それに乗り強大な武装集団を生み出したと考えるのも良いかもしれません。歴史は中央から見るのと、地方から見るのでは大きく印象が変わりますからね。こんなふうに、十和田火山の噴火という大きいが、文字に書かれた歴史がほとんどないものを考慮に入れて歴史を再構成してみると非常に面白いと思うのですが・・・

 しかし、三陸の津波という災害の跡を眺めたあとだと、こんな具合に全ての物事が災害を中心にどのように動いたのだろうなんって考えて、歴史の再構築まで考えてしまうのも・・・ちょっと、困りものです。

 だって、自分の頭の中で、それなりの整合性を持たせて、ばかば信じちゃいそうですからね。まあ、歴史などというものは事実の解釈ですから、こんな具合に自由に解釈しても良いのではないかと思われます。

 広範囲の自然災害は人の生活を大きく破壊します。その破壊によって移住が起こりますから・・・移住は・・・玉突き式に、だって移住者が入ってくると、どこも居住者を維持するのが限界に近いのでしょうから、それだけの負荷がかかります。負荷がかかると・・・排除するか、武力が劣るものが逃げ出すことになるでしょう。

 静かに水を湛える十和田湖もそういった歴史を生み出す噴火によって作られたと考えると・・・荒魂は水ではなく、実は火山活動ということになりますかね?

 さて、十和田湖を後に、うろうろは続きます。とりあえず・・・環状列石なんってあったな・・・日没に間に合うかな?なんって考えていました。実は・・・日食などのことをふと思い浮かべて、サロス周期とかそう言ったものがどのように観測され、記録されて人類の知識として培われたのか?そんなことが気になっていましたからね。

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