東北をうろうろ(1)
 被災地を眺めて・・・
 2011年3月11日の地震被災地などすっかり忘れていました。知識と感覚はなかなか一致しないものだとわかっているのですが、それでもショックでした。

 知識では、3月11日に巨大な地震が起こり、太平洋岸に大きな被害をもたらしたことは知っていました。もちろん、体験もし、鹿島港界隈の惨状も見、そして、海岸の小屋の周辺の様子も見ています。そして、鹿行橋が落ちたことも・・・落ちたことを知っていても、土浦から落ちた鹿行橋を渡って行こうとしたことも、落ちた橋を目前に・・・知識と感覚と言うものはなかなか一致しないものだと・・・逆に、このときの印象が強烈で、鹿行橋は無いものと刷り込まれてしまったようで、新しい橋が完成しても、気合を入れて向かわないと、そちら方面に足が向かなくなったような感じです。

 鹿島港界隈も、復興が進みましたから、津波の傷跡なんってものはちっとも考えませんでした。国道51号線を鹿嶋市から北上しても、瓦の崩れも修復が進み、目立たなくなって来ましたからね。そして、だらだらと北上し・・・常磐共同火力勿来発電所を右に見て・・・この発電所、木質バイオマス燃料の燃焼をやるとかやらないとかの話を耳にしたことがあったっけ・・・東北の瓦礫の処理をしてるのかな?なんってふと思いました。

 そういえば、鹿島臨海工業地帯のある工場のボイラーは木質バイオマス燃料を燃やしているとか・・・東北からの瓦礫の受け入れはしてるのかな?なんってことも思い起こしつつ、車から写真を撮ります。木質バイオマスって聞こえは良いですが、主に建築廃材や製材かすの類でしょう。こいつを粉砕しただけの、密度の低いかさばる燃料です。ふと、木も圧縮して比重を3程度まで高めると、コンパクトになって体積あたりの熱量が増すような気がしますがね。ごみも加工すれば製品かな?とか考えるわけです。燃料と言うものは結局のところ、輸送されるものですから体積あたりの熱量で良質かどうかが決まるような気がします。ウランなど1立方センチメートルあたり19g程度ありますからすごく優秀な燃料であることはわかりますね。

 こういった発電所でものが燃やされ、その結果、家の中でものを燃やして暖を取ることがなくなったのだとか、電気を使ってクリーンな生活をしているのだと思うわけです。身近なところでものを燃やさなくなった代わりに、こういった所でものを燃やしている・・・電気の無い生活は・・・とか、考えるわけです。一度利用した便利なものは簡単には手放すことはできないということであります。

 考えるときには、地震とかも考慮しているのですが、感覚としては地震があったことなど別の世界のように考えているのです。

 六角堂も再建されたとか・・・そんな話だったよな・・・行ってみるか?しかし、行く気は起こりませんでした。所詮は形が復しただけ・・・

 そして、そうだ、塩屋崎灯台を見ようか?なんって考え始めるわけです。塩屋崎灯台は以前に1回行った記憶があります。古い記憶では・・・田んぼ道を通り抜け山を越えて小さな海岸集落へ出て、その先に見上げるような山の上に白い灯台、灯台への道を歩いて上ることもなく通り過ぎた思い出が・・・ちょっと、国道6号線から入ったところにありますから、有名な場所ですがなかなか行く機会が無いので、たまには良いだろうと言う安易な考え・・・そして、海岸の集落が見える頃になって、なんとなく変?建築中の建物が多いな・・・ん?

 建築中の建物が多いな・・・これは、土台だけが出来上がって、木組みの始まらないものと、頭は勝手に理解していただけの話でした。ここで、やっと津波の被害と言うものに思い当たるわけです。

 あ!津波の痕だ・・・そこで取った写真がこれです。家が普通に建っているように見える中にあるので、建築中?解体後?津波の痕だ!となるわけです。

 護岸にはなんとなく心を楽しませてくれる絵が描かれていて、それに気をとられていて・・・しかも、遠目には普通の景色が広がっているように見えているわけですから。

 津波の被害なんって気づくまでは・・・このあたり海水浴場だったっけ?夏の準備が進んでいるのか?海の家に化ける家も見当たらない・・・こんなに、広々とした感じのところだっけ?そんなことを考えているのですから、人間、否、私は忘れやすい人間なのか?あれだけの地震をもう忘れたのか?

 色々と考えてしまいました。そして、ゴミ一つ無い無人の荒れ野のような集落跡を眺めながら、あとは、人が戻ってきて集落を再建すればよいのだな・・・とか、楽観論を・・・そして、全ての産業が壊滅したのだから、どのようなことから再建が始まるのだろうか?ライフラインは?商店の再開は?など考えるわけです。このあたりで、やっと震災と言うやつを思い返し始めたのです。そして、この護岸を超えて津波がやってきて、この集落を海水が呑んだのだと、遅ればせながら思い至り、海が盛り上がり護岸を超えて海水が入り、車が浮かび横転し、自分が流され水に沈んでいく情景を思い浮かべますが・・・先に見える学校の建物の健全さが、妙に心を落ち着かせるのです。

 しかし、この建物の健全さはうわべだけのものでした。

 まあ、一応普通の学校で、祝 第40回東北中学校バレーボール大会出場 という垂れ幕がかかっていましたので、普通に見えるわけです。集落は壊滅的な打撃を受けているなんって忘れさせられるものです。

 さすがに1年もすると復興するものだ!なんって思うのですが、ちょっと変?正面の門は閉鎖されて工事関係者以外立ち入り禁止となっています。

 ふむ、まだ復旧しない部分があるのか?水道か?下水か?何だろう・・・







 校庭はなんと・・・ぎっしりと積みあがられた建物などの廃材や生活用品などの山でした。集落の全てがここに集められているのです。雑多なものが・・・生活を感じさせるものや、その全てがここに積み上げられているのです。ふと、ここで車を降りて、生活を感じさせるものを写真に収めてみるのも良いのではないかと思いました。

 富を、生活を、命を・・・そういったものを感じさせ、そして破壊した自然災害を・・・そして、報道の奇妙な部分も・・・

 報道はこういった廃棄物処分についてもっと積極的な報道を行う必要があるのではないのか?瓦礫の処分の済んだ、何もなく建築が始まれば、元の生活が戻りそうにきれいになった空間、それとは別の瓦礫を積み上げただけの空間・・・

 こちら側の瓦礫を見なければ、復興が進み、中学生は部活に励み、バレーボール大会に出場!実のところは、この中学校の校舎ではない別の場所が学習の場になっている・・・この、集落の機能は失われてしまったのだと・・・そして、以前のような生活が戻るのには、あと何年かかるのか?そんなことを考えながら進むと塩屋崎灯台の下まで来てしまいました。

 土産物屋は営業していましたが・・・灯台への道は立ち入り禁止となっていました。

 地震災害の傷跡はあちこちにあり、未だ復興の途上にあることがわかります。坂道を越えて反対側の集落へ進みます。すると、美しい景色が目に入ります。何事もなかったような・・・

 変わらぬ海、そして空・・・しかし、海とは反対側の集落は土台を残すだけになっています。

 青空の下、震災はまだ終わっていないのだと・・・

inserted by FC2 system