世界をうろうろ(3)
  韓国ソウルを・・・(3) 

 2日目の朝を迎えました。5時過ぎに起きだして、観光案内を引っ張り出し、地図を見て1日の行動計画を・・・外を見ると、道路が濡れ始め・・・小雨が・・・まずい、このままだとコンビニに行って酒を山ほど買いこんで飲んで寝ることになるぞ・・・なんってね。でも小雨・・・日本で眺めた天気予報では一時雨という感じでしたから・・・まあ、なんとかなるわい!ってね。

 ホテルの窓から街路を眺め・・・人の動きが出て来たぞって、買いこんでおいたソジュやマッコリやビールを引っ張り出して早朝から酒盛りだか流動食なのか?なんってやってます。7時50分ごろになると、向かいのファッションの店で商品を表に出す作業が開始され、どうやら8時開店・・・こりゃ早いじゃん!なんって見てるわけです。

 そして、我々も重い腰を上げて街へ・・・傘をさすほどの雨ではないのですが・・・コンビニでも行ってから考えようってね。すると・・・お粥屋の看板を出している兄さんが・・・朝食あるよ、お粥おいしいよ、こっちだよ・・・ってオダリチプって店へ・・・中国からの4人組の若い女性旅行者がすでに入っていて・・・

 我々は、すかさずビール・・・私は牛のお粥を、相棒は鮑海鮮の粥かな?4種類かな?キムチが出てこれだけあれば半日飲めるとか言いながら、ビールを・・・そして、粥を・・・そしてビール・・・ちょっと良い気持ち・・・このまま居つきそうなので、勘定して・・・雨の街へ・・・南大門市場へと向かいます。・・・・傘も持たずに、地下街へ入ればいいだろうと・・・軽い気持ちで・・・
 
 しばらくすると雨は気合が入ってきます。ソウル中央郵便局を過ぎ、地下通路へ入り地下商店街をのぞき・・・韓国銀行の貨幣博物館の向かいを通り、

 修復成った南大門を一瞥して・・・ぶらぶら・・・相棒はこういった物にはあまり関心が無いような・・・今回はとにかくショッピング!なんでね・・・観光したぞって、写真を撮って・・・

 雨なので南大門地下ショッピングセンターへ入ってぶらぶら・・・ここは手芸関連のお店が並んでいます。まだ早い時間なので、店はぽつぽつと開いているだけですが、興味深く商品を眺め・・・日本と曲線の使い方が微妙に違う・・・とか思うわけです。インチョン国際空港からソウル市街へ向かうときに見たハンガンの多くの橋のデザインが・・・日本とは違った曲線を使っている・・・この曲線は何から?なんてね。

 そうだ・・・松田権六の著作「漆の話」の中に曲線の話が・・・七五三の作法だっけ?角の丸め方についての話があったっけ・・・久しぶりに読み返してみるか・・・なんってね。美意識というのは難しい・・・

 再び地上へ・・・相棒はハンコ屋の前から動かなくなっちゃうんですね。XXのハンコを作らなきゃ!なんって・・・店の人と身振り手振り紙に字を書いて・・・崎じゃなくてアとかやってます・・・印材をどれにするかとか・・・キオスクのようなハンコ屋で・・・私もちょっと作りたくなりましたが・・・プラスチックのピンクや紫の印材で・・・

 ハンコを作ると・・・雨は本気へと・・・南大門市場のテントのあるところをうろうろ・・・さっき食べたばかりですから、さすがに飯は・・・そして、ちょっとトイレ探しとビールビール・・・と雑居ビルへ入り込んで・・・凄い密度の店が・・・東大門市場の3つ繋がった建物をぶらぶら・・・アメ横のガード下をパワーアップしたような・・・階を上がると生花が・・・造花もある・・・食器、衣類、輸入雑貨・・・複雑な?配列の店を縫って歩き・・・良い運動です。タバコは、各建物を繋ぐ通路に灰皿があり喫煙が可能になっていました。

 すると、雨は弱くなり・・・お腹もちょっと空いてきたので・・・いや、ビールが・・・というわけで、客引きの強さに流され・・・小さな飲食店へと・・・チジミおまけ、XX食べなよ・・・う〜、これって適当に頼むわけです。食べて・・・「ケサン」で会計を済ませます。安いものです・・・店を出るとうれしいことに雨は上がり・・・登山靴などを眺め、トイレを探して彷徨・・・アクセサリーの副資材を扱っている雑居ビルへ入り・・・トイレは男女混用?奥に小便器がカーテン越しに・・・問題ないですけどね。

 この副資材や部品を扱っている所は、販売もするのですが、それぞれの店は・・・手工業をやってるわけです。若い子が副資材をくみ上げてイヤリングやネックレス、ペンダントトップなどを組み立てて行くわけです。100円ショップ商品などはこういった所から出てくるのだな・・・なんてね。

 ここを出ると・・・実はすでに正確な位置は把握できなくなっていたんです・・・広い通りが見渡せる所に出ると・・・旧ソウル駅の建物が見えるじゃないですか。予習済みの三叉路・・・右は会賢フェヒョン・ミョンドン真ん中が南大門、左が西大門への道・・・西大門の先に独立門がありますから、この道を進んでいきます。

 ここから、多分1.5kmほどかな?なんって・・・ややいい加減に進んでいきます。中央日報本社ビルや警察庁のある通りです。しばらく高層ビルを眺めながらぶらぶら・・・西大門の地下鉄駅の近くのビルの脇でタバコを吸っている一団が・・・相棒はタバコ休憩、私はトイレへ・・・トイレから戻って煙草のみたちの見物・・・火の消し方が、人差指でタバコをはじいて火玉を飛ばして火を消して・・・吸殻を持ってどこかへ消えて行きます・・・煙草のみがこれだけいれば、かなりの吸い殻が落ちていても良いのですが・・・吸い殻は皆無・・・よく見ると1・2本は・・・という程度です。日本だと・・・これほどきれいな吸い方をしているの?って気になります。

 相棒も、ちょっと気にしているというわけなんで・・・携帯灰皿でも持ち歩かないといけないのか?なんってね・・・西大門を過ぎて・・・ちょっと行ったところで、吸い込まれるように脇道へ、ちょっと進むと右に・・・なんとなく魅力的な路地が・・・飲食店が立ち並ぶ小道・・・なんだか、昔の湯島界隈を思い出してしまいましたね。この道が続くのかと思うと・・・残念ながら学校のような物に突きあたっておしまい。多分、地図によると蔚山大学学生寮とか・・・表通りに出て、霊泉市場を目指します。

 小学校や中学校の前を通り過ぎると・・・お目当ての霊泉市場が見えます。市場入口の左側の青果店が・・・大きな笊にいっぱいのイチゴを出していました・・・1万ウォン・・・大粒のちょっと細いイチゴが光り輝いていました。量が多くて、とても買えない・・・いちまんウォンか・・・とブツブツ・・・そして、この市場へと吸い込まれていくと・・・ここでは客引きはいませんし、買い物客は値切る気配はありません。そりゃ、何品も買うと何やら笑いながら価格交渉なのかそれとも、おまけをおねだりしているのか楽しそうな会話が聞こえます。

 どうやら、値引き交渉は1品では起こらないような?青果・魚介・乾物・精肉・・・さまざまな店が立ち並んでいます。うまそうな物もあり・・・ついに、やっちいました・・・供物のような団子の店の前に釘付け・・・草もち、黄色いの、赤いの・・・豆大福のような雰囲気の・・・こんなのがいっぱいあるんですね。じっと眺めていると・・・怪訝な顔をしておばちゃんが何やら言うんですね・・・全然わからないのです・・・残念・・・でも、財布を取り出して草団子と黄色い団子赤い団子の詰め合わせを指をさすと2000ウォンだって・・・にこにこして財布をのぞいて1万ウォン札を出すと、ポケットから8000ウォンのお釣り、まだ気になるものがあるんで・・・こちらは、日本語でうまそうだ、これも買おうかなんって相棒と話をして、これも!なんって、ニコニコと指を指すと・・・また2000ウォン・・・やすいな〜とか、うまそう!とか言ってると、ライス・・・とか言って、別の粉に覆われた四角い餅のような物もいくつか袋に入れてくれて・・・サービス!なんって笑顔で言ってくれるんですね。こういった低価格商品では無理な値引き交渉は不要と分かります。

 ヨモギの入った餅と白い餅・・・上新粉をこねて蒸して、きな粉のような粉をまぶしたもの・・・こちらもおまけは嬉しいので、ニコニコ、ありがとう!ですね。こうなると、まわりの店からも声が・・・唐辛子をなめてみろ、これは中国製、韓国製は違うんだ挽きたては格別だという感じに・・・言葉は分からないけど身振りを交えて・・・確かに辛さの中に旨さが・・・

 2・3買い物をして分かったこと、数品を買い込んで1万ウォンを超えると、そのあたりから、一割引とかが始まるような?日本と違うのは1980円とかこういったしみったれた値段の付け方はしない。釣銭用の小銭が用意されていないということのようです。

 小額な物では嬉しそうにしているとおまけが、高額なものなら・・・1割か2割引き・・・釣銭として紙幣しか持っていないのなら・・・値引き交渉は5000ウォンからなのか?なんってね。でも、5000ウォンて500円ですから・・・金銭の感覚というのはなかなか難しい・・・

 豚の腸詰も旨そうだし・・・精肉も安いし・・・買いたい!とは思いますが・・・そうか・・・キャンプ場はないか?なんってね。こういった市場で食材を買い込んでキャンプしてソウルを歩くなんって良いかも?韓国観光公社公式サイト 夏はキャンプへ!ソウルで楽しむ野外キャンプ場こういったのを利用すると良いかも?なんってね・・・

 とにかく、楽しくショッピング・・・250mほどある霊泉市場も終わってしまうわけです。右の写真が北の端、公園のトイレの両サイドまで店が続くことになりますね。太刀魚とか旨そうです・・・日本海の魚は日本の魚屋と同じ顔をしてますね。

 鹿嶋界隈で釣れるイシモチは、ここで売られているイシモチとはちょっと顔つきが違うような?魚は詳しくないので・・・

 あと気になるのは野菜・・・大根も日本のダイコンとは違ってずいぶんと短いものが多く・・・蕪より長い・・・白菜は日本のと違って・・・今の時期だからか?小さなものです。ネギも、ニラも・・・なんとなく違うように見えます。見かけが違うということは、味だって違うはず・・・日本の野菜と似ているが味覚の面ではずいぶん違うのでは?日本産のもので料理を作ると・・・それは、似ているが違うものになる可能性が・・・

 食という文化は難しい・・・なんってね。

 食べ物は、現地に行って食べなければ、その旨さは分からないのではないかなんってね。ここまで来ると、相棒は・・・トイレ発見!と言ってまわりをきょろきょろ・・・あそこ!なんって言って脇道の店へ・・・ついていくと、ビールは・・・どれにするなんって、金色のビールを選び、これいくら?ってね。2本で3000ウォンと電卓をたたいて示します。1本150円か・・・ってね。

 道端で飲む、不良日本人が現出・・・そして、飲んでトイレ・・・独立門へと・・・多分、市場内などの歩行距離を入れなければおよそ5km程度は歩いているはず・・・さあ、独立門を眺めて、地下鉄で移動となります。

 さて、この独立門、パリの凱旋門をモデルに?との話・・・あまり似ていないような?なんってね。手前にある2本の柱がかつての迎恩門 - Wikipediaってやつです。

 さて、この門の周りをちょっと眺めて・・・ああ、この国の曲線のイメージは・・・山の形にあるのでは?なんってね。そんな気になりました。このあたりまで、山容などは気にしていませんでしたのでね。

 多分・・・空港から来るときのゴミの山など紹介されたためかもしれませんが・・・南山は夜でしたし・・・この日はビル街をうろついていて・・・市場は、アーケードに覆われ・・・というわけで、広い空を眺めたのはここが初めてだったのでね。

 右の写真が、独立門が作られた時代のものなんでしょう・・・明治37年から38年にかけて刊行された、日露戦争写真帳から・・・のものです。石造建造物は経年変化に耐えて長持ちしますね。

 この門にはどうやら中に階段か何かがあって、上に上がれるようになっているような感じです。門の所にドアがありましたし、門の上に手すりもありますから・・・文献では 花崗岩を積みあげたアーチ型の門で、内部の左側に上方に通じる石段がある ようです。

 この独立門、歴史的な評価は様々ですが、少なくとも中華帝国の一領邦であった朝鮮が、自立した主権国家になったことを記念する建造物であるようです。

 独立門の建設は、1890年代初頭に徐載弼ソジェピルなど開化派によって推進されたようです。彼らは、迎恩門を、中国の一領邦に抑えられ独立した主権国家として認められなかった屈辱の象徴という理由で壊して、中国からの独立の象徴を建設しようと、高宗に積極的に提案し、日清戦争で日本が勝利、1895年4月17日に締結された下関条約で朝鮮の独立が国際法上認められたことで、独立門を迎恩門向かいに建設が計画され、1896年 11月20日の独立門の起工式に至ります。この式典には高宗をはじめとする皇族や高官たちが参加し独立門の建設が開始されます。

 門のデザインは、フランスの パリの凱旋門をモデルに徐載弼ソジェピルが描いたスケッチを元に設計がなされ、扁額は李完用の書で 、扁額のすぐ下には、大韓帝国王室紋章のスモモの花が飾られている・・・大韓帝国が主権国家であったのは朝鮮国王高宗はロシア公使館に逃れていたが慶運宮へ戻った。下関条約以降で、対外的にそれが示されるのは、1897年国号を大韓と改め、元号を光武」改元し、この年の高宗は10月に皇帝に即位します。中華帝国の冊封の象徴であった迎恩門や大清皇帝功徳碑(恥辱碑)を倒して独立門を立て独立を記念したとのこと。ふむ・・・大清皇帝功徳碑こいつも結構厄介・・・建立は明の時代でしょうから・・・

 大清皇帝功徳碑ってのは・・・14世紀に建国された李氏朝鮮は、建国以来明の朝貢国でしたが、満州に女真族の後金が台頭してきます。1627年に、この後金が朝鮮へ侵攻し、やがて両者が兄弟関係を結ぶことで講和します。さらに1636年、後金のホンタイジが皇帝を名乗り、国号を清とします。ここで、朝鮮に対して朝貢及び明への派兵を求めますが・・・朝鮮王の仁祖は朝貢を拒絶し、清皇帝を認めないと宣言します。清のホンタイジは朝鮮への親征を行ない、朝鮮軍は開戦から1月半ほどで降伏し、清への朝貢と清からの冊封、明との断交、朝鮮王子を人質に差し出す、賠償金の支払い・・・仁祖は三田渡で、ホンタイジに対し三跪九叩頭の礼で清皇帝を公認する誓いをさせられる恥辱を味わったとのこと・・・戦争をやったら負けてはいけない・・・

 そして、これを示すための碑文を満州語・モンゴル語・漢語の3ヶ国語で石碑に刻ませ、1639年に降伏の地である三田渡に建てたというやつです。

 朝鮮って結構大変ですね。中華帝国の明の冊封をうけ、清が勃興すると明との冊封を否定し、清の冊封を受け、明は清へと変わり・・・結局は中華帝国の清の冊封体制下に組み込まれ、下関条約で独立したかと思えば・・・日韓併合で国を失う・・・やがて米国の軍政下にはいり、独立・・・現在に至る・・・そして、歴史は続く・・・今を驕ってはいけない・・・今を楽しめなければならない・・・のかな?なんってね。

 とにかく・・・南大門・西大門・独立門と旧市街の南の端から西の端を回ったことになるのでしょう。次は・・・地下鉄に乗って東の方へと進出します。

(2013.04.28)

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